- プロフィール
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- 伊藤 拓郎
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1980年、愛媛県出身。武蔵野美術大学・映像学科在籍中に株式会社コンセントでアルバイトとして勤務し、卒業後は博報堂アイ・スタジオに新卒入社。プランナーとして勤務した後、2012年に株式会社BIRDMANへ転職。現在はインタラクティブプランナー/ディレクターとして「PUSH for Ultrabook」などのキャンペーンを手掛けている。
http://tacrow.wordpress.com/
広告やキャンペーンを舞台に、世の中に斬新な仕掛けを提供し続けているインタラクティブプロダクション、BIRDMAN。今回ご登場いただくのがそのBIRDMANでインタラクティブプランナー / ディレクターを務めている伊藤 拓郎さん。幼い頃から「書くこと」「作ること」が身近にあり、美大へ進学後、プランナーとして華やかな広告業界へ。順風満帆に見えるその人生だが、22歳のときに大きな転機を迎えたという。常に「言葉」を武器に、広告業界で羽ばたいてゆく、伊藤さんの本質に迫ります。
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昔から、人の反応を作ることが好きだった
―現在、伊藤さんは広告の仕事をされていますが、昔からそういうものに興味があったんですか?
伊藤:広告自体に興味を持ったのは高校時代からですが、いわゆる「人の反応」というものには、小さな頃からすごく興味がありましたね。小学生のとき放送部で校内放送を担当していたんですが、放送後に自分がボタンを1回押すだけで全校生徒が各教室へ戻っていく。人を操作しているって言ったら聞こえが悪いですが、そういう人の動きを考えることを、幼心に「あぁ、面白いなあ」って……(笑)。
—全校生徒を操作している快感のような(笑)。
伊藤:そうですね(笑)。中学生のときは新聞部でとにかく「書くこと」が好きでした。高校に上がった頃は、カップヌードルやペプシコーラなどの面白いCMや、JamiroquaiやBjorkなどのユニークなPVがたくさん出てきていた時期で、広告そのものというよりは、映像に興味を持っていましたね。当時、地元愛媛で行われたACCのCMフェスティバルへ、親の車で連れて行ってもらったのを覚えています。
―なるほど。なんとなく今に至る素養が小さい頃からあったんですね。
伊藤:そうかもしれませんね。大学も武蔵野美術大学の映像学科を選びました。特に「CM論」という講義は、今でも心に残っています。広告史に残る数々のCMを手掛けられた、元電通のクリエイティブディレクターの小田桐昭さんが毎週講義してくださる、とても豪華な内容でした。その講義内で初めて描いた企画コンテを褒めてもらえたりと、すごく新鮮で面白かったんです。僕は昔から形はなんにせよ、企画を考えるのが好きだったので。結局その講義に熱中するあまり、1年だけでは物足りなくて何年もモグリで受講してました(笑)。
―そこで、映像を「作る」側の楽しみにも目覚めたわけですね。
伊藤:当時は漠然と映像の仕事がしたいなぁ、と思ってました。でも、同時にその頃、自宅に暗室を作るほど写真にも熱中していたんです。一度、写真の公募に投稿した作品に、荒木経惟さんからコメントをもらって、「写真の道に進むか?」と悩んだ時期もありました。でも、写真でプロになろうとか作家になろうと決心するという訳ではなく。僕は作家として何かを伝えたいという確固たる意志があるよりも、人の反応が知りたくてやっていた感じでもあるので。
自分の「なりたい」仕事と、「向いてる」仕事
―そういった経験をお聞きすると、広告業界を目指すのもなんだか納得です。
伊藤:ただ、就職活動はあまり真面目にやってませんでした。大学3年時に、肝臓の持病が悪化して入院してたりして、休学もしているんです。それで復学してから、たまたま学内でバイト募集の広告を見かけて、WEBの制作会社に応募したんです。募集概要がデザイナーとコーダーだったのに、全然ちゃんと見ていなくて、いきなり「企画をやりたいです」と面接に行ってしまった(笑)。すると社長が、「面白いね」って採用してくれて、インターンのような形で働いていました。でも、実際に担当することになったのは、企画を考えるプランニングではなくコーディング(笑)。見よう見まねでひたすらコーディングをしていたのですが、自分の作ったものは、本当に世の中に出ているのだろうか、人を動かせているのだろうかと、不安になってしまって。
―不安に?
伊藤:今は違うでしょうけど、当時はやっぱりコーディングだけしていたら、自分のつくったものが人にどんな影響を与えられているかが、全くわからないんですよ。今みたいにSNSも一般的じゃないですし、自分も学生だったので世の中の反応を感じる目を持ってなかったし。たとえば、化粧品の広告を作ったとすると、百貨店やドラッグストアへ行けば、それを確認できますよね。だからもう少し、自分の作ったものがきちんと世に出ているのを肌で感じてみたいという想いはありました。そんなときに、学校でたまたま「WEB広告・WEBデザイン」という講義が行われている教室を発見して、なんとなく入ってみたんです。そしたら、なんだか周りの雰囲気がいつもの講義と違う。よくよく見てみたら、それが前職となる博報堂アイ・スタジオの開催する会社説明会だったんです。
―そこでなにか運命的な出来事があったとか?
伊藤:当時はもうバイト先が就職先になると思っていましたし、特に就活する気もなくその説明会に入ったので「完全に場違いだな」と(笑)。なので全然空気を読まずにぶしつけな質問をしたり、アンケートに辛辣なことを書いたりしたんです(笑)。そうしたら、なぜか後日「うちを受けませんか?」という誘いのメールをもらって。
―入社の決め手となったのは?
伊藤:ずっと映像の仕事がしたいと思っていたんですけど、その頃、地元の先輩から「君は映像を作る方よりも企む(たくらむ)方、コピーライターみたいな仕事が向いているんじゃない?」と言われたことがあったんです。思い返してみれば、小学校6年間毎日欠かさず日記を書いていたり、中学でも新聞部だったり、今だって10年くらいブログを続けている。確かに自分は文章を書くのが好きだし、これを仕事にしてみると楽しいかもしれないなと。「自分がなりたいものよりも、人から『向いてる』と言われることの方が合っている」という話を聞いたこともあり、先輩の言葉を心から受け止められました。それでこれはなにかの縁だろうと面接へ行って、4年生の冬に内定をもらいました。プロダクションとしては大きい会社なので、ここに入ればWEB制作だけでなく映像やコピーライティングの仕事ができるかも、という期待を持って。
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- 「Perfume なう」から生まれたコミュニケーション
「Perfume なう」から生まれたコミュニケーション
—実際に入社してみて、期待通りの仕事はできましたか?
伊藤:肩書きは「プランナー」として、コピーを書いたり、取材に行ったり、企画をつくったりと、思った以上に幅広い業務を担当できました。だけどコピーを担当するときは自分が絞り出した渾身のキャッチフレーズ以上に、単純で分かりやすい「10% OFF」のようなワードの方が反応があるという現実を知りました。なんだか、それが入社当初はとても悔しかった。今までは自分の「言葉」そのものにこだわっていたけれど、そういった単純なワードを目立たせることが訴求につながることもあるんだと、気づくきっかけになり。
—それはちょっと寂しくもありますよね。
伊藤:でもそういう経験を通して、人を動かすのはキャッチフレーズだけではなく、そもそもの仕組みが大切なんだと気づけたんです。それまでは、コピーと呼ばれているものの氷山の一角しか見てなかったというか。人を動かすための仕組みを言葉で生み出す。つまり、こねくり回した「表現」じゃなくて最大効果を見据えた「10%OFF」と書いた方がいいならそっちを積極的に選ぶってことです。WEBって手掛けられる領域が広いので、映像の案件もコピーワークの仕事も出来て楽しい反面、結果はすべて数値となって出てくる。そういうことを踏まえ、もっと戦略的に考えてそれを言葉に起こせる力を身につけないとな、と、3年目くらいから思うようになりました。アイデアや企画を通せるような力を持った言葉を、プランナーとして企画書で押さえたい、と。自分の考える企画をなにか強いワードで通すことができれば、より自分の「指紋」を残せる仕事ができると思って。だからこそ今でも「言葉」で勝ち取りたいっていう意識は強いですね。
—なるほど。
伊藤:特にインタラクティブ領域においてはプランナーって、下手すると必要ない存在だとも思うんです。デザイナーやプログラマーなど専門職の人の中にも、素晴らしい企画力を持つ人はいくらでもいますし。彼らが技術面や実現性も含めて企画出しができるのに対して、僕のようなプランナーはあくまでイメージでしか伝えられない。かつての上司が「プランニングは全員でやる。その中でプランナーとは、通せる企画を書ける人」と話していて、それ以来この言葉をずっと意識しています。だからこそ、企画を通すときに「こんな感じ」というイメージを的確に伝えられる言葉が、とても大事な要素になってくると思っています。
—そういう「言葉の力」を、どうやって高めてきたのですか。
伊藤:多くの人たちに長く愛される言葉を作ることは、今でもまだできていないと思います。ただ、業務の一環として、某企業のTwitterアカウント運用を担当した経験は、言葉の基礎体力を鍛えるのに役立ったと思っています。
—Twitterで?
伊藤:はい。あるとき、個人アカウントと間違えて、その企業の公式アカウントで「Perfumeのライブなう」とツイートをしちゃったことがあって……(笑)。今思うと相当なミスですが、そのツイートをきっかけにPerfume好きのユーザーや、このアカウントを身近に感じてくれたユーザーが熱のこもったリプライをたくさんくれて、盛り上がったんですよ。それで、売り上げにも良い影響が出て(笑)。計画してやったことではないけど、このアクシデントが結果、良い場を生み出した。プロモーションというものは、結局は「言葉」を介する「コミュニケーション」なんだと感じた出来事でしたね。
—作りたいのはコピーというより、コミュニケーションだと。現在のBIRDMANへ転職したきっかけはあったのですか?
伊藤:前職は本当に恵まれた環境だったと思います。新卒から6年間、結構忙しい毎日だったけど、その分、鍛えられました。でも同時に、もっとアグレッシブな場所へ行くべきなのでは、という気持ちもあったんです。そんな想いを抱えながら2011年のCANNES LIONS(※注 フランス・カンヌで行なわれる世界最大の国際広告祭)へ行ったとき、偶然にも今の会社の代表と話をする機会があったんです。そうしたらたまたま帰りの便も、さらには成田から新宿に戻るバスまでも一緒で、色々な話で盛り上がったんです。そのとき僕に「企画の大切さ」を説いてくれて。
—というのは?
伊藤:どんな広告やコンテンツでも企画がすべてだから、プランナーって超重要な立ち位置なんだよね、って。それでその1年後、Facebookメッセンジャーで「実は転職を考えていて……」と話したんです。そしたら「じゃあ、うち来る?」と、履歴書も出さずにすんなり決まって、BIRDMANに入社することになりました。素晴らしいものを生み出している会社だと知っていたし、すごいチャレンジングで、精鋭揃いで、僕が求めていた環境でもある。デザインも技術もすごいけど、クリエイティブを構成する一要素である「言葉」は、僕が入社することで、何か力になれるんじゃないかと思っていたんです。でも入社してみるとコピーライターは既に在籍していたので、うかうかしてられないんですけどね(笑)。
「死」を乗り超えて、生きていく強さ
—BIRDMANに入社後、現在はどんなお仕事をされているのでしょうか。
伊藤:肩書きはインタラクティブ・プランナー/ディレクターとして、WEBだけでなく、人の反応を呼び起こすような広告や体験のプランニングと、そのディレクションや進行管理をしています。「インタラクティブ」というと、技術的なことに詳しくないといけないと思う方もいると思いますが、僕も関わりながら、常に勉強しているような感じです。
—実際転職してみて、驚いたことはありますか?
伊藤:そうですね……。入社して本当にビックリしたことは、クオリティの高さもそうですが、明らかにこの会社の人たちの仕事の速さが半端じゃないこと。前職での進行が遅かったとは全く思いませんが、この速さには驚きましたね。だから、僕自身どうしても焦りを感じてしまいますが、今はそれが仕事のモチベーションにもなっています。案件のスピードもそうですし、会社に流れている時間が全然違う。
—成長する、という意味ではとても良い環境のように思えます。では最近、一番印象的だった案件は?
伊藤:Intel社のインタラクティブ・ゲーム「PUSH for Ultrabook」ですね。企画がゼロの段階から参加させていただき、企画書を書いたり、タイトルを何十案も出したり、アイデア出しもしました。表現として提案した、PCがぐるぐる回る仕掛けも、できたらいいなと思って書いてみたところ、みんな面白がってくれて。それを実現する方法を探してくれたんですよね。この会社のすごいところは、いかに「不可能」を「可能」にするか、という制作陣の意識。コンセプトさえ通っていれば、どんなアイデアでも実現させる方向で考えてくれるメンバーがいることが刺激的だし、そのおかげで多くの反響があってとても嬉しかったです。
—このプロジェクトはすごい反響がありましたよね。みなさんの意識が、とても高いところにあるんでしょうね。
伊藤:常に「プロジェクトを面白くしたい! 面白くしたら成功させたい!」という目標は持っています。そして、カンヌなどの賞も獲りたい。ただそれ以上に、家族や友達のような一番身近な人から「これ、いいね!」と言われて「僕が作ったんだよ」と言いたいです(笑)。以前、僕が制作に関わった動画広告が、YouTubeの動画再生前に流れていたのを妻に話すと、「それはどうやって消せるの?」と一蹴されてしまって(笑)。広告にはもちろん邪魔なものも多いですが、というか基本的に邪魔なものかもしれませんが、そういうものにさせたくない。高い意識を持って、外にも内にも反響が出るように、今は結果を出していきたいです。
—そのストイックな姿勢はどこから湧き出るんでしょうか。
伊藤:実は僕、22歳のとき、自分の意志ではないのですが駅のホームから飛び降りたんです。持病の薬の副作用で、意識がもうろうとして、体が無意識に線路に向かった。病気でも死にかけて、自分でも死のうとした。でも運良く助かって、それ以降、僕の「第二の人生」が始まったと思っています。広告の仕事だから、忙しいことも多いし、やっぱりキツいこともある。だけど、どんな困難な状況になっても「どうせ死ぬわけじゃないし」って思う自分がいるし、そう簡単に焦ることもありません。それで周りを焦らせることはありますがね(笑)。
だから変に度胸はあると思いますよ、誰よりも。なのでこれからも、自分の求めていることを全うしていけるよう、頑張ってきたいと思ってます。
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