是枝監督が認めた愛弟子が、デビュー作『夜明け』にかける想い

プロフィール
広瀬奈々子

1987年神奈川県出身。武蔵野美術大学映像学科卒業。2011年から分福に所属。是枝裕和監督のもとで監督助手を務め『そして父になる』『ゴーイング・マイ・ホーム』『海街diary』『海よりもまだ深く』に参加。西川美和監督『永い言い訳』で記録と監督助手を兼任。監督デビュー作『夜明け』が2019年、新宿ピカデリーほか全国ロードショー。

先日、『万引き家族』でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した是枝裕和監督や西川美和監督の監督助手を務め、2019年『夜明け』でデビューする広瀬奈々子監督。是枝監督主催の制作者集団「分福」が満を持して送り出す新人監督だ。映画制作に携わり約7年、企画が何度ボツになっても這い上がる負けん気、現場がご褒美という映画愛。師匠たちから学んできたセオリーや精神が息づく彼女の哲学を紐解いた。

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なんとかつかんだ映画監督デビューのチャンス!

ー監督助手を卒業されてからは、どのようなお仕事を?

広瀬:分福はフリーの映像制作者が集まっている事務所なので、作品ごとに対価をいただくシステムです。固定給があるわけではないので、仕事が途切れないようにWEB CMやミニ番組などの案件もいただいてます。でも本来ここは自分で企画を考えてやっていく場所なので、早く映画を撮りたいという焦りがあって。フリーになってからの3年間で、企画書を15本ほど是枝さんに見てもらいました。一つひとつ丁寧に批評してもらうのですが、ボツばかりで毎度ガクッと落ち込むんですよね。「書かなきゃ」と向き合うものの、なかなか良い脚本が書けず……。このままじゃまずいと思って、自主制作のドキュメンタリーを撮り始めたんです。

ー何かひとつでも、映像作品を作ろうと。

広瀬:「自分の作品を作っているぞ」という精神安定剤にもなりましたし、自分の中にあるものを企画書や脚本として表現するのではなく、外にあるものを撮るので、人の言葉に耳を澄ませて映像作品にしていく行程は楽しかったです。

ーデビュー作『夜明け』を構想されたきっかけは?

広瀬:『海街diary』のカメラマン助手の方から、オリジナル脚本のWEB CMを作らないかと誘っていただいたことがあって。できあがりを是枝さんに見てもらったときに「ああ、これなら早く(映画監督) デビューしたほうがいいね」と言ってもらえたんです。それが大きなきっかけでした。なんとかこのチャンスを活かしたいと『夜明け』を構想しました。

初作品は、3週間の合宿スタイルで

ー『夜明け』を観させていただきましたが、秘密を抱えている青年を見ず知らずの初老の男性が助け、二人が関係を築いていくという、密やかながら人間同士のやり取りが繊細に描かれた作品でした。この作品に込められた監督の想いは?

広瀬:これまで書いた15本のプロットも含めて、どの作品でも興味の対象は変わっていなくて。3.11の震災時に感じた社会や自分に対するモヤモヤとした気持ちを形にしたかったんです。なんというか……、震災以降の仕事が決まっていない半年間は自由だったけれど、行き場のない何かが自分の中にありました。そういう悶々としたものを抱えた主人公を軸に、社会的な目線や家族への依存、権威に対する不信感などを組み合わせています。

『夜明け』 ©2019「夜明け」製作委員会

『夜明け』 ©2019「夜明け」製作委員会(2019年、新宿ピカデリーほか全国ロードショー)

ー声のトーンや服装の変化など、細部に距離の詰め方が宿っていて、監督はきっと人間観察に長けている方なんだろうなと思いました。

広瀬:長けているかはわかりませんが、そういった細部に自分の中のアンバランスさを散りばめました。ものすごく思慮深いくせに図々しさもあって、一見そうは見えない人に別の表情があるように、人には多面性があることを伝えたかったんです。そして、誰にどう見られているのか、誰をどう見ているのかを意識した映画にしたかったので、気味が悪いほどねっとりと視線を繋ぐようなカメラワークにこだわりました。

ー監督として初めての撮影現場も、監督助手としての経験と性格から落ち着いて対応されていそうですね。

広瀬:いや、波乱万丈でしたよ(笑)。初めての作品なのでなるべく濃密な時間を過ごせるようにと、プロデューサーが“合宿スタイル”を提案してくれたんです。千葉の房総で約3週間、スタッフ・キャスト一同で寝食を共にしました。主演の柳楽優弥さんが積極的に働きかけてくださって、休みの日にはスタッフと一緒に映画に行ったり、悩ましい場面も夜中にとことん話し合って翌日に挽回できたり、関係性が築きやすかったのはありがたかったです。

ー柳楽優弥さんや小林薫さんなどそうそうたるキャストですが、物怖じしませんでしたか?

広瀬:普段は人前で話すのも苦手ですが、現場に入ってしまえば不思議と物怖じしないんです。「作品を良くしよう」というシンプルな思考になれて集中できます。それに私だけでなく、スタッフ・キャストも同じように思ってくれているのを現場ですごく感じたので。特に柳楽さんや小林さんは「本当にこれでいいの?」と何度も問いかけてくださったんです。私自身リーダーシップがすごくあるわけではないので、周りの姿勢に引っ張っていってもらった感覚が強いです。

一人で責任を持てることはラッキー

ー今回の経験で、監督という役割に改めて感じた魅力はありますか?

広瀬:お芝居もカット割りも、キャストやスタッフと話すことが演出だと思うので、それらを繋いでひとつにするのが面白いと感じています。それに監督ならば「自分の作品なので自分で責任を持てばいい」と思えるので。

ー自分の作品であることをプレッシャーに感じるのではなくて……。

広瀬:むしろラッキーという感じですね。言葉にすると難しいのですが、責任の所在がわからないままジャッジすると作品の軸がぶれてしまうリスクがあるので、誰か一人が内容に責任を持つ方が嘘の少ないものになると思います。今回は脚本作りが大変でしたけど、撮影現場はご褒美のように楽しかったです。

ー今後のキャリアは?

広瀬:できるだけ映画を作り続けたいです。自分で脚本・監督を続けるスタイルだけではなくて、誰かに脚本を書いてもらったり原作を見つけたり、いろんな可能性を探りたいですね。今は次回作について考える時間が楽しいです。同時に、分福の監督助手のDNAも引き継いでいきたい。私を含めて2人だけだった監督助手が、今では5人以上もいるので。1期生である私から、監督デビューしていく流れをなんとか作っていきたいと思っています。

映画は、思い通りにいかないから面白い

ー広瀬さんは、どのようなお子さんだったのですか?

広瀬:兄の真似ばかりしていて少年のようでした、今もあまり変わりませんが(笑)。小学校2年生から中学生まで空手を習い、中学では所作の美しさに憧れて剣道部へ。決して強くはありませんでしたが、負けず嫌いだったので続けられましたね。映画を見始めたのは小学生の頃。母親と一緒に夜中に見るようになって、次第に自分でも開拓するようになりました。レンタルビデオ店に行って興味の向くままに片っ端からレンタル。中学ではジム・ジャームッシュ監督やヴィム・ヴェンダース監督が好きになり、次第にヨーロッパの作品に興味が広がっていきました。

ー大学は映画系の専門学校ではなく、美大の映像学科だったんですよね。

広瀬:映画には携わりたいと漠然と思っていましたが、幅広くものづくりを学んでみたかったので美術大学を選びました。3年生のときに初めてオリジナル脚本の短編映画を作る実習があったのですが、チームワークが壊滅的に悪かったんです(笑)。ほぼ空中分解してカメラマンの私と監督の二人だけになり……。

ーしんどいですね……。

広瀬:何度もくじけながらも、「絶対作ってやる」と制作を続けていたら、その姿を見てまた仲間が戻ってきてくれたんですよね。映画作りは芸術的な行為に思われがちですが、そういうものとはかけ離れたものであると知れたのがすごく新鮮でした。常にスケジュールやお金などの問題に直面するのですが、まったく思い通りにならないことが逆に面白くて。卒業制作は自分の作品を手伝ってもらえるように他の人の制作に必死で協力して貸しを作って、人集めに命がけでした(笑)。自分はどうやら、制約の中からどうにか解決の道筋を見つけて進めていくことが好きなんだと気付きましたね。

是枝監督に物申す!? 新人助手の意外な役割

ー大学卒業後は、どのような経緯で「分福」に入られたのですか?

広瀬:ろくに就職活動もせず、ホームルームという会社のプロデューサーの元で番組ADのアルバイトをしていました。社員にならないかと誘っていただいたのですがなんとなく気が向かず、その後に受けたポストプロダクションの会社にも行かず、バイトの掛け持ちを続けていました。未来を描けなくて、青臭いことばかり考えていたんです(笑)。半年ほどぷらぷらしていたとき、友人から「是枝監督がアシスタントを募集してる」と聞いて。ダメ元でしたし、まさか受かると思っていませんでした。応募時に提出した卒制の映像は、偶然にも『誰も知らない』を分析して作ったものだったんです。

ー分福に入って7年目、これまではどのようなお仕事を?

広瀬:最初の3年間は是枝さんの監督助手をしていました。いわゆる助監督とは異なる分福特有のポジションで、企画から編集までずっと監督のそばに付いて「それは違うんじゃないですか」と意見する役割です。

ー新人なのに、監督に意見するんですか?

広瀬:初めて付いた作品が『そして父になる』だったんですが、「次で決めなきゃ撮り終わらないぞ」という空気の中で「違うんじゃないか」と現場を止めなきゃいけないのは、本当にきつかったです。怖気づいていると是枝さんとプロデューサーから「言って!」と急かされて、泣く泣く意見するんです。でもそれが採用されると、やっぱり嬉しいんですよね。限られた時間の中でどれだけ良いアイデアを出せるか、監督も含めて「勝った」「負けた」と緊張感が漂う中バトルする感覚が楽しくて、「もっと良いアイデアを出すぞ」と闘志を燃やしていました。

ー想像すると辛そうですが、幼少期に培った「負けず嫌い」がここで活きていますね。

広瀬:そうかもしれませんね。負けることはマイナスではないと理解してからは、選ばれたアイデアにより作品がどう良くなったのか、別のアイデアはなかったのかなど考える癖がつきました。当時『そして父になる』(2013年)に続いて『海街diary』(2015年)、『海よりもまだ深く』(2016年)と運良く作品数が多い時期だったので、勉強する時間にも恵まれました。

ー是枝監督からもらった印象的な言葉はありますか?

広瀬:あまり考えを押し付けない人なので、監督がやっていることを見ているうちに少しずつルールやセオリーが見えてきた、という感じです。是枝さんも「教えてあげよう」というより、年齢や経験問わず誰からも「もらってやろう精神」が強い人(笑)。でもその欲の向かう先が私利私欲ではなく、作品のためであることがいいなと感じていて。そういった姿勢は、言葉による教えよりも大きな学びだったと思います。

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