サマソニ開催までの舞台裏。ニッチな音楽も届けたい、フェス作りに必要な要素

プロフィール
平山善成

栃木県出身。大学卒業後、 HMV record shopでのバイヤー経験を経て、株式会社クリエイティブマンプロダクションへ入社。現在、宣伝部部長としてサマソニやその他公演のブッキング・統括を担当。

洋楽のアーティストが来日するフェスが世の中に浸透した今。黎明期から日本のフェス文化・市場を牽引し、音楽シーンの歴史に数々の伝説を残してきたSUMMER SONIC(以下サマソニ)。その運営に携わる興行主は、どんな人なのだろう。今回お話を伺ったのは、開催2年目からクリエイティブマンの宣伝担当として活躍する平山善成氏。ブッキングにも携わる立場から見たフェス運営の舞台裏、そして渉外ごとの苦労についても迫った。

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数年先まで見越した海外アーティストのブッキング。あえて後出しする出演発表

ー今では、サマソニのブッキングも担当されるんですよね。どういう段取りで動いていくものなんですか?

平山:その年のサマソニが終わるとすぐに、翌年に向けて代表の清水が狼煙を上げます。僕たちはアーティスト候補をテーブルの上に並べて、ああでもないこうでもないと入れ替えながら完璧なラインナップを作るんですが、100%思い描いた通りに実現することはまずなくて。特にヘッドライナー級のアーティストは、数年先までびっしりスケジュールが埋まっていることもあり、オファーが通らないのが常。なので、いろんなことを見極めながら渉外を進めていくんです。

ーいろんなこと……。具体的に、渉外で腐心するのはどの点ですか?

平山:例えば、海外では人気なアーティストでも、日本での知名度はまだまだ……ということもあるんです。普段ヘッドライナーを務める相手に、早い時間帯の出演を納得してもらわないといけない。その際はもうぶっちゃけて、「納得してもらえる順番でないとしても、来てもらわないことには日本のマーケットは開拓できない。うちもプロモーションを頑張るのでお願いします」と説得するしかないんです。出演交渉は、その年がダメでもその場で終わりではなく、翌年以降のリリースタイミングなどタイミングを掴んでコンタクトを取ることが大事です。その点、今年はかなり豪華な面々が決まり、手応えのあるラインナップなので楽しみですね。

ー他のフェスと、アーティストの取り合いになることもあるのでは?

平山:もちろん、同じアーティストにオファーが重なることはよくあります。勝負に出るときは出ますが、条件が合致する方でブッキングは決まるものですし、ダメならダメで仕方ない。主催側同士でかち合っているという感覚はないですね。こちらからオファーを出すだけでなく、アーティストの方から「こういうラインナップなら私たちも出たいです」と声をかけてくれることもあります。お客さんにもアーティストにも行きたいと思ってもらえるフェス作りも大事ですね。

ーアーティスト発表のタイミングなど、宣伝にはどんな工夫をしていますか?

平山:あらかじめ出演が決定していても、あえてアルバム発売のタイミングまで情報を伏せておくこともあります。新人アーティストであれば、音楽性の近いアーティストと抱き合わせにして発表することで、「ファンがざわつくんじゃないか」と想像したりどうやって盛り上げるかを考えています。正解はないので、お客さんの反応に一喜一憂しすぎずに、トライ&エラーを繰り返していますね。海外フェスの宣伝手法もチェックしてます。アメリカの「コーチェラ」なんかは、Instagramのフェス飯の写真1枚とっても、シズル感があって、お洒落で美味しそうに見せていますし、音楽以外の見せ方の参考になります。

「間口」を広く「敷居」は低く。フェスが担うべき役割とは

ーサマソニを運営する上で、意識しているスタンスはありますか?

平山:お客さんにとっての間口は極力広くしていて。サマソニは、開催地が大阪と幕張という都市型フェスなので都心から日帰りで行けますし、フェスを気軽に楽しんでもらえるきっかけになっていると思います。あと、ロックファンの間では、アイドルやポップスターのラインナップはなんとなく嫌厭されがちですが、それを「アリ」に変えてきたのもサマソニがやってきたことかなと。「ロックフェスじゃなくなった!」と批判を浴びることもありましたが、蓋を開けてみたら、意外なアーティストの会場で入場規制がかかるほどの反響を呼ぶこともありましたし。自分でも、食わず嫌いをしていたなと思わされることも多いんです。

ーフェス運営に携わってきたからこそ、経験できたエピソードを教えてください。

平山:2003年のサマソニで、Radioheadの“Creep”を聴いたお客さんの歓声は今でも忘れられないですね。その時、別の会場にいたのに歓声が聞こえてくるほどでした。それまでライブではほぼ披露されない曲目でしたし、当日のセットリストにもない。スタッフ含め誰も予想してなかったことが起きて、騒然としました。そのとき確か入社3年目でしたが、「ああ、すごい仕事に携わっている」と実感しました。

ーフェスが担うべき役割は、どんなものだと思いますか?

平山:国内の2大フェスとして、20年近くフェス市場を引っ張ってきた自覚があります。僕自身、フジロックで普段聞かないワールドミュージックなどの音楽に触れて、刺激を受けたりしてるんですが、お互いに切磋琢磨しながらこの業界を盛り上げてきました。フェスというのは、大きなアーティストだけでなくニッチな音楽も届けていけるものだし、今後もその役割を担うべきだと思ってます。

ーなるほど。

平山:そのためにはサマソニとしても、フェスそのものへの関心を高めていきたいんです。音楽以外にも食べ物や物販、ファッションなど、細部への目配せを怠たらず進化しなきゃと思いますね。過去に「フェス会場に床屋を出現させたら面白いんじゃない?」と突飛なアイデアから始めた『バーバーサマソニ』は、思いの外好評で10年以上続いてますからね(笑)。まだまだ仕掛けていけるはずなんです。

ー今後のフェスに描く未来とは?

平山:僕が10代の頃に比べたら、洋楽市場は小さくなったと言われます。それでも今年ブルーノ・マーズは、37,000人も入るさいたまスーパーアリーナを、4日間連続で埋め尽くしている。スタジアム級のアーティストは、今でもいくらでも人気があるんですよ。国内でほとんど知られていないアーティストであっても、可能性はいくらでもあると思います。だから現状を悲観しないで、良いと思えるものを提案していきたいなと思いますね。

ライブと接点のない田舎育ちの青年が、レコ屋の目利きとして働くまで

ー音楽業界を志す人は、昔から音楽漬けだと想像します。平山さんはどんな10代を過ごしていましたか?

平山:出身が栃木の田舎で、宇都宮まで行かないとライブも見られないような環境で。中高生の頃は特に音楽業界を意識したこともなかったですね。洋楽を聴くようになったのは、当時放送していたフジテレビの『BEAT UK』という深夜番組で、海外のPVを観るようになってから。僕が10代の頃は、ブリットポップやグランジの音楽が出始めた時期で、そういうものを聴いて単純に格好いいなと思うようになりました。

ーライブに行くようになったのはいつ頃でしょう?

平山:大学で横浜に出てからは、頻繁に通うようになりました。川崎のクラブチッタで観たGreen Dayの初来日公演は、今でもよく覚えてますね。その時、前座だったHi-Standardの8mmの短冊形シングルを入場口でもらったことに時代を感じます(笑)。徐々にヒットチャート以外の音楽にものめり込んでいって、HMVでバイトを始め、渋谷・宇田川町あたりに密集していたレコード屋巡りに明け暮れていました。『名盤100選』といったカタログ本や音楽雑誌を参考に、片っ端から聴き漁ってましたね。

ーレコード屋をバイト先に選んだのはなぜですか?

平山:90年代後半はインターネットも出始めたばかりで、レコード屋が貴重な情報源。いち早く音楽の動向を探れるような場所と、接点を持ちたかったんです。最初はレジ打ちでしたが、何年か経つと洋楽担当のバイイングの見習いをさせてもらえるようになり。バイヤーが目利きしたものがその店の顔になるので、楽しかったですね。店舗ごとに特徴があって、それぞれ名物バイヤーがいるのも面白くて。例えば、横浜店はなぜかメタルが強かったり、池袋店はクラシックに精通していたり……。

ー就職活動では、どのようなところを受けたのですか?

平山:いくつかレコード会社も受けたんですけど、バイトしていたHMVで契約社員として働かせてもらうことになって。インストアイベントやレコ発の企画などにも携わるようになりました。学生時代にも身内の小さなイベント企画をやってましたが、集客につなげるアーティストのブッキングというのはこの頃初めて経験しましたね。レコードの紹介文を書くときも、「どうしたら人に聴いてもらえるのか」は常々考えて試行錯誤してました。

先行予約の電話口からほとばしる、お客さんの熱狂

ー音楽好きであれば、レコード屋としてのお仕事にも十分やりがいを感じられそうです。フェスへの関心は何をきっかけに?

平山:第1回FUJI ROCK FESTIVAL(以下フジロック)は、仕事の調整がつかなくて行けず、悔しくて。行った人から話を聞いたら、未だに語られる伝説の豪雨で、衝撃のフェスだったそうじゃないですか。「すごいものが来たぞ」と。それで第2回フジロックや、2000年に初開催されたサマソニに参加したんです。Green Day、Weezer、COLDPLAY、MUSE、Sigur Rosなど、今だとヘッドライナーを務めるようなアーティストがゴロゴロいて。こんな風に世界を代表するアーティストが一同に介するイベントって、どこの会社が作ってるんだろう、自分も関われたら面白いだろうなと思うようになりました。

ーそこでクリエイティブマンの存在を知った、と。

平山:当時はまだ社員も10数名の規模でしたし、なんだか得体の知れない会社だなって思ってましたよ(笑)。漠然としたイメージのまま飛び込む気持ちで入社しましたね。いざ宣伝部に配属になると、企画からアーティスト招致、宣伝、ライブ当日の機材搬入、来日アーティストの送迎まで、もう何でもやりました。よりによってフェス前の一番忙しい時期に転職したので、細かく指示を仰ぐ状況ではなく、見よう見まねでとにかく体を動かして。大変な新人時代でしたが、良い経験をさせてもらったなって感じますね。当時、先行予約のチケットは電話受付だったので、社員総出で電話番をしていたことも鮮明に覚えてます。

ー「公衆電話の方が繋がる」なんて都市伝説もありましたね(笑)。

平山:懐かしいですね。休日の会議室にずらっと電話を並べて、ひっきりなしに電話がかかってくるんですよ。今じゃシステム化されているチケット予約ですが、当時はお客さんの興奮とか熱量がダイレクトに伝わって、すごく面白かったですよ。事務的な会話だけじゃなくて、「やっとつながったー!」とか「もう1時間も電話かけ続けてたんです!」なんて声を電話口で耳にすると、コンサートやフェスへの期待や熱狂を感じられて嬉しかったですね。

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