- プロフィール
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- 栗山修伍
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和歌山県出身。京都造形芸術大学卒業後、イタリア・ミラノの大学院Scuola Politecnica di Designで修士課程を修了。帰国後、楽天株式会社でブランドマネジメント室室長を勤めた後、フェイスブック ジャパンに入社。現在はクリエイティブストラテジストとして、企業を対象にしたFacebookやInstagramの広告クリエイティブの企画立案やデザイン開発を担当している。また、自身が経営する9, IncではCEOを務め、ブランディング・パートナーとして日本のスタートアップ企業の支援活動を行っている。
フェイスブック ジャパン社の「Creative Shop(クリエイティブショップ)」と呼ばれるチームには、FacebookやInstagramにおける企業の広告クリエイティブをサポートするスペシャリストがいる。日本でたった5名しかいないこの役職に就くのが、栗山修伍さんだ。イタリア・ミラノでカーデザインを学び、楽天のブランドマネジメント室室長を経て現在に至る。一見すると脈絡のないように見えるが、どのような意思を持ってキャリアを積み重ねてきたのだろうか。その半生をたどる。
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漫画家になりたくて、日が暮れるまで絵を描いていた少年時代
ーご出身の京都造形芸術大学では、プロダクトデザインを専攻していらしたとのことですが、いつ頃からデザインに興味を持っていたのですか?
栗山:幼い頃からです。医者の家系だったので、その道に進むつもりで幼少期から勉強漬けの日々を送っていたのですが、休憩時間になると父が一緒に絵を描いてくれて。1点透視図法とか2点透視図法を教えてくれるんです。それがすごく面白くて。その影響もあり、小学生のときは漫画家になりたいと思っていました。休み時間はずっと漫画を描いていて、完成したら教室で友達に回し読みしてもらい、みんなから感想を聞く。そのフィードバックをもとに、次の展開を考えてまた絵を描くってことをずっと続けていました。
ー幼少期は絵が好きでも、中高生くらいになると離れてしまう人も多いと思います。どうしてずっと絵を描き続けることができたのでしょう?
栗山:無心になれる時間が好きでした。朝起きてから絵を描き始めて、食事も取らずに夢中になっているうちに、気付いたら暗くなっていることもよくありました。また、高校生のときに通っていたアトリエに、学校では出会えないような人がたくさんいて。年齢も経験もバラバラだけど、みんな夢中でそれぞれの絵を描いていて、自分にとってインスピレーションの宝庫だったんです。次第にデザイナーになりたいと考えるようになり、父を説得し、志望校である京都造形芸術大学に進学しました。昔から父を尊敬していますが、僕は僕のやり方で成功したかった。そういう熱意だけは、周囲と比較しても相当強かったと思います。
ー大学卒業後にイタリア・ミラノの大学院、Scuola Politecnica di Design(以下、SPD)に進学したのは、どのような経緯だったのですか?
栗山:大学でプロダクトデザインを学ぶなかで、特にカーデザインに興味を持つようになったんです。もともと車が大好きだったのもありますが、実はこれも絵とつながりがあって。カーデザインって1枚の手描きのスケッチからスタートするんですね。それが最後には、実際に人を乗せる製品になる。「なんてクリエイティブな仕事なんだ!」と感動しました。しかし、自分はカーデザインに特化して学んだわけではなかったので、いきなり自動車メーカーに就職するのは難しい。そこでヨーロッパの有名な大学院をいろいろと調べてるうちに、SPDに辿り着きました。
ー何が決め手になったのですか?
栗山:まずひとつに海外への憧れがあったことがあります。幼い頃から英語が好きだったので、語学を活かして働きたかった。次に魅力的だったのが、修士課程のカリキュラム。SPDではただ座って学ぶだけでなく、アウディやランボルギーニといった名だたる自動車メーカーのトップデザイナーのもとで、現場のように実践的なデザインを学べると聞き、それがすごく刺さりました。
圧倒的な実力の差。イタリアで味わった、人生最大の挫折
ーイタリアに渡り、実際にSPDで学ばれてみていかがでしたか?
栗山:最も辛い挫折を経験した時期でした。というのも、SPDに来る人たちって、その道のトップを目指すような猛者ばかりなんです。それこそ、一度はメルセデス・ベンツとか一流の自動車会社に就職したデザイナーが、さらにスキルアップするために来るようなレベルの高い場所で、カーデザイナーとしての就職倍率も1000倍以上。そんなところにカーデザインを多少かじったレベルの人間が行っても、太刀打ちできないですよね。日本の友人からはイタリアでの生活を羨ましがられましたが、ほぼ休みもなく連日遅くまで勉強していたので、全然遊びに出かけられませんでしたね(笑)。毎日、歯を食いしばって戦場に飛び込むような生活でした。
ーそれは大きな挫折ですね。
栗山:でも、僕の人生を変える出来事があって。車好きなら知らない人はいない、海外の著名なデザイナーが、ある日ゲスト講師として来たことがありました。そのとき、過去10年を遡って各自動車メーカーのカーデザインの歴史を見ることになり、ふと気付いたんです。ブランドロゴがない状態でどの欧州車を見ても、すぐに形状でメーカーがわかる。彼らは突然に真新しいデザインを創出しているわけではなく、メーカー独自のブランド資産を継承しながら、デザインのイノベーションに取り組んでいる。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、日本車にはない考え方です。これに感銘を受け、「自分が本当にやりたいことは、デザインよりもっと上流の、ブランドから関わる仕事なんじゃないか?」と思うようになったんです。その日から、ブランディングを独学し、卒業のタイミングで日本に戻ることにしました。
ー帰国後は楽天に就職されていたそうですが、どういった基準で会社選びを?
栗山:英語が活かせて、世界を舞台に大きな仕事をしてみたいと考えていたときに、楽天のブランド・クリエイティブを統括していた佐藤可士和さんの隣について仕事ができるポジションの募集を見つけたんです。「こんなチャンスは滅多にない!」と入社を決意しました。
ー実際に佐藤可士和さんと一緒に働いてみて、いかがでしたか?
栗山:本当に学びが多かったですね。佐藤可士和さんって、会議の天才なんです。あらゆる複雑な情報を瞬時にさばいて、最もフォーカスすべきことは何かを見抜くんです。これは、今の仕事でも役立っています。たとえば現在、Instagramのストーリーズを活用した広告制作のワークショップを開催しているのですが、10秒、15秒の世界で伝えるべきメッセージを抽出するためには、“本質を見抜く”力が必要とされます。その手法を間近で学べたのは良かったですね。
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- フェイスブック ジャパンでの挑戦。ブランディングを軸に、広告の仕事へ
ーフェイスブック ジャパンに転職したのはどのような理由があったのでしょうか?
栗山:実は、代表取締役・長谷川晋の存在が大きく関係しています。楽天時代、僕は朝6時か7時には会社に着くようにしていたんです。仕事に没頭していたのと、まだ暗くて誰もいない、だだっ広いフロアの電気を点けるのが快感で(笑)。そんなときに唯一僕より早く出社していたのが、当時楽天で僕のいた部署を統轄していた長谷川だったんです。普段はめちゃくちゃ忙しい人ですが、同じフロアに2人だけになる朝の時間は、自然と会話が発生する。次第にいろんな相談に乗っていただくようになり、それは長谷川がフェイスブック ジャパンに移ってからも続きました。ある日、カフェで長谷川にキャリアの相談をしていたところ、仕事の紹介を受けました。
ーそれで入社を決意されたのですか?
栗山:詳しく聞いてみると、非常に可能性を感じる仕事内容でした。モバイルの成長が飛躍的な現代ですが、様々なコンテンツに触れる場所も、今はスマートフォンが中心です。この小さなスクリーンの中でしかできない、新しいクリエイティブ表現を生み出す。将来性が高く、純粋に面白いと思いました。また、楽天時代のコーポレートブランディングは自社のことをずっと考える仕事でしたが、広告の仕事であれば、様々な企業と関わりながら、Facebook、Instagramなどのプラットフォームを活用したブランディングに取り組むことができる。そこに最も大きな魅力を感じました。
—これまで学んできたことを生かせそうな転職ですね。
栗山:それが、これまで向き合ってきたブランディングから、さらにデジタル上で具体的にどう表現すべきかを考える必要があったので、入社当初は右も左もわからなくて。かなり勉強しましたね。ローンチ後の広告の結果がデータとして手に取るようにわかるので、結果を検証し仮説を立て、戦略的に新たな提案ができることが面白いと感じました。こういうデジタルの強みを活かして、企業が抱えている中長期的な課題にも長く付き合っていくこともできます。
自分のやりたいことが、達成すべき目標。Facebook流の働き方
ーフェイスブック ジャパンに入社してからの働き方はどうですか?
栗山:うちの会社って、まず自分が何を達成したいのかを大切にしてくれるんです。それを軸に目標設定ができるので、「自分で設定したことだから、必ず成し遂げよう」というマインドセットになります。もちろん、自由が担保されている分、結果に対する責任も大きいんですけれど(笑)。また僕の場合、インド、シンガポール、タイといったアジア圏の面々と会合することが多いのですが、各国で施策が違っていて面白いんですよ。たまに、日本では絶対に出せないようなシリアスな広告提案があったりして。そういう接点が増えたことで、自分の思考も広がるし、文化の違いや考え方を受け入れるキャパシティも大きくなったと思います。
ー栗山さんはかつて海外を舞台に働きたいと考えていましたよね。その想いは今でもあるのでしょうか?
栗山:今も強くありますし、フェイスブック ジャパンなら実現可能です。たとえば、Instagramの最新機能に関する情報をニューヨークオフィスの同僚から仕入れて、次はシンガポールオフィスの同僚と「この最新機能を、アジア圏でのクリエイティブ制作にどう活かせるか?」について議論する。海外を舞台に仕事をする夢は、ここなら実現できます。同時に、日本ではInstagramをどう広告に活かせば良いかわからず困っている方々がまだまだたくさん存在します。そういう方たちに対しては、僕がモバイル・クリエイティブのエキスパートとして積極的にサポートしています。
ー最後に、これからやってみたいことは?
栗山:近年、AIなどの最新テクノロジーについて、ネガティブな感想を見かける機会が増えてきました。でもテクノロジーって本来、生活をより良くするために存在すると思うんです。人は、新しい概念やシステムが身近な世界に入ってきたとき、理解できないが故に拒絶しがちです。「わからないから怖い」という恐怖心を払拭し、難解なものを親しみやすく、楽しく変える力は、クリエイティブにあると信じています。テクノロジーとクリエイティブを掛け算し、世界をより面白く、豊かにする仕事がしたいと思っています。
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