- プロフィール
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- 安東 嵩史
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1981年大分県生まれ。2004年神戸大学卒業後、双葉社に新卒入社。週刊誌、ファッション誌などに携わる。都築響一、宮沢和史らの書籍も企画。この春からはいくつかの新規プロジェクトを立ち上げ中。東日本大震災の際には支援プロジェクト「Todoke!」を主宰し、京都精華大学の講師や『STUDIOVOICE』はじめ他媒体での執筆も行なうなど多方面で活動している。
安東嵩史さんは老舗出版社・双葉社の編集者。週刊誌やファッション誌の編集部に属しながら、単行本をつくったり、他媒体で連載記事を持ったりとフットワークは軽い。「ほとんど会社にいることはない」と語る安東さんは、会社員ながらも自由に働くフリーランスのようにも見える。一体、安東さんはどのようにして現在のようなポジションを得るに至ったのだろうか。その軌跡と編集者としての信条を伺った。
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どこにいても、居心地の悪さを感じてしまう。
―安東さんの少年時代ってどんな感じだったんですか?
安東:引っ込み思案で内弁慶でしたね(笑)。両親が共働きだったので祖母に育てられたようなものなのですが、だいたいは本ばかり読んで過ごしていました。僕の実家は大分市のはずれにあるんですが、その当時は本当に何もなかったんですよ。目の前は田んぼ、裏は山みたいな。
それで兄弟もいなかったので、遊ぶ相手もいなくて。そういう少年時代を過ごしたので、今でも一人行動が得意(笑)。あと、周りが年上ばかりだったので、子供ながらすごくマセていたと思います。小学生のときには書店で小林よしのりさんの『ゴーマニズム宣言』を立ち読みしたり、中学生のときには洋楽に傾倒したり。
―大学は神戸ですよね。地元を早く出たいと思っていたのですか?
安東:ずっと思っていましたね。とにかく1人で、見たことのない世界に飛び込むのが子供の頃から好きだったんです。バックパッカーに憧れたりもしましたが、小・中学生では実際に旅に出ることもできませんし、せいぜい自転車で山を越えて隣町に行くくらい。それで隣町へ行ったところでやっぱり田舎なので、やることがないんですよ。だから結局その街の本屋さんに行って、本を買って帰ってくるという(笑)。そんな田舎育ちだから、まだ見ぬ刺激が溢れている場所に行きたいという願望がやっぱりあって。僕は落ち着きがないというか、昔からひとつの場所に留まることができないんですよね。だからいつも、どこにいてもよそ見をしてしまい、居心地の悪さを感じてしまうというか。
—でもそれは新しい環境に身を置きたい、ってことの表れでもあるんでしょうね。
安東:どうなんでしょうね。実家は両親が公務員という非常に堅実な家庭だったし、「安定が第一だ」と言われ続けてきたので、根底では安定志向な部分もあるかもしれません。もちろんそれは大事なことなんですけれど、その一方で、反動でというか、常に「最新の自分であり続けたい」という気持ちが絶対的なものとしてあるんですよね。だから、意図して安定志向にならないようにしているところもあると思います。
なぜか、絶対に編集者になれるだろうという自信はあった。
―編集者になりたいと思ったのはいつ頃ですか?
安東:高校生の頃です。実はそれと同じくらい写真家にもなりたくて、自分で写真を撮ったりもしていたんです。高校を卒業したら、写真学校に通おうかと思っていたくらいだったんですが、あるとき気づいてしまったんですよね。決定的に「撮る才能」がないことに(笑)。でも、写真を見るのは好きだし、そこから意味や世界観を読み取ったりするのも得意だった。だったら自分で写真を撮るのではなく、例えば自分の好きな写真家の作品に自分なりの価値を与えられる人になろうと考えるようになって。自分の視点で世界を切り取り、自分の切り口で再構成する、という行為に興味を持ったんだと思います。
―それが「編集者」の仕事だと。
安東:当時は雑誌『Switch』とか『rockin’on』が好きで。「みんな思うままに自分の雑誌を作れていいなあ」と思っていました。今思うとそんなことなくて、どこにもそれなりの苦労があると思うんですけど(笑)、ひとつのパッケージに自分の想いをつめることを意識したきっかけというか。もともと、自分自身が作家になりたいとか、自ら表現したいとかいう欲はあまりなくて、そこまで表に出たいとは思っていないんです。ただ、そういったクリエイターたちのことは非常にリスペクトしていますし、ものをつくる、ということはもちろん、つくりあげるまでのコミュニケーションに面白さを感じる部分があって。編集者を志したのはそこですね。といいつつ、出版社でバイトしたりとか、直接就職に繋がるようなことは、大学に入っても何もしていなかったけど(笑)。
―いわゆる内定獲得のための、ハウツー的なセオリーには乗っからなかった、と(笑)。
安東:今もそうですけど、すべてを自己流でやってきたので、会社に入るにはこういう勉強をして、こういうところで働いて、というセオリーに従う発想がなかったんですよ。「マスコミセミナー」みたいなものが存在することも知らなかったし、まあ知ってても入らなかったでしょう。そもそも、誰かの言う通り、やってる通りに動くことを嫌うタイプなので、「面接の対策なんかやって意味あんの?」とか思ってました。でも、なぜか絶対に編集者になるだろうという自信だけはあったんですよね。後々その自信はいったん打ち砕かれるわけですが(笑)。
―就職活動で現実を見た、と。
安東:当時、募集もしていないのに好きな雑誌などに履歴書を送ってみたこともありました。もちろん返事がくることはなく、定期採用をしてる出版社も受けていったのですが、順当に大きなところから落ちていきましたね(笑)。6社目で今の会社に内定をもらい、現在に至るといった感じです。うちの会社には『サッカー批評』というクオリティも業界からの評価も割と高い雑誌がありまして、面接で「サッカー批評を作りたいです!」と言ったんです。でも、いざ入社してみると、その雑誌は双葉社ではなく発注していた編プロがほぼつくっていたという(笑)。当然そこに配属しないことは会社もわかりきっていたわけで、自分の会社ながら「よく採用したなぁ」と思います。
―入社後はどこの編集部に配属になったのですか?
安東:入社して1年間は広告営業をやっていました。今思うと、すぐに「発注側」である編集部に入らないで、お金のために頭を下げる仕事が出来たのはよかったと思っています。やっぱりいきなり編集部の配属になると純粋培養されるというか、その編集部のやり方でしか仕事ができなくなる人が多いんですよ。でも、広告営業だといろいろな部署や他の業界とやりとりすることが多いので、知り合いもたくさんできるし、さまざまな仕事の方法論がわかる。それでクライアントの要望に応えられる方法を常に模索して、知識がないなりにタイアップ企画を必死に考えたり。一人で大きな案件をとってきたときの達成感も気持ちよかったですしね。だから、編集者になりたくて入社したのに、広告営業から編集へ異動になると知ったときには「営業をもっとやらせろ!」と言ってました(笑)。
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- 都築響一に学んだ、「ストリートにこそ真実がある」
都築響一に学んだ、「ストリートにこそ真実がある」
—それで1年間の広告営業を経験した後、念願の編集者になったわけですが、どのような仕事を任されたのでしょうか?
安東:『週刊大衆』という週刊誌の配属になり、スポーツや政治、災害など、わりと堅めの記事を任されました。でも、そのうちやっぱり余計なことをやりたくなるもので、単行本を作ろうと思って。自分で企画から取材、宣伝、プロモーションまでできるというのはすごく魅力的だったんです。雑誌だとどうしても責任も権限も分散されてしまって、自分ですべてを仕切るということができないので。
—でも、週刊誌の編集者といえば、自分の仕事だけでもかなり多忙なのでは?
安東:確かに楽な仕事ではないけど、曜日ごとにやることが明確に決まっているので、スケジュールが立てやすいんですよね。校了後は少し落ち着くとか、1週間の流れが見えたら自分でコントロールできるようになるとか。それに自分のやりたいことをやって忙しくなることは本望だと思っていました。それで最初に作ったのは都築響一さんの『巡礼~珍日本超老伝』という本(現在はちくま文庫から発売中)で。その後も地方に一緒に取材に行ったり、外国の珍スポットの取材をしたりといろいろとご一緒させていただいた経験は、自分の編集者としてのスタンスに大きく影響しましたね。
—と、いいますと?
安東:都築さんは、常に「○○業界」の外の人なんです。アートの本質を愛していればこそ、美術業界とは距離を置く。メディアが持ち上げるものより、誰にも見向きもされなくても「これが好きだ!」という情熱の純度だけで作り上げたものに美しさを感じる。そんなスタンスで仕事をされる方です。ぼくも自分でいいと思ったものしか信じないタチなので、いつも「ストリートにこそ真実がある」という意識で、とにかく自分の足で動けるだけ動いてアイデアやヒントを養うようにしています。だから僕、基本的に会社にいないんですよ。「仕事のネタとカネは社内に落ちていない」といつも思っているので。
—なるほど。安東さんのように会社に属しながら自由に働ける環境に憧れる人もいると思うのですが、現在のようなポジションはどのように確立していったのですか?
安東:例えば僕は、部署間のセクショナリズムとか凄くくだらないと思っていて。自分のプラスになることで、それが会社にとってプラスになるならまずやってみようという感じで動いています。週刊誌の部署にいながら文芸誌でページを持ったり、大学の講師をやらせていただいたりもしましたね。「自分はこの編集部にいるから」とか「会社員だから」と決めつけて自分でリミッターをかけるのは、やっぱり自分の本心に対して嘘をつくみたいで苦手なのかもしれません。もちろん本業を疎かにしてはいけないですが、やりたいことがあるのであれば、まずは行動してみればいい。そうやって自分の領域は広げていくものだし、限られたことしか出来ないのはもったいないと思っています。
会社員としてのプロフェッショナル
—『週刊大衆』で4年半ほど編集を担当した後、女性ファッション誌『JILLE』へ異動になったと伺いました。男性向け週刊誌から女性向けファッション雑誌に担当が変わることで何か変化はありましたか?
安東:社内の異動とはいえ、ほぼ転職に近いですね(笑)。男性週刊誌から女性ファッション誌への異動って。仕事の作法も言語もまったく違う。例えば、女性ファッション誌ってすべてが「かわいい」で完結してしまうことが多いんですよ。でも、個人的には、「“おしゃれ”や“かわいい”は当然で、人に薦めるからにはその理由を説明できなければいけない」と思っているんです。なぜこの情報を取り上げているのか、その意図が人に届かないとそれは編集者の仕事とはいえない。だから自分のページで「かわいい」「おしゃれ」という言葉はなるべく使わないようにしてました。あとは僕自身、これまで社内外でいろんな仕事をしてきたので、ここの編集部になかったような経験を持ちこもうと「出すべき異物感は出していこう」という意識も強かったです。
—例えばファッション誌だと撮影なども多いと思うのですが、制作面での変化はありましたか?
安東:そうですね。やっぱりスタイリスト、カメラマン、ヘアメイクなど、それぞれのプロフェッショナルが集まってひとつのモノをつくっていく課程はとても面白いなと思いましたね。チームといえど基本的には独立したクリエイターの集まりなので、一人一人がこれは譲れない! といったポリシーを持った人たち。僕も一人で動くことが多い分、フリーランスである彼らの心意気が凄くフィットしたんです。一人では何もできない人たちが集まる群れは気持ち悪いけど、一人でやれる人が集まって、それぞれ自分の色を持ちよってクオリティを高めていく感じはすごく気持ちいいんですよね。
—逆に、そんなプロフェッショナルと仕事を共にする難しさはあったんでしょうか?
安東:そういう人たちと、どう分け隔てなく渡り合うかは考えましたね。単純にいえば、僕は会社に守られている立場で本当の意味でリスクを負っていない。だからと言って彼らを相手にしたときに、編集部として注文するべきことはありつつも「クライアント(編集部)の言う通りにしろ!」みたいなことはとても失礼だなと思っていて。基本的に、スタイリストやカメラマンなどはフリーランス。自分ひとりの腕で、自分の力で仕事をしている人たちです。「名前が出るから変なものは作れない」という緊張感や自分の仕事に対するプライドがあるからこそクオリティも高まるし、そのぶつかり合いだからこそ面白いんですよね。いずれにせよ、みんなで作ったものだからこそ、その結果がよかろうが悪かろうが、僕は“誰かのせい”にしないということは心掛けていました。結果はすべて自分が負うべきものなので。
—それで惜しくも『JILLE』は休刊が決まって、安東さんは次のステップを踏む段階だと思うのですが、現在の率直な気持ちを聞かせてください。
安東:残念な気持ちや、やり残したことは大いにあるんですが、情緒的な悲しさはあまりなくて、どちらかというと「これから忙しくなるな」という気持ちの方が強かったです。JILLEにいる間にやりたいこともどんどん増えていってたので、それをやるいい機会だな、と。それに、もともと編集者をやりたいと思った原点は「自分の好きな人と一緒にものをつくりたい」というところにあったんです。そうして築いてきたものづくりの場所がひとつなくなるというのであれば、そこに集まってくれた人たちの新しい居場所をつくるしかない。悲しんだり戸惑ったりしてる暇はないので、どんどん新しい企画を進めているといった感じです。
—常に先のことで頭がいっぱいなのでしょうね。では最後に、今後の目標などをお聞かせください。
安東:そのうち独立しようかなと思うこともあるのですが、今はこの会社でまだやれることは沢山あるなと思っていて。なんというか、会社って使いようだと思うんです。感覚がわかってる人達と仕事をするのは、やりやすいし、ぶつかり合っても面白い。だけど、もっと上の世代や会社全体を巻き込んで新しいことをやることに、今は意味を感じていて。ありがたいことに会社には放し飼いにしてもらってるので、今まで時間がなくてやれなかったことをどんどんやっていこうかと思います。決まっていることでいえば、5月からインターネット時代のスピード感や新しいカルチャーのあり方に光を当てていくような書籍とWEBのレーベル『YOUR BOOKS』を立ち上げます。まだ詳しいことは言えないんですが、それ以外にもいくつかのプロジェクトが進んでいて。とにかく、やりたいことが無限に出てきて困ってしまうくらいが自分はちょうどいいと思っているので、それをひとつひとつ、形にしていきたいと思っています。
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