- プロフィール
-
- 加藤圭織
-
1986年、神奈川県生まれ、茨城県育ち。東北芸術工科大学グラフィックデザイン学科卒業。広告制作会社MAQ inc.を経て、good design companyへ入社。「JR東日本」「久原本家」「中川政七商店」「薫玉堂」など、サービス・商品のブランディングやグラフィックデザインを手がける。今年開催された『Tokyo Midtown Award 2017』デザインコンペにてグランプリを受賞。
熊本県公式キャラクター「くまモン」のデザインを手がけたトップクリエイター、水野学が代表を務めるgood design company(以下、gdc)。そこで活躍するアートディレクターが、加藤圭織さんだ。これまで「JR東日本」「中川政七商店」など、名だたるクライアントをデザイナーとして担当。さらには今年開催された『Tokyo Midtown Award 2017』デザインコンペにて、応募総数1,162点のなかでグランプリを受賞するなど、名実ともに注目の若手デザイナーである。彼女のデザインへのこだわり、gdcから得た学びについて話を伺った。
- ウェブサイト情報
-
CINRAが提供する求人情報サービスはこちら
「CINRA JOB」はクリエイティブ業界の転職や新たなキャリアをサポートするプラットフォームです。デザイナーや編集者、プランナーなど魅力的な企業のクリエイティブ求人のほか、働き方をアップデートするヒントなど、さまざまなお役立ち情報をお届けします。
人生を変えた恩師の一言、「君のやりたい仕事は、デザイナーだ」
—加藤さんは、もともと絵を描くのが好きだったのですか。
加藤:ものづくりが得意な両親の影響があると思います。母は紙粘土やビーズ手芸が好きで、地元のカルチャーセンターで講師をしていたほど。私は絵を描くのが好きで、小学5年生から地元茨城の絵画教室に通っていました。描いた絵を両親や友人に見せて、喜んでもらえることがうれしかったんです。周りからの勧めもあって、小学生のころからいろんな絵画コンテストにも応募していました。
—それは大人も参加するコンテストですか?
加藤:そうです。菓子メーカーのカンロが主催した「夢のようなキャンディーアイデア」を募集するコンテストで、賞をいただいたのはいい思い出です。なぜか子どもでは審査員に認めてもらえないと思い込み、「40代・主婦」と偽って応募してました(笑)。箱いっぱいのキャンディーをもらえたのもうれしかったですね。
—そのあと、自然にデザイナーの道へ?
加藤:山形にある東北芸術工科大学のグラフィックデザイン学科に進んだのですが、「私は絵を描いて、喜んでもらうことしかできない」と思い込んでいて、当初はイラストレーターになりたいと考えていたんです。でも入学早々、ある先生から「君のやりたいのはイラストレーターではなく、デザイナーの仕事だ」と言われて。
—それはどういう意味でしょうか。
加藤:イラストレーターは、クライアントからの依頼に合わせて自分の作風でイラストを提供します。いっぽうデザイナーは、クライアントの根本的な課題から考えて、それぞれに対応したデザインをつくるのが仕事。どちらかというと、私は自分の表現を追求するのではなく、課題を考えてベストなアウトプットを提案するほうが好きなタイプだったので、先生はその点に早く気づき、指摘してくれたんだと思います。先生の一言は、当時の私にとっては衝撃的でしたが、なんだかスッと受け入れることができて、デザイナーの道を歩もうと意識しはじめました。
学生気分を打ち砕かれた、「デザイナー」としての試練と成長
―大学時代に力を入れていたことはありますか?
加藤:地域に根ざした大学だったので、地元メーカーのデザインコンペが定期的に学内で開催され、それに熱中していました。最初は地元出身の学生に負けてばかりでしたけど、3年生のときに初めて、焼酎のラベルデザインコンペで優勝したんです。実際にデザインした焼酎がいろんな店舗で発売されて、手にとってくれているお客さんを見て、すごくうれしかったことを覚えています。生活や日常に、自分が手がけたデザインが溶け込んでいるような、不思議な感覚もありましたね。
―仲間たちと切磋琢磨できる環境が、良い刺激を与えてくれたのでしょうね。
加藤:同級生には、東京へのライバル心や独特のハングリー精神が強い人が多かった気がします。山形からわざわざ東京の展示を見に行ったり、デザイン情報誌の『デザインノート』を読んでは、意見を交わしたり。
卒業制作では「食の問題」をテーマに、食卓が楽しくなるテーブルクロスをつくり、ありがたいことに最優秀賞をいただきました。じつは、その卒業制作の展示で初めてgdc代表の水野に会ったんです。でも憧れのデザイナーを前に緊張してしまって。あとで水野から「暗いし、ムスッとしていた」と言われて……。第一印象は最悪だったみたいです(笑)。
―大学卒業後は、東京の広告制作会社に就職されたと伺いました。念願のデザイナーになってみていかがでしたか。
加藤:入社早々、上司へアイデアを提案したところ、「全然違う!」と言われたことが印象的で。入社1週間も経たずして「いままでやってきたことは無駄だったのかも」と、かなりショックを受けましたね。学生時代は「ビジュアルの面白さ」や「インパクト」だけを重視しがちだったのですが、「広告」はひと目で伝わる、「わかりやすさ」も大切だと教わりました。前職では6年間働かせてもらいましたが、振り返ればデザインの根本を教えていただいた大切な時間だったと思います。
―それからgdcに転職したのはなぜですか?
加藤:デザイナーとして大きな仕事を任せてもらえるようにはなったのですが、自分のデザインにどこか自信を持てていなかったんです。客観的にフィードバックしてもらえる機会が欲しいと思い、宣伝会議が主催する「アートディレクター養成講座(ARTS)」に通いました。そこで水野が講師をしていたんです。ARTSの卒業制作が、将来を考えるきっかけになりました。
「自分の出身地が抱えている課題をアートディレクションで解決する」というのがお題だったのですが。ARTSに通う前から「この講座で一番にならないと、この先業界で通用しない。絶対に卒業制作で一番になる」と意気込んでいて。本業も忙しかったのですが、寝る間も惜しんで制作に取り組んだ結果、一番をいただくことができました。
―すごいバイタリティーですね。水野さんからは何と?
加藤:講評の際、水野は私のデザインのクオリティーよりも、地域課題を発見して根本から変えようとする企画内容と、提案したアイデアの量を評価したそうです。水野の言葉を受け、「私は誰かから課題を振られるよりも、自ら課題を探し、その解決方法をできる限り多く提案したいんだ」とあらためて実感しました。
gdcはクライアントに対してあくまでフラットな関係を築き、課題解決に導く会社。解決方法もデザイン、ブランディング、空間演出など多様にわたります。「クライアントに寄り添い、さまざまなアイデアを提案できるのはgdcしかない!」と思い立ち、面接を受けたんです。
デザイナーはクライアントの「御用聞き」ではなく「パートナー」であるべき。水野学からの教え
―デザイン業界で知らない人はいないgdcですが、実際に入社してみていかがでしたか?
加藤:新入社員研修から楽しさと驚きの連続でした(笑)。gdcではスタッフ自ら商品を撮影する機会も多いので、撮影研修があるんです。スタッフが撮影した写真を、水野が一枚ずつ講評してくれるのですが、陰影や被写体の表情など、わずかな違いに水野は気づくんです。当時の私からするとほとんど差がないように見えたのですが、その一つひとつの違いが見る側の印象を決めるのだということを学びました。
あと、最初の1か月はクライアントワークに関するすべての会議に出席させてもらえたのですが、入社して間もない私にも意見が求められて。前の職場では意見どころか、クライアントに会うことも少なかったので、最初は緊張しました。常に意見を求められるなかで、「自分の視点」を持つことを意識するようになりましたね。
―水野さんから教わったことで、とくに印象的なことはありますか?
加藤:たくさんありすぎて……。最初のころは「クライアントの言いなりになるだけではだめだよ」と強く言われていましたね。私自身は気づいていなかったのですが、どこかでクライアントの要望に、ただ寄り添うことだけを考えていたのだと思います。「それでは、ただのオペレーター。君はデザイナーなんだから、自ら課題を見つけて、クライアントの想像を超える提案をしなさい」と言われてハッとしました。
もしかすると、クライアントの「要望」そのものが誤っているかもしれない。そこをちゃんと考えずに、ただ要望どおりのものだけをデザインしてしまったら、結果的に取り返しのつかない商品や企画になってしまう。クライアントが、一瞬だけ満足するようなものではなく、長く満足していただけるデザインをつくることが大切だと気づいたんです。出された課題を一度考え直し、根本的な解決をしようとする姿勢が徐々に身についていきました。
―「gdcらしいデザイン」を生むために、大切にしている考え方はありますか?
加藤:「そのものらしいかどうか」はデザインをするたびに考えます。私がパッケージデザインを担当した、日本最古のお香ブランドである薫玉堂さんは、とくにそれを意識しました。420余年もの長い歴史がありつつも、革新的なことをはじめようとしているブランド。薫玉堂さんが持つ歴史、気品、高級感など、「薫玉堂らしさ」を突きつめて考え、デザインの核をつくっていきました。
—デザインをするうえで、とくに加藤さんがこだわった点は?
加藤:視覚的なデザインだけでなく、お客様が商品を手に持ったとき感じる風合いを大切にしました。とくに紙質に関してはこだわりましたね。数種類の紙と色を使い、何度もサンプルを出しては調整する、の繰り返し。最終的に和紙のテクスチャーを入れた紙を提案し、「薫玉堂らしさ」を表現することができました。
このデザインを通し、細部にわたるこだわりが会社や商品のクオリティーを支えていることを実感しましたね。商品の売れ行きは好調とのこと。私にとって、思い入れの深いデザインワークです。
「ビジネスを理解したうえで、デザインを提案できるアートディレクターになりたい」
—今年、デザイナーからアートディレクター(以下、AD)に昇格されたと伺いました。お仕事の内容に違いはありますか?
加藤:デザイナーは実際に手を動かして制作をする人ですが、ADはデザイナーにアドバイスをすることや、予算やコンセプトを含めてディレクションをする人。まだADになりたてで、水野やプロデューサーに助けられながらではありますが、なるべく実作業はデザイナーに任せて、私は監督役に徹するようにしています。デザインって指示がとても難しいのですが、「どういう理由」で「どう見せたいのか」など、できる限り具体的に指示できるように心がけていますね。日々手探りですが、彼らの成長を見ているのがとても楽しいです。
—忙しいなかでアイデアを出し続けるのは大変だと思いますが、インプットやアウトプットに困ることはないでしょうか?
加藤:いくつ仕事が重なったとしても、時間を30分単位に区切ってスケジュール管理して、そのなかで必ずインプットの時間も確保しています。また、短時間でも集中すれば高いクオリティーのアウトプットが可能ですし、逆に考える時間を小分けにして、アイデアをブラッシュアップすることもあります。
—加藤さんは今年開催された『Tokyo Midtown Award 2017』でグランプリを受賞されましたが、こういった日々の工夫や経験の積み重ねが受賞につながったことを感じました。
加藤:『Tokyo Midtown Award』は、じつは今回で2回目のチャレンジでした。以前から大きな賞をとりたいと思っていたのでとてもうれしかったですね。「同じアイデアを考えている人間は300人いると仮想しろ」という、前職時代にアドバイスしていただいた言葉を思い出し、どうしたら頭ひとつ抜けられるかを考えました。賞をいただいた『東京クラッカー』という作品は、周囲を喜ばせ、明るくするアイテム。これまで学んだことを総動員したアイデアだったと思います。
—加藤さんは謙虚でありつつも、目標や負けん気など、うちに秘めたるものがある方だと感じました。ADとしてこれからの展望を聞かせていただけますか?
加藤:良いデザインをつくるだけではなく、「売れる商品」をつくりたいですね。水野は「デザイナーはビジネスを理解しなければいけない」とよく言いますが、サービス、業態、売り方など、商品が存在する前提にまで関われるようになりたいです。いまの時代、良いデザインをつくれば売れるわけではありません。だからこそ、ビジネスとデザインがタッグを組むことで、価値があるものづくりができる。流行りとして商品が売れるのではなく、長く売れ続けるよう、デザイン以外のさまざまな分野にも関心をひろげ、「そのものらしい」デザインを提案していきたいです。
- フィードバック 4
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-