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- 堤惠理
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10代をアメリカとトルコで過ごし、ニューヨークの大学で文化人類学を学ぶ。卒業後は日本の大手広告代理店にてコピーライターとして勤務し、ロンドン大学セントラル・セント・マーティンズにてイノベーション経営学修士号を取得。幸せに関する自身の研究をロンドンのTEDxHackneyで発表した経験も持つ。2016年にIDEO Tokyoにデザイン・リサーチャーとして入社し、企業の課題をデザイン思考のアプローチで解決する。
アメリカのカリフォルニア州に本拠を置く、世界的なデザインコンサルティングファーム「IDEO」。その東京支社で働く堤惠理さんは、屈託のない笑顔が印象的だ。しかし新卒入社した大手広告代理店では、コピーライターとしてのキャリアに悩み続けていたという。活路を見出すべく渡ったロンドンで、幸せに働くためのヒントを得た彼女。苦悩の末にたどり着いた、IDEOでの「デザインリサーチャー」という職種とは?
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まだ世の中にないものをつくる、IDEOのデザインリサーチ
—帰国後はふたたび電通で働いていたんですよね。
堤:はい。コピーライターの肩書きのまま、デザイン思考のアプローチを活かした地域振興などのソーシャルデザインを担当するようになりました。ただ、コピーライターなのにコピーを書いていないので、上司からは「評価ができない」と言われてしまって。そうして、新規事業を手がける部署に異動することになりました。評価軸が広告ではなくなったことで、自分にとっては一気に仕事もしやすくなりました。
—話を聞くと、良い波に乗っているように感じます。なぜIDEOに転職されたのでしょうか。
堤:いくら面白いことができていても、当時の広告代理店の売上を大きく占めるのはやっぱり広告。自分のやっていること、やりたいことに対して、周りからきちんとフィードバックがもらえ、違うアプローチも学べる環境で仕事してみたい、と考えるようになったんです。しばらくして、「IDEO Tokyoで一緒に働かないか」と声をかけてもらって。そのとき私は産休中だったので、この先のキャリアを考えるタイミングでもあり、転職を決めました。
現在は、リサーチをリードするデザイン・リサーチャーとして働きつつ、プロジェクトチームをまとめるデザインリードという二つの役割を任されています。
—IDEOでのデザイン・リサーチャーとは、どのような役割なのでしょう?
堤:取り組むべき本当の課題を探し、設定する役割になります。プロジェクトの内容に応じて私以外にも2、3人、あらゆる角度から課題に向き合えるように、異なるバックグラウンドを持ったメンバーがアサインされるのですが、主に「人」の行動を観察したり、インタビューを通じて、新たなプロダクトやサービスのきっかけになるインスピレーションを探し出します。
—大学での研究と電通でのクリエイティブ、これまでの経験を総合したような内容ですね。どんな課題に取り組むのですか?
堤:最近は「未来の○○」といったものを考えることが多いですね。デザイン思考が得意とするのは、1を100にするのではなく、0を1にすることなんです。つまり、まだ世の中にないものをつくる。「どんなものが人に必要とされるのか?」というところから考えて、アプリができることもあれば、新たなサービスやプロダクトができることもあります。あと、学校のような施設やそのプログラムまでつくってしまうこともあるんですよ。
—まだ世の中にないものをつくる。すごく難しそうです。
堤:そうですね。だからリサーチはとても重要です。中でも特に大切にしているのはユーザーリサーチ。これは、マーケティングリサーチのように、一番パイが大きなところに定量調査をするのではなく、エクストリームユーザーと呼んでいる、ある意味極端な行動をとる人たちが対象となります。そういう人たちに話を聞く方が、ユーザーが本当に求めているものが顕著に現れるんです。
たとえば「新しいお茶をつくりたい」という場合、お茶が大好きな人、お茶が嫌いな人、毎日たくさんの量を飲む人、同じ場所でお茶を買う人、こだわりの飲み方がある人、自分で茶葉を育てている人など、さまざまな面で極端な行動や視点を持つ人にインタビューする。そうすると、お茶というものに人が求めている本質が、具体的に見えるようになるんです。
—掘り下げる過程が大変そうですね。
堤:大変ではありますが、人が本当に求めていることをどれだけ掘り下げられるか、そして、どれだけ新しい視点を与えられるかが、この仕事の醍醐味です。人は言っていることと、やっていることが違うこともあるので、「それはなぜなんだろう?」と立ち止まって考えてみるのも非常に面白いですよ。
好奇心を大切にする世の中になれば、もっとすごいものが生まれるはず
—これから挑戦していきたいことはありますか?
堤:もっと好奇心を大切にする世の中をつくりたいと思っています。たとえば、今何かに興味を持っても「それはあなたの興味でしょ?」と、社会や会社のルール、常識に流されて終わりになっちゃうことって多いじゃないですか。
でもiPhoneだって、もともとはスティーブ・ジョブズの強い好奇心からつくられているんですよね。自分の好きを大切にするからこそ、すごいものが誕生すると思うんです。
—好きなものであれば、自然と仕事も前向きになれますよね。
堤:やっぱり周りに影響されずに、自分に正直でいるのが大事だと思います。IDEOのバリューに「曖昧さを愛せ」という言葉があります。これはいい、これはダメ、となんでも白黒つけるんじゃなくて、好きかもな、面白いかもな、という曖昧な気持ちでも、まずは飛び込んでみる。この言葉は、私を含めIDEOの社員に通じる価値観を表していると思います。みんながそれぞれ自由に好きなことをやっているから、オフィスはいつもサファリみたいですよ(笑)。
—たしかに、賑やかなオフィスですよね。
堤:さっきの昼休みも、宇宙が大好きなメンバーが「どうしたら、人類は地球の外で繁栄できるか?」についてプレゼンし始めて、そこから熱い議論が繰り広げられていました。そういう誰かが好きなことに対して、全力で肯定してくれるカルチャーがIDEOにはあるんです。
—幸せについては、また研究したいという思いもあるのでしょうか?
堤:またやりたいと思っています。ロンドンとは違うエリアで行い、結果を比べてみるのも面白そうですよね。
電通がどんな会社か知らずに、門を叩いた
—10代の頃はアメリカとトルコにいらっしゃったそうですね。
堤:はい。ニューヨークの大学で文化人類学と中東学を学んでいたんですが、それを専攻したきっかけが、ワールドトレードセンターで起きたアメリカ同時多発テロでした。それまで友人同士だったアメリカ人と中東系の人たちが、あの日を境に急に仲が悪くなり、集団暴行事件にまでエスカレートしていくのを目の当たりにしたんです。「なぜ突然こんなことに」と唖然として、自分は世界のことを何も知らないんだと思い知らされました。それで在学中にトルコに渡り、中東で起きたことを数か月間学びました。
—大学卒業後に広告代理店の電通に入社されたそうですが、大学で学んでいた内容とはかけ離れているように感じます。
堤:おっしゃる通り、大学では「アンチ経済」みたいな内容ばかり学んでいたので、就職のことなんてほぼ考えてない大学生でした。このままだとホームレス一直線かもと思っていましたし、周囲から将来を心配されることもありました。
さすがにまずいと思って仕事を探していたところ、日本の化粧品メーカーのニューヨーク支店でインターンできることに。そこはリサーチセンターで、アメリカで当時流行しているカラーリングや、化粧品に使われている原料を調査して、その結果を日本の本社に送る仕事を任されました。すごく楽しくて私にぴったりだと思っていた矢先、社内で粉飾決算が発覚して……。
—青天の霹靂ですね。
堤:ある日、黒いスーツを着た人たちがオフィスに来て、自分のデスクの周りを囲むんです。「君はここで何をしているんだ?」って。私は、ただリサーチをしていただけなんですけど(笑)。一夜にしてオフィスがクローズしてしまいました。
—ドラマのような展開!
堤:その人たちは日本の産業再生機構の方だったんですけど、「君はこれからどうするの?」と私の進路相談に乗ってくれて、ボストンで開催される日系企業のキャリアフォーラムを紹介してくれたんです。スーツを着るのも初めてで、参加企業のこともよく知らないまま参加しました。そこで出会ったのが、電通だったんです。
—ということは、電通がどんな会社かよく知らずに受けたんですか?
堤:まったく知らなかったです(笑)。でも面接官との相性がすごく良くて、こんな生意気な小娘が話している内容をニコニコしながら聞いてくれたんですよ。運良く入社が決まりました。
—入社後はどこに配属されたんですか?
堤:入社後1年はPRの部署にいたのですが、その後に受けたクリエイティブ試験に合格してしまい、コピーライターとして働くことになりました。
—花形部署じゃないですか!
堤:一般的に考えたら喜ぶべきなんでしょうが、当時の私は「なんという場所に来てしまったんだ」と慌てましたね。周りは、大学の頃からクリエイティブ職に就くために努力を重ねてきた人ばかりでしたから。かたや私は、アメリカ帰り。髪を染め、カラコンを入れて「とりあえず面白いことをやりたい!」とか言ってるアマちゃんです(笑)。場違い感があったと思います。
—なるほど。
堤:それに、面白いことをやりたいという気持ちはあっても、それが具体的に何なのかが自分でもよくわかってなくて。上司からは「広告賞を獲れ」とか激励されるけど、私は人と競争して賞を獲ることを目的にしたいとは思いませんでした。仕事をしていても、「自分は向いていないのでは」と考え込む毎日でしたね。
—それで留学を?
堤:入社5年目の頃に、自分を見つめ直すために休職させてもらって。イギリスにあるロンドン大学セントラル・セント・マーティンズのMAイノベーションマネジメントというところに、大学院留学を決めました。
当時、IDEO.ORGというIDEOが運営する非営利団体から、デザイン思考を実践して課題解決できるツールキットが無料でダウンロードできるようになっていたんです。それを見つけたときに、自分がつくったものをシェアして、それを誰でも使えるようにするコンセプトに衝撃を受けました。自分の作品で競争するのではなく、それをオープン化することでまた他の人が良いものを生み出せる仕組みをつくる。こんな方法を私も学び、身につけたいと思ったんです。
「アクティブな幸せ」を、いかにつくれるか
—ロンドンでソーシャルデザインについて学ぶ過程で、幸せの研究をされていたそうですね。
堤:日本にいた頃から「幸せってなんだろう」とか「何が人を幸せにするんだろう」とずっと考えていて。ロンドンでの2年間をかけて、「幸せ」をリサーチすることにしました。その結果として自分自身の考え方や視点も変わったので、とても重要な時間となりました。
—具体的にはどんなことを調査されたのでしょうか?
堤:ロンドンに住むいろんな人に「あなたに最近起こった幸せなイベントを教えてください」と尋ねました。たとえば、家にこもってゲームをするのが幸せという人もいたし、迷子になったときにすごく美しいグラフィティを発見して嬉しかったという人もいました。あとは、駅でうんこを漏らした人を見たとき、と答えた人もいて。クレイジーな状況を見ることで、「ああ、今日も地球は動いている」と幸せを感じる人もいるんですよ(笑)。あ、ロンドンらしいといえば、天気が晴れるだけで幸せという回答もありましたね。
人それぞれに幸せのかたちがあるけれど、大きくは「アクティブ(能動的)なもの」と「パッシブ(受動的)なもの」に分けられるんです。
—アクティブとパッシブ?
堤:走って気分が良くなったとか、イベントに参加して新しい出会いが嬉しかったとか、自分から行動して得られるものはアクティブな幸せ。友だちに良いことがあったとか、人助けの現場を見て気持ちがほっこりしたとか、他人の行動から得られるものはパッシブな幸せと定義しました。その調査を進めていくうちに、アクティブな幸せを増やしていくことが、人生をより楽しむためのキーになると気づきました。
—それは面白い発見ですね。
堤:この研究をする前は、海外旅行に行くとか、ラグジュアリーなレストランに行くとか、大きなイベントが自分の幸せにつながると思っていたんです。でも実は、毎日に根ざした小さなことが、私の大きな幸せにつながるんだ、ということにも気づきました。たとえば、一緒にいて落ち着く相手とのんびりコーヒーを飲むとか、ぽかぽかしたお日様の下でくつろぐとか。何をしているときに幸せを感じるのかを知り、その状況を意識的に増やしていくことで毎日の満足度が上がるんです。
—幸せを研究することで、堤さんにはどのような変化があったのでしょうか?
堤:自分が幸せになることに対して、素直になりました。留学前までは、周囲と同じフレームのなかで何かしないといけないと考えていたんですけど、自分の好きなことを見つけて、そのことに貪欲になっていいんだなって。そして、楽しそうに好きなことをやっていると、周りの人も協力したいと寄ってきて助けてくれるようになりました。「これがやりたい! だって好きなんだもん!」と堂々と言えるマインドになりましたね。
私の母がピアノの先生をしていて、もう60を過ぎていますが、ずっと楽しそうにやっているんですよ。その姿を見ていても、自分の人生を通して楽しめるものを見つけられるかどうかで、人生って大きく変わるんじゃないかなと思います。
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