- プロフィール
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- 竹内 紳也
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長野県出身。趣味は人を笑わせることと、カードゲーム「マジック:ザ・ギャザリング」。土木作業員、飲食、本屋、車の部品作りなど様々なアルバイトを渡り歩き、29歳の時中学校の同級生が副社長を務めるLIGにブログ担当として入社。ウェブ未経験ながら独自のユーモアセンスを発揮してLIGブログを大人気ブログに成長させる。2013年4月1日にブログで「嫁を募集」し、応募者と4月12日に入籍。
斬新かつユーモラスな自社ブログが、制作会社の域を超えて大きな話題になっているLIG。そのLIGブログの運営を担当しているのが「紳さん」こと竹内紳也さんだ。29歳まで様々なアルバイトを転々としながらフリーター生活を続けていた竹内さんは、中学時代の同級生だった同・副社長の誘いを受け、正社員に採用される。その時竹内さんはWEBはおろか、スマホの存在すらも知らない状態だったという。まったくのWEB未経験から大人気ブログを作り上げた竹内さんの、ユーモアセンスの源に迫った。
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20歳からのフリーター生活
―竹内さんというと、やはりLIGブログでの「紳さん」としてのキャラが印象的ですが、学生時代から面白いキャラだったんですか?
竹内:小さい頃から典型的なクラスの人気者で、いわゆるムードメーカーでしたね。ハイテンションで人を笑わせることが大好き。今も仕事中にいきなり奇声とか発するタイプです。だから会社では浮いてると思いますよ(笑)。
—そうなんですね(笑)。
竹内:学生時代はとにかく遊んでばかりいたので、楽しくないわけがない。僕はほんとゲームが好きで、テレビゲームやオンラインゲーム、将棋、麻雀、トランプと、なんでもやりました。特に好きなのがカードゲームの「マジック:ザ・ギャザリング」。授業中は勉強しないで寝てるか、マンガ読んでるか、ゲームのことを考えているかの三択でしたね。
―典型的な劣等生タイプですね(笑)。勉強は得意ではなかったんですか?
竹内:全然できなかったです。というか、勉強はしなかったですね。受験勉強でさえ一切してませんから(笑)。僕、とにかく努力ができないんですよ。夢とかやりたいことも見つからないから、モラトリアムの延長として短大に入ったんですが、結局「意味ないな」と思って中退しちゃいました。それから20歳の時に友達に誘われて東京で一人暮らしを始めたんですけど、特に目的があって上京したわけじゃなかったので、ずっとフリーター。人生を通して遊んでばっかりなので、LIGが声をかけてくれなかったら一生フリーターだったんじゃないですかね。
―いっそニートみたいな時期もあったんですか?
竹内:実家がそこまで裕福じゃなかったので、その発想はなかったですね。借金とかしないし金銭面では親に迷惑かけなかったので、フリーターなのに「独立してるぜ!」とか勝手に思っていて(笑)。ただ、飽きっぽい性分なので同じ仕事を2年以上続けたことはないんですけどね……。飲食から、土木から、接客と、今までいろんなアルバイトを経験しましたよ。一番続きそうだったのは本屋の仕事。理由は、仕事中に本屋のパソコンでオンラインゲームやり放題だったから(笑)。でもなぜか、こんな僕でもアルバイト先ではいつも評価をいただくんですよ。今でもよくわからないんですが、僕のムードメーカー的な部分を買ってもらえてたのかもしれないです。
家が全焼しても前向きです
―仕事を転々としながらも、フリーター生活も満喫していたんですね。
竹内:ずっと貧乏でしたけど暮らしは楽しかったですよ。基本的に目立ちたがり屋なので、テレビ朝日の「銭形金太郎」という、ビンボーさんを紹介する番組に出演したこともありました。僕、あらゆる生物の中でサメが一番好きなんですけど、「サメ博士ビンボー」っていうことで採用してもらったんです。サメグッズを買いすぎたり、サメを見に行くのに遠征しすぎたりしてお金がないっていう(笑)。
―凄い経験ですね(笑)。それは東京で一人暮らししてる時ですか?
竹内:そうです。そのアパートは結局火事で全焼しちゃったんですけど。
―ええっ!?
竹内:僕が23歳の時に、隣に住んでるおじいちゃんが火を出しちゃったんです。もちろん火災保険なんか入ってるわけないので、文字通りすっからかんになりました。振り出しに戻るというか(笑)。あ、でも台東区から1万5千円くらいの手当てと毛布を1枚もらいましたね。
―壮絶ですね……。自分の身の回りのものを全て失った時って、どんなことを思うんですか?
竹内:いや、それが謎に前向きだったんですよ。ほんとゲームするだけの毎日だったので、不謹慎だけど、火事みたいな意外な出来事が目の前で起きたことに、興奮したというか、ワクワクしちゃったんです。火事があった日に焼けた家の前で写真を撮ってるんですけど、僕めっちゃ笑顔で写ってるんですよ。ただ「マジック:ザ・ギャザリング」のカードが全部焼けちゃったことだけは、ほんとに悲しかったですけどね……。でも、それ以外に失うものは何もなかったし、自分でも驚くほど無駄にポジティブというか、妙に前向きだったと思います。
―自分の家が全焼したのに、そういられる人ってなかなかいないと思いますよ。
竹内:ずっとゲームばっかりやってきた人生なので、僕って物事をリアルに考えることができないんですよね。だからフリーターでもなんとかなると思っちゃうし、火事になって裸一貫になっても絶望もしない。その時も、結局同じアパートに住んでいて、同時に住むところがなくなった隣人2人とシェアハウスをすることになって。みんな似たような境遇だったので、それはそれで楽しい生活でした。
―何が起きても楽しむ方向へ考えられるポテンシャル、さすがです。
竹内:そうですかね!? でも、もともと東京に出てきた目的もなく、ずっと貧乏生活を続けていたし、火事で家を失うという経験もして、もしかするといつかホームレスになるかもしれない……、なんて考えるようにもなったんですよ。それで、27歳の時に一回実家のある長野に戻り、自動車の部品工場で働くようになりました。
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- LIG初代広報担当、ジェイをつくりだす
LIG初代広報担当、ジェイをつくりだす
—そんな竹内さんが29歳の時にLIGの正社員になるんですよね。これはどういうきっかけがあったんですか?
竹内:副社長が僕の中学校の同級生なんですよ。その頃、「普通とは違う、面白い自社ブログを始めたい」という話が会社で出ていたらしく。そこでWEBの知識がある人に面白いことをさせるのではなく、ユーモアのセンスがある人間にWEBの知識を与えた方が絶対に面白いものができる、って考えたそうです。それで「面白いから」っていう理由だけで僕に声が掛かり、正社員となりました。
—自動車の部品工場からWEB業界へ、かなり大胆な転職です。それまでに、WEBの知識や経験はどれくらいあったんでしょうか?
竹内:それが普通の人よりはるかに疎くて、入社時はTwitterやFacebookはおろか、スマホっていうものの存在すら知らなかったんです。だから、社員の中には「あいつ、何しに来たの?」って思っていた人もいたでしょうね(笑)。でも不思議と不安は全くありませんでした。やっぱりゲームみたいに、物事をリアルに考えられないから、「なんとかなるんじゃないかな」くらいに思っていましたし。それで最初の1ヶ月は、皆が制作の仕事をしてる中、僕だけ朝から晩までひたすらWEBサービスを見ていたんです。それこそTwitterやFacebookから個人ブログまで、延々と。
—なるほど。竹内さんのある種楽観的な考え方は元々の順応性の高さからきているのかもしれませんね。LIGでの肩書きは「メディアクリエイター」ですが、主にどんなお仕事を?
竹内:ブログの執筆と、TwitterやFacebook、メールマガジンの運用が僕の仕事です。あとはたまに「伝説のWEBデザイナーを探して……」みたいな変わった企画も考えてます。要は社内の楽しさを打ち出して、広く世の中にLIGという会社のことを知ってもらうための活動といった感じです。今までで一番印象に残っているのは、初代広報担当の「ジェイ」のキャラクターを作ったこと。ジェイは元々、ああいうキャラではあったんだけど、ブログでは普通の文を書こうとして、本来の面白さが伝わっていなかったんで「俺はジェイだ。Thank you for the people!」みたいな感じでブログを書いてもらうことにしました。それを読者の人が受け入れてくれた時に、「会社の広報に話しかけてくれる一般の人がいるんだ」って、感動したのをすごく覚えてますね。あの瞬間は忘れられないなぁ。それからLIGでは広報を1人の人間として押し出すようになりましたね。
—フリーターから初めて正社員になって、戸惑ったり苦労したことはありませんでしたか?
竹内:基本的に、僕はアルバイトも十分立派な仕事だと思ってるんです。フリーター時代に色んなバイトをしましたけど、大抵どこにいっても「お客さんからしたらアルバイトも立派なプロだよ」って言われて。例えば、マクドナルドや吉野家の店員さんが社員かバイトかなんてお客さんには関係ない。だから僕がLIGにいる間は正社員だとかっていう肩書きは関係なく、LIGのメディア制作のプロとしてやっていかないといけないと思ってます。アルバイト経験で養われたプロ意識といいますか(笑)。
—そう考えると、フリーターも捨てたもんじゃないですね。LIGの仕事はそういった仕事を渡り歩いて見つけた天職という感じですか?
竹内:いや、天職っていう感覚はないですね。その感覚、僕は一生持つことはないような気がします。僕、土木も接客も飲食の仕事も大好きだったんですけど、それでも飽きちゃう(笑)。自分でも渡り鳥みたいな人生だなぁと思います。あと、これまでやってきた仕事って人に紹介されて始めることがほとんど。自ら「ここで働きたい!」って仕事を探したことがないんです。LIGに誘ってくれた副社長もそうだし、オンラインゲームで知り合った人がバイトを紹介してくれたこともある。そう考えるとコミュニケーションが人生の土台になっているんだと思います。
自分なりの「面白い」を、追求していきたい
—コミュニケーションが人生の土台。これまでのエピソードを聞いていると、納得です。そういえば竹内さんは結婚の仕方も斬新でしたね。LIGブログでお嫁さんを募集して、出会ったその日にほんとに結婚してしまうという……。
竹内:実は、ブログを使ってお嫁さん募集をしたのにはちゃんと理由があって。「ジェイ」の時もそうですけど、TwitterやFacebookを知って、こんな風にいろんなところから反応があるのがすごく面白いと感じるようになったんです。それで、こういう形のコミュニケーションを使わない手はないな! と思い。ブログでの結婚募集に応募してくる人って、普通ではないじゃないですか(笑)。そもそも、僕自身がこういう人間なので、自分と合う人を見つけるのは難しいと思っていたんですけど、そういう人とだったら絶対にうまくいくだろうって。これって、合コンに行って、女の子に声を掛けるより断然効率的だと思うんですよ。実際、結婚してみたらお互いの趣味も同じだとわかってきたし、すごく気も合うんです。普通とは順番が逆ですけど(笑)。これも「なんとかなるだろう」って考え方がなければ絶対にできないですよね。
—やっぱり、リアルに物事を考えられないからこその発想は大きいのかもしれません。LIGブログで発揮されているようなユーモアのセンスも、そういったコミュニケーションを通じて培われたのかもしれませんね。
竹内:そうですね。僕、仕事も好きですけどサボるのも大好きだし、あんまり一生懸命に努力とかできないんですね。ただ人と話すことが好きというのはずっと変わらずにあるもの。人を笑わせたいとかユーモアの心って、どんな人でも持ってるものだと思うんです。でも、きっと僕の中では、そのユーモアに対する貪欲さみたいなものが、人一倍大きいのかもしれない。一時期本気で芸人を目指していたこともありますしね(笑)。
—そうなんですね(笑)。では、竹内さんの今後の目標などはありますか?
竹内:やっぱりブログを通じて、もっと多くの人が笑える、一見意味のないようなくだらないことをやっていきたいです。WEBで仕事をするようになってから、改めてテレビってすごいなって思うんですよ。最近の例だと、「半沢直樹」や「あまちゃん」、あるいは「AKB48」みたいな巨大なムーブメントって、まだWEBでは作れていないんですよね。影響力の大きさが、まだまだテレビには勝てていない。だからWEBでテレビに勝てるようなコンテンツ作りをするのが一つの大きな目標です。
—なるほど。今やっていることを続けてさらに大きなものにしていきたい、と。
竹内:今はWEBの会社で働いているのでそう思いますけど、もっと長期的に見たら、WEBにこだわる必要もないと思ってます。面白いことができるならラジオでもテレビでもなんでもいい。なんならLIGにこだわる必要もないですし。僕が思うに、やっぱり、人生って決めたらスピード早いんですよ。自分がLIGに入社する前って、貯金の残高二桁でしたからね。そのときから考えると、こんな仕事をして、結婚して、今恵比寿に住んでいるなんて、ほんと夢のような話で、当時の僕が見たら驚くと思いますよ(笑)。
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