- プロフィール
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- 野田 智子
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1983年岐阜県生まれ。成安造形大学造形学部デザイン科写真クラス卒業、静岡文化芸術大学大学院文化政策研究科修了。現在、株式会社無人島プロダクションに勤務するかたわら、2006年より中崎透、山城大督とアーティストユニット「ナデガタ・インスタント・パーティー」としても活動し、2010年からはアーティストのアシスタント業務や国際展の広報などに携わるなど広くアートマネジメントにかかわっている。
デザイナーを志して美大に進んだ野田さんがアートマネジメントに興味を持ったのは、大学4年のときだった。以来、さまざまな苦難に直面しながらも、無人島プロダクションのスタッフとして、またアートユニット「ナデガタ・インスタント・パーティー」の一員として、さらには個人として、アートに携わり続けている。愛するアートと関わることを仕事にする上で、野田さんがどのようなスタンスで関わられているのか。そのスリリングで魅力的な仕事内容をうかがった。
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アートを取り巻く環境を考える時間が欲しかった
—野田さんは大学院でアートマネジメントを研究されていたそうですが、何かきっかけはあったんですか?
野田:私は成安造形大学という美大に通っていたんですけど、自分が表現をして食べていくことには全然リアリティがなかったんです。周りの子たちを見てみると、すごく良い作品を作ってるんだけど、発表する場所さえ得られなくて。それで卒業が近づいたときに、アートを取り巻く環境について考える時間が欲しいと思ったんですね。同世代の子たちの作品をどうしていけばいいのかを、自分の問題にしてしまったんです。
―大学院で研究する一方、中崎透さん、山城大督さんというふたりのアーティストと一緒に「ナデガタ・インスタント・パーティー」というアートユニットの活動も始められています。
野田:大学院に入った2005年は「アートマネジメント」が社会に少しづつ認知されはじめていた頃で、アートNPOが注目されつつあった時期なんですね。ただ、研究としてデータのある事例は90年代のアートプロジェクトが多くて、あんまり自分にはリアリティがなくて。それはたぶん、自分が実践をしていないからだと思ったんですね。ちょうどそのときに展覧会を企画する機会があって、中崎透と山城大督にお願いしようと思ったんです。そうしたら中崎君が「大学院でアートマネジメントを研究してるんだったら、アーティストとマネジメント女子のユニットという形にしたらいいんじゃない?」と言ってくれて。それがナデガタとして活動する始まりですね。
―実際に実践の場を持ってみて、いかがでしたか?
野田:すごく苦労しました(笑)。アーティストと一緒に何かをすることは並大抵のことじゃないっていうか…。やっぱりアーティストの共通言語みたいなものがあるんだと思うんですけど、私にはそれがわからなくて。そこに対してはいつも緊張します。
一緒にクリエイティブなものを生み出す実感
—そうした苦労を味わいながらも、仕事としてアートマネジメントを選んだ理由を教えてください。
野田:美術の歴史を遡っていくと、大きなプロジェクトやアーティストの傍らには、それをサポートしているキーパーソンが居て。例えばマネージャーやギャラリスト、チームやパートナーの存在なんですね。その人たちのように、私も美術に対して誠実に向き合っていきたいと思ったんですね。ナデガタで私がやってる仕事って、お金の交渉だとか、スケジュール管理、先方とのやりとりとか、謝ることだとか、事務仕事全般なんですけど、「一緒にゼロから新しいことを生み出している」っていう実感があったというのは大きいかもしれないです。
—なるほど。ナデガタとしての活動は継続しつつも、大学院を卒業されたあとは無人島プロダクションに就職されています。
野田:はい。上京したときに、近所に八木良太の展覧会をやっているスペースがあるらしいと聞いて、自転車でふらっと出かけたのが無人島プロダクションだったんです。会場に入るとオーナーの藤城が普通に出てきて、作品をすごく丁寧に説明してくれたんですね。藤城の話を聞いていると、ギャラリストとアーティストの関係がほんとにフラットに感じられたんです。それで「私、今学生でアートマネジメントの勉強をしていて、家も近所なので何かできることがあったらお手伝いしたいです」と言ったら、「明日にでもスタッフ募集の告知をしようと思ってたの」と言われて。半年間インターンをして、2008年の4月に就職しました。
—担当されている仕事はどんな内容ですか?
野田:オーナーのアシスタント業務を中心に、作品の販売や、作家のファイル作り、WEBの管理、展覧会の開催時期などは広報やアーティストのサポートなどもあります。他にもDVDやアーティストのグッズの営業や販売・管理など、何でもです。最近よく実感するのは、この仕事が作家のサポートもそうなんですが、プロモーションに近いのかなと思っていて。作家の作風や制作のペースをみながら、「ここで展覧会をやってみたらどうだろうか」と提案したり、「この人にプレゼンしてみたらどうか」とアプローチしたり…。カウンセリングと言うとちょっと違うけど、作家が長く活躍していけるように、先回りしながら世界にプロモーションをするのが仕事なのかなと思います。
—アーティストと仕事をする上で、一番苦労されるのはどういうところですか?
野田:相手にどう伝えるか―それは常に考えますね。入社して間もない頃、ある作家から要望を伝えられたとき、反応できなかったんです。私が反応したことや助言したことで、本来はもっと良いものになるはずだったことがマイナスの方向になってしまったらと思ったら、何も言えなかった。でもしばらくして、「私の意見をしっかりと示さないとこの仕事はできない」と思うようになりました。私の判断や助言がゼロになる可能性を孕んでいることを自覚した上で、彼らと向かい合わなければ誠実でなくなる。そして、作家の言うことがどういうことなのか、その志を理解してからじゃないと何も言えないと。そのためには、まず受け入れることから始める、という姿勢に変わりました。だから私のスタンスとして、作家の要求をとりあえず全部飲み込んで受けて立つところがありますね(笑)。
「プロダクション」という働き方の可能性
—もしアートマネジメント業界に転職を考えている方がいたら、どんなアドバイスをされますか?
野田:最近よく思うんですけど、この仕事って誰でもできるんだけども、すごく向き・不向きがある業種だと思うんです。まず、アーティストの生み出した作品/表現を尊敬できることが第一条件としてあって。お客さんが作品を買うという行為がどういうことなのかよく理解した上で、その作品を販売することを「豊かなことである」と思う人じゃないとできないと思います。
—思い入れを持てるかどうか?
野田:そう。極端なことを言えば、取り扱いのアーティストが全員嫌いでもこの作品だけは好き、とか。もしくは作品が買われていく過程が好き、とか。たぶん、何かが好きじゃないとできないと思います。でも、実際にアーティストと付き合うと、その関係はもう一生続くと思う。少なくとも私は、無人島プロダクションで出会ったアーティストに対しては、他のアーティストとは全然違う思い入れが既に生まれていて。そういう出会いがある仕事ではありますね。
—最後に、今後の目標があれば教えてください。
野田:プロジェクトごとにチームを組んで仕事をする活動が、今の時代にすごくフィットしてると思うんです。というのも、「不況」という言葉が自分にとってリアルになった2010年頃から、今いる環境に「永久就職」というのは、ありえないんじゃないかと思いまして、個人が自由にチームを組んで活動をする形態に魅力を感じ始めたんですよ。その一緒に組むチームはアーティストももちろん、編集者の方やデザイナーとかメディアをつくるような人たちとチームを作って仕事をする。でも、解体していくと個々人でも仕事を持っている―フリーの人が一時的に集まって仕事をするチームのような、その時々でつくられていく「場/団体」であるという意味での「プロダクション」。そういう自由な活動を時代は求めているのかなと思いますし、私自身も可能性を感じ始めていますね。
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