- プロフィール
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- 呉琢磨
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株式会社ニューズピックス ブランドデザイン編集長 兼HOPE by NewsPicks編集長。高校中退後、フリーターを経て編集プロダクションへ入社。書籍や雑誌の編集を手がける。25歳で編集・ライターとして独立し、35歳でニューズピックスに入社。
日々創作に励むクリエイターの「つくる」と「食べる」の関係性を探る連載。今回ご登場いただくのは、学生向けメディア『HOPE by NewsPicks』の編集長を務める呉琢磨さん。「フードサイコパス」を自称し、10代の頃から本と食に興味があったという呉さんのクリエイティブの源泉とは?
ときには1日2回通ったこともあるという中目黒「トロケの台所」にて、お気に入りの定食を食べながら語ってもらいました。
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自称・フードサイコパス。「365日イタリアンをつくり続けました」
—今回選んでいただいた「トロケの台所」は、中目黒でも人気の食堂として知られています。どのようなきっかけで知ったのでしょうか?
呉:少し前まで近所に住んでいて見つけたんです。この辺りって「デートで使う」感が強いお店が多いんですけど、ここは良い意味で中目黒っぽくない店なので、よく通っていました。一時期は昼も夜もここで食べるくらい、おいしくて、発見があるお店なんですよ。
—どのような発見があるんですか?
呉:このお店は「トマトラーメンの店」として有名なんですが、じつは定食のオリジナリティーがすごいんです。メンチカツとか魚のソテーとか、よくある洋食屋っぽいメニューばかりなのに、頼んでみると衝撃を受けます。和食とイタリアン、地中海っぽいテイストが融合していて、まったく別の料理に思えるというか、すごく新しい境地に達しています。
つけ合わせにはありえないほどの量の野菜がついてくる。あと味噌汁とトマトスープのどちらかを選べるんですけど、特に後者が抜群においしくて。この膨大な野菜+トマトスープ+ごはんの組み合わせが、和食でも洋食でもない、「日本の家庭料理」をアップデートさせてる感がすごいんです。
ぼくが書籍編集者だったら、店主にお願いしてレシピ本をつくっていたはず。それくらい惚れています。
—ちなみに事前情報として、呉さんは食へのこだわりがかなり強いと聞いています。
呉:最近、Twitterで「フードサイコパス」って言葉を知ったんですけど、ああ、これ自分のことだと思って。昔から食に対しての好奇心が強いんです。ある時期はイタリアンを365日つくり続けていたこともありました。
—365日!? どうしてそこまでしてイタリアンに心酔していたのでしょうか。
呉:イタリアンって手軽で派手で、かつ健康的なので、自炊の満足度を最大化しようと考えていったら、工数の多い和食とか、つい食べ過ぎる中華よりコスパが高いなと思って。
あと、イタリアって料理に限らず国内に資料が多いじゃないですか。歴史や文化について詳しい本やレシピ本は書店に行けばめちゃめちゃ揃っているし、街中に美味しいイタリア料理屋も多いので、「食べて、調べて、つくる」のサイクルを繰り返していくと、なんとなく「本場っぽい感じ」を追求していける楽しみがあったんです。
—ただ味を楽しんでいるだけではない、と。
呉:そうですね。料理って「文化の顔」というか、その国のことを学んだり、想像したりする入口だと思うんですよ。言葉がわからなくても体感できるので。
特にイタリアや地中海の島はいろんな文化のミックスが食に反映されていて、それを知るのが面白くて。
最近は家でイタリアの蒸留酒の「グラッパ」を飲んでいるんですが、これもブランデーやウイスキーとは違う歴史の積み重ねがあって、調べて楽しいし、飲んで美味しいし、最高です。
—そこまで文化に興味を持つのは何か理由があるんですか?
呉:じつは、ぼくは在日韓国人の家に生まれて、でも東京出身で、韓国語は全然しゃべれないし、むこうの文化に触れることもほとんどなく育ちました。だから若い頃はぜんぜん興味なくて、「自分は日本人」と思ってました。
でも実家では正月になると、お雑煮のかわりに、鶏ガラスープにスライスした棒状のお餅を入れる「トック」っていう料理を食べてたんですよ。それが普通だと思ってて、しかも美味しいので毎年楽しみだったんです。あれが韓国料理だと知ったときの衝撃は大きかった(笑)。
そこで「知らない国には、知らない文化と料理があって、それを知るのは楽しい」っていう概念を自然と持って育ったんだと思います。
だから紀行記とか旅行記、ディープな地域のルポ本とかを読むのが子供の頃から好きでした。たとえば、沖縄はいまでこそ本土から移住する人も多いですが、ぼくが10代の頃はまだディープスポットで。よそ者にはとっつきづらい、閉鎖的な地域も多かったそうです。
そんな地域に潜入した移住者のルポ本を読んでみると、沖縄の市場の歴史がどうとか、人々が何を食べて生きているとか、克明に書かれているわけです。もっと知りたくなる。でも、現地にはなかなか行けないし、ましてや住めない。でも好奇心は高まってるので、とにかく都内の沖縄料理屋を巡っては現地の味らしきものをたしかめ、本を読みながら、ローカルな家庭料理を自分で再現してつくってました。
遠い地域の文化の再現っていう一種のファンタジーを楽しんでいたというか、いまでいうと「マンガの料理つくってみた」みたいな感覚ですね。知らないことを知りたいとなったときに、その人たちが何を食べているのか体感して、知った気になるっていう。
―「調べて、経験して、それをアウトプットする」という工程は料理もコンテンツ制作もあまり変わらないですよね。
呉:料理は編集だと思うことがあります。毎日3食自炊していた頃に「家庭料理の本質ってなんだろう?」と考えたことがあって、最終的には「冷蔵庫の管理だ」という結論に至りました。どんな食材があるのか、消費期限が近いものは何かとか考えて、それらを集約し、ひとつの料理として仕上げるってすごく編集的なんですよね。
ぼくは料理を仕事にしたことはないですが、普段から、どう材料を使うかとか、どのような背景があるかとかを考えながら料理をすることで、結果的にクリエイティブな発想が生まれやすくなっているのだと思います。インプットの方法はなんでもよくて、いかに興味を持って取り組めるかが大切なんです。
独立後の11年間は、編集者として「社会に対して何も価値を提供できていなかった」
—そもそも呉さんはどうして編集者の道に進まれたんですか?
呉:ぼくは家庭の事情で高校を1年で辞めて、独立したんです。でも、16歳でやれる仕事なんてほとんどないので、履歴書をごまかしていろいろなバイトをしてました。ただ、体力があんまりないので、肉体労働は本当にキツかった。それで食うや食わずやになったので、「机でやる仕事」を探すことにしたんです。
たまたまPCが使えたので、まずWEBの制作プロダクションにバイトで入って、広告記事を作る仕事を1年くらいやったんですけど、当時のインターネットってコンテンツがまだ少なかったし、質も高くなかったんです。雑誌や書籍に比べて、プロの編集者やクリエイターが少ない世界だったので。そこで力をつけるために、紙媒体をやりたいと思うようになりました。それが20年前くらいのことです。
—ネット全盛期が始まる直前に、あえて出版業界へ。完全に時代と逆行していますね。
呉:そういう時代の流れとかまったく理解してなくて。アルバイト情報誌を見ていたら、たまたま「編集者・ライター募集」の記事を見つけて、老舗の編集プロダクションに新卒的な扱いで入社しました。でも、この時点でも「編集者」が何をする仕事かちゃんとわかってなかった(笑)。けっこう倍率が高かったらしいので、すごく運がよかったと思います。
その職場はいわゆる「昭和の出版文化」なカルチャーそのままで、過酷な働き方でしたけど、すごく勉強させてもらいました。そこに4年務めて、雑誌の特集を作ったり、書籍を作ったりしながらスキルを学んで、25歳で 「卒業」したんです。
それから11年間くらい、フリーランスとして一人で働いていました。求められる仕事をして、そこそこのお金を稼いで、そこそこ楽しく生きてっていう。
—わりと順風満帆な気もしますが、どうしてNewsPicks Brand Designチームの編集部に所属しようと考えたんですか?
呉:フリーランス時代を振り返ると、求められることに対してスキルで答えてお金がもらえる生活って、ある意味では幸せなんですけど、ぼくはその先を見つけられなかったんです。
ただナレッジの切り売りをしていたというか、結局、何のために仕事してるのか、何をして自分の価値を高めるか、社会に何を提示したいのかっていう視点を持つことができなかった。
そんなとき、(株式会社ユーザベースの)創業者 / CEO・梅田優祐に出会って、彼は「経済情報のGoogleになりたいんだよね」って普通に言ったんです。ぼくより年下だし、メディアの現場に詳しかったわけでもなかったと思うんですけど、このゴールの明確さ、青天井感はやばい、と。一瞬で入社を決めました。
ただ、入社してしばらくは、あくまでもフリーランス時代の延長のような感覚でした。自分がやるべきは、しっかりした記事をつくること。編集者という役割のなかで、期待されている範囲で全力を出せばいいと思っていました。自分を傭兵みたいなものと考えていたんですよね。
―何があって働き方が変わったのでしょうか?
呉:超少人数だったチームが少しずつ大きくなっていくなかで、この仕組みは変えたほうがいいとか、こういう機能がないから加えたいとか、当事者として考えるようになったんです。それからですね、役割とか期待とかを超えて、100%本気で全部やろうと思ったのは。意識が変わると行動も変わるし、周りの見る目も変わる。結果として、自分のやる仕事もどんどん変わっていきました。
いまはフリーのときより10倍以上本気で仕事をしている実感があります。先月40歳になったんですけど、いまが一番アクセルを踏んでいる気がします。
「自分で体験する以外に意識や行動が変わることって、ほぼないと思う」
—いまは、11年間できなかったことを必死に取り返そうとしているわけですね。それが結果として『HOPE by NewsPicks』の制作につながっている、と。
呉:『HOPE by NewsPicks』は、過去の自分に向けてつくっているところがあって。ぼくはほとんど何も情報がないところから偶然この道に入ったのですが、情報や出会いがあれば、また違う人生の選択をしていたかもしれません。
過去の自分みたいな、進む先が見えない人たちに対して希望を示すことができたら、自分がいま必死に働く意味がある気がするんですよ。
呉:『HOPE』は、誰かに希望を求めるのではなく、自ら希望をつくれるようになろうというメッセージを込めて制作しています。じゃあ、その「希望」は何かというと「価値をつくること」だとぼくは考えていて。社会に自分の価値を伝えたいからこそ、人は自らの意志で動こうとする。『HOPE』では、その行動につながる後押しをしたいんです。
ぼくは、自分で「体験すること」以外に意識や行動が変わるきっかけって、ほぼないと思っています。自分自身で出会って、体験して得る手応えは何事にも代えられないはずなんですよね。
最近はソーシャルメディアが情報源になることも多いし、そこから流行も生まれていますけど、他人の経験でなにかを語りたくなるリスクも大きいなと思っていて。
—たしかにそうですね。
呉:新しく行動するときや、人に会おうとするときの「最初の一歩」って、面倒くさいし苦労もあるけど、自分から関わっていかない限り何も変わらないから。
あと、意見をいうことがすごく大事だと思っていて。『HOPE』でも、気軽に意見交換できるオンラインコミュニティーをつくりました。調べ物をたくさんして賢くなるんじゃなくて、むしろ無知でも発言することによってフィードバックという体験を得られるし、そのほうが次の行動につながる。ぼくもHOPEを通じて、若者からいろんなことを教えてもらう機会が増えました。
—アウトプットすることでインプットが返ってくると。自分のやりたいことがわからなくて迷っている若者にとっては、『HOPE by NewsPicks』を読むことで気づくことも多そうです。
呉:とはいえ、読むだけで終わりにはしてほしくなくて。行動することでしか人生は変わらないんだということを強く伝えていきたいんですね。自分の関わる世界を広げて、調べて知って、他者と出会う。この行動のサイクルを繰り返すために使ってほしいんです。
その最初の一歩を踏み出す手伝いができたらうれしいなと、一人でご飯を食べながら考えたりしています。
お店の情報
トロケの台所
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