デザインとは、目に見えるモノだけにあらず。私たちの生活にひっそりと息づく「デザイン」を紐解く連載「あなたの知らないデザインの世界」。
第3回は「音」の世界に注目! 知らず識らずのうちに飛び込んでくる音は、私たちの行動や気持ちにどんな影響を及ぼすのだろうか。JR新宿駅の元祖発車音(!)や表参道ヒルズの館内音など、空間に溶け込む音をつくり続けて40年。サウンド・スペース・コンポーザーの井出祐昭さんに、深すぎる「空間音楽」の秘密を聞いてきた。
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分子や光、人の気持ちまで。森羅万象、音にできないものはない!
—「サウンド・スペース・コンポーザー」とはどのようなお仕事なのですか?井出:直訳すると「空間音楽の作曲家」ですが、大きなテーマは「森羅万象を音にする」ことですね。歴史上、「音がない」時代はありません。人類が生まれる前も、風が吹けば風の音がしていたはずです。モノが存在していて、分子や原子が振動している限り音はある。その森羅万象の音を聴き取り、メロディーに変換するのがぼくの仕事です。可視化ではなく可聴化、「ソニフィケーション」とも呼んでいます。サウンド・スペース・コンポーザーの井出祐昭さん。ヤマハ株式会社でチーフプロデューサーを務めたのち、2001年に独立。2010年には音の未来を研究開発する「井出 音 研究所」を立ち上げ、商業施設や病院、イベントの音楽制作、音響デザイン、音場創生などを幅広く手がけている—そこだけうかがうと、ちょっと難しそうにも感じますね。具体的に教えていただけますか?井出:たとえば病院のエントランスホールで流す音をつくるお仕事では、「患者さんの不安を和らげる音」というオーダーがありました。病院って、どんな音楽を鳴らしても合わないんですよ。人によって好き嫌いがあってはいけませんし、好きな曲が流れていたとしても、病院や病気の嫌な記憶とリンクしてしまうといけない。そこでぼくは、人間の生命に刻み込まれている体のメカニズムを音にしました。—体のメカニズムですか……!井出:細胞が生まれ変わるために必要な「アポトーシス」という分子の働きを数値化し、それを音階に変換した曲をつくったんですね。アポトーシスが持つ「新生」のイメージは病院にもぴったりでした。このように、目に見えない空気やエネルギー、気配などを音でつくりあげるのがぼくの仕事です。—「いい音をつくる」というより、「最適な音を見つける」というイメージに近いですね。井出:そうですね。建築空間があるということは、その空間にははじめから音がありますから、音を「付け加える」のではなく「引き出す」イメージです。—まずは、そこにある音を可聴化すると。井出:分子や光、気持ちの変化から会社のロゴマークまで、どんなものでも音にできます。血液型の分子を音にしたこともありました(笑)。不思議なことに、分子を可聴化すると完璧なメロディーが生まれるんですよ。人の体は、いろいろな楽器が合わさってひとつの曲を演奏しているオーケストラのようなものです。ひとり下手くそな奏者がいると、演奏が崩れたり、不協和音になったりする。それを病気と呼ぶのです。注意させつつ安心させる電車の発車音って? 多くの矛盾をはらんだ一大ミッション—井出さんは、平成元年にJR新宿駅・渋谷駅で導入された電車の発車音(現在は違うもの)をつくられたとうかがいました。そもそも、なぜ電車の発車音をつくることになったのですか?井出:おもな理由は、電車の発車を知らせる「プルルル」という音がうるさい、というクレームを音で解消するためです。それから、JRからの「駆け込み乗車を減らしたい」という要望もありました。当時は「なんて難しいことを言うんだ」と思ったものです(笑)。井出:いざ制作に取りかかると、たくさんの矛盾に直面しました。「いまから電車が発車するよ」と乗客に注意喚起しつつ、うるさくてはいけない。そのうえで「慌てちゃダメだよ」と伝える必要がある。注意を促しながら、リラックスさせなければいけないわけですね。さらに、小さな音でもクリアに聞こえることも大切でした。駅の雑踏で聞こえづらいからといって、音量を大きくしてしまえば本末転倒です。年がら年中聞くわけですから、「新しく感じるのに飽きないメロディー」であることも求められました。矛盾だらけですね(笑)。—かなり難しいオーダーですね。どのような音を目指したのですか?井出:理想は「鏡のような音」です。人間には同質の原理というものがあり、たとえば厳かな場にすごく明るい人や声が入ってくると、イライラしたり、違和感を感じたりしますよね。人をリラックスさせるためには、その人の気持ちと同じ質の音を届けなければいけません。ですが、駅にはいろいろな心境の人がいます。同じ人でも日によって気持ちは違いますしね。そこでぼくは、利用者の心境を映し出すような、鏡のような音を目指しました。心境によって暗くも明るく聞こえる音ですね。「あ、いま自分はちょっとイライラしているんだな」と気づけるような。—音で人の気持ちをコントロールするのではなく、「引き出す」のですか。井出:どちらかというと、「映し出す」イメージですね。そんな「鏡のような音」を目指して、1年以上かけて300もの音をつくりました。ですが、駅も病院と同じように、どんな音でもいいというわけではないんですよ。そこでありとあらゆる「情報を伝える音」を研究した結果、たどり着いたのがお寺の鐘の音でした。
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さまざまな矛盾を克服する「鐘の音」に隠された秘密とは?
「緊張と緩和」を表現した発車音に、音の神様が微笑んだ?
—なぜ鐘の音を参考にされたのでしょうか?
井出:鐘をついた瞬間はいろいろな周波数の音が出ます。人をバシンと張り倒したときと同じような衝撃音ですね。これだけだと音が長続きしないのですが、鐘の場合はそのあとに、ボワンボワンと響く音が鳴る。張り倒したあとに抱きしめるようなイメージです(笑)。
つまり、「緊張と緩和」がひとつの音色に入っている。矛盾を克服するにはうってつけでした。
井出:しかも教会やお寺の鐘は、歴史的にも「何かを伝える音」として長いあいだ使われ続けているもの。1日何百万人もが利用する駅の発車音としても参考になるのではないかと考え、鐘の音を数値化・法則化したものをもとに発車音をつくり上げました。
余談ですが、試しにさまざまな音を新宿駅のホームで流してみたところ、日向で座っていた、杖を持ったおじいさんが鐘の音でニコッと笑ったんです。あれは、じつは音の神様だったんじゃないかと思っています(笑)。
※電車発車音の開発ストーリーは、『元祖・発車音 新宿駅の音』としてドキュメンタリーデジタルブックレットにもまとめられている
—お話をうかがうと、井出さんの音のつくり方というのは、一般的な作曲とはまったく違いますね。
井出:はい。コンセプトからつくり始める譜面上の「作曲」ではなく、もう一段階深いところに入ります。空間が持っている空気やエネルギーを見つけ出して、それでメロディーや音楽をつくりあげていくんですね。すでにあるものから引き出すので、ぼくは曲づくりで全然困らないんですよ(笑)。
空間である以上、そこには人や温度、光、音があります。新しい商業施設だとしても、建っている街の空気はありますよね。そこへ違うものを付け加えようとした途端、違和感が生まれてしまう。ですので、そこにあるエネルギーを素直に引き出すことが重要です。
不思議なことに、その場にいる全員「これがいい」と感じる、空間にフィットする音ってあるんですよ。それを最初に見つけるのがぼくの仕事。「サウンド・スペース・コンポーザー」っぽいでしょ(笑)?
人間が安心できる音のヒントは「心地よいノイズ」にあり
—「空間にフィットする音」にも関連しますが、人が心地いいと感じる音とはどのようなものなのでしょうか?
井出:それも「森羅万象の音」ですね。音響的には「ピンクノイズ」と呼ばれていますが、近いものだと、海の音を遠くから聞いたような音。それから、赤ちゃんがお母さんのお腹のなかで聞く血管を流れる音。このような世界中どこにでもある音を聞くと、人はすごく安心するんです。
井出:その反対が「無騒音」状態です。こんな話があります。とある田舎に都会と同じ遮音性をもったマンションが建ったのですが、そこの住人が病気になったり精神的に参ってしまったり、悪いことが立て続けに起きてしまった。これは「本来、部屋のなかに入ってくるはずのノイズ」がないことが原因だと考えられます。
楽器も同じですが、きれいな音のように聞こえても、その背景には必ずノイズがある。美しい音には、美しいノイズが必要なんですね。それから、ドーム会場のライブなど、大音量のところに行くと眠くなることはありませんか?
—あります! 爆音だと逆に落ち着いてしまうというか。
井出:なぜ安心するかというと、反射音だらけになって四方八方から音が飛んできて、結果的に「音に包まれた」状態になるからです。お風呂や布団のなかにいるときのように、人間は包まれている状態だとリラックスするんですね。
—たまに「考えごとをするときはパチンコ屋さんに行く」という人もいますよね。同じような原理なのでしょうか。
井出:そうですね。その人にとっては必要なノイズということです。ぼくも、静かなアトリエでは集中して考えることができません(笑)。道を歩いているときや、電車に乗っているときがすべてです。
井出:そうそう、眠れないときに眠る方法を知っていますか?
—ぜひ教えてください!
井出:耳を澄ますことです。だいたいの人が、「音を聴く」という行為を「ハッキリした音を聴く」ことだと認識していますよね。ですが、そうじゃない世界にも音の本質がある。寝る前に目を閉じ、できるだけ遠くのかすかな音を聴くんです。「意外と、遠くの電車の音が聴こえるな」とか。そんな感じで、望遠鏡のように耳を凝らしていると、安心してよく眠れるようになりますよ。「自分以外の人がどこかで生きているんだな」とわかるからだと思います。
「集中して聴く」という行為は、どんな集中よりも難しい
—イマジネーションや集中力を高めるのに適した音環境というものはあるのでしょうか?
井出:いくつかありますが、ひとつはやはり「心地よいノイズ」ですね。それから、集中して音を聴くクセをつけると集中力そのものが上がりますよ。
ぼくがいつもやっているのは、テレビを普通の人では聞こえないくらい小さな音でつけておくこと。「耳を凝らす」という訓練でもあり、音楽でもよくやっています。「集中して聴く」という行為は、慣れてないぶんどんな集中よりも難しく感じますが、効果があるんです。
—集中に慣れる訓練をする、ということですか?
井出:そうです。これは「リラックスしながら集中する」という練習になります。集中して聴くことに慣れると、小さな音や遠い音も感じ取れて、「ああ、こんな音も鳴っているんだ」という本当の世界が見えてくるようになる。
集中というと、体を硬くして「ウーン」と考え込む人が多いですが、あれはそれっぽくやっているだけで、よい集中ではないですよね。本来はリラックスした状態で集中すべき。その訓練として「集中して聴く」のは効果的です。音を聴くという行為は、体を硬くしながらするものではありませんから。
クリエイティブの第一歩に必要なのは、緊張ではなく集中。そしてアイデアを広げていくためには、安心した状態が必要です。リラックスしながら緊張することはできませんが、リラックスししながら集中することはできるでしょう。それが集中とリラックスの関係です。リラックスしている人って、70度くらい天を見上げている人が多いんですよね(笑)。
感情ではなく、感性で音をつくるべき。未来に向けた温故知新
—40年以上も音と向き合ってきた井出さんからご覧になって、日本という空間の「音」はどう変化してきて、今後どうなっていくと思いますか?
井出:日本人には本来、「美しいノイズ」を感じ取る感覚があると思います。『万葉集』にも「幽けき音」という表現があり、これは夕暮れに庭で佇んでいるときに聞こえた、遠くの竹林の葉が風に揺れる音を表したもの。『万葉集』にはそのような、色彩感を持ったおしゃれな音の表現がたくさんあります。
日本人は自然の音に対して優れた感性を持っていますし、「間」に対する感覚も独特です。雅楽や能、茶道なんかが象徴的ですよね。つまり、何もないように見えて、そこに無限や宇宙を感じ取る感性。これらは誇るべきものだと思います。
井出:いまは、美しくないノイズに溢れていて、何ごとも間を埋めようとする傾向があります。また、音楽をするときも、感性や魂ではなく「楽しい感じで歌う」ですとか「悲しい感じで演奏する」といったように、表面的な「感情」レベルで表現することが多くなっています。
ですが、それではもったいないし長続きもしない。日本人がもともと持っている感性で音楽をつくれば、絶対にすばらしいものができるはずです。感情よりもっと深い魂から出てくるものを、「美しいノイズ」や「間」の感性で表現するといいんじゃないでしょうか。音楽に限らず、すべてに言えることですが。
—「ノイズ」や「間」の感性は、ビジュアルデザインなどにも通じることですね。
井出:そうですね。ぼくは、「デザイン」という言葉もどうかなと思っているんですけど(笑)。
—(笑)。すみません、「あなたの知らないデザイン」という連載なのですが……。
井出:ぼくは音を引き出しているだけで、音をデザインしているわけではありません(笑)。
—お話を聞くなかで、とてもよく理解できました!
井出:ぼくは「音」という言葉に、未来的なニュアンスを付け加えたいんですよ。「光」というと未来っぽいですが、「音」というと少しレトロに感じませんか? これから活躍する音楽家たちのためにも、未来を感じさせる音をつくることが必要です。「音は、生命や森羅万象に関係する仕事なんだ」と。
そのためにも、ぼくは音を譜面や常識から解き放っていきたい。音と、最新の医療や科学、テクノロジーを掛け合わせて、いままでにはない音の可能性を社会に示していきたいと考えています。
—井出さんがつくり出す「音」の世界、これからも楽しみにしています。ありがとうございました!
井出さんや「井出 音 研究所」の活動をもっと知りたい人はこちらへ。
※「井出 音 研究所」WEBサイト
※WEBマガジン「井出祐昭のいたずら」
※響き合う数学と音楽「TANAKANATA」アーティストサイト
※バースクリニック向け空間演出サービス「LullaMusic(R)」WEBサイト
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