ネットでも話題の写真家・いくしゅん、初の写真集
マンホールの穴にハマってもがく野良ネズミ、ファミレスの食品サンプルを見つめながら弁当を食べるお兄さん、路上バンドの傍らで彼らよりカッコいいポーズを決めてしまっている少年――。見慣れた風景の中にある「奇跡」の瞬間をスナップし続けていると、一部ネットでも話題になっていた写真家・いくしゅん。その初の写真集『ですよねー』が、11月30日に刊行された。一見、SNSなどで拡散される「おもしろ写真」の類いにも見えるが、その印象はページをめくるうち壊れる。隙のない構図、決定的瞬間との出会いの頻度は、もはやある種の恐ろしささえ感じさせるほどだ。
相当にひねくれた人であることは写真からも伝わってくるが、その素性について、わかっていることは少ない。なにせ写真集のプロフィール欄からして、「1980年奈良県生まれ」であることのほかは、「主な同級生に広末涼子、朝青龍、鬼束ちひろ、マコーレー・カルキンなどがいる」という情報が並ぶばかり。いったい、どんな人物なのだろうか。その一端を探ろうと、12月12日に渋谷の「HMV&BOOKS TOKYO」で開かれた、写真集の刊行記念イベントへ足を運んだ。
梅佳代、川島小鳥、西光祐輔、スナップ写真を得意とする三人とのトーク
この日、いくしゅんのほかにゲストで登場したのは、写真家の梅佳代、川島小鳥、西光祐輔の三名。バンド「どついたるねん」を7人の写真家が撮り下ろした写真集『MY BEST FRIENDS』(2013年)にも一緒に参加した彼らは、普段から仲が良いらしい。『ですよねー』に収められた写真のスライド上映や、謎のクイズ大会もあって、個性派の面々の自由な絡みは、笑いに包まれつつ進んでいった。
HMV&BOOKS TOKYOでの、写真集発売記念トークイベントの様子
興味深かったのは、いくしゅん、梅、川島の三人が、ともに1980、81年生まれの同級生ということ。同じスナップ写真を得意としながらも、明らかに傾向の異なる1976年生まれの西光を除くと、ほかの三人の写真には、被写体に子どもが多いこと、「笑い」や「微笑ましさ」が重要な要素であることなどに共通点がある。もちろん違いのほうが大きいわけだが、面白い偶然ではある。司会役をつとめた西光がこのことを問うと、梅からは「見ているものが似ている」「同じような犬の写真を撮っている」という声も聞かれた。
ただし、彼らが写真家の道へと入った経緯は、ずいぶんと違う。梅が写真を撮り始めたきっかけは、1990年代にHIROMIXらを中心に起こった写真ブームだったという。その後、彼女は高校生にしてカメラを握り、早くも才能を開花させることになるが、同じく川島も、高校時代から映画や写真に興味を持ち続け、大学卒業後は写真家・沼田元氣に師事するなど、いわば文系バリバリの進路をたどっている。ところが、いくしゅんの人生は、彼らとはすこし毛色が異なる。というのも、彼はスポーツ一家に生まれた後、幼少期にラグビーをはじめ、大学卒業までの約18年間、選手としてみっちりプレーしたほどの、ゴリゴリの体育会系だったからだ。
「オシリペンペンズと友だちになりたかった」(いくしゅん)
いくしゅんが写真を撮り始めたのは、大学でラグビーを引退して、しばらくしたころだったそうだ。
いくしゅん:やることがなくなって、暇だったんですよね。それで簡単にできそうだなと、デジカメを買いました。卒業後は服飾関係の営業職で働いていたんですけど、歩き移動の最中にポケットからカメラを出して撮ったり、家の中で写真集にも登場する姪っ子やおばあちゃんなんかを撮ったりしていました。写真家を目指していたわけではないので、まあ、完全に趣味ですね。
その「趣味」がすこし本格化したのは、好きなバンドとの接点においてだった。関西のバンド「オシリペンペンズ」と友達になりたいと考えたいくしゅんは、彼らやその周辺のバンドのライブを勝手に撮影、それを自身のブログに載せてバンドからの交信を待った。思いは早々に叶えられ、交流の始まったバンドのメンバーから、「ライブ写真より普段のスナップの方が面白い」と言われたことが、写真を続ける動機になったという。
広大なネット空間で、目当ての人物に自分のブログを見つけてもらう。それ自体が驚きだが、そんな彼の「幸運」はこの後も続く。2009年と2011年には、キヤノンが主催する新人賞『写真新世紀』で佳作を受賞。今回の『ですよねー』の出版も、2011年の選者であった写真研究家・評論家の清水穣から「面白いやつがいる」という紹介を通し、担当編集者がいくしゅんが参加するグループ展を訪れたことが始まりだった。そこでの彼の展示は「1枚1,000円で写真を売り、買ったらその場で壁からはがして持って帰れる」という型破りなもの。「最終日には2枚しか写真が残っていなかった」というが、その気取らなさに、編集者も「驚いた」と語る。
こう書くといかにも「シンデレラボーイ」のようだが、その背後にあるのは、強烈な編集精神だ。たとえば『ですよねー』に収録された、地面に落ちた芋を食う鳩の写真がある。撮影中のいくしゅんは、芋をついばむ鳩の写真を撮ったつもりだった。しかし、後から見返すと、画面手前に偶然ボケて写り込んだもう1匹の鳩のくちばしにも芋の食べカスが。「お前も食ってたんかい!」。そんな風に撮りためた約10年分の記録が、写真集には詰まっている。イベント中に川島がふとこぼした「一生に一度、撮れたらいいという写真」の数々は、そうした「撮影」と「編集」の往復運動が濃縮された結果なのだ。
「写真家」という職業に興味はなく、夢は「カラオケスナックでラジオ局を開きたい」
撮影中は、意外にも「笑い」は意識しないという。むしろ見ているのは、素通りできないような「おかしみのようなもの」と語る。
いくしゅん:誰が見ても面白いと感じられるようなものを探しているわけではなく、写真になったときに面白くなるものを探している感じです。「写真になったときに」という部分が重要なんです。
世界をベタに捉えない視点はまさに編集者的であり、その徹底した持続が、日替わりで消費されるだけの「おもしろ写真」と、彼の写真を分けている。もう1つ『ですよねー』で面白いのは、縦型の写真集を横にして読む、本としての形式だ。しかも、タイトルや奥付以外には、文字も余白もない。いくしゅんが提案したというこの形式は、まるで縦スクロールで進むブログや、パラパラマンガに向かうような身体感覚を『ですよねー』に与えている。
いくしゅん:構成はすべて僕に任せてもらいました。ブログを長くやっているので、慣れている縦スクロールの構成にして、ページをめくっていくうちにリズム感が出るように連続写真を多用しました。静止画なのに動画っぽくも見えるような本になればいいなと思って。
その「間」のなさ、人と世界に溢れる「写真的な瞬間」とを最短距離で結ぶ身振りは、有無を言わせぬ同意表現を使ったタイトル『ですよねー』に見事に現れている。「考えすぎ!」といくしゅんには言われるかもしれないが。
現在も写真とはまったく関係のない仕事をしているという、いくしゅん。インタビューの締めの定番「今後の予定」をたっぷり話してもらおうとしたが、「わかりません。具体的な目標とかないので」との答えが。面白い企画での展示は続けたいものの、職業としての「写真家」にはまるでこだわりがないらしく、依頼されて写真を撮る仕事には「気が乗らない」という。「じゃあ、何するんですか?」と問うた。
いくしゅん:ここ1年くらいはカラオケスナックを開きたいと思っていて。ラジオが好きなので、スナックをラジオ局にして、くだらない話を延々としていたい。でもいまは写真集をいっぱい売ることだけを考えています。ちゃんと利益が出るぐらいには売らないと、青幻舎さんに申し訳ないので。それと、印税でお母さんをハワイ旅行に連れて行きたいんです。お母さん外国行ったことないので。
この人、すごい大物になるかもしれない。
- 書籍情報
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- 『ですよねー』
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2015年11月30日(月)発売
著者:いくしゅん
価格:1,944円(税込)
発行:青幻舎
- イベント情報
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- 写真集発売記念トークイベント
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2015年12月12日(土)14:00~
会場:東京都 渋谷 HMV&BOOKS TOKYO 6F イベントスペース
出演:いくしゅん
ゲスト:
梅佳代
川島小鳥
西光祐輔
料金:無料
- プロフィール
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- いくしゅん
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1980年、奈良県生まれ。オシリペンペンズと友達になりたくて写真をはじめ、現在に至る。
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