「信じられるのは自分だけ。神も仏も信じられなくなりました……」。とは、2日間の大分県探訪の最後に辛酸なめ子さんがふと漏らした言葉。漫画家でコラムニストのなめ子さんといえば、独自の視点で社会や人間関係を観察・分析するかたわら、国内外のスピリチュアル案件をフィールドワークする人として知られています。
一方で大分県は、古代から続く宗教儀礼や信仰が数多く残り、火山性の土地ゆえに豊かな自然と温泉と食に恵まれた、心と体にエネルギーを与えてくれるスーパーパワースポット県です。そんな土地にやって来たにもかかわらず、なめ子さんの信仰心がうらぎられた(?)理由はいったいなんだったのでしょう? 紅葉の季節を間近に迎えた、大分で体験したカルチャーツーリズムの模様をお届けします。
必ずお賽銭を行う辛酸なめ子、旅のスタートはパワースポット・宇佐神宮
東京・羽田から飛行機で約1時間半。雨模様だったその日の東日本と違い、大分は気持ちの良い晴天。秋らしい過ごしやすさに、南国の陽気な気分にさせる気候も混じっているのがこの土地の特徴です。
「おんせん県」の愛称にふさわしく、大分空港内にはいきなり足湯。なめ子さんは、さっそくスタッフのおじさんから入湯を勧められています。「これから取材なんです。すみません……」と、丁寧にお断りして、なめ子さんと一行は車に乗り込み、最初の訪問地へと向かいます。
なめ子:大分は、家族旅行や仕事で何度か訪ねたことがあります。そのときは鯛生金山や、いまはつぶれてしまった別府秘宝館にうかがったんですけど、今回の旅のコースははじめて。特にパワースポットを楽しみにしています。
県北部の宇佐市にある宇佐神宮は、全国に約4万社ある八幡宮(主に○○八幡と名のつく寺社の総称)の総本宮。725年に創建された広い敷地には手つかずの太古からの草木が生い茂り、「これぞパワースポット」といった清らかな空気に満ちています。ところどころで目にするピラミッド型の珍しい灯籠や、逆立ち姿のかわいい狛犬になめ子さんも「あ、かわいいですね」とほっこり。上宮へと登る石段にはめこまれた富士山のかたちをした夫婦石には良縁祈願のご利益があるそうで、その上に立ってなめ子さんも記念撮影。
なめ子:恋愛成就系のスポットには、ハート型に成型した石だとか商売っ気を感じるものがけっこう多いんですよね。そこで醒めちゃうこともある……。でも、この夫婦石はさりげない感じがいいです。とてもご利益がありそうですね。
宇佐神宮のもっとも高い場所にある上宮本殿には、八幡大神(応神天皇)、比売大神、神功皇后が御祭神としてお祀りされています。そのためもあってか、通常の参拝作法である「二拝二拍手一拝(2度礼をし、2度かしわ手を打ち、最後にもう1度礼)」が、ここでは「二拝四拍手一拝」と、かしわ手パートがダブルアップ。たしかなご利益を得るべく、なめ子さんは上宮、下宮の両方をしっかり参拝。さらに、修繕用の茅葺きも寄進しました。
なめ子:寺社に立ち寄ると必ずお賽銭は入れるようにしているんです。自分の身になにかあってからでは遅いですから……。それと、私たちが参拝した直後に巫女さんがお賽銭回収にいらっしゃったのがレアでしたね。賽銭箱の下をパカっと開けて、あっという間に去っていかれましたが、とても機能的に作られていて感心しました。
旅の冒頭、これほど信仰心の厚さを示したなめ子さんから「神も仏も信じられなくなりました」という言葉が飛び出した大分の旅。このあと、どんな展開が待っているのでしょう。
古代人の住処と、僧侶の修行場。神聖な場所に潜む現代アート
由緒ある寺社を訪ねたあとは、趣向を変えて現代アートを見に行きます。大分北東部の国東半島では、2014年にアートフェスティバル『国東半島芸術祭』が行われました。ギャラリーや美術館ではなく、自然に囲まれた野外を主要な会場とする同祭では、古来からの伝統にまつわる場所でもいくつかのプロジェクトを実施しました。宮島達男の『Hundred Life Houses』と、アントニー・ゴームリーの『ANOTHER TIME XX』は、そのうちのふたつです。
前者は、縄文期の出土品が発掘された成仏岩陰遺跡の切り立った岩壁に、たくさんの家型のオブジェを設置した作品。それぞれの家には「1」から「9」までの数字を順番にカウントするLEDが収められていて、プロジェクトに参加した地元の人々が点灯するスピードをそれぞれ設定しました。目にも留まらぬ速さでカウントしていくLEDもあれば、じっくり長い時間をかけてひとつずつ数字を重ねていくLEDもあるそうで、その多様さは人それぞれに異なる「生のリズム」を思わせます。
なめ子:森の奥にこんな場所があるなんてびっくりしました。土器が発掘されたということは、古代人が住んでいたということですよね。でもなんでこんな辺鄙な場所を住居に選んだのでしょうか?
なかなか太陽の光も差し込まず、けっして住むに適していない場所で暮らすことを選んだ人たち。太古の人々の生にも思いをはせる、特別な時間です。
一方、ゴームリーが展示場所に選んだ千燈地域は、僧侶の修行場でもある信仰の地。彼の作品は、まさに修験道のコースである険しい山の峰に立っています。作家自身の姿を模した鉄製の人間像が、故郷であるイギリスの方角に眼差しを向ける姿は、まるで「人間とはなにか?」と問うているようでした。
辛酸なめ子、絶体絶命。火の玉が追ってくる奇祭を体験
本日最後の目的地は、まさに今回の旅のメインイベント。櫛来社(岩倉八幡社)に伝わる『ケベス祭り』です。起源や由来のいっさいわからないこの奇祭は、毎年必ず10月14日に行われるのが古くからの習わし。その概要はこうです。
町民から「ケベスさま」と親しまれる仮面姿の存在が、境内に焚かれた神火を守る白衣の集団・トウバから火を奪おうと試みます。幾度かの小競り合いを繰り返し、ついにケベスが火を奪うと、まるでその狂気が伝染したかのようにトウバたちがいっせいに境内を駆け回る。そして、祭りを見に来た観客たちに火の玉を手に襲いかかる……そんなクレイジーな祭りです。
なめ子:事前に話を聞いて戦慄しています。ナイロン製の服を着ていると引火しやすいとか……。無事に済む自信がまるでありません。
と、マッチもすれないほど火が苦手というなめ子さんも夕食の席で戦々恐々。「火除け用に」と、ガイドさんから手渡されたタオルとペットボトルから、ことの重大さが伝わってきます。さて、肝心の『ケベス祭り』がどんなありさまだったかは、以下の写真をご参照ください。
なめ子:死ぬかと思いました! 過去に高尾山の火渡り神事や、インドのヤギャなど火に関する祭りに参加したことあったんですけど、実はそんなに熱くはないし、火傷しないように足に粉を塗ったりしました。でも『ケベス祭り』は本当に危険です。四方八方どこから火が襲ってくるかわからないし、いつ終わるのかもわかりません。ほとんど傷害罪とか殺人未遂レベルの世界で……「お祭りは治外法権」ってよく言われますが、身をもって体験した気分です。
人がすし詰めになった回廊をトウバが走り回って将棋倒しが起こり、人の群れにむかって火球が投げ込まれるような戦場は、木槌を叩く音とともに突然終わります。それまで悲鳴をあげて逃げ回っていた人々はまるでなにもなかったかのように本堂を参拝し、家路へとつきます。
なめ子:「ケベスさまの火の粉を浴びて火傷をする人は悪い人」という言い伝えがあると聞きました。わけがわからないですよね。だけど、恐怖のどん底に突き落とされてるはずのおじさんやおばさん、若い人たちが歓声をあげて喜んでいるのを見ると、国東半島に根づく「人と信仰の距離の近さ」を感じる気がします。
神や仏の世界から一気に宇宙的な世界観へ、『アニッシュ・カプーア IN 別府』
阿鼻叫喚の一夜が明けて、今日は旅の2日目。まず向かった別府公園では、イギリスを代表するアーティスト、アニッシュ・カプーアの大型作品が展示中です。空間とそれを知覚する人の五感を変容させる作品で知られるカプーアは、今回ふたつのパビリオンと野外作品を公園内に設置しました。
ひとつ目の作品は『Void Pavilion V』。仄暗い室内の壁を見上げると、そこには真っ黒な穴がぽっかりと開いています。しかし、よく見てみるとそれは穴というよりもなにもない黒い平面のようにも見えてきます。穴なのか、平面なのか。あるいはその両方ですらないかもしれない。体の内側で、知覚が大きく揺らぐのを感じます。
なめ子:金沢21世紀美術館でカプーアのシリーズ作品を見た記憶があります。光をほとんど吸収してしまう黒の顔料を素材に使っているそうですが、本当に吸い込まれそうだし、逆に目をどこに向ければよいのかわからない感じがすごいですね……。
パビリオンの裏側にはもうひとつの入り口があり、そこでは真逆の体験が得られる仕掛けも。
ふたつ目のパビリオンでは、彫刻作品と平面作品によって構成された企画展『コンセプト・オブ・ハピネス』が開催されています。彫刻作品に関しては、シリコンとガーゼで作られた彫刻の生々しさはインパクト大。質感の異なる素材がもたらす視覚的な異物感は、アルミを歯で噛んだ食感のゾワゾワ感に似て、カプーアが試みようとしている知覚の実験の意味を伝えるかのようです。
最後の大型作品『Sky Mirror』は、文字どおり、空を写し出す巨大な鏡。ステンレスを鋳造した特製ミラーは、空にたなびく雲や横切る鳥の姿を見たことのないかたちに変容させます。
なめ子:目の前に立っているだけで体がグラグラしてきます。今日は雲が多めの日ですが、雲ひとつない晴天や夕方はまた違った印象で見えてくるのではないでしょうか。室内の作品でやろうとしていたことを、カプーアさんは外や自然との関係の中でも行おうとしているんですね。
キリスト教まで巻き込んだ大分・竹田の奇妙なヒストリー
大分の北部と中心部を巡ってきたこの旅ですが、ここからは一気に南下。熊本とも文化的に近い竹田市へと向かいます。レジャーランドとしての一大温泉地が別府とすれば、竹田の長湯温泉はつげ義春(雑誌『月刊漫画ガロ』などで作品を発表した漫画家)の漫画に出てくるような落ち着いた小さな温泉町です。その静けさを求めて、最近の竹田とその周辺には工芸作家やアーティストが数多く移住してきています。そんな人たちが中心になって開催しているのが『竹田アート茶会』。この日は、席主である陶芸家の甲斐哲哉さんが、なめ子さんのための特別な茶会を開いてくださいました。
なめ子:足湯につかりながらスギナ、ヨモギ、ごぼうを煎じたお茶をいただいて、とってもいい気分です。蟹のかたちをした足湯はスーパーボランティアの尾畠春夫さんもつかりに来たりしないでしょうか……。大分出身ですし、野草を食べて暮らしていると聞いたのですが。
山口県で行方不明になった2歳児を30分で見つけた尾畠さんがここに来たことがあるかは定かではありませんが、たしかに竹田の温泉街は疲れを癒すスポットがそこかしこに点在しています。
少しだけ立ち寄ったラムネ温泉館は、建築家・藤森照信の設計によるかわいらしい温泉。まるでジブリ映画のような敷地内では、3匹の家猫たちもお出迎えしてくれました。
もうひと組、竹田に魅せられたクリエイターが、キノコ工場をスタジオ兼ギャラリーにする、彫刻科出身の加藤亮さんと児玉順平さんが結成した美術ユニット、オレクトロニカ。竹で作った巨大な人型、舞台美術のようなインスタレーションなど、この場所だから得られる素材、広い空間で迫力ある作品を日々制作しています。
なめ子:私も美大出身なので、元工場のような空間には憧れます。学生時代の私は、フロッピーに収めたデータを作品にしたり、場所を取らない制作をしていましたけど、もしもこんな広い場所があれば作風や芸風も変わっていたかもしれないですね。
キリスト教まで巻き込んだ、信仰の土地・竹田の奇妙なヒストリー
オレクトロニカの作るアートに触れたあとは、竹田の歴史に迫ります。ここで合流したのが、地域おこし協力隊・竹田キリシタン研究所・資料館の藪内成基さん。竹田の象徴である岡城・城下町の魅力に惹かれ、東京から転居してきたという藪内さんが案内するのは、竹田とキリスト教のミステリアスなストーリーです。
徳川家康が禁教令を敷いて以来、江戸時代の日本ではキリスト教徒は厳しい弾圧を受けました。それを逃れるために、教徒たちは身を潜め「隠れキリシタン」と呼ばれるようになったのは有名ですが、ここ竹田では「隠れ」ではなく「隠しキリシタン」と呼ばれてきました。なぜなら、竹田ではこの地を統治した岡藩が、藩ぐるみでキリシタンやその文化を隠蔽してきた……という噂があるからです。
藩の中心人物たちが多く住んだ武家屋敷の奥にある「キリシタン洞窟礼拝堂」は、その名残をいまに伝えるとされる場所。岸壁に掘った洞窟の中で、神への信仰が脈々と受け継がれたといいます。さらに、その向かいに位置するお稲荷さまにも、とても変わったエピソードが残っています。竹田には狐に扮して街を練り歩く祭りが伝わっていますが、その開催時期はクリスマス直前です。ひょっとすると稲荷信仰を隠れ蓑に、キリシタンの文化を継承するためのパレードだったのではないか……と、藪内さんは解説します。
なめ子:マリアさまと観音菩薩を混ぜたマリア観音のように、キリスト教の布教や隠蔽のために生まれた文化がたくさんありますから、お稲荷さまの祭り=イエスの生誕祭、という説は信憑性がありますね。願わくば血塗られた事件が起こっていないことを祈ります。
たしかに島原の乱のように、幕府によるキリシタン弾圧では多くの血が流れましたが、竹田はちょっと事情が違う様子。というのも、岡藩は宣教師たちが日本に伝えた新しい文化を積極的に導入し、それを交渉材料に幕府とも駆け引きをしていたかもしれないからです。その代表が、火薬の製造。宣教師から教わった技術と大分周辺の豊かな鉱石資源を使って製造する火薬は幕府にとっても有用な技術。それゆえに、竹田の隠しキリシタンたちは特別な扱いを受けていたかもしれません。とはいえ、これはすべて明らかでない歴史から妄想した仮説。信じるか信じないかはあなた次第です!
神も仏も自由すぎる。辛酸なめ子が感じた、大分の神様事情
このあと、滝廉太郎“荒城の月”のモデルとなった岡城跡や、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』で知られる海軍少佐・広瀬武夫を祀った広瀬神社などを訪ね、2日間の短くも密度の濃い大分の旅は終わりました。
大分空港に向かう車の中で、なめ子さんに旅を振り返ってもらいました。そこで開口一番の言葉が、冒頭の「信じられるのは自分だけ。神も仏も信じられなくなりました……」です。
なめ子:神や仏は絶対の存在だと思ってきました。でも、大分では必ずしもそうではなくて、自由で、場合によってはとても暴力的なんですよね。明治時代に亡くなった軍人が神さまになるのも奇妙なことですし、『ケベス祭り』に至っては、神さまが人を守ってくれない。ひょっとすると試練を与えることで守ってくださってるのかもしれないですが……。最初の宇佐神宮では、神道を信じていた神功皇后が、朝鮮半島出兵を悔いて仏教に出家したという伝承も伝わっていて、こんなに自由に神さまの立ち位置が変わってしまうことが衝撃でした。
でも、そういった神仏習合的な世界観を受け入れるところに大分のおおらかな気風やユニークさがあると思いますし、それゆえの信仰の根づき方があるようにも思います。
『ケベス祭り』なんて、現代の感覚で言ったら炎上必至の過激イベントですよね。SNSで拡散したら、あっという間に大衆化してしまいそうじゃないですか? でも、意外にも祭りについて呟いている人は多くないんです。ひょっとすると、『ケベス祭り』への信仰心がSNSで気軽に共有してしまう気持ちを遠ざけているのかもしれませんね。
なめ子さんが言うように、今回巡った大分のさまざまな場所で特に感じたのは、都市的な基準では動いていないおおらかな時間、おおらかな人間関係であったかもしれません。伝統的な儀礼、先鋭的な現代アート、町を活性化するためのクリエイターたちの営み。それらは時間的には遠く隔たっているにもかかわらず、強い結びつきを持ち、目には見えない大きな流れのようなものを形成している気がしてきます。
人と神、人と自然の距離が近い土地、大分。都市での暮らしに疲れたら再訪したい場所が増えるような、そんな2日間の旅でありました。
- リリース情報
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- 『第33回国民文化祭・おおいた2018/第18回全国障害者芸術・文化祭おおいた大会「おおいた大茶会」』
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2018年10月6日(土)~11月25日(日)
会場:大分県全域
- プロフィール
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- 辛酸なめ子 (しんさん なめこ)
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漫画家、コラムニスト。1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。興味対象はセレブ、芸能人、精神世界、開運、風変わりなイベントなど。鋭い観察眼と妄想力で女の煩悩を全方位に網羅する画文で人気を博す。著書に『辛酸なめ子の現代社会学』『ヨコモレ通信』『女子校育ち』『サバイバル女道』『絶対霊度』など多数。
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