広告や、雑誌や、ネット上、どこを見渡しても写真イメージの蔓延る現代。私たちは、その写真にある情報を素早く読み取り、必要なものとそうでないものを瞬時に判断し、要らないものは惜しみなく捨てる。そんな写真イメージの大量消費の中にあって、頭山さんの写真は、ふとたちどまり、そしてしばらく凝視していたくなる。そして、そこに何かの意味や情報を読み取ろうとするが、すぐに、それは間違っていたことに気づかされる。頭山さんの写真に出逢って、普段、私たちが駆使している情報処理能力を、一旦、中断することで見えてくる風景があることを知った。
私たちが抗うことのできない大きな時間の流れ。「私たちは必ず死ぬ」という事を意識した瞬間に、ゾッとして身動きがとれなくなった経験はないだろうか。私たちは普段はそのことを、意識下におくことで生きていられる。しかし、頭山さんは、そうした事実を、時の流れを、「生」の現実をカメラのファインダー越しに見つめ続けている。 それらの写真を前にして、私たちはただただ、沈黙することしかできないのだろうか。
※このコンテンツは旧「ピックアップアーティスト」の掲載情報を移設したものです
- プロフィール
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- 頭山ゆう紀
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写真で感情は撮れないけど、写真と感情それぞれが別々に存在し、並走したまま繋がっているのだと思う。白と黒は自分への現実だったし、カラーは母の色を思う。今写真と再会し、ここから見えてくるものを再び写真に定着していく。
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