どこにでもいそうな夫婦の愛の物語でありながら、同時に宇宙的なスケールを持った黙示録的作品

『へんげ』は、非常に語りにくい映画である。というのは、物語の基本設定を書くだけでも、ネタバレになってしまいそうな気がするからだ。上映時間は54分、どこをどう見ても低予算ホラーと言ってよい枠組みで撮られていながら、この映画が最終的に有している深みと広がりは、ちょっと尋常でないものがある。しかしそれを語るのが、とてもむつかしいのだ。だが頑張ってやってみよう。

『へんげ』©2012 OMNI PRODUCTION
『へんげ』©2012 OMNI PRODUCTION

若い夫婦がいる。夫が原因不明の病に罹る。夜中に突然激しくうなされ、煩悶のあげくに体の一部が変化(へんげというタイトルはここから来ている)するのだ。それは昆虫のような怪物のような、見るからにきわめてグロテスクな変化である。発作(?)がおさまるとともに元に戻るのだが、治療法は皆目わからない。妻は夫を案じて病院での検査を勧めるのだが、夫は隔離を怖れて家に閉じこもる。しかし病状はどんどん進んでいき、やがて体の大半が変化してしまうようになる。それとともに変化している間、夫は異様に凶暴になり、やがて他人をあやめるようになっていく…。

妻は夫を愛している。刻々と怪物化してゆく夫もまた、妻を愛している。だからまず、これは愛の物語である。不穏さが日常を浸食し、不条理がささやかな幸福を蝕んでいくとき、平凡な夫婦の愛は、どこまで持ち堪えられるのか。だが「へんげ」は容赦がない。それは凄まじい勢いでエスカレートしてゆく。そして物語の終盤になると、それはもはやリミットを超え出てしまう。夫は、ほとんど「人間」ではなくなる。この映画がほんとうに凄いのは、実はそれからなのである。

『へんげ』©2012 OMNI PRODUCTION
『へんげ』©2012 OMNI PRODUCTION

おそらく観客の誰ひとりとして予想出来ない、驚くべき展開と言っていいだろう、ラストに向けての数分間は、しかしやはりここで述べることは出来ない。だが、これだけは言っておこう。この映画はそこで、いうなればジャンル自体が変わってしまう。試写を観ながら僕は呆気に取られたものである。だが、真に驚嘆するのは更にその先、映画の幕切れだ。その瞬間に妻が夫に告げる、ごく短い台詞、叫びと呼んでよかろう一言は、こう言ってよければ、わけのわからぬまま、怒濤の感動に観客をたたき落とすだろう。そしてそこで、この映画は、どこにでもいそうな夫婦の愛の物語であり続けながら、それと同時に、宇宙的なスケールの黙示録的作品に成っているのだ。嘘ではない。疑うならば観てみたらよい。僕は真底、吃驚したのである。

監督の大畑創は、前作『大拳銃』で、『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭』と、『ぴあフィルムフェスティバル』の審査員特別賞を受賞した俊英である。今回のロードショーでは同作も併映されることになっている。不景気にあえぐ町工場の兄弟が、怪しい筋からの依頼で拳銃の密造に手を染めることから始まる『大拳銃』は、物語があるきっかけから急激に度を越してゆくというエスカレーションと、その果てに訪れる、ほとんど意味不明な、だが紛れもない崇高さ(サブライム)という点で、すでに『へんげ』を予告している。大畑監督は、明らかに「人間を超える強大なる何ものか」という観念に惹かれている。それは、彼が撮った「怪談新耳袋」シリーズの一篇『庭の木』を観てもわかる。黒沢清の『カリスマ』への隔世遺伝的オマージュともいうべき、このたった5分の傑作掌編は、YouTubeで検索すれば簡単に観ることができるので、是非一見を薦めたい。

『へんげ』を観ながら、僕が思い出したのは、H・P・ラブクラフトが創造した、いわゆる「クトゥルー神話」である。大畑監督がクトゥルーを意識していたかどうかはわからないが、平穏な風景に潜む魔物の気配が、次第にアンチヒューマンな領域に突入して、遂にはコズミックな「神話」が切り開かれるラブクラフトの世界が告げる真理と、ラブ・ストーリーでありホラーでありサイコ・サスペンスでありアクション映画であり、そして●●映画であり、哲学映画でもある『へんげ』に孕まれた、単純にして複雑なメッセージは、ほとんど同じものであるとさえ思う。だが、それが何であるのかも、ここで書くことは出来ない。

ともあれ、あの最後の一言を聞いて、あなたは喝采を叫ぶだろうか? それとも号泣するだろうか?

作品情報
『へんげ』©2012 OMNI PRODUCTION

『へんげ』

2012年3月10日(土)よりシアターN渋谷ほか全国順次公開
監督・脚本・編集:大畑創
音楽:長嶌寛幸
特技監督:田口清隆
出演:
森田亜紀
相澤一成
信國輝彦
配給:キングレコード

  

3.10公開 映画「へんげ」公式サイト

大畑創


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