無意識の頭にはりついた言葉に導かれて、ボンディ社長が買った発明品、カルブラートルは、物質を完全に燃焼させる代わりに、その物質に内在していた“絶対”を解放する発電機だった。一つの石炭からあり得ないほどの稼働率で動き続けるカルブラートルをボンディ社長は買い付けて、大ヒットとなる。工場に設置され、銀行や市役所、一般社会にも広まる中で、解放され続ける「絶対」がありとあらゆる奇跡を繰り広げ、終わりのない最終戦争に至る年代記だ。元々はチャペックが記者として勤めていたチェコの人民新聞で1921〜22年に連載した。
あらすじはこういう感じなんだけど、とにかく無茶をしまくる「絶対」の起こす奇跡がすごい。カルブラートルの近くにいると人は宙に浮き、宗教的啓示がくだり、鋲釘工場をジャックした「絶対」パワーで、土の中から金属の固まりが盛り上がって原材料口につっこまれ、鋲釘がどんどん溢れでてくる。工場長もスピってるからすべてのものを共有資産にしちゃう。世界そのものを圧倒的に浪費したおす「絶対」も、元はといえば、物質の中にいた。そしてその物質を完全に破壊すれば、『神はぱりっとした格好で飛び出す』のだ。このぱりっと飛び出す感。せんべいみたいに、ぱりっと出てきちゃう神様。
だけど、なんといっても13章から15章がとてつもなくいい。13章でカレル・チャペックの分身の年代記作者が弁明を始める。ながいながいモノローグにも聞こえる。年代記作者はそれまでの章に登場した人物に別れをつげる。メリーゴーランドの神に走ったビンデルさん、クゼンタ氏とブリフ氏、諸々の登場人物たち。なごりをおしみながら年代記作者はいう。
「存在するものにはすべて、注意を払うだけの価値があるのだ」
切り捨てられる主張、切り捨てられるキャラクター、切り捨てられる瞬間などない。その覚悟がなければ世界を愛する事など出来ないのだ。そう高らかに宣言したそのテンションで次の「絶対」があらぶる第14章に移ったら、奇跡をやりたい放題描き、あまりのパワフルさにすぐ次の第15章では既にカタストロフィが起きてしまう。そこから先は、想像力がふるまうままに考えられる限りの茶番とそこから巻き起こる思想の対立が延々25章まで続く。
カレル・チャペックはこの本が出たときにすごい批判をうけて、その弁護のためにわざわざ2回も新聞に特別寄稿した。そんな言いたがりなカレルさん、またまたモノローグ。曰く、
「(みんなが真理をもつ事を認める事は)『ほかの人がわたしのもつ真理を信ぜず、わたしの守り神を尊敬せず、わたしの信ずる全人類の利益のためには献身してくれぬこと、と折り合いをつける』可能性を意味する」
第二次世界大戦を経て、21世紀になってやっと、この言葉に一定以上の支持を集められるようになっている気がする。そこから先、でもじゃあ、どうしても幸福になりたがる自分自身と考えなくてはいけない事のバランスをどうとってゆこうか、って話には、いまだになっていない。だけど、これから世界を運営していくにはどうしても通らなきゃいけなさそうだし、基本戦争とか怖いし、もうその茶番90年前に書かれてるし、そろそろ前進させとかないとまずい。
単行本では後ろについているけれど、まえがきを先に読むのも、まずいきなりカレル・チャペックがしゃべってくる感じでいいと思う。
- 書籍情報
-
- 『絶対製造工場』
-
2010年8月11日発売
著者:カレル・チャペック
翻訳:飯島周
価格:1,260円(税込)
ページ数:288頁
発行:平凡社ライブラリー
- プロフィール
-
- カレル・チャペック
-
(1890-1938)北東ボヘミア(現在のチェコ)の小さな鉱山の町、マレー・スヴァトニョヴィツェに生まれる。プラハのカレル大学で学んだ後、ベルリンとパリに留学、帰国後の1916年頃から創作を開始し、1921年に『リドヴェー・ノヴィニ(人民新聞)』社に入社。生涯、ジャーナリストとして活動した。その一方で、戯曲・小説・評論・童話なども執筆。幅広いジャンルで秀作を残す。戯曲『R・U・R』(邦題『ロボット』岩波文庫ほか)において、画家で作家でもある兄のヨゼフとともに生み出した「ロボット」という言葉は、世界中に広まった、一貫してファシズムに抵抗し、死後は共産党により反体制の烙印を押されたこともあるが、チェコの国民的作家として、世界中の多くの人々に親しまれ続けている。主な著作に,『山椒魚戦争』(岩波文庫ほか)、『園芸家12カ月』(中公文庫)、『ダーシェンカ』(新潮社ほか)、『マサリクとの対話』(成文社)などがある。
- フィードバック 0
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-