曾我蕭白と聞いて、いったいどれだけの人がその作品をイメージすることができるだろう? 日本美術をよく見る人なら、この画数の多い名前が「そが・しょうはく」と読むことを知っていて、江戸時代中期の画家で、いくつかの作品が、その奇人的なエピソードとセットで思い浮かぶかもしれない。現代美術も好むなら、アーティストの村上隆や横尾忠則に蕭白から着想を得た作品があることも知っているだろうか。パフォーマンス好きな人は、細江英公の写真集『胡蝶の夢 舞踏家・大野一雄』(青幻舎、2006年)に、スライドで身体に投影された蕭白作品と重なりあうように踊る、大野一雄の実に妖艶で美しい姿が収録されていることを知っているかもしれない。
曾我蕭白『竹林七賢図』(部分) 旧永島家障壁画 三重県立美術館蔵 重要文化財
このように現代の芸術家にもインスピレーションを与えている曾我蕭白。高度なテクニックと当時の絵画のコンテクストに裏づけられた伝統的な作品でありながら、エキセントリックな作風で日本美術史上特異な位置にいる画家である。そんな蕭白の作品を約60点集めた、ビギナーはもちろん、コアなファンまで楽しむことのできる展覧会、『蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち』が千葉市美術館で開催されている。目をひくタイトルがキャッチーだが、蕭白の人並外れた強烈な作品と結びつくと、あながち不自然にも思えない。それは蕭白が、私たちになによりもまず「ショック!!」を与える存在だからにほかならない。
その代表的な作例として、蕭白の最も知られる作品の一つ、『群仙図屏風』(文化庁所蔵)を見てみよう(展示は5月2日から)。屏風に描かれているのは、8人の仙人と思しき中国風の人物だ。日本人にとって芸術の本場といえば、明治維新後はパリ、第二次世界大戦後はニューヨークと移るが、それまでは長らく中国だった。そのため蕭白の作品も中国に題材を得たものが多い。
曾我蕭白『群仙図屏風』(右隻)国(文化庁)保管(展示期間:5月2日〜20日)
曾我蕭白『群仙図屏風』(左隻)国(文化庁)保管(展示期間:5月2日〜20日)
まず目に入るのは、水墨を主体にして描かれた背景と対照的な、あたかも浮き上がるような鮮烈な色彩の仙人像だ。だけど不思議なことに、しっかり彩色されているのはわずか3人だけである。姿かたちに注目してみると、眼をカッと見開いたり、眼をつり上げてちょっと厳めしい顔をしている仙人がいる一方で、だらしなく目尻を下げた仙人もいる。そういうちょっと気持ちの悪い仙人が、子どもを抱えているのだからつい心配してしまうが、当の子どももあまり可愛くは描かれていなくて不気味である。女性に髪をすいてもらいながら、ぷっくりとしたお腹をさらけ出し、大きな蛙を背負っている仙人のゆるさもすごい。色使いに加え左右の屏風の内容のコントラストが強烈だ。
目をひくのはそれだけではなくて、たとえば、右隻の龍の巻き起こす旋風の表現の大胆さ! 右手を挙げた仙人の衣服が、龍が巻き起こす風によってたなびいているのだが、その細やかで奇妙な動きのある表現! こうした強弱のあるデフォルメが絶妙なバランスで一つの画面に収まっているということが、『群仙図屏風』にかぎらない蕭白作品の大きな特徴だ。グロテスクともいえるその作品は当時から賛否両論だったようだが、見ているうちに次第に引き込まれていく、絵としての強烈な強さがある。
曾我蕭白『雪山童子図』継松寺蔵
(展示期間:4月10日〜5月6日)
曾我蕭白は、今からさかのぼること約300年前の享保15年(1730)、京都の商家の子どもとして生まれ、天明元年(1781)に亡くなった。ただ、この商家の本姓は三浦といい、蕭白が曾我姓を名乗ったのは、曾我派という室町時代に登場したクセのある、アクの強い画風が特徴の一派にならってのことと考えられている。当時曾我派は忘れられつつあり、蕭白は曾我派の誰かに師事して絵を学んだわけではないようだが、意識的にその画風を取り入れ、新しいものとしてアップデートして世に出したようだ。数多くの画家が活動する京都で台頭するために、きわめて戦略的にそうした、と見ることもでき、そのあたりの事情は現代と変わらない。
そもそも、商家の子どもがなぜ画家になったか? 絵の師は誰であったか? そのあたりのことも詳しくわかっていない。若くして両親が亡くなったことが、絵で身を立てようと考えたきっかけであったともいわれている。師事したともいわれる高田敬輔と画風の共通点は見られるものの、確実な資料は見つかっていない。本展は第1章で「蕭白前史」として、高田敬輔の作品をはじめ、蕭白より生年が早く、画風の近い点が見受けられる画家の展示から始まっているから、それらも合わせて見ると蕭白の個性がよりはっきりする。
蕭白は京都で生まれたが、主に活躍したのは伊勢地方、播州地方だった。京都にはライバルが多かった為といわれ、蕭白はさながら旅芸人のごとく遊歴しながら絵を描き、その後晩年になってからようやく京都に身を落ち着けている。展覧会出品作もそうだが、蕭白作品は水墨画がほとんどで、彩色された作品はごくわずかである。それはもしかしたら蕭白がボヘミアンであったということや、金銭的に恵まれた生活を送っていなかったことに理由があるかもしれない。伊勢地方でのエピソードに、道端で空腹で倒れていて、見つけた人の家に世話になった、というものがある。ところどころで家や寺社に転がり込んで生活の世話になりながら、絵を描いていたようだ。連日飲み食いしながら一向に絵を描かず、催促されたらあっという間に描き上げて去っていった、という人を喰ったエピソードまである。
伊藤若冲『月夜白梅図』個人蔵
本展は国内から集められた蕭白作品が展示されるなかで、「蕭白前史」の第1章に加え、最終章の第3章で「京の画家たち」として同時代に京都で活躍した画家の作品が合わせて展示されている。蕭白同様、日本美術史家の辻惟雄氏が「奇想の画家」と呼んだ伊藤若冲や長澤蘆雪、親しい付き合いがあったという池大雅、ライバル視していたという円山応挙といった画家の作品と合わせて見ることで、蕭白を中心としながら、18世紀日本のアートシーンが浮かび上がる仕掛けになっている。それらは当時の最先端、まさしく「現代美術」だった。ビギナーからコアなファンまで楽しむことができると書いたのはそういう意味で、同時代の画家とも作品を比較しながら、展示解説やテキストにも目を通すとより展覧会を楽しむことができる仕組みになっている。そうすることで、今なおアクチュアルな曾我蕭白の魅力にズブズブと足を踏み入れることになるはずだ。
- イベント情報
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- 『蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち』展
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2012年4月10日(火)〜5月20日(日)
会場:千葉市美術館
時間:10:00〜18:00(日〜木曜)10:00〜20:00(金、土曜)※入場受付は閉館の30分前まで
休館日:5月1日(火)、5月7日(月)
料金:一般1,000円 大学生700円 小・中学生、高校生無料
- プロフィール
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- 曾我簫白 (そが・しょうはく)
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江戸時代の絵師。享保15年(1730年)京都の商家丹波屋の子として生まれる。本姓三浦氏。生涯については資料が少なく不明な点が多いが、10代の頃に続けて両親や兄を亡くしていることが分かっている。仙人、唐獅子、中国の故事などの伝統的な画題を、正統的な水墨画技法を使いながら、その特徴に独特のデフォルメを加えて醜悪に描き出すなど、型破りで破天荒な画風で、当時から「異端」「狂気」の画家と呼ばれていた。伊勢・播磨地方に滞在しながら、多くの作品を残しており、晩年になってやっと京都に居を構えたと伝えられている。天明元年(1781年)没。明治以降は忘れ去られかけていたが、日本美術史家、辻惟雄の名著『奇想の系譜』によって再発見され、近年再評価の気運が高まっている。
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