御年80歳。テキスタイル界の巨匠による、あくなきクリエイション

「人は、この世に生まれ落ちてすぐに布に包まれ、この世を去るときもまた、布に包まれて棺の中で眠りにつく」

展覧会図録にそんな内容の一文があった。確かに私たちは、一生を通して常に布と触れ合っているといえるのかもしれない。綿、麻、絹、ウール、ナイロン……。身の回りには多様な布があふれ、名前から自然と肌触りを思い浮べられるほどだ。しかし、東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の『新井淳一の布 伝統と創生』展で出会う布は、私たちが見慣れたそれらとは趣が異なる。いくら眺めても触感など皆目見当がつかない未知の布……。それなのにピカピカとした未来的な印象ではなく、むしろ遥か古代から存在するような、悠々たる佇まいを感じるのはなぜだろうか?

第一部は繊維の「自己組織化」をテーマにした展示室 『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三
第一部は繊維の「自己組織化」をテーマにした展示室 『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三

これらの布を生みだしたのはテキスタイルプランナーの新井淳一。御年80歳。今も現役で制作を続けている。世界的評価も高く、1980年代は三宅一生や川久保玲などと仕事をともにし、彼らが欧米のファッションシーンに旋風を巻き起こすと、新井の斬新な布にも注目が集まった。今展覧会は新井の60年(!)におよぶ仕事を包括する内容だ。代表作約60点のほか、新作の布を使ったインスタレーションも発表されている。

スリットヤーンを使った布『氷晶』 『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三
スリットヤーンを使った布『氷晶』 『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三

会場は黒と白の対照的な2つの空間と、映像を使ったインスタレーションの3部構成になっている。まずは「自己組織化」と題された黒の空間へ。薄暗い部屋に入ると、新井の代表作である35点の布が、まるで魔法の絨毯のようにふわふわと浮遊し、光り輝いていた。

例えば、怪しい銀色の光を放つのは『氷晶』と名付けられた布。くしゃくしゃと皺がよった表面は硬い鉱物のようだ。この布を編んでいるのはスリットヤーンと呼ばれるアルミニウムの糸で、ポリエステルやナイロンのフィルムに金属を真空蒸着させ、細切りにしたもの。1950年代に京都で開発されたスリットヤーンは繊維業界に革命をもたらした。さらに新井は、布の一部をアルカリ溶液に浸し、一度蒸着させたアルミニウムを溶かして透明に戻すことで模様を描くという、新たな表現も獲得した。続く展示室で見ることのできる、この「メルトオフ(溶解)」という技法は、加工技術上の失敗から発見したのだという。布のあらゆる変化を楽しんで取り入れる、新井の制作姿勢が伝わるエピソードだ。

「縮絨」も新井が好んで試す技法のひとつ。ウールが水、熱、摩擦によって縮む性質を活かしたもので、例えばセーターを洗って縮んでしまった状態がそれだ。新井は「あらゆる物質はそのもの自体で組織や構造を作り出す自己組織化という性質を持っている」と述べており、自然の原理に導かれながら布を生みだすことを仕事の原点としている。新井の布にプリミティブな魅力を感じるのは、原始的な布づくりに敬意をはらいながら、新たな表現を模索しているからにほかならない。

展示室には、ISSEY MIYAKEと新井による1985年のパリ・コレクションの映像や、新井の制作現場を映した映像も流れている。新井のチャーミングな表情、布について熱く語る姿を見ると、布への興味もさらに増す。また実際に布に触れられる仕掛けがあり、視覚とのギャップを感じるのも面白い。

インスタレーション『マワリテメグル』布は金と銀のリバーシブルだ 『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三
インスタレーション『マワリテメグル』布は金と銀のリバーシブルだ 『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三

薄暗い展示室を抜けると、一気に視界が開ける。続いて現れるのは、「精神と祈り」と題された白い空間。巨大な布のインスタレーション『マワリテメグル』は、展示構成を担当した建築家ユニット・DGTの田根剛が新井の新作の布を使って考えたものだ。巨大な布を天井から吊るし、渦巻状の回廊にしている。その中をぐるぐると進んでいくと、中央のぽっかりと開いた空間に辿り着く。光の加減で輝きが変わり、人が歩く僅かな風に揺らぎ、はためく布。ぼんやりと眺めているだけで、心が安らいでいく。布が潜在的にもつ包容力を全身で感じられる体験だった。

インスタレーション『マワリテメグル』の内部 『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三
インスタレーション『マワリテメグル』の内部
『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三

渦からでると、再び新井の代表作が待ち受けていた。メルトオフと色鮮やかな絞りの技法をいかした作風が目立つ。光を透過する薄く軽やかな素材、赤や黒といった力強い色合い。ここでも伝統とモダンが共存する、新井らしい作風に触れられる。そして、その布を掻き分けた先に現れるのが、ギャラリーの壁一面を白い布で覆った『プラクシス』という大作だ。

伝統的な絞りの技法を生かした布 『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三
伝統的な絞りの技法を生かした布 『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三

高さ6m、幅約12mの渦巻く白い布は、咲き誇る花のようにも、湧き上がる泡のようにも、広がり続ける雲のようにも見える。布から放たれる白は目に心地よく、頭のなかを空にして、しばし立ち止まってしまった。

『プラクシス』 『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三
『プラクシス』 『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三

最後に鑑賞者の頭をクールダウンさせてくれるのは、新井が世界中を旅しながら撮った写真と、新井自身が制作について語る音声が交差するインスタレーションだ。写真には、新井が各国で出会ったテキスタイルや民俗学としても興味深い資料が収められている。新井の熱のある語り口に耳を傾けながらゆっくりと歩く。作家の記憶であり、布の記憶、ひいては人類の記憶でもあるこの廊下を通り抜けることで展覧会は締めくくられた。

新井の声と写真によるインスタレーション 『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三
新井の声と写真によるインスタレーション
『新井淳一の布 伝統と創生』会場風景 撮影:木奥惠三

未知の布に遭遇し、「布」の根源的な魅力や役割を考えながら歩いた展覧会は、終わる頃にはまったく違った視点を私に与えてくれていた。現代を生きる私たちは、どういった心持ちで新たなクリエイション、つまり歴史や伝統の新しい1ページを綴っていくべきなのか……。遙かなる布の歴史を遡りながら、最新の技術も手仕事の延長として積極的に取り入れて、60年間も制作を続ける新井淳一。偉大なる先輩がテキスタイルという地平で受け継いだもの、切り開いたものを、自分の戦うジャンルに置き換えて、何度も、何度も反芻したい展覧会だった。

イベント情報
『新井淳一の布 伝統と創生』

2013年1月12日(土)〜3月24日(日)
会場:東京都 初台 東京オペラシティ アートギャラリー(3Fギャラリー1、2)
時間:11:00〜19:00 金、土曜11:00〜20:00(最終入場は閉館30分前まで)
休館日:月曜(祝日の場合は翌日)、2月10日(日、全館休館日)
料金:一般1,000円 大学・高校生800円 中学・小学生600円
※土、日曜および祝日は中学・小学生無料



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