さぁ、タモリを語り合うときが来た

GPS機能さえあれば誰がどこにいるか認識できる時代だが、タモリはそんな機能がなくとも、「今日もあそこにいる」と知られている。あのビルの上で今日もタモリが働いていることをもれなく全員が知っている。大げさな話ではなく、「昼のタモリ」はニッポンの尺度でもあり強度でもある。「タモリが無事に働けている今日」というのは、タモリはもちろん、日本がひとまず平穏であることの証しになる。しかし、「タモリGPS」が起動しているのは昼の1時間だけ。それ以前のタモリとそれ以降のタモリを、私たちは知らない。あるいは土日のタモリを、私たちは知らない。

タモリの常人離れっぷりを捉える動きかけは、10年ほど前の『Quick Japan』特集などの論考、あるいは赤塚不二夫の葬儀で白紙の弔辞を読み上げた翌日以降のワイドショーでの持ち上げ方なども重なり、それほど斬新なことではなくなった。『タモリ倶楽部』に続き『ブラタモリ』の効能もあり、もはやタモリを『笑っていいとも!』だけで捉えようとする人はいない。だが前者の2番組での趣味人としての振る舞いに、趣味の切り売りで自身のブランディングを間延びさせている所ジョージのような「蛇口から出っぱなし」の印象はない。テレビ番組だというのに、積極的には外へひけらかさず、あくまでも内にとどめておく。そのとどめておく感覚も含め、タモリをリスペクトすることが易しい世の中になってきた。「タモリは一癖あるよね」という共通認識が、『いいとも!』以外のタモリを埋め込んでいく。でも、それは仮に埋め込まれただけで、まだ誰もその実体を掴んではいない。繰り返すが、『いいとも!』以外のタモリを、私たちは知らない。

処女小説『さらば雑司ヶ谷』で登場人物に「タモリが狂わないのは、自分にも他人にも何ひとつ期待をしていないから」と語らせた小説家・樋口毅宏による『タモリ論』は、これまで捉えられることの無かったタモリの枠組みを次々と規定していく斬新な試みだ。「人は生きているうちの何度か、人生の通過儀礼として、タモリを刮目して見るときがきます」と断言する樋口にタモリの凄みを感知させた吉田修一『パレード』の一文をここでも引用したい。

「『笑っていいとも!』ってやっぱりすごいと私は思う。1時間も見ていたのに、テレビを消した途端、誰が何を喋り、何をやっていたのか、まったく思い出せなくなってしまう。『身にならない』っていうのは、きっとこういうことなんだ」

前段で記したように、タモリを礼讃するのは簡単、しかし丁寧に見つめていくことは困難。言うならばサングラスの奥、(樋口いわく)「底が見えない底なし沼=タモリ」は、なかなかどうしていつまでも見えてこない。

こんな数値はないけれど、体内タモリ濃度は、皆それほど高くないはずだ。『笑っていいとも!』の視聴率は低迷しているし、タモリがその他に名を背負った高視聴率番組を持っているわけでもない。『あまちゃん』を観てからでないと出勤できない人、『笑点』を観ないと日曜だと感じられない人、というような関心の高さで体にタモリを浸している人はいない。それに加えて、「社会に出る」とはつまり「タモリを見なくなる」ということだから、「タモリ離れ」は個々人の人生において前向きな出来事として付与されることが多い。こうして、あなたを見ないことは望ましいこと、と言われれば、言われた側は不快感を募らせるだろう、しかしタモリは自分がどう評価されるのかに対する興味が無い。「タモリは自分にも他人にも期待しない『絶望大王』である」と樋口が書くように。

本書ではあまり触れられていないのであえて言及してみるが、『ミュージックステーション』でのタモリの振る舞いは、その「絶望大王」としての真骨頂ではないか。年末に行なわれる『ミュージックステーション・スーパーライブ』は4時間超えの生放送 / 40組近いアーティストが登場する特番だが、この豪華アーティストに接するタモリの温度は極めて低い。「えー、この1年どうでした?」「ライブとレコーディングばかりでしたね!」「えー、来年の目標は?」「そうですね、最近、趣味で自転車乗ってるんで遠くまでツーリングに行きたいですね」「えー、それではスタンバイよろしくおねがいしますー」、といった具合。おお、確かに、「自分にも他人にも期待」していない。時間の制約もあるが、わざわざ持ち出してくれた趣味の話に一切触れもせずにスタンバイへと促すのがタモリなのだ。

この本がそのことを強く教えてくれるが、タモリに「共通見解」は存在しない。ビートたけしや明石家さんま、あるいはダウンタウンを語る論法でタモリを見つめても、効果は出ない。タモリの言動から解説を試みても、せっかく少しだけ見えているサングラスの奥がますます見えなくなるだけ。タモリ論を活性化させる方法があるとしたら、「私とタモリ」を大勢で提示し合い、それを集積させたときなんだと思う。つまり、自身の体感にあるタモリが群がって、初めてタモリは輪郭化される。人なつっこさから程遠い芸人なのに、受け手との関係性によってのみ構築されるタモリ。本書は、各々が「私とタモリ」を発する上で、実に刺激的な下準備となる。さぁ、タモリを語り合うときが来た。

書籍情報
『タモリ論』

2013年7月13日発売
著者:樋口毅宏
価格:714円(税込)
ページ数:190頁
発行:新潮社



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