おれたちの肌を切り裂く真実の花弁
嘘や皮肉、果ては駄洒落の嵐の中に、ひっそりと真実の種が蒔かれていることほど怖いことはない。ある種の珍味魚はそれを食すために、ピンセットを用いた事前の抜骨作業を要するという話を聞いたことがある。旨い魚肉の隙間に巧妙に仕込まれた細い小骨たちよ。
前作『プロ無職入門』では「正しさ」「確かさ」の絶対性に疑問符を突きつけ、改めて「無駄なもの」を受容する生き方の可能性を(結果的に、なんとなく)世に問うこととなった高木壮太氏。その待望の新著『荒唐無稽音楽辞典』は、所謂「百科事典」の形式を採った音楽解説本の体裁で、ご丁寧に「あ行」から「ん行」まで、音楽にまつわる様々の事象についての解説が加えてある。その解説の一つひとつは極めて珍奇、全体としてはまごうことなき娯楽本でありながら、通読の後、「荒唐無稽」の嵐の中に散る真実の花弁が、時にガラス片のごとく肌を裂くことを、頼んでもいないのに教えてくれていたことに気づくのである。
由緒正しき「シニカル滑稽本」の系譜
ピアノ:弾いている人の指の上に蓋を落として、演奏家生命を終了させる装置。ギロチンと同じく18世紀のフランスで開発された。
本書はフローベール『紋切型辞典』やアンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』から、アンサイクロペディアに至るまでの類型に示されるような「シニカル滑稽本」である。そこには勿論、嘘(「マイナー・コード:珍しいのであまり知られていないコード」)、皮肉(「バンド:音楽性の不一致を確認するためにミュージシャンが集まること」)、駄洒落(「ソウル・ジャズ:韓国の首都で演奏されるジャズ」)、指摘(「クレズマー:『ドナドナ』が代表曲であるので、ピンサロやパチンコ屋のBGMとしてはふさわしくなさそうである」)、説教(「ニュー・レイヴ:「ニュー」と謳っている以上、オールド・レイヴの呪縛から逃れることは本質的に不可能である」)が跋扈(ばっこ)している。更には、存在しない項への参照を示すことで、高度に裏を読み解かせるスノッブな「参照ギャグ」や、かと思えば唐突な出歯亀の登場に困惑を禁じ得ない「下世話(レッド・ウォーリアーズの項参照)」など、モンティ・パイソン級の豊かなコメディスペクトルを持つ、シンプルに言って強度の高い「笑える本」である。
現実とデタラメの境界線
本書を読み進めていくと、「超知識」とでも言いたくなる、「今まで見たことも聞いたこともないような話で、確かに凄い知識だけど、そもそもそんなこと知って何になるの?」と、開陳された事によって却って謎が深まるような奇妙な知識が、不意打ちのようにいくつも現れる。例えば「ステレオ」の項。
1932年、デューク・エリントン楽団のレコーディングが行われた。当時は1本のマイクでモノラル録音されていたが、このときはスペアとして計2本のマイクが使われ、それぞれから2枚のマスター盤が作られた。ところが手違いでそれぞれが同レコードとして販売された。あるひとが二枚を同時掛けしたところ偶然ステレオで再生されることが判った。よく見つけたものである。
調べてみると、ブラッド・ケイというコレクターが発見し、後に「偶然のステレオ」と呼ばれることになる、ジャズファンやレコードコレクターの間では多少有名な逸話であるとのこと。この手の薀蓄(うんちく)が、荒唐無稽と並列で登場することに奇妙な味わいがある。つまり、ここにも仕込まれているのだ、小骨が。
先の例で言えば、ピアノは、演奏者の指を破壊する凶器ではないのである(ご存知でしたか?)。しかしながら、この一片の荒唐無稽の中には、たったひとつ、「ピアノは18世紀に発明された楽器である(バルトロメオ・クリストフォリというイタリアの楽器製作者が、1709年頃に開発した改良型チェンバロが最初のピアノであると言われている)」というささやかな真実が巧妙に仕込まれている。「うむ。また一つ、物知りになった」とかしたり顔で独りごちている場合ではない。「嘘をつけ」とへらへら読み飛ばしていく間に徐々に知識の遠近法が狂い、まるで夢日記をつけているような不吉な予感をもって、いつの間にか現実と妄想の境界線が薄れていることを発見するのである。
更にちょっと恐ろしいのは、本書から「滑稽な与太話を書いて皆を大いに笑わせてやろう」というある種のストレートで純朴な剽軽(ひょうきん)さを湛えた「サービス精神」があまり見えてこないこと。むしろここにあるのは、四方八方にねじれまくり定まらない視線で、暴力的な超博識やシニカルなギャグ、「荒唐無稽」を開陳して混乱させているような異常事態。その結果として、所謂「スターシステム」を前提として設計・構築されてきた「音楽業界」が後生大事にガードしてきたアキレス腱を砕き、その本来の「まぬけ」を晒すことになる。その様は、音楽という虚構の風車に、ついに現実の槍を突き立てたドン・キホーテの所作のように見えなくもないだろう。
さあ、旅立とう。混乱した駄知識の海へ
繰り返す。嘘や皮肉、果ては駄洒落の嵐の中に、ひっそりと真実の種が蒔かれていることほど怖いことはない。我々は人生を通して、大脳皮質に張り巡らされたニューロンを一本一本手繰り、ちっぽけではあるがしかし本人にとっては広大な、記憶で構成された地図、言わば「マイ・アカシック・レコード」を築き上げる。そして、本書のような劇薬は、密やかにその混線を招く。「正しさ」「確かさ」の正義が揺らぐスリリングな展開は、前作から一貫した著者・高木壮太の作家性でもあるが、本書は本来有用であることが求められる「百科事典」というフォーマットを使って、よりラディカルに我々の知識体系~受容姿勢に揺さぶりをかけてくるのである。そもそも、以下のような注意文で始まるのが本書なのだ。
説明文は項目の説明のつもりですが、まったく関係ないことも書いてあります。編纂者の異常な精神のあり方とご理解ください。(凡例より)
あなたの人生には不必要な知識がここに詰まっている。そんな有害図書を手にするのは、非常識な大人の贅沢と言えるかもしれない。
- 書籍情報
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- 『荒唐無稽音楽事典』
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2014年3月31日(月)発売
著者:高木壮太
価格:1,000円
発行:焚書舎
- プロフィール
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- 高木壮太 (たかぎ そうた)
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1968年徳島市生まれ。高校中退後、さまざまな職に付かず、やりたくない事から死に物狂いで逃げ回るうちに、鍵盤奏者としての活動へスライド。本業なき副業として、GREAT3やボニーピンク、YUKI、エルマロから和田アキ子までのサポート/レコーディングを経験。世界十カ国での巡業では、シンセサイザーによる想像を絶する騒音を残し、現地の耳鼻科医たちから注目を浴びる。中年に差しかかり、聴覚の衰えをものともせずにサイレント映画の創作に没頭。2010年には、ついに初のトーキー作品『RAWLIFEとその時代』を完成させるも、さまざまな方面からの非難を浴び、現在逃亡中。2012年、処女著作「プロ無職入門~高木壮太の活ける言葉」を上梓。
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