9時間27分のドキュメンタリー、戦後70年の日本で「ホロコースト=大量虐殺」を問い直す意味

今、9時間27分に及ぶドキュメンタリーが問うもの

第1部154分、第2部120分、第3部146分、第4部147分、全篇9時間27分にわたる、クロード・ランズマン監督のホロコースト(ナチスによるユダヤ人の大量虐殺)を問うドキュメンタリー『SHOAH ショア』。3年半かけて350時間もの聞き取りを行なったランズマンの代表作が、その他2作品と併せて渋谷シアター・イメージフォーラムで3週間限定公開されている。朝10時台に第1部が始まる日に第4部まで続けて観れば、終わるのは21時すぎという超大作だ(各部の上映時間は変動。詳細は公式サイト参照)。

600万人もの人々が殺戮された悪しきホロコーストの歴史を、当事者の声を集めて見つめ直すドキュメンタリーである。ナチスの収容所から奇跡的に生き延びたユダヤ人の記憶に寄り添い、そのユダヤ人をいたぶり続けたナチス親衛隊員を問い質し、収容所へ連行されるユダヤ人をただただ見届けるしかなかったポーランド人に当時の真意を尋ねる。いかなる歴史にも公平な視点などあり得ないが、出来うる限りの肉声と向き合い、歴史に複眼を注いでいく。強制収容所から生き延びた者たちが口を割る。「ドイツ兵は『死者』だとか『犠牲者』という言葉を禁じていた。丸太と同じだ、ろくでもない、まったく何の役にも立たない、何も値打ちもないのだ、と」。あらゆる声を集めながら、ホロコーストとは何だったのかをじっくり浮き上がらせる。

『SHOAH ショア』 © Les Films Aleph
『SHOAH ショア』 © Les Films Aleph

センセーショナルな歴史は「本当に存在したのか」に向かう

この作品自体は1985年に公開されたが、日本で初めて上映されたのは95年のこと。阪神大震災、オウム真理教による無差別テロが相継いだこの年は、終戦50年にあたる年だった。このことをランズマンは「広島と長崎の原爆によって突如切断され、いわば“暗殺”され、なすところを知らぬまでに自失していたみずからの“記憶”への問いかけを、日本人が再び始めようとする時期にあたったのは、偶然の符号だろうか」と語っている(クロード・ランズマン著、高橋武智訳『SHOAH ショアー』作品社)。それから20年が経ち終戦70年を迎える今年、改めて公開されるその意味合いは、20年前と変わらないどころか、増してしまったのではないか。

ランズマンは、ホロコーストについて「多くの理由で伝説的になっており、神話的物語の次元に等しくなっている」と指摘している。歴史がセンセーショナルに語られると、いつしか史実を裏付けてきた数値や声を疑うような働きかけが起こる。「どんな神話の場合にも起こることだが、ますます大勢の強靭な批判精神の持ち主たちが、『結局のところ、はたしてあのことは存在したのか』という疑問を提出するに至るのだ」。ホロコーストについて「600万の神話」や「アウシュビッツの嘘」といった本が次々と書かれたことに、ランズマンはこのように苦言を呈していた。今、日本の書店へ足を向ければ、従軍慰安婦を中心に、「そんなものは本当に存在したのか」と豪快に煽る書籍や雑誌が山積している。それらの煽りに同調するかのような政治の中枢も含め、ランズマンの苦言がそのまま的中してしまったかのような現在にある。

「あなたが指を切ったって、私が痛い思いをするわけじゃない」

作家・曽野綾子が、「移民を受け入れるにしても、人種で分けて居住させるべき」と新聞コラムに書き、あたかもアパルトヘイトを称揚するかのようだと批判を浴びている。言語道断の暴言だが、彼女はその後でこのコラムについて「差別ではなく区別である」と弁明した。この映画を観ると、彼女の「言葉の綾」の横暴さが見えてくる。この長大なドキュメンタリーは、差別は区別から始まることを教えてくれる。ホロコーストほどの残虐な行為であっても、焦点を絞り込めば、自分達と誰かを区別する意識を起点としていた。区別が積み重なり、いつしかとてつもない差別へと膨れ上がっていった。

列車に詰め込まれて強制収容所に運ばれてくるユダヤ人の様子を、毎日のように見届けていたポーランド人にランズマンは問う。「(強制連行が)目の前で進行しているあいだも、ずっと、普通に、日常生活を続けていたんですか? やはり、畑を耕していたんですか?」。ポーランド農民は「もちろん」と答えて続ける。「あなたが指を切ったって、私が痛い思いをするわけじゃない」。別の農民は、収容所の一部に畑を持っていた。収容所の中から叫ぶ声が聞こえた。しばらくのうちはやりきれなかったが、そのうち慣れてしまった。「今から思うと考えられない。でも事実です」。

『SHOAH ショア』 © Les Films Aleph
『SHOAH ショア』 © Les Films Aleph

良かった時期より悪かった時期を忘れ、記憶を抑圧する

アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の所長だったルドルフ・ヘスは、家族思いの男性で、わざわざ家族を呼び寄せて収容所内の家で暮らしていたそう。そんな彼は毎日のようにガス室で多くのユダヤ人を抹殺しに行った。「あの頃のナチスはなんと鬼畜だったのか」と歴史を閉じてしまうのは簡単。しかし、語り手が重なっていくにつれ、そこにいた加害者、被害者、傍観者、それぞれの困惑と麻痺が見えてくる。この困惑と麻痺を剥がせば、彼らはいたって普通の人々であったはず、とも気付く。

ワルシャワ・ゲットーのナチ司令官だった、フランツ・グラスラー博士は、その殺戮の時代をあまり思い出せないと言う。「その時代より、戦前に登った山歩きをよく憶えている。人間は、良かった時期より悪かった時期を忘れやすいもの。記憶を抑圧するんです」。麻痺によって起こした行動を、抑圧して消そうとするのだ。

「非道な連中だから」だけでいいのか

強制収容所から生還を果たしたヴィクトール・E・フランクルは『夜と霧』を通して、「人には決して奪われぬものがある、と。一つは、運命に対する態度を決める自由。もう一つは、過去からの光だ」と伝えた(河原理子『フランクル「夜と霧」への旅』平凡社)。ガス室で床屋として働かされていた男性アブラハム・ボンバは、ガス室に入る直前の女性たちの髪の毛を切る役を命じられた。スムーズに殺すために、ここから出ていけると女性に勘違いさせるような振る舞いを強要された。無論、実際はガス室に直行だ。同じく床屋として働かされていた友人の前に、その友人の妻と子がやってきた。今が人生最後の瞬間なのだと口にしたら、彼もまた、たちまち殺される。1分でも1秒でも長くいようと、出来る限りのことをする。「ただただ、彼女らを抱きしめ、キスをするために。これが最後の見納めと、わかっていたからだ」。運命に対する態度、その自由は確かに奪われなかった。

「イスラム国」による残忍な犯行が続く。義憤を覚える。同時に、この映画を観ていると、彼らのような存在を「非道な連中だから」という見解のみで結論づけてしまうことに危うさを覚える。善きことと悪しきことを教科書的に区別することは出来ても、そのまま善人と悪人として区別してしまっていいのかどうか。

加害者と被害者と傍観者が混在してくる

9時間半という長丁場を通して、ランズマンは、あくまでも過去ではなく現在を抽出しようとした。その証しに、ドキュメンタリーが多用する過去の映像を一切使っていない。現在の記録だけで、ホロコーストを再現していく。インタビューを9時間半、というタフな上映時間も手伝って、観ているうちに加害者と被害者と傍観者が混在してきてしまい、残忍な経験談がどんどん蓄積していくというのに、善悪が明確になるどころか混在してくる。歴史と今一度向き合うべき戦後70年の今年、勝手に縁遠いつもりでいた過激派から名指しで敵視されている現在、この映画を9時間半かけて観る意義は高まっている。

参考文献
クロード・ランズマン / 高橋武智・訳『SHOAH ショアー』(作品社)
河原理子『フランクル『夜と霧』への旅』(平凡社)
早乙女勝元・編『母と子でみるアウシュビッツ』(草土文化)
森達也『すべての戦争は自衛意識から始まる』(ダイヤモンド社)

作品情報
『SHOAH ショア』

2015年2月14日(土)~3月6日(金)
渋谷シアター・イメージフォーラムにて3週間限定公開
監督:クロード・ランズマン

プロフィール
武田砂鉄 (たけだ さてつ)

1982年生まれ。ライター / 編集。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!ニュース個人」「マイナビ」「LITERA」「beatleg」「TRASH-UP!!」で連載を持ち、「週刊金曜日」「AERA」「SPA!」「beatleg」「STRANGE DAYS」などの雑誌でも執筆中。著書に『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)がある。



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