閉店するリブロ池袋本店は、いかにして「書店文化」を作り続けたのか

「『文化』というものは無駄と無理の果てにあるもの」

大型書店・リブロ池袋本店がこの6月で閉店となる。毎日新聞(2015年3月4日)の記事によれば、リブロは2014年2月期決算で最終利益を2年ぶりに黒字計上していることなどからも、経営悪化による閉店ではなく、親会社との兼ね合いが呼び込んだ閉店なのではと言われている。

閉店の報を受けて、Yahoo!検索のリアルタイムランキングのトップに「ニューアカ」が躍り出た。リブロ池袋本店の存在感を改めて示すのが「ネットの検索結果」だったというのは、皮肉めいてはいるものの象徴的な現象だった。リブロ池袋本店は、1980年代初めに起きた人文書の潮流「ニューアカデミズム」を、先陣を切って紹介する書棚作りで知られていた。浅田彰『構造と力』、中沢新一『チベットのモーツァルト』などがニューアカの代表的な書物とされるが、特定の書物への評価は勿論、書店の現場からの発信でムーブメントが起きたことに大きな意味があった。リブロの「ニューアカ」棚を作り上げた書店員として知られる今泉正光の著書『「今泉棚」とリブロの時代』(論創社)には、当時書店で展開していたフェア冊子「現在知の海図」が付録として復刻されている。その宣言文にはこうある。

個別の学問として多様な展開をしてきた哲学、生物、数学等が、一点に凝縮し、ひしめきあっているのです。私達は、思想の現在が持つ課題の拡がりと深さ、即ち思想の坩堝をつかみ取ろうと試みました。(中略)独自な思索が誕生するプロセスをダイレクトに展開すること、それが今回のささやかな試みの第一歩です。

この紹介文にあるように、リブロ池袋本店は「独自な思索が誕生するプロセスをダイレクトに展開する」場所だった。ただ大きな書店がなくなるのではなく、そういう場所が消えていく事実はしみじみ悲しい。今泉と同じく、リブロ池袋本店の中核を担った書店員・田口久美子は「『文化』というものは無駄と無理の果てにあるもの、と私は無謀にも考えている。実は本心では無謀でさえない、と思っている」(『書店不屈宣言』)と書いている。その手の無駄と無理を、書店主導で作り出してきたのがこの店だった。

ムーブメントの原動力となったのは、イチ書店員の反骨心

西武百貨店から独立し、リブロがスタートしたのは1985年のこと。元々は75年に堤清二(西武グループ創業者・堤康次郎の次男であり、セゾングループの創業者)が池袋の百貨店内に書店を作らせたことに端を発する。彼が手掛けてきたセゾン文化の中心として池袋本店は増床を重ね、現在の床面積約3300平方メートルの巨大書店に到った。

今泉の著書によれば、1970年代後半までは、日本一の百貨店を目指していた西武百貨店から、書店は「採算が合うとは思えない」「タバコよりも利益率が低い」と冷淡な扱いを受けていたという。今泉は、西武百貨店の子会社的な位置にあったスーパー西友の書籍売場から百貨店の書籍売り場に異動してきた人物。周囲からは「西友上がり」と意地悪い冷たい目で見られていたこともあり、「余計にやってやろうじゃないかと思った」と奮い立った。イチ書店員の反骨心が確かなムーブメントに繋がったのだ。

図書館の返却ポストを設置することで、人を呼び寄せる施策を始めた書店

どこでもいいのでターミナル駅に隣接する複合ビルを思い起こしてもらいたい。とりわけアパレル系はものすごい勢いでテナントが流動しているはずだ。一定期間のうちに利益を出さなければ、すぐさま次の店に入れ替わる。管理する側は、血液サラサラな体を保つかのように好調なテナントだけを残したい。そんな複合ビルの中において、書店は「人を呼び寄せる」装置であり、ビル全体の「文化的イメージを引き上げる」装置でもあるため、アパレル系のテナントが即座に求められるような利益率を度外視されてきた。

しかし、最近では度外視が許されるはずもなく、書店でも様々な施策が目に付くようになった。千葉駅そばの「そごう」にある三省堂書店そごう千葉店では、今月7日から、政令市では初となる図書館の返却ポストの設置を始めた。公共図書館と公民館図書館で借りた本の返却場所を書店が提供するのは異例だが、少なくとも本に興味を持っている人にお店に来てもらう機会を作るという判断なのだろう。千葉市の中央図書館管理課は「書店に図書返却ポストを設置することで、図書館以外にも本に触れる機会を増やし、おはなし会を実施するなど、市民の読書環境の向上につなげる」としている。ここからは憶測でしかないが、お店にとってみれば、そごう側に対する「人を呼び寄せる装置」としての新たなPRにもなるのだろう。

「場所」としての機能、「闘技場」としての温度感

全国の公共図書館の貸し出し冊数はこの20年間で倍増している。TSUTAYAを経営するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)が佐賀県武雄市で公共図書館の運営に乗り出したが、このような事例はこれから増えてくるだろう。与那原恵は「現場ルポ『民営化』の危険な罠」(『文學界』2015年4月号)の中で、公共図書館の資料費決算額がこの20年で総額25%も減ったことを指摘している。図書館のベストセラーの大量購入はすでに問題視されてきたが、民間会社が公共図書館を運営するようになれば、限られた予算の中で効率よく読まれる本ばかりが購入されることになる。となれば、図書館もまた、田口が言う「無駄と無理の果てにあるもの」からは遠くなってしまう。

ジュンク堂書店難波店店長の福島聡は、『現代思想』(2015年2月号 / 特集:反知性主義と向き合う)に寄せた論考の中で、「書物が喚起した議論が実り豊かな結果を産み出す、活気に満ちた『闘技場』でありたい」とし、書店とは闘技場(アリーナ)であると力強く書いている。「紙の本か電子の本か」という議論はいたずらに続くが、この手の「どちらが生き残るのか」という議論を早速こぼしてしまうのが、福島が指摘する、書店が持つ「場所としての機能」であり、「闘技場としての温度感」だろう。

読書の未来は「読む」という行為を取り戻せれば、それでいいのか?

Amazon Kindleの開発者であるジェイソン・マーコスキーは、おそらく逆説的に自著のタイトルを『本は死なない』としたはず……と書いてから原題を確かめたら『Burning the Page: The eBook Revolution and the Future of Reading』(直訳:ページを燃やす 電子書籍の革命と読書の未来)だった。この本の中で彼は、「映画やビデオゲームは収益性や特殊効果の面では本より優れているが、世界に入り込める度合いに関しては、本に勝るものはない」とした。読書の未来は「読む」という行為を取り戻せるかにかかっているとするが、彼の指摘には「場所」が持つ特性についての議論が欠けている。そもそも、そのような特性を必要としていないのだろう。

何度でも繰り返してしまうが、「『文化』というものは無駄と無理の果てにあるもの」という声に頷きたくなる。無駄や無理を最適や効率で消していく企業スタイルは、闘技場に起きる活気を非効率であると断じて、利便性を追い求める。リブロ池袋本店は、その手の利便性に逆らった、用もなしにふらりと立ち寄ると意識が必ず覚醒するような、そんな書店だった。閉店の報が、ただただ残念だ。

参考文献
今泉正光『「今泉棚」とリブロの時代』(論創社)
田口久美子『書店不屈宣言』(筑摩書房)
『文學界 2015年4月号』(文藝春秋)
『現代思想 特集:反知性主義と向き合う 2015年2月号』(青土社)
ジェイソン・マーコスキー / 浅川佳秀訳『本は死なない』(講談社)

プロフィール
武田砂鉄 (たけだ さてつ)

1982年生まれ。ライター / 編集。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!ニュース個人」「マイナビ」「LITERA」「beatleg」「TRASH-UP!!」で連載を持ち、「週刊金曜日」「AERA」「SPA!」「beatleg」「STRANGE DAYS」などの雑誌でも執筆中。著書に『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)がある。



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