モノクロームの恐るべき映像パワー、昨今のポーランド映画が国際的な評価を受けている理由

再び注目を集めるポーランド映画の勢いを象徴する1本

パヴェウ・パヴリコフスキ監督の映画『イーダ』(2013年)が、今年の『アカデミー賞外国語映画賞』に輝くなど、にわかに注目を集めているポーランド映画。アンジェイ・ワイダやイェジー・カヴァレロヴィチを筆頭に、1950年代から60年代にかけて世界を席巻した「ポーランド派」と呼ばれる監督たちは、第二次世界大戦及び、ドイツ占領期間における「ポーランドの歴史の複雑さ」を描き出す芸術的なムーブメントを展開。あるいは、ロマン・ポランスキー(1933年生まれ、代表作に『戦場のピアニスト』など)やクシシュトフ・キシェロフスキ(1941年生まれ、代表作に『ふたりのベロニカ』など)といった世界的な人気を獲得した監督など、ポーランド映画の歴史は、これまでも広く知られていた。現在公開中の映画『パプーシャの黒い瞳』(2013年)もまた、そんなポーランド映画の層の厚さと勢いを象徴する1本であると言えるだろう。



息を呑むロングショット、圧倒的なモノクロームの映像美

映画祭での上映を除けば、日本公開されたのは『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』(2004年)のみだが、ポーランドで最も権威のある映画祭、『グディニャ・ポーランド映画祭』で『借金』(1999年)と『救世主広場』(2006年)で2度のグランプリに輝くなど、ポーランドの「知られざる名匠」であるクシシュトフ・クラウゼ。昨年末、61歳で惜しくもこの世を去った彼が、妻ヨアンナ・コス=クラウゼと共同監督した最後の映画、それがこの『パプーシャの黒い瞳』だ。本作で彼が描いてみせたのは、歴史上初のジプシー女性詩人、ブロニスワヴァ・ヴァイス(1910〜1987年)。「パプーシャ」の愛称で呼ばれた女性の波乱に満ちた生涯だ。

クシシュトフ・クラウゼ、ヨアンナ・コス=クラウゼ監督 ©ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013
クシシュトフ・クラウゼ、ヨアンナ・コス=クラウゼ監督 ©ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

『パプーシャの黒い瞳』 ©ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013
『パプーシャの黒い瞳』 ©ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

まず、誰もが圧倒されるのは、解像度の高いモノクロームによって描き出される、その情景の美しさだろう。冒頭、俯瞰で撮られた街の様子。あるいは、月明かりに照らされた女たちの神話的な構図。

『パプーシャの黒い瞳』 ©ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

『パプーシャの黒い瞳』 ©ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

特に、監督たち自らが画家のピーテル・ブリューゲルの名前を借りて「ブリューゲル・フレーム」と名付けた、ロングショットで描き出される風景――完璧な構図のもと、まっすぐ広野を進むクンパニアの隊列や水際の美しさは、まるで1枚の絵画のようですらある。ジプシーの言葉が台詞のほとんどを占め、白黒の長編叙事詩である同作はなかなか製作予算が集まらず苦労したそうだが、監督夫妻と旧知の友人であるハンガリーの映画監督、タル・ベーラからの助言が彼らを支えたという。「意思を曲げずに作るべきだ」と。そんなタル・ベーラの『ニーチェの馬』同様、徹底した美学に貫かれながらも、どこか幻想的な雰囲気を湛えた、長回しを主体としたモノクロームの映像。さらに、監督夫妻は、実際にパプーシャが見た、かつてのポーランドの失われた風景を再現するため、CGを使用することもためらわなかったという。「できる限り美しい映像を求めました。私たちが映像にしようとしているのは、永遠に失われた世界だからです。50年代のポーランドのシュテットル(ユダヤ人の共同体。ナチに一掃された)のように」(ヨアンナ・コス=クラウゼ)。

『パプーシャの黒い瞳』 ©ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

『パプーシャの黒い瞳』 ©ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

だが、そんな息をのむような美しさの中で静かに描き出されるパプーシャの人生は、なかなかどうして複雑である。というのも、第一次大戦後の国家復活からクーデターによる独裁体制、第二次大戦時のナチスによる侵攻、そして共産党独裁体制の樹立など、パプージャが生きた時代のポーランドは、めまぐるしく変化し続けた国だったからだ。この映画では、「ポーランドのジプシー」というこれまであまり知られていなかった存在が直面した悲劇……1つはナチスによるホロコースト、もう1つは強制的な定住化政策についても描かれ、ヨーロッパの風景の中に消えてしまったジプシーの暮らしを再構築している。

昨今のポーランド映画が、国際的な評価を受けている理由

しかし、監督自ら「この映画は、『ニキフォル』と同様の意味で、伝記的作品ではありません。社会政治的な映画でも、民族学的な野心を持った映画でもありません」と語っているように、本作にとって重要なのは、当時のジプシーたちが置かれていた社会的な状況や、そこに生きたパプーシャの人生を、理解することではない。むしろ、本作が描きたかったのは、純粋な「表現」が生まれる状況と、それが人々に与える影響――翻ってそれが表現者にもたらすリスクなのだから。

詩人になろうなんて、ただの一度も考えたことがなかったにもかかわらず、なぜ彼女は自らの思いを「詩」に託さなくてはならなかったのか? 15歳で挙げた結婚式の日、彼女の頬を伝う涙の切実さとは、何を意味するのか? あるいは、ベンチに腰掛けた彼女が思うのは、一体いつの日の誰のことなのか? それをこの映画は、決してクロースアップや会話に頼ることなく、豊饒なイメージを喚起させる美しい映像とともに、1つの壮大な「叙事詩」として描き出そうとしているのだ。

『パプーシャの黒い瞳』 ©ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

『パプーシャの黒い瞳』 ©ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

先ほど引用した文章に続けて、監督は次のように述べている。「私たちは、創造することの勇気について、それに伴う孤独と痛みについて、さらには報われない愛情について、そして人間の幸福について描いたのです」と。

「ポーランドのジプシー」という複雑な背景から、「表現」に関する普遍的な何かを取り出し、それを圧倒的な美しさとともに提示してみせること。思い起こせば、『イーダ』もまた、綿密に設計された静謐なモノクロームの映像によって、ポーランドにおけるユダヤ人差別の問題という複雑な背景から、ある種の普遍性を提示してみせるような映画だった。

昨今のポーランド映画が、国際的な評価を受けている理由。それは、圧倒的な映像美の背後に存在する、ポーランドの監督の気骨と矜持によるものなのではないだろうか。『イーダ』の世界的な評価はもとより、『カティンの森』(2007年)、『ワレサ 連帯の男』(2013年)といった作品で、今改めてポーランド現代史を描き出そうとする御大アンジェイ・ワイダ。『毛皮のヴィーナス』(2013年)など、近年もコンスタントに作品を撮り続けているロマン・ポランスキー。『アンナと過ごした4日間』(2008年)で17年ぶりに監督復帰を果たした後、精力的に活動を続けているイエジー・スコリモフスキ。さらには、今年『幸せのありか』(2013年)が日本でも公開されたマチェイ・ピェプシツァや、間もなく『イマジン』(2012年)が日本公開されるアンジェイ・ヤキモフスキといった中堅どころまで、気がつけばズラリ並んだポーランド出身のシネアスト(映画人)たち。今再び、ポーランド映画は、隆盛のときを迎えようとしている。『パプーシャの黒い瞳』は、そんなポーランド映画の地力を知る上でも、まさに必見の1本と言えるだろう。

作品情報
『パプーシャの黒い瞳』

2015年4月4日(土)から岩波ホール、第七藝術劇場、名演小劇場ほか全国順次公開中
監督・脚本:ヨアンナ・コス=クラウゼ、クシシュトフ・クラウゼ
出演:
ヨヴィタ・ブドニク
ズビグニェフ・ヴァレリシ
アントニ・パヴリツキ
配給:ムヴィオラ



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