音楽の歴史は「騒音」との戦い。人は何を「騒音」と判断してきたのか?

音楽が「騒音」とされることに異議を唱えてきたロックバンド

ロンドンの中心部にある公園「ハイドパーク」ではこれまで多くのロックコンサートが行なわれてきたが、その立地条件ゆえに、地域住民からの騒音に対するクレームと向き合い続けてきた。かといってミュージシャン側もただ単純に音量を下げるといった妥協をしてきたわけでもない。近い例では、2013年にこの地でライブを行なったThe Rolling Stones、むしろ観客から同会場でのライブで音が小さかったことへのクレームを受け、「一帯にクレーン車を並べて、公園で3日間イヴェントを開いたんだよ。そこでおよそ1万件の音量のサンプリングを計測して、それをもとにして5種類のサウンド・システムで音を出してみた」(イベンターのジム・キング / 「RO69」2013年8月13日の記事より)というから驚く。結果として、騒音の苦情はたったの1件だったそうだ。

東京ドームなど完全に密封されていない会場では、ロックコンサートとなれば地域に漏れる騒音に十分な注意を払うと聞くし、建て替えの前に大規模ライブをやるようになった国立競技場では、地域住民からの新国立競技場建設反対の声明の中に「コンサート時の騒音」が組み込まれていた。世界の歴史を「騒音」という着眼から考察した大著『騒音の歴史』を紐解くと、音楽が作り出した騒音にまつわるトピックが時折出てきて面白い。1969年に、ユネスコの国際音楽評議会が発表した「誰にでも静けさを得る権利がある。なぜなら、私的及び公共の空間で、録音あるいは放送された音楽が濫用されているからだ」という宣言に異議を唱えたとされるのが、先述のThe Rolling Stones。同年発表のアルバム『Let It Bleed』に「このレコードは大きな音で再生すること」と書き、それに影響されたデヴィッド・ボウイは『Ziggy Stardust』に「最大音量デ再生セヨ」と記した。

ギネス記録「世界で最もうるさいバンド」が施した、クリアでノンストレスなサウンドシステム

ロックが誕生するまで音楽の騒音問題がなかったわけではないが、音の大きさを表す単位・db(デシベル)で約100dbといわれるロックコンサートの存在は、音楽と騒音を直接結びつける存在になった。本書にある図表「騒音レベルの目安」に準じれば、「7メートル先を時速40kmで走る大型トラック=さらされ続けると聴力低下のおそれがあるレベル」である80dbを上回っているし、時として「最大可聴値(痛覚の閾値)」である120dbを超えてしまう厄介な産物なのだった。

メタルバンドのManowarは、「世界で最もうるさいバンド」としてギネス記録に登録された後に、「聴覚障害を促すおそれがある」としてカテゴリーごと廃止された経緯を持つが、その時の記録が139db。つまり、「聴覚」というよりもはや「痛覚」なのであった。しかし、昨年21年振りに来日した彼らのライブに足を運んでみれば、最適なサウンドシステム作りに年月を費やした成果か、異常な音量ながら耳に過剰なストレスがかからない、クリアな音作りをしていた。

音における快・不快のボーダーライン

この『騒音の歴史』が重ね重ね教えてくれるが、「人が何を騒音と思うのか?」には定義がない。鼓膜が破れそうなほどの大音量を心底「快楽」と思う人もいれば、カフェの雰囲気作りのために静かに流されるボサノヴァがどうしても「不快」と感じる人もいる。音における快・不快のボーダーラインは、共通の定義を設定することができない。

音楽というものが生活空間と調和するためには、「サウンドスケープ(音環境)に人為的な操作を加える」、つまり、環境音楽・BGMの誕生を待たねばならなかった。本書で著者がこのサウンドスケープを元から持っていた国と名指ししたのが日本である。日本では、「サウンドスケープという概念が一般に広まっており、望ましくない音を扱うための明確なアプローチとしてはヨーロッパやアメリカよりも認知度が高いようだ。これは、水の音を使った水景設備が古くから日本庭園に導入されていることと関わりがあるのかもしれない」と鋭い指摘をしている。

金を払ってもらえるまで高級住宅街で大きな音をたてて演奏を続ける者

歴史を振り返ると、19世紀には世界各地で街頭音楽師(今でいうストリートミュージシャン)が規制されていたという。パリでは1816年にストリートオルガンが違法とされたし、ニューオーリンズでは1856年に市議会が騒音反対条例を可決し、「市内のあらゆる通りや公共の場所において太鼓を叩く、ホルンを吹く、トランペットを鳴らす」ことが違法となった。ロンドンでは、まったく酷いことに、街頭音楽師は押し並べて外国からの侵入者だとひとくくりにされ、行政が雑誌などを通じて彼らを排斥させる声を広めたという。

とはいえ、中には本当に面倒な音楽師もいたようで「騒音を武器にして、金を払ってもらえるまで高級住宅街で大きな音をたてて演奏を続ける者もいた」というから大迷惑。『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』などの著者である小説家チャールズ・ディケンズも、この街頭音楽師について「邪魔をされ、悩まされ、不安を覚え、うんざりして気が狂いそうだ」と書き、頭を抱えていたという。

「耳ざわりな不協和音は音楽の歴史的発展の鍵である」

最近では、日本でも大きな駅の駅前を通りかかれば、それなりに大きなアンプを持ち込んだストリートミュージシャンの姿を見ることが増えてきた。しかし、基本的にはわずらわしいものとして社会的にジャッジされる向きはまだまだ変わらない。(道路交通法に準じた形での)アーティストのゲリラライブも少なくないが、街中で無節操に鳴らされる音楽に対して寛容というわけではない。多くの人にとってはまだまだ騒音だ。

「騒音(noise)」の語源は「吐き気(nausea)」であり、本書で紹介される調査によれば、嘔吐の音は「世界で最も人気のない音」なのだという。騒音は、けっして待望されていない不協和音なのだ。しかし、著者の宣言が頼もしい。「耳ざわりな不協和音は音楽の歴史的発展の鍵であり、(中略)不協和音のない音楽など、耐えがたいほどつまらないに違いない」。無論、騒音問題についてはケースバイケースで対策が練られるべきだが、騒音の歴史を調べ尽くした著者が、不協和音についてこのように断言しているのは勇ましい。音楽が、とりわけロックが培ってきたものは「反抗の歴史」に違いないが、本書を読むと「騒音の歴史」という側面が新たに見えてくる。音楽にまつわる記載はごく一部だが、騒音と音楽はいつの時代も仲睦まじかったことが読み解ける。

プロフィール
武田砂鉄 (たけだ さてつ)

1982年生まれ。ライター / 編集。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!ニュース個人」「マイナビ」「LITERA」「beatleg」「TRASH-UP!!」で連載を持ち、「週刊金曜日」「AERA」「SPA!」「beatleg」「STRANGE DAYS」などの雑誌でも執筆中。著書に『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)がある。



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