CINRA.NET編集部が、ジャンルにかかわらず素晴らしい表現・伝えたいカルチャーを毎月選出する「今月の顔」。
6月の「顔」は、6月26日に4thフルアルバム『boys』をリリースしたMy Hair is Badだ。恋、青春、身も蓋もない本音を赤裸々に曝け出すことでひたすら人生に誠実であろうとする歌は、どのようにして聴く人の心を撃ち抜いてきたのか。CINRA.NET初登場であるからこそ、マイヘアの歌はなぜこんなにも狂おしくて日々を奮わせるのかを書き尽くそうと、マイヘア・ロングライナー3本と『boys』全曲レビューで構成した特別企画だ。さらには『boys』収録曲“化粧”のMV撮影時のメイキング写真も初出し、ギターボーカル・椎木知仁から直筆コメントも寄せてもらった。「CINRA.NETにとってのマイヘア」も「マイヘアにとってのマイヘア」も全部盛りにしたMy Hair is Badストーリー。さあさあ、一気に駆け抜けるように読んでください。
My Hair is Badは誰にもわからない言葉と気持ちを「翻訳」する テキスト:小川智宏
人の日記を覗き見るような気恥ずかしさでもって、僕たちはMy Hair is Badの歌を聴いてきた。SNSの短いテキストでは書ききれない、もってまわった気持ちの動きとささいな出来事の積み重ね。本人以外にとってはどうでもいいことが、どうでもよくなくなる瞬間に出会うために、プレイボタンを押す。その曲の主人公にシンクロするというよりも、主人公の友人になったような感覚で。チェーンの居酒屋かファミレスのボックスシートで友達から結局何を言っているのかわからないような愚痴か相談を受けながら、じつはそいつを羨ましく思う。たとえていうならそんな気分で、僕たちはMy Hair is Badを聴いてきた。
そこに書かれていることが事実なのか創作なのかにかかわらず(8割がた実体験という気もするが、日記に作り話を書くなんてよくあることだ)、椎木知仁の書く歌詞は徹底的に自分だけの言葉で、自分自身に向けてのみ書かれている。だからときどき前後の文脈がぶった切られていたりするし、散文的で、ラインとラインのつながりがよくわからなかったりする。共感、共鳴、絆、つながり。そんなものは求めていないし、さらにいえば信じてすらいない。それは裏を返せば、結局人の気持ちなんてわからないという思いの表れでもある。
<ブラジャーのホックを外す時だけ / 心の中までわかった気がした>(“真赤”)。そんなことを別れ際の恋人に告げたら、ぶん殴られて終わりだろう。<本当のことなんか聞きたくないんだ / 作り笑いが作る幸せだってあんだろ>(“優しさの行方”)なんて本音、面と向かっていったら人間としてダメ出しされるだろう。「独り言」だからこそ成立する、あけすけの本心と記憶の断片。My Hair is Badを作っているのはそういう言葉たちだ。<僕は言う / 「そばにいて」 / 君は言う / 「あなたでいて」 / 言葉で言わなくちゃってことはね>(“ドラマみたいだ”)――「言葉で言わなくちゃ」ってことは、気持ちは伝わらない、わからないということだ。ライブのステージ上で椎木がときどきキョドって見えるのは、誰にもわからない言葉で書いたはずの歌が届いている、伝わっているということを目の当たりにしているからかもしれない。にしているからかもしれない。もういい加減慣れたら?と思うけど、いつまで経ってもフロアから観る椎木はそんな感じだ。
椎木による日記のような、あるいは独り言のような言葉がちゃんと理解され、届いているのはなぜかといえば、バカみたいな話だが、My Hair is Badがちゃんとロックバンドをやっているからだ。バヤこと山本大樹が弾くベースとやまじゅんこと山田淳が叩くドラムは、歌に過剰に寄り添うでも、エゴを撒き散らすでもなく、ちゃんとあるべき場所にあるという感じがする。居酒屋で愚痴か相談かわからない話をうなずきながら聞いてくれて、でも安易に「わかるよ」とは言わないでいてくれる、そんな友達のような音だなあと、マイヘアを聴いていると思う。そんなふたりのフィルターを通して、椎木の独り言は僕たちの言葉に翻訳される。椎木が「マイヘアは椎木のバンドって言われるのが嫌だ」というようなことを言っているのは、つまりそういうことだ。
「わからない」がロックバンドの力によって「わかる」に変わる。それが椎木がロックバンドを続けている理由だと思うし、My Hair is Badはそれを愚直にやってきたからこそ今の場所までたどり着けたのだろう。ただ、そのメカニズムももしかしたら変わっていくのかもしれないという予感を、最新アルバム『boys』は感じさせる。『boys』は決して独り言で埋め尽くされた日記のようなアルバムというだけではないからだ。もちろん個人的体験や個人的心情は相変わらずてんこ盛りだが、その体験や心情を、椎木はちゃんと「物語」として歌おうとしている。“夏が過ぎてく”へのアンサーともいえる“君が海”もそう、地元への思いを綴った“ホームタウン”もそう、人生を見渡すような視点を手にした“芝居”もそう。少しだけ世界に向かって開かれた「物語」たちが、バンドのアンサンブルによってドラマチックに補強され、鳴り響く。そこから見えるのはマイヘアが進んでいく新しい未来だ。
アラフォー(♂)はどうやってマイヘアに惚れたのか テキスト:阿刀“DA”大志
自分はMy Hair is Badの音楽にはわりとフラットな距離感で接していて、アルバムこそ『woman's』から購入しているものの、メンバーともまだ話したことはないし、ステージ上以外で彼らが話しているところも一切見たことがない。なので、今回こういったレビューを綴る機会を与えてもらう資格があるのかどうかもわからない。
とは言え、彼らの音楽は当然好きだ。自分がマイヘアの音楽に初めて触れたのは2016年の『SWEET LOVE SHOWER』。あのときの“フロムナウオン”の熱演は今でも覚えている。椎木知仁の独白に静まり返る数千人。あのヒリヒリした空気感にはパンク的なものがあったし、ただのギターロックバンドではないんだろうなと直感的に感じさせた。恋愛の曲が多いのに、「全員ぶっ飛ばしてやる」ぐらいの荒ぶり方でライブする姿が好きだ。
自分の中での評価が固まったのは、その年の秋にリリースされた『woman’s』。偏見も多少混じってはいるが、最近の20代のギターロックバンド(に限らないが)は音源がつまらないと感じることが多い。レコーディング技術の進歩を存分に発揮し、サウンドが過度に装飾されていたり、演奏がやけに整っていたり、ボーカルも非常にキレイに仕上がっている。そうすることで聴こえはよくなるし、ものすごい音圧によって演奏に迫力も出る。ただ、人間味溢れるスリリングな要素が一切削り取られてしまう。常日頃、もったいないと思っている。
しかしどういう判断でそうなったのかはわからないが、マイヘアの音源にはそういった箇所がない。3ピースが鳴らす音に余計な混ぜものはなく、ボーカルも演奏も変に整頓されていない。どの楽器も臨場感たっぷりに鳴っている。そんな生々しさがいいのだ。聴感的には1990年代風の雰囲気で、各楽器が自然なバランスで成り立っている。今のメジャーシーンでここまで剥き出しの音を音源に収めているバンドは少ないんじゃないか。だからと言って、他のバンドが彼らのマネをしようとしても、きっと同じようにはならないだろう。なぜか。マイヘアは、椎木知仁のソングライターとしての能力が高く、一聴すればそれとわかる声がずば抜けて魅力的だから。椎木の歌を聴いていると、某ミュージシャンが語っていた話を思い出す。勢いのあるバンドならばZeppクラスまでは行ける。それより上に行けるか行けないかはボーカルの声次第だ、と。
話は逸れたが、椎木のボーカル、シンプルながらも卓越したメロディ、そして彼らのもうひとつの持ち味である、自分の青春時代を重ね合わせたくなるような青臭い歌詞がサウンドの質感との相乗効果を生み出し、よりグッとくる仕組みになってるんじゃないかと思う。まあでもこれは後づけの理屈で、自分はメロディと声の組み合わせの時点で十分にヤラれてしまっていた。
バンド自身もそこが自分たちの生命線であることは当然わかっているはずだし、そこに絶対的な自信を持っているんだろう。その証拠に録音の方向性はメジャーデビュー以降一貫している。それだけでなく、中盤にショートチューンを配置するアルバム構成、アルバムタイトルやアートワークに至るまで強固なフォーマットが出来上がっていて、誰が言い出しっぺかはわからないが、チームとしての偏執的な性格もうかがえる。aikoのスタイルに通ずるところがあるなと。
ということで、最新作『boys』もサウンド面における劇的な変化はなく、相変わらずいい歌が並んでいる。だが、これまでよりも楽曲に幅が生まれ、より豊かになった印象だ。“ホームタウン”は歳を重ねてきたからこそ生まれた歌だろうし、人としての成長が素直に作品に反映されているのは健全だと思う。“化粧”で導入されているストリングスもごく自然に3人の音に溶け込んでいて違和感がない。そうやって、My Hair is Badというバンドの音楽はこれからも完成されることはなく、そのときそのときの自分たちの現実と正直に向き合って、足したり引いたりを繰り返していくんだと思う。そんな心の揺れを、なんのフィルターも通さずに見せてくれる3人の姿を、これからも適度な距離感で見つめていたい。
綺麗事を綺麗なまま抱き締めていくための歌 テキスト:矢島大地(CINRA.NET編集部)
「俺もお前も、結局は自分のことが一番可愛いんだ」。
2014年9月にMy Hair is Badを初めて見た時、“優しさの行方”を演奏する際に椎木知仁がブチ切れるように叫んでいた言葉だ。端的に言えば、その身も蓋もない本音が、My Hair is Badの歌の核心に在り続けたものなんだと思う。たとえば椎木が恋をモチーフにした曲を書くことが多かったのも、きっと「本能的に喜怒哀楽が溢れ出すもの」として愛や恋を捉えているからなんだと思うし、見返りを求めない純粋無垢な愛と綺麗すぎる綺麗事だけを追い求めて人と世界を心から愛していたい、と切に願うからこそ、愛したいのは自分が愛されたいからで、優しくしたいのは優しくされたいからだーーという本音も見過ごせずに頭を抱えて、また見返りを求めない純粋な愛を求めてもがく様がそのまま、どうしようもなく狂おしい「心の破裂音」みたいな歌になってきたんだろうし、聴く人が自分の日々をMy Hair is Badに投影してしまう理由なんだろう。
たとえば“真赤”のように失った恋を刻みつける歌では、My Hair is Badの場合は「愛していた」よりも「愛されていたかった」のほうが強烈に表出する。一方、“戦争を知らない大人たち”や“シャトルに乗って”のように目の前の世界を淡々と切り取っていく歌には、世界の中で過ぎていく日々がいつまでも穏やかで愛せるものであってほしいという祈りが込められている。いつだってMy Hair is Badが歌にし続けてきたのは、人への愛と誠実さを追い求めるほど「それは本当の優しさなのか?」と出口のない自問自答を繰り返してしまう心模様だ。その心の動きがライブでのブチ切れ感やヒリヒリになってきたのだろうし、その場で溢れ出す言葉の連打だけで構成される、歌詞を持たない名曲“フロムナウオン”になってきたんだと思う。
ただ、『boys』の素晴らしさの多くは、自分自身の心を抉って曝け出すだけではない歌と音楽を掴んでいる部分にある。たとえば“化粧”。報われない恋にズタズタになりながらも強がる女性の姿を「化粧」に重ねる歌を、雄大なストリングスで包み込んでいくアレンジが新鮮だ。この音楽的な拡張について言えば、ホールツアーを経たことで音楽的なブラッシュアップを図り、リズムとグルーヴを主役にした『hadaka e.p.』によって獲得した新しいソングライティングが呼んだものなのは間違いない。そしてそれと同時に、愛を希求するからこそ傷ついていく人間の姿を生傷のまま晒すのではなく、抱き締めて赦そうとする視線がこのストリングスに映っているように思う。
アルバム冒頭を飾る“君が海”もそうだ。過去の恋と青春を夏の海に重ねて疾走する「マイヘア黄金律」の1曲だが、走るほど開けていく和音が雄大な情景を立ち上がらせて、永遠にならなかった恋を傷のまま晒すのではなく「包み込む」歌として聴こえてくる。こうしてサウンドのスケールアップによって王道を塗り替えた1曲が表すように、瑞々しい青春性が弾けながらもバンドとしての成熟も同時に感じさせることが『boys』の素晴らしさの多くを担っているのだ。
そして、限りなく椎木ひとりの作曲過程の変化によってMy Hair is Badを塗り替えようとした『hadaka e.p.』を経たからこそ、今一度3人としての「My Hair is Bad」の歩みに目と音を向けられたのだろう。My Hair is Badが始まった地元・上越の風景と仲間を淡々と綴る“ホームタウン”はまさにそうだし、ラスト2曲、“舞台をおりて”と“芝居”では、<幸せな役だけ / 演じて行くわけにはいかない><残った傷も汚れも恥じたりしないでいい>と歌う。愛した分傷ついたこと、人に優しくしたいだけだからこそ混乱していくこと……その全部を抉らずに赦し、痛みと悲しみがあって初めてドラマや映画になるのだと受け入れている。それはつまり、これまでの歌とバンドの道のりを丸ごと抱き締めて、My Hair is Bad自身でMy Hair is Badの歌すべてを肯定して、救って、愛することと同義だ。その温かさこそが、今作の心臓なのだと思う。
My Hair is Bad『boys』全曲レビュー
1. 君が海ギターのコードとともに<この夏が最後になるなら>と歌い始めた瞬間、脳内の記憶が一気にフラッシュバックするようにバンドサウンドが溢れ出す。その記憶の奔流はやがて波のように引いていき、やがて元の場所に帰っていく。“夏が過ぎてく”を引き合いに出すまでもなく、椎木知仁にとって「夏」は特別な季節だし、<教室>や<吹奏楽>や<花火>や<氷菓子>といったキーワードで青春の一瞬を切り出していくというのは椎木の得意技ではあるが、その姿勢はこれまでと決定的に違っている。この曲が描き出すのはヒリヒリとしたリアルタイムの焦燥というよりも、それが思い出になっていくその瞬間だ。そこにあり続ける「海」に「君」を重ねて、倒れた砂時計を元に戻したとき、「夏」は永遠に変わる。一瞬足を止めたアンサンブルが、アウトロに向かってもう一度走り出すとき、『boys』の物語が始まるのだ。(小川智宏)
2. 青イントロからじっくりとしたAメロを経て、一気に疾走していくザ・マイヘア節。しかしテンポ以上に音のスピード感を生むブレイクが効果的に挿入されていたり、曲の合間にはギター一本での弾き語りセクションが訪れたりと、椎木のメロディがより一層飛翔感をもって響く細やかなアレンジが効いている。梅雨をモチーフにした歌は、雨に洗い流されてしまう青(ここでは、青春そのものも、青春特有の憂鬱も孕むのだろう)を今のうちに染み込ませたいという願い。青春を「過ぎ去るもの」として歌えたことこそが、今作での成熟をひとつ象徴している。(矢島大地)
3. 浮気のとなりでこの楽曲から思い浮かぶのはかつて隆盛を誇った1990年代のオルタナティブロックだ。Semisonic“Closing Time”やEverclear“I Will Buy You a New Life”といった楽曲がふわっと思い浮かぶ。ただ、この楽曲がそれらと違うのは細かなアレンジの妙。ギターはシンプルだが、ベースとドラムのフレージングが曲の進行とともに変化していく。これに限らず、マイヘアの楽曲が短さのわりにそれを感じさせないのは、アレンジが丁寧だからなんだと思う。それも普通に聴いたら気付かないぐらい。ここで凝ってしまうとやりすぎになるんだろうなあ。カラッと軽快なサウンドとは裏腹に、歌詞はあるあるすぎて自己嫌悪になるような男の心理を歌っている。「ああ、情けないのって俺だけじゃなかったんだ……」と安心する自分がまた情けない。(阿刀“DA”大志)
4. 化粧今作前半のハイライトと言っていいだろう。雄大なストリングスが、伸びやかなバラードをよりドラマティックに彩っていく。細やかな起伏を増したメロディも、繊細な声色を使いこなすようになった歌唱もいい。他に愛する人がいる男に恋をした女性が主人公の歌で、<口紅が薄れた その瞬間にわかってたのは / もっと素直になれたらよかったよ>というラインが表すのは、過ちの恋だとわかりながら強がって自分を維持する女性の姿を「化粧」に重ねて行間にドラマを宿す筆致の素晴らしさだ。ただ、今までなら救いようのない恋にズタズタになっていくだけだった歌が、ストリングスによって一筋の光を宿している。(矢島大地)
5.観覧車このアルバムの中で、“化粧”と並んでMy Hair is Badの深化を感じさせるのがこの“観覧車”だ。抑制の効いたアンサンブルは決して派手ではないが情感豊かにこの曲のシーンを浮かび上がらせるし、何より歌詞だ。椎木の綴る言葉はまるで小説のように繊細な心の機微を物語る――いや、小説というよりも映画的というべきか。ひとつも直接的な感情表現を使うことなく、「工事の看板」や「観覧車」や「花火」や「カラオケ」といったモノたちに次々とフォーカスを合わせながらひとつの恋の終わりの風景を描いていくその筆致はそのまま映像化すればミュージックビデオになりそうなぐらい具体的。同時に、どこまでも決定的な言葉を避けるその手法自体が<優しいだけが優しさじゃないとどこかで分かるのに / それでも優しさばかり追っている>主人公の心情を象徴しているという、ものすごくテクニカルな歌詞でもある。(小川智宏)
6. ホームタウン地元・上越の仲間、家族、風景を等身大の視点とヒップホップ的なアプローチで切り取った、マイヘア流の地元賛歌。上越に馴染みはない自分にも「ここに行ってみたい」「ずっと聴いていたい」と思わせた時点で椎木のストーリーテリングの勝利。彼はリリックを書いたらヒップホップもやれるんじゃないかとすら思う。椎木の言葉にはウソがないし、背伸びもしないし、カッコつけないし、何より情景描写が的確。リアルさが要求されるこの手の歌詞を書くにはうってつけの才能がある。さらにミニマムに展開する温かみのある演奏もとてもよい。ふくよかなベースや繊細なドラムも含め、音作りはかなりこだわったのではないだろうか。ライブよりも音源で聴いていたい名トラックだ。(阿刀“DA”大志)
7. oneトーンの異なる椎木の声の数々が四方八方から飛んでくる曲……というかインタールード。<心はひとつでも気持ちはひとつじゃない>という言葉から始まり、人と関与して生きることで心の中にたくさんの自分の顔が生まれていくという椎木の内なるカオスが、怖さを感じるほど様々な声色で表現されている。ここに登場する「たくさんの主人公」たちが今作のエンディング“芝居”に繋がっていく。愛も激昂も臆病さも抱えている自分を<気持ちはいくつあっても心はひとつだから>という言葉に集束させることで、この後のアルバム第二部では、ハードなナンバーもドラマティックなナンバーもより一層振り切れている。(矢島大地)
8. 愛の毒冒頭のカウントを抜かすと28小節40秒ちょっとのショートチューン。こういうタイプの曲は勢いで押し切ってナンボみたいなところがあるし、実際そういう曲に聴こえるけども、実は要所要所に配置された細かな工夫によってストーリー性を持たせ、決して箸休め的に終わらせない内容になっている。本編は大きくわけると3つのパートで構成されていて、それぞれリズムパターンが異なる上に小節の数も微妙に違う。しかも、4小節とか8小節ではなく、7小節という中途半端な数だったりする。派手な仕掛けではないものの、これがいい意味での違和感、フックになっている。恋に溺れるダメ男の典型みたいな歌詞も好きだ。<二百害あっても触れてたい>こんなことを言う友達がいたら全力で止めるけど絶対に止まらないし、逆の立場だとしても突っ走っちゃうんだよなあ。少ない言葉ながら、「ワルい」女の子の妄想が膨らむ。(阿刀“DA”大志)
9. lighterハードなギターリフとヘビーなベース、そしてピンと張り詰めたテンションを感じさせるドラムが走り抜ける3分20秒。スリーピースにしか鳴らせない鋭さ、このアルバムでもっとも攻撃的なフォルムをまとったこのナンバーこそ、ある意味で『hadaka e.p.』からの反動を象徴しているのかもしれない。音楽的には『woman’s』でいえば“mendo_931”みたいな立ち位置の楽曲だが、“mendo_931”の言いっぱなし感とは正反対に、この“lighter”はやはりどこまでも物語的で、すべてが最後の1行、<また次の火つけるから>に集約されていくところは何度聴いてもゾクゾクする。個人的にはこの曲のやまじゅんのドラムプレイがものすごく好物。彼の音がマイヘアをマイヘアたらしめているんだなということを改めて実感できていい。(小川智宏)
椎木の歌詞は「クズ男」であればあるほどいい。この楽曲はその最たるもの。主人公のダメさが際立つ言葉選びとそれを生かしたフロウが見事なクズスパイラルを生み出している。きっと実体験だと思うんだけど、固有名詞のチョイスが絶妙だ。<桃太郎電鉄><ぼくのなつやすみ><ぼくのなつやすみ2><ツーウィークアキュビュー>。具体的な描写をせずとも、直接それを連想させない物の連なりで強烈な怠惰的情景を描き出すばかりか、部屋の間取り、散らかり具合、匂いまで想像させる。サビに強いエフェクトをかける手法は、これまでなら採らなかった(または、そのアイデアが浮かばなかった)かもしれない。“帰って来たヨッパライ”を思わせるファニーな使い方で、投げやりに自らを嘲るような効果が増幅。楽曲の世界観をより強固にするためのアプローチが功を奏した。(阿刀“DA”大志)
11. 虜超高速16ビートが跳ねまくる、今作でも随一のポップチューン。自分の全部をくれてやるから<僕の最後になってくれないか>、という懇願をばらまいていく、異様だがキュートな求愛ソング。<朝も昼も晩も今日も>……と言葉がパンパンに詰め込まれているのにすっと口ずさんでしまうAメロから、徹頭徹尾口当たりのいいポップなメロディセンスが輝きまくっている。<ほら そう底なしに君のこと思っている / でも君は僕の名前すら知らない>という1節に、椎木のラブソング特有の狂気か愛嬌かわからない危うさが詰まっている。愛しているし愛されたいという両面が綴られるのは変わらず、しかしここには臆病さと卑屈さがないのがいい。(矢島大地)
12. 舞台をおりて続く“芝居”がアルバムのエンドロールかカーテンコールみたいなものだとするなら、実質的に『boy』の物語に決着をつけるのがこの“舞台をおりて”だ。お互いに恋人を「演じている」ことを感じ、それももう終わることを知りながら、あえて核心に触れないまま一緒にいるふたりの歌。裏側に渦巻く激しい感情とは裏腹の穏やかで優しいメロディがかえって切ない。ふたりが綺麗な物語を演じようとすればするほど、そこにはヒビが生じ、残酷な現実が滲み出す。そして<幸せな役だけ / 演じて行くわけにはいかない>ということに気がついたとき、ふたりの「舞台」は終わる。その展開はまるでこのアルバムの種明かしのようだと思う。椎木はこの曲のラストで、自分がこれまで描いてきた物語に自らハンマーを振り下ろしているのかもしれない。その強い意志が、“芝居”での「宣言」へとつながっていく。(小川智宏)
13. 芝居幸せだった記憶や過去の恋を永遠にしようと歌に刻みつけてきたこれまでに対して<幸せは思い出として古びていく>と受け入れるように歌い、<残った傷も汚れも恥じたりしないでいい / 美談だけじゃきっと映画を愛せないから>と、優しさの代わりに傷ついてきた日々すらドラマの一部なのだと受け入れる。いわばMy Hair is Badの歌・その歌に登場してきた人物すべてがそれぞれの舞台に立って「自分」という役を全うしているのだと肯定していく歌だ。これまでの歌の数々をひとつの線にしていくように、音の余白がじっくりと取られた丁寧なアンサンブル。そのグルーヴにこそバンド全体の成長が感じられるし、<今の僕が予告編になるような / 長い映画を撮ることに決めたんだ>という一節で、今ここにあるものだけを刻み続けてきたバンドが決意と未来を見せる。完璧なエンディングソングであると同時に、My Hair is Badが今を必死に生きる人の心を震わせて救ってきた理由そのものを理解できるスケールの大きな1曲だ。(矢島大地)
- リリース情報
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- My Hair is Bad
『boys』初回限定盤(紙ジャケット仕様 / CD+DVD) -
2019年6月26日(水)発売
価格:4,536円(税込)
UPCH-29333[CD]
1.君が海
2.青
3.浮気のとなりで
4.化粧
5.観覧車
6.ホームタウン
7.one
8.愛の毒
9.lighter
10.怠惰でいいとも!
11.虜
12.舞台をおりて
13.芝居[DVD]
LIVE at LIVE HOUSE「心斎橋BRONZE」2019年1月12日
『boys』レコーディングドキュメント
- My Hair is Bad
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- My Hair is Bad
『boys』通常盤(CD) -
2019年6月26日(水)発売
価格:3,024円(税込)1.君が海
2.青
3.浮気のとなりで
4.化粧
5.観覧車
6.ホームタウン
7.one
8.愛の毒
9.lighter
10.怠惰でいいとも!
11.虜
12.舞台をおりて
13.芝居
- My Hair is Bad
- プロフィール
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- My Hair is Bad (まい へあー いず ばっど)
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椎木知仁(Vo,Gt)、山本 大樹(バヤ / Ba,Cho)、山田淳(やまじゅん / Dr)による、新潟県・上越市出身の3ピースロックバンド。2008年結成。2013年にTHE NINTH APOLLOより『昨日になりたくて』をリリースし、2016年には『時代をあつめて』でEMI Recordsからメジャーデビュー。2019年6月26日の『boys』リリースに伴う「サバイブホームランツアー」では、最終公演をさいたまスーパーアリーナで2days開催することを発表した。
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