ヒュー・プレイサーの著書『ぼく自身のノオト』新装版が本日1月12日に刊行された。
1970年にアメリカの出版社から発表され、100万部を突破した『ぼく自身のノオト』は、かつて学校のカウンセラーをやっていたヒュー・プレイサーが、「みんなと同じ平凡な人間」である自身の生き方を確立する方法を探し求める姿を綴ったエッセイ。日本では1979年に刊行され、翻訳をザ・フォーク・クルセダーズのメンバーで精神科医のきたやまおさむこと北山修が手掛けた。
「北山修氏の瑞々しい訳のまま復刊したい」という思いから刊行された新装版には、新たなあとがきを収録。装画を『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中田いくみが担当した。何度も改訂が施されたという複雑な権利関係から、著作権者との交渉に数年を費やしたという。
同書が愛読書であるという山崎まどかは、「13歳から20歳にかけて、この本を何度も読み返し、友だちや好きな人のみんなに貸した。どのページのどの言葉も覚えている。久しぶりに手にとって、これはもしかして、いま必要とされている言葉ではないかと考える。北山修の名訳だ」とコメント。
北山修のコメント
これは、1976年にBantam Booksから出版された‘Notes to MyselfーMy struggle to become a person’の日本語訳である。著者Hugh Pratherがこれを書いたのが1970年で、そのとき彼は三十二歳、まったくの「無名」で、これといった「肩書き」もなかった。初版はアメリカ南西部のユタ州にある小さな出版社Real People Pressから大した広告もせずに発表され、数年の間に百万部を売りつくしている。内容は、小説でも詩集でもない。個人の日記の抜粋である。原文にはページ数の印刷がなく、どこから読んでもかまわないようになっており、もちろん目次もない。数年前まで学校のカウンセラーをやっていたというこの書き手は哲学者でも文学者でもなく、「みんなと同じ平凡な人間」である。
彼はいっさいの虚偽を許容できないらしい。彼は内的な現実をできる限り受けいれて、自らの内部にある真実を読者に伝えようとする。日本語を利用するなら、タテマエを拒否して、ホンネをできる限り表現することで、「ぼく」を確立する方法をさがし求めている。ゆえに、創作性のないこの本を文学性や思想性によって価値づけを行う必要はないし、実際にそんなことは不可能だろう。発想や行動の基盤をつねに「ぼく」に置いて、その「ぼく」の一部や全部が「ぼく」から遊離していくこと、さらに異物が「ぼく」のなかに入りこんで「ぼく」をしばりつけること、を罪悪視するのなら、実に日記という表現形式がもっともふさわしいものだったのである。私たちはホンネを言うことを自らを被害者化することと同じであると考え、「めめしい」と言ってそんな「ぼく」を切りすてようとする。しかし、著者のホンネは、決して弱音を吐くことではなく、自らの弱音をも自らのものとして語って相手と交流しようとする態度は一種の強さでもある。
※初版時のあとがきから抜粋
- 書籍情報
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『ぼく自身のノオト』
2021年1月12日(火)発売 著者:ヒュー・プレイサー 訳者:きたやまおさむ 価格:1,600円(税抜) 発行:創元社