NHK『トップランナー』にも登場した康本雅子は、コンテンポラリーダンス界で大きな注目を集めているダンサー・振付家だ。Mr.Childrenや一青窈など有名ミュージシャンのプロモーションビデオ、松尾スズキの舞台振付など、その才能を多方面で発揮している彼女が歩んできた道程はかなり刺激的。「将来のことなんて何にも考えていなかった」と言い放ち、世界を放浪していた彼女は何故、ダンサーになる道を選んだのだろう。誰だって避けては通れない「自分の人生」。彼女の切り拓き方は、とにかくカッコいいのだ。
海外放浪の時代
アジア~オーストラリア~アフリカへ
―康本さんは、いつごろダンスと出会ったんですか?
康本:中高生のころダンス部だったんですよ。創作ダンスをやっていたんですけど、体育の先生が教えてくれるような、普通のダンス部でした。そこでは岡本真理子さんとか海外で活躍している大岩淑子さんと同級生でした。3人で一緒にやったこともあります。個性の強いメンバーがいてお互いに振りをつくったりしていました。あとはその当時、ディスコに通い出したのが大きかったですね。でもプロになろうなんて考えてもいなかったから、大学は映像を学びに行ったんですよ。
―映像がやりたかったんですか?
康本:それもあるけど、遊んでたかったのが一番かな。勉強よりは何かを作っているほうが面白いだろうって考えていたくらいで、結局は中退して海外を旅していました。だからそのころは将来のことなんて何にも考えていなかったです。幼児感覚が残っていたというか、大人になることへの焦りがまったくなかったですね。
―何で旅に出たんですか?
康本:「異文化」があるからでしょうね。ずっと東京にいたから都会には興味がなくて、アジアの国々を放浪していました。ご飯も美味しいし安いし、やっぱり東京とは違うから楽しいことがいっぱいあって。刺激を求めてたんですね。
―女の子のアジア一人旅は危ないって聞きますが、大丈夫だったんですか?
康本:そんなに怖い思いはしなかったですよ。子供みたいな顔をしてるからみんな親切にしてくれて。まあいま考えると、下心あるのかな? って思っちゃうようなこともありましたけど(笑)。
この若さが永遠に続くだろう、くらいに考えてたんでしょうね(笑)。
―そうなんですね。大分ダンスから話しが遠ざかりましたが(笑)、再びダンスに出会ったのは?
康本:放浪を続けていたらさすがにお金がなくなって、ただ旅をしているのにも飽きたので、ワーキングビザで働けそうなオーストラリアに行ったんです。それを思い立ったのがタイにいるときで、とにかくオーストラリアへ行って住み込みのベビーシッターとかやらせてもらって。それで夜はクラブで遊んでいたんですけど、そのときにあるダンサーと出会って、踊りの楽しさを思い出していったんですよ。
―どんなダンサーだったんですか?
康本:ジャマイカからダンスを教えにきているダンサーで、そこで始めてアフリカン・ダンスと出会ったんです。コンテンポラリーダンスではなく、今までやったことがないダンスに出会ってびっくりしちゃった。それで次はアフリカに行こうと思って、日本に帰ってきてお金をためて、すぐアフリカに行ったんです。
―日本には全然落ちつかずに?
康本:実家にも帰らなかったし、旅の途中に「立ち寄った」感じでしたね。23歳だったから周りはみんな働き始めていて、「アフリカン・ダンスなんてやってどうするの?」って忠告されたんですけど、その当時も人生設計なんて考えられず“目の先の欲望”にまっしぐらでした。この若さが永遠に続くだろう、くらいに考えてたんでしょうね(笑)。
―アフリカではどんな日々だったんですか?
康本:セネガルのダカールに行ったんですね。それまではただ遊ぶだけの旅だったけど、ダンスという目的を持って行ったので本当にダンス三昧でした。ダカールにはちゃんとしたダンス・カンパニーなんてないから、村人がやっているチームみたいなところにいました。
海岸沿いの掘っ立て小屋の体育館が練習場で、日本では考えられないような場所です。どこかで発表するわけではないんだけど、ダカールって週に1回はお祭りがあるんですよ。その辺の道に物を並べて、女の人が民族衣装で着飾って、パーカッションを持った人たちが何時間も太鼓を叩いて、踊りたいときにサークルに入って踊って。この踊りは本当に難しくて、ジャズのインプロによく似ているんですけど、出来ても様にならない。だからもう、出来なくてもいいやと思って自由にアレンジして踊っていましたね。
今までのつじつまあわせをしなければいけない、
一番つらい時期ではありましたね。
―本当に旅三昧だったんですね(笑)。日本での活動はどうやって始まったんですか?
康本:その後、同級生だった大岩さんがいるというのでニューヨークに行きました。アフリカン・ダンスをやったり、アルバイトしてパフォーマンスをしていました。そして日本に帰ってきたんです。お金がなくなって、直感的にここで旅はストップだと思いました。それで将来のこと、仕事のことも考え出したんですね。今までのつじつまあわせをしなければいけない、一番つらい時期ではありましたね。
当時はウェイトレスなどで食いつないでいたんですけど、何をやっているんだという思いがあって。それで、ダンスを仕事にしようと決心したんです。小さな頃からちゃんとダンスを習ってきたわけではないし、それで成功するかなんてわからないけど、好きなことだからやってみようと思えたんですね。それでバックダンサーとかパレードの踊り子とか、ギャラが入るダンスの仕事をやり始めました。
―作品を作り始めるようになったのもその頃ですか?
康本:そうですね。バイトもやりながらダンスの仕事をしていたんですけど、それだけでは物足りなくなってきたんですよ。もっと踊れるだろうな、もっと色んな人に観てもらいたいと思って。それで、誰でも出せる、1人10分とかのセッションハウスに出てみたらすごく好意的に受け入れてもらえて。最初のパフォーマンスで声をかけてくれたのは乗越たかおさんでした。乗越さんはそれから今までずっと見ていただいています。やがてコンクールで発表してみようと思って、初めて参加したコンペティションが横浜ダンスコレクションでした。それが『脱心講座~昆虫編』(横浜ダンスコレクション、旧バニョレ国際振付賞にてナショナル協議員賞)だったんです。
コンクールじゃない発表の場を
作っていかないといけないと思うんですよ。
―ダンスの動きはどうやって作っているんですか? 康本さんのダンスは、コンテンポラリーダンスのアーティストの中でもナチュラルで気負いなく観られますね。映像とか構成でごまかすのではなく、上手く動きと美術が調和しているような印象も持っています。
康本:コンテンポラリーダンスの作品って、よく考えられたコンセプチャルなものが多いと思いますが、私は作品のコンセプトなどはあまり考えないんです。作品を作るときは、自分から出る動きを、自分でナチュラルだと思えるようになるまで作り込みます。“水を飲む”ように動けるような振りじゃないと嫌だし、自分のダンスはそこに集約されていると思うんですね。だからお客さんにも、考え込みながら観るというより、ダンスが映像みたいにふと思い出せるように残ってくれてたら嬉しいんです。見終わった後に家で思い出されるようなものであってほしいから、客観的な見え方にはもの凄く注意を払いますね。リハーサルも毎回ビデオに撮ってチェックします。それに「寝かす」のも大切で、作った作品は何日か寝かしてからチェックし直します。すごく時間がかかる作業ですね。
―稽古ではどんなことをしているんですか?
康本:何か型みたいなものがあるわけではなくて、“動く稽古”をしますね。まず“踊れる体”にする必要があるわけですけど、ストレッチをするとかではなくて、スイッチをオンにする感じです。最初から本番用の曲をかけて振りを考えても火がつかないから、自分のスイッチが入る曲をかけて踊るんです。この感覚が難しくて、やりすぎると「今日はもう大満足」って燃え尽きちゃう(笑)。
―康本さんらしいエピソードですね(笑)。最近コンクールに作品を出していないのは何故ですか?
康本:元々コンクールに出たのって、多くの人に知ってもらいたいと思ったからなんですよね。でもコンクールって一般のお客さんはほとんど観ないわけで、基本的にダンス関係者が観ている場所ですよね。そこではこれ以上はもういいかな、と。あと批評家に作品をみせるという行為自体が疑問になったというのもありました。コンクールじゃない発表の場もあるし、そういうのを作っていかないといけないとも思うんですよ。
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作品作りと仕事として踊り、そのギャップとは
自分がやりたいことができない時に、
自分のある部分を捨てるというのはすごく難しい
―その一つが、『吾妻橋ダンスクロッシング』ですね?
康本:そうですね。コンクールに出る少し前、2004年から『吾妻橋』が始まったんですよね。定期的に作品を出せるし、お客さんもダンス畑だけではなくて、手ごたえがありました。それに『吾妻橋』をやっていなかったら出会えなかった面白い人達がいっぱいいます。演劇の人たちもそうだし、鉄割アルバトロスケットは『吾妻橋』がきっかけで一緒にやるようになりましたしね。
―桜井圭介さんが企画者・プロデューサになりましたね。
康本:時には“私の本質が解っていないんだな”と思うときもあります。桜井さんは“こういう見かけの割には馬鹿をやる”みたいな私の外見で書くのですが、中には私はどうでもいいところもあります。そういうのがとても好きなお客さんもいます。でも桜井さんは応援してくれてありがたいですし、いつも自由にやらせてもらってます。
―康本さんは映画やPVなどの仕事もされていますが、一青窈さんの『指切り』のPVは話題になりましたね。
康本:『指切り』のお話は、PVの監督がコンテンポラリーダンスがいいということで話がきたんです。でもPVを観ただけで周りの人に私が振り付けたと分っちゃって、驚きましたね(笑)。やっぱりわかるものなんだって。黒田育世ちゃんのBatikの子が2人、あとザンドラン(ZINZOLIN)の鹿島聖子さんと杉本亮子さんに出てもらいました。窈さんはあんなに有名な人だけど、普通の感覚を忘れていなくて素敵です。彼女自身コンテンポラリーダンスをたくさん観ているし、踊ることにも抵抗がないから一緒にやりやすいんですよ。コンテンポラリーのダンサーの動きをそろえるのが大変でしたが、短時間で出来る範囲の動きをやってくれました。
―コンサートとPVの振り付け両方ともやっていらっしゃいますが、どんな違いがありますか?
康本:コンサートのほうは基本的にダンサーに振付けて踊ってもらうんですが、窈さん自身は勘がいい人なので苦労しないです。好きにやってもらったほうがいいんですよね。コンサートはステージングで人を動かす面白さがありますけど、PVだとカメラが寄ってくれるから踊りの細かいニュアンスまで捉えられる。私はそっちのほうが得意ですね。
―同じ映像でも、エド・はるみさんのグーグー体操も振付をされていましたね。
康本:あれは完全に子どもを踊らせるという設定なので、職人的に作りましたね。時間がなかったり、子どもやエドさんを踊らせるということでかなり制限があったので、自分がやりたいことは大体却下になるんですよね。窈さんのときは全くNGがなかったので、仕事によって合う・合わないはあると思います。自分がやりたいことができない時に、自分のある部分を捨てるというのはすごく難しいと思いました。ある意味、コンテンポラリーな世界と真逆な世界ですよね。
―どういった所が真逆なんですか?
康本:コンテンポラリーはお金がどうあろうと時間をかけて構築しますが、あの世界は時間との勝負ですから。どっちが良いという問題ではなくて、自分は両方の世界に足をつっこんでいたいと思うんです。外の世界で仕事をすることが凄い糧になっているし、そういう制限があるなかで作ることで凄い鍛えられるから、自分の作品だけを作っていればいいとは絶対に思わないです。振り付けの仕事をしたほうが、自分の作品も良くなるんですよね。
―それでは最後に、これからやりたいことを教えてください。
康本:CMをやってみたいですね。ダンスの振り付けだけじゃなくて、絵コンテを書いたりして全部を作りたいです。ダンスが組み込まれているんじゃなくて、“ダンスなCM”です。年内は『吾妻橋&金沢ダンスクロッシング』とJCDNの『踊りに行くぜ!!』に出ます。
- イベント情報
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- 『吾妻橋ダンスクロッシング』
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2008年10月10日(金)OPEN 18:00 / START 19:00(追加公演)
2008年10月11日(土)OPEN 16:00 / START 17:00
2008年10月12日(日)OPEN 14:00 / START 15:00
会場:アサヒ・アートスクエア(東京・浅草)出演:
おやつテーブル
Chim↑Pom
快快(faifai)
ボクデス(小浜正寛)
康本雅子+戌井昭人(鉄割)+村上陽一(鉄割)
Line京急(山縣太一×大谷能生)
and more performers, DJs & VJs料金: 前売 一般3,200円 学生2,800円
当日 一般3,500円
※オールスタンディング(ラウンジスペースにてフード、ドリンクを用意)
※学生券は前売りのみプリコグウェブで取り扱い
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- 『金沢ダンスクロッシング』
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2008年10月25日(土)OPEN 17:30 / START 18:00
2008年10月26日(日)OPEN 13:30 / START 14:00
会場:金沢21世紀美術館 シアター21出演:
泉太郎
contact Gonzo
ボクデス(小浜正寛)
五月女ケイ子
康本雅子
山賀ざくろ料金:前売2,500円 当日3,000円
- 番組情報
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- 『踊りに行くぜ!! on TheaterTV#5』
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インドネシアツアー2008シアター・テレビジョンにて、康本雅子がジャカルタのダンサー10人に振付た作品が放送
2008年9月22日 26:00~
2008年9月27日 24:00~
2008年9月29日 18:00~9月ラインナップ
ニョイマン・スラ
Namarina Youth Dance(康本雅子振付作品)
KENTARO!!
KIKIKIKIKIKI
- プロフィール
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- 康本雅子 (やすもと まさこ)
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これまでに自作品を日本国内津々浦々とイタリア、アジア4か国にて公演。ダンス公演のみならず、演劇/コンサート/映像/ファッション界等、届く範囲で股をかける。2008年1月にはNHK『トップランナー』に出演。
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