その過剰なエネルギーにあふれた表現力と、「流動性」を意識した独特の作風により、次世代を担うアーティストとして注目を集めている、金氏徹平。2009年3月20日より2ヶ月にわたって、自身初となる大規模な個展『金氏徹平:溶け出す都市、空白の森』を開催する。このたび、横浜美術館に滞在しながら出品予定の作品制作を行う金氏にインタビューを行った。日々の生活感に根ざしつつ、なにか大きな物につながろうとすること、そこから得られる「開放感」。彼の語る言葉には、ともすると見逃しがちな些細な出来事に目を向ける、ユーモアに満ちた鋭い観察眼が感じられた。
たまたま選んだ物を組み合わせたら、なにか壮大なものになっていく感じが好きなんです
―例えば、コーヒーを紙に染みこませた作品がありますね。液体という、いずれ消えてしまうものを定着させることで、可視化しようとする意思を感じましたが。
金氏:とどまっているものってないんじゃないかな、と思うんです。物事は絶えず移り変わっている。自分の身体も、街もそうだし、動き続けているけれども、たまたま今この状態にあるだけなんだと思うんです。そういうものを彫刻にすることに関心があります。
―大学では彫刻の勉強をされていたそうですが、移り変わるものへの関心と、彫刻という技法を選んだことのつながりとは何だったのでしょうか?
金氏:もともと立体でなにかを考えていくほうが好きだったんです。ただ、大きいものをしっかり創ることに違和感があって、流動的な要素であるとか、崩れてしまいそうな感じを大事にして彫刻を創りたいと思っています。平面作品を並行して創ることが多いんですけど、それもやはり2次元と3次元の間で動き続けるものを作ろうと心がけています。
―シールやフィギュア、ビニール人形といった、子どもが好むようなものをしばしばモチーフに使われていますが、どういった意図があるのでしょうか?
金氏:特別な意図があるわけでなく、自分の身の周りにあるものを、たまたま選んだという感じなんですけれども。ただ、積み木のように積み上げることで、なにか壮大な物になっていくという意味では、子どもの遊びの延長ということはあるかもしれないですね。
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美術館で創作するということ
実体験をもとにして創っているから、誰かとつながる瞬間がある
―フィギュアへの関心という点で、村上隆さんの手法への意識はあるんでしょうか?
金氏:同じようにフィギュアを使っていたとしても、村上さんと僕はむしろ逆ですね。僕の場合、村上さんのようにフィギュアを日本の特別な文化として扱うのではなく、身の回りにある当たり前のものとして扱いたいなと。だから僕は、フィギュアやアニメに対して、ちょっと引いたところから見ているところがあって、だから、フィギュアから取り外した髪の毛ばかりで構成した作品を創ったりできるのかな、と思うんですよ。
―“teenage fan club”という作品は、フィギュアの髪の毛のパーツだけで構成されていますね。
金氏:あの作品は、いろんな方向のアイディアがくっついたものなんです。コンサートに行って、後ろのほうからステージを見ていると、人の頭がたくさん揺れ動いているのが見えますよね。僕には、それが流動的なひとつの生き物に見えたんです。
で、家にあったフィギュアの髪の毛だけ取り外して、組み合わせてみたら、その生き物のように見えてきました。髪の毛という共通点があるので、土台となっているひとつの生き物から生えているようにも見えるし、注意して見ると、ひとつひとつの髪の毛のもとのキャラクターが分かるのも面白いんです。また、全部毛だけで出来ていて顔がない、髪の毛の境目が空洞になっています。その空洞になにがあったのか想像できる余地を、常に創りたいんです。
―「流動的」なものを表現したいという、金氏さんの思いの延長上にある作品なんですね。
金氏:そうですね。あの作品がポスターに使われているのを見た人が、すごく大きい作品なんだと勘違いして、実際に見たらとても小さいことにがっかりされることがありますが、それは狙いでもあるんです。スケール感がずれていて、あれっと思う感覚って、とても面白いと思うんですよ。
―作品には、フィギュアが使われていたり、木の枝など自然物が使われていたりしますが、作品に使う素材は、どのように決めていますか?
金氏:自分でコントロールしきれないようなものが好きなんです。例えば先ほどおっしゃったコーヒーのにじみ方だとか、樹脂の垂れ方もそうだし、それから日用品も、誰かがなにかのために作ったものという意味で、完全に自分の制御下に置けるものではないですよね。そうしたものを作品に取り入れるのが面白いんです。
―お話をお聞きしていると、金氏さんは、自然、というか外側の世界と、自分の感性という内側の世界のバランスを大事にしていらっしゃる感じを受けます。自分の身体や、創る作品というのは、その二つの世界の結合点で生まれたものだというような。
金氏:そうですね。何かが自分の身体を通り抜けてるだけというか、自分はフレームみたいなものですね。そのフレームも絶えず変化しているので、液体のフレームと言ったほうがいいかもしれません。液体を液体でくるんでいる、というか、たまたま途切れるところで一瞬切っているというか、そんな感覚があります。
―創っていて、これで完成だ! と思う瞬間はあるんですか?
金氏:よく聞かれるんですが、実はないんです(笑)。いや、正確に言えばいくつかあるんですが・・・。ひとつは、タイムリミットがきたら終わりです。もうひとつは、ちょっと足してもいいし、もしかしたらちょっと引いてもいいかな、という状態で終わる。なにも必然性がなく、常に動いている状態にとどめたいんです。たまに、完成してから、ちょっと足してみたりすることもあります。でも、誰も気づかない(笑)。今回の横浜美術館での展示では、会期中に変化する作品も作ろうと思っています。
―現在、横浜美術館に滞在して創作活動をされているわけですが、こういったかたちでの活動のきっかけはなんだったのですか?
金氏:横浜美術館での展覧会のお話があったときに、僕個人のアトリエを持っていなかったんです。それで、美術館内のアトリエスペースを借りて数ヶ月創作することになりました。最終的な展示スペースを意識しながら制作できますし、だからこそアイデアが生まれやすいのでいいですね。今は、美術館が持っている近くのアパートに住んでいるので、横浜という独特の場所が持つ空気感からも影響を受けています。ランドマークタワーなどの大きいビルが立ち並んでいるのに対し、そのすぐ隣には、なにもない空間が広がっているのが気持ちよくて。海もありますしね。
―毎日、何時くらいから制作を始めますか?
金氏:まず、12時くらいに美術館のアトリエに来て、途中トイザらスなどに出かけて買い物をしたりしながら、20時くらいまで制作をします。その後、アパートに戻って、24時を過ぎたぐらいからまた制作を始めます。4~5時くらいまでやって、11時くらいに起きるという生活です。基本的にはとても楽しいのですが、プレッシャーや使命感から、たまに逃げ出したくなることもありますよ(笑)。今後、横浜美術館で滞在して制作する若いアーティストを増やすためにも、僕が失敗するわけにはいかないな、と。
―作品を創るプロセスを教えてください。
金氏:物からインスピレーションを得ることが多いので、街をブラブラして、いろんな物を買って身の回りに置いておくんです。それがあるとき勝手につながっていって、何かに見えてきたり。また、ちょっとした実体験、あのときに感じたこの感覚を表現したい、というモヤモヤした思いが、ふと目に留まったものとつながって作品になることもあります。
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ニヤニヤしならがら創作しています。
わからないものを、わからないものとして面白がってもらえれば
―作品のもとになる実体験というのは、強い思い入れのある体験でしょうか?
金氏:家族が死んだとか、誰かを好きになったというような大きい話ではなく、捨てられているゴミを見たときに感じた、あの感覚はなんだったんだろうとか、電車に乗ったときにチラッと見た風景が、ずっと頭に残っているのはなぜなんだろうとか、ふとしたときの感覚を作品にするほうが多いですね。
―そうした、ちょっとしたことに気づいていく感覚が、見ている人の笑いを誘うんだと思うんですよね。
金氏:なぜ笑うかと言えば、見た人が作品のどこかに共感しているからだと思うんですよ。自分もこの感じ知ってる、とか、同じ感覚を持ったことがある、と思えたときに、笑えるのかなと。自分の実体験をもとにして作っているから、他の誰かと急につながる瞬間がある。
―にんじんや、洗濯物干しが作品に入っている唐突さ。それに気付いたときに、クスッと笑ってしまいます。
金氏:知ってる物があると、笑ってしまう。笑いという意味では、なにかを台無しにしてしまうとか、ずっと大事にしてきたことをひっくり返すようなことも好きなんです。例えば、わざわざ積み上げてきた物の上に樹脂をかけてしまうのもそうです。
―制作過程が、本当に楽しそうですね。
金氏:常にニヤニヤしながら創ってますよ。一番楽しいのは、例えば、木の枝とパイプといった全然関係のない物どうしを組み合わせたら、スポッとハマったときですね。それは開放感でもあるんです。昔から、ずっと漠然とした閉塞感があって。それを打破するために、「社会」とかそういう中間を飛ばしてしまって、なにか大きなところ、自然現象とか、時間の流れにつながることができれば、すごく自由になれるのではないか、という気がしています。
とはいえ、社会のすべてを無視してやっても意味がないので、立脚点を見失わないために作品の中に身近な社会にある日用品や既製品を使って、そうして大きいところにつながることが重要だと感じています。自分にとっての「自由」とは、インドに放浪したりとか、山にこもるとかそういう意味での社会との離れ方とは違うんじゃないかと思います。
―2009年3月20日から横浜美術館にて開催される個展、『金氏徹平:溶け出す都市、空白の森」では、どれくらいの数の作品を展示されるのですか?
金氏:100点くらいです。プラスチック容器を使った大きいインスタレーションや、木とパイプをつないだもの、アニメーションの作品もあります。「空白の森」という言葉の意味ですが、何もない森というわけではなくて、空白があるというか、空白でできた森、という逆説的なイメージなんです。なにもない場所をつねに創っておきたいというか。閉塞感を感じている、という話にもつながるかもしれませんが、すきまを空けることで、自由な場所を作るという感覚があります。
それから「森」には、これなに? という生き物や、わけのわからない生え方をした草がありますよね。わかんないものがいっぱいゴロゴロしているけど、全体としてなにかになっている、という展示にしたいと思っています。
―探検するような感じで、とても楽しそうですね! 最後に、展示の見どころを教えていただけますでしょうか。
金氏:そうですね。森や街を探検するような気持ちでご覧いただければと思います。よくわからないものがゴロゴロしていると思うのですが、それはわからないものとして見て、面白がってもらえればと。この世界には、わからないものもたくさんある。この展示が、皆さんそれぞれがかつて感じたことのある、何かしらの感覚を思い起こすきっかけになれば嬉しいですね。
- イベント情報
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- 『金氏徹平:溶け出す都市、空白の森』展
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2009年3月20日(金・祝)~5月27日(水)
会場:横浜美術館
- プロフィール
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- 金氏徹平 (かねうじ てっぺい)
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1978年大阪出身。京都市立芸術大学大学院彫刻専攻修了。2005年に横浜トリエンナーレでCOUMAとして参加。最近では、広島市現代美術館にて『金氏徹平展 splash & flake』(07年)、森美術館にてグループ展『笑い展:現代アートにみる「おかしみ」の事情』(07年)、東京都現代美術館で『MOTアニュアル2008』(08年)など。
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