ダンス、衣装、映像、音楽、照明、美術など、各分野をディレクションするアーティストの複合体として97年に結成されたニブロールは、マルチ・メディア的発想を核に有機生命体のように自然成長/生長を遂げてきたカンパニーだ。その中心人物である振付家・矢内原美邦が06年に立ち上げたソロ・プロジェクトが、ミクニヤナイハラプロジェクト。『3年2組』、『さよなら』、『青ノ鳥』、『五人姉妹』と、ニブロールでの活動と並行しつつも定期的に作品を発表してきた。過剰なスピードで無数の情報が乱反射する躁病的な作風は、作品を追う毎に尖鋭性を増し、08年の岸田戯曲賞では最終候補にまで残った。つまり、「ダンスの人」と認知されてきた矢内原も、もはや演劇ファンにとっても見過ごせない存在となりつつあるわけだ。
そして、ただいま吉祥寺シアターで行われるているのが、昨年プレビュー公演が好評を博した『五人姉妹』。昨今、矢内原が関わってきた舞台の音楽は主にミュージシャンのスカンクが手掛けてきたが、今回は矢内原の希望により、ヘア・スタイリスティックスとして12ヶ月連続アルバム・リリースという快挙も成し遂げた中原昌也が担当。ここにお届けするふたりによる対談は、本筋に亀裂を入れ、ノイズを注入し続ける中原の本領発揮と相成った……、のだが、余りにも長文のテキストゆえ、脱線部分はたたんでおいた。脱線、と書いたが、むしろ脱線が本筋で本筋が脱線かもしれないわけで、そこはあえて読者の判断に委ねることにしよう。
―おふたりは以前から面識があったんですか?
中原:いや、これが会うのは二回目で。音楽のご依頼を受けて一度、打ち合わせで会っただけですよ。
矢内原:元々、暴力温泉芸者の頃から中原さんの音楽は好きだったんですよ。で、中原さんのお友達でダンサーの東野(祥子)さんとツアーを周った時に、中原さんが音楽を担当した舞台の映像を見せてもらって、おもしろいなと。あと、今回のお芝居はノイズ的なものがいいなと思ったこともあってお願いしました。
中原:ふたつ返事で、オッケー!って。やるよーって。もう本当に軽い感じですよ。
―今回の『五人姉妹』もですが、矢内原さんは最近、プレビュー公演があって間を置いてから本公演、という流れが多いですね。これは何故?
矢内原:忙しいというのもあるし、あとは脚本を書き直す時間がほしいので。元々私は振付家で、演劇は始めてまもないので、どうしても戯曲に関しては、細かいところを後々直したくなってくる。自分は演劇で何ができるのかを考えつつ、時間をかけて書いてますね。
―ミクニヤナイハラプロジェクトは戯曲を書くことが大前提だと思いますが、『青ノ鳥』は08年度の岸田戯曲賞の最終候補に残りましたね。戯曲家として認知された、という思いは?
矢内原:あれは、正直全然予想してなかったですね。だから、選考委員の人たちも全く公演とかにも招待してなくて。でも、ああ良かったなっていうのはあります。ほっとしたというか(笑)。「これは演劇じゃない!」みたいなことをよく言われるので。
中原:演劇じゃなかったら、なんだって言われるんですか?
矢内原:いや、ただ喚いてるだけだとか、ただ動き回ってるだけだとか。一応台詞はあるんですけど、その台詞が速すぎて聞こえなかったりするみたいで。
中原:耳の悪い人は来ちゃいけないんですか! あと、お年寄りも駄目とか!?
矢内原:どうなんですかね(笑)。でも、子供は逆に喜ぶんですよね。
中原:一緒にキャッキャ騒ぐんだ?
矢内原:そう、キャッキャキャッキャはしゃいでますよ。反応が素直なんです。
中原:そうなんだ。……託児所みたいのはないんですか?
矢内原:託児所、劇場にありますよ。でも、微妙ですよね。ネットに慣れていたりゲームをたくさんやってる子は速いものにもついて来られるんですけど、演劇の好きなお客さんって丁寧に物語を追う人が多くて、筋が分からないのがすごく嫌みたいです。だから、はっきり分かれますよ。「嫌い!」っていう人と「好き!」っていう人に。「もう二度と見に来ません」ってアンケートに書かれたりとかするし。
ホント、予習もしないで酒飲んできちゃって! 駄目ですねえ、本当に!
中原:それ、「もう来ません」の後、びっくりマーク付いてるんですか?
矢内原:付いてます(笑)。「もう二度と来ません!」って。
中原:どっちが嫌ですか、びっくりマークとマル(句点)って。
矢内原:……。どっちだろう、多いのはびっくりマークですけど。でも、びっくりマークの方が嫌です。マルだったらもういいやって。
中原:そうですか? 僕はマルのほうが嫌です!
矢内原:マルですか! でも、マルだともう終わりって感じじゃないですか(笑)。
中原:マルだと「お前何様だ?」って感じですよね。びっくりマークだと、「ああすいませんでしたねえ」って気持ちになるけど。ねえ!
―ちなみに中原さん、矢内原さんの舞台は御覧になりました?
中原:いや、見てないですよ、結局。だから今、何を言っていいのか……、よく考えたらそういう予習をして来いって感じですよね。ホント、予習もしないで酒飲んできちゃって! 駄目ですねえ、本当に!
―プレビュー公演の映像も、あえて観ずに?
矢内原:逆にそれが面白いかなと思って。衣装の鈴木さんもそうなんですけど、そのアーティスト自体を尊敬して、信じているので、その人の感覚で好きに作ってもらえれば。今回の楽曲も、5人姉妹が抱えるざわざわした感じっていうのを表現してもらって、いい仕上がりですよ。
中原:まあ、音楽提供ですからね。やっぱり変に作品に合わせちゃいかんだろう!と。いや、本当は見ておくべきだと思うんですけど、でもここは、djに選曲される音楽を作る感覚でいいかな、と。逆に自分の考えを変に持ち込まないほうがいいだろうと。だから、多分僕が観客の中でいちばん楽しみにしてますよ。どうなってるんだろう?って。
決して不親切にしているつもりはなくて、要するに言葉だけに頼って欲しくないんです。
―矢内原さんの舞台って情報量が多いし、展開も速いので、置いてけぼりを食らう人もいるんでしょうね。だからこそ今のアフタートークの話じゃないけど、分かりたい、という欲望を余計に喚起するのかも。
矢内原:そうだと思います。
中原:あ! こういうのはどうですか!? 次のパートに移る前に「理解出来た人!」って手挙げてもらって、分からない人のためにもう1回やってやるっていうのは。理解できるまで進まないとか。
矢内原:いやです(笑)。もういいんです、ついて来れない人はそれで。
中原:じゃあ、休憩の時に、ひとりひとりに第一部はこういう話でしたって書いた紙を渡すんだけど、全部書いてあることが違うっていうのはどうですか!?
―でも、あえて不親切なものを作っているという意識ではないと思うんです。高速で膨大な量の台詞が放たれるので、一瞬意味から遠ざかっているように見えるけれど、台詞を畳み掛けることで独特のうねりやグルーヴが生じる。
矢内原:そうですね。決して不親切にしているつもりはなくて、要するに言葉だけに頼って欲しくないんです。演劇って、常に言葉が聞こえないと、みたいな観念があるんですけど、役者のジェスチャーや踊りを含めて、見るべき要素はたくさんある。体と言葉を両方見てもらうと、そんなに置いてけぼりにはならないと思っていて。音楽だって、歌詞の意味が分からなくてもついていける人はたくさんいるじゃないですか。でもそれが、演劇とかダンスになると、急に意味が分からないとダメってなってくるんですよね。
中原:だって、みんな、そんなに頭良くないでしょ。映画だって自分が見ているフレームの外側にあるものは零れ落ちるわけでしょ。だから良いんじゃないですか、別に。ただぼたぼた落ちてくるのを浴びていれば。
―ああ、浴びるという感じは近いですね、矢内原さんの舞台は。言葉が洪水のように降り注いでくるのを浴びるのが気持ちいいっていう。
僕もこの間ライヴ中に電気が消えちゃって、踊ったりおどけたりしてましたよ。
―お客さんにとってはトゥー・マッチでも、矢内原さんにとってはあの情報量が心地よく、自然なんですかね?
矢内原:そうそう、普通ですね。
―あの、情報が乱反射している感じって、ネットに24時間常時接続している状態にちょっと似てますよね。
矢内原:多分、基本的に部屋にいるのが好きだからでしょうね。部屋にいる時って色んなことを並行してやるんですよ。ネットしてテレビ見て編み物して料理して、プラモ作ってとか。その感覚がそのまま出てるのかも。
中原:プラモ!?
―さっきの部屋の中の話ですけど、舞台でも、乱雑なものが整理されないままにしてある、という感覚ですか?
矢内原:いや、自分の中ではすっごい整理しているんですよ。これはここ、これはここみたいにすごい整理整頓はしてあるんですけど。
中原:じゃあ、棚にはつっかえ棒とかしてるんですか? 地震用の……。
矢内原:つっかえ棒は……してない(笑)。残念なんですけど。ウチの母はしてますね。でもあの……、
―作品の話しに戻しましょうか?(笑)
矢内原:そうですね(笑)。えーと、だから、舞台の上も自分ではしっかり整理しているつもりなんですけど、すごい詰め込むみたいで。隙間恐怖症みたいだねってよく言われます。ここ容量が空いてるって思うと、すぐになにか入れたくなるんです。
中原:舞台の最中に地震が起きたことってないんですか?
矢内原:ないですけど、電気は消えたことあります。停電みたいなの。
中原:僕もこの間ライヴ中に電気が消えちゃって、踊ったりおどけたりしてましたよ。公演中に大地震が起きたこととかないんですか?
矢内原:ないですけど、やっぱり舞台は落ちたら本当に死にますよ。だから皆注意してる。私たちの前の舞台の人たちですけど、役者の人が奈落に落ちちゃって骨折したことがあって。
中原:無事だったんですか?
矢内原:無事でした。でも、主催の人がその後に、舞台が中断したからってお客さんにじゃがりこを配って、ものすごい怒られたんですよ。
中原:じゃがりこ!? 1袋開けて1個ずつ配って?
矢内原:いや、ひとりにひと袋づつ(笑)。でも、すごい怒ってましたけどね。
中原:ああ、その食ったじゃがりこが散乱して?
矢内原:いやいや(笑)。その役者さんをほうっておいて救急車も呼ばないで、こういうふうになってるのに……、じゃがりこをって。
中原:じゃがりこを?
矢内原:じゃがりこを(笑)。
―じゃがりこ言いすぎですよ(笑)。
中原:役者が落ちたところにはじゃがりこなかったの?
矢内原:それはなかったです(笑)。
作品自体が意味をたくさん持って、各々が好きなところで「あ、こういう意味なんだ」っていうふうに思ってもらえるのが多分一番良いんじゃないかなあと。
―矢内原さんの、舞台上の隙間を埋めたがる感覚っていうのは、時間的にも空間的にもですか?
矢内原:そうです。でも、その意味では中原さんの音楽と共通しているかもしれない。どんどん音が追加されていって、どの音がどこにあるのかが定かでなくなってくる感じとか。ノイズだったものが、聞く人によっては気付いたらメロディーになってくるようなところも。
―隙間を埋めるように言葉を畳み掛けることで、テーマに回収されないとか、ひとつの意味に収斂していかないっていうのもありますね?
矢内原:そうですね。ひとつのお話でも色んな意味を含んでいると思うので、これは絶対こういうことだよねって言われるのがちょっと嫌なんですよね。今回もテーマは「習慣」って言ってますけど、習慣の捉え方なんてみんなそれぞれ違いますよね。朝起きてすぐ歯を磨く人もいれば、歯なんて全然磨かない人もいるのと一緒で。だから、意味がひとつに集約されていくよりも、作品自体が意味をたくさん持って、各々が好きなところで「あ、こういう意味なんだ」っていうふうに思ってもらえるのが多分一番良いんじゃないかなあと。
―その発想って、中原さんの小説の書き方にも近いですね。
中原:忘れましょうよ、小説の話なんて!
矢内原:いや、でも面白いですよね、中原さんの小説。なんか、中原さんの文章って中原中也が言っていたことに似てるなって。
中原:どうなのかなあ、中原中也読んだことないからなあ。
矢内原:中原中也が、「手を出す前に、それが手だって分かる文章を書きたい」みたいなことを言っていて(※註※「『これが手だ』と、『手』といふ名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が深くかんじられてゐればよい」(中原中也『芸術論覚え書』))。そんな感じがしたんですよ。
―ひとつの漢字をずっと見続けていると、意味以前にヴィジュアルとして認知できるとか、ありますよね。
矢内原:そうそう、そういう感じです。ダンスもそういうことってあって。例えば、今目の前にあるものがコップだって理解する前に、分かってしまうことがあるというか。うまく言えないんですけど……。
―コップという概念を知らずとも、目の前にある容器を見れば、自分とそれとの間に何らかの関係性が生じますよね。
矢内原:だから、これは透き通った水の入ったガラスの容器ですって言うのと、これはなんだか分からないけども今目の前にあってこれから飲もうとしているものだって捉えるのとでは、印象が違う感じがするんですね。意味が構築される前にコップを認知できるというのはあると思っていて。
中原 『ライオンキング』とか超えたいですよ! ねえ!
矢内原 超えたいですね、『ライオンキング』(笑)
―中原さんはダンスって普段見られるんですか?
中原:実は結構見てますよ。ローザスとかピナ・バウシュとかマース・カニングハムとか。ただ、芝居が絶望的に駄目なんですよ。
矢内原:分かります。私もそうだったんですけど、ダンス好きな人は演劇を嫌いがちですからね。『3年2組』の時は、あえて内容を説明しなかったので、ダンスのお客さんがいっぱい来たんですよ。けど、次の『青ノ鳥』からはダンスのお客さんが全然来なくなって。
―あれ、違う?って。
矢内原:そういうクレームとかもありますからね。「もうニブロールの矢内原さんしか見に行きません」って言われたりとか。さっきの岸田賞の話じゃないけど、ようやくここに来て演劇のお客さんが増えてきましたけど。
―でも、面白いポジションですよね。
矢内原:誰もいないとこでやると、のびのび出来て良いですよね。中原さんもこれを機に演劇の音楽とか来ると思いますよ、いっぱい。やりますよーって宣伝しておいたら?
中原:そうですか? 果てはミュージカルとか。
矢内原:ミュージカルとかいいですね。中原さんが音楽を手掛けたミュージカルとか見たいですね。
中原:劇団四季に書きたいですよ!
―キャッツシアターの座付き作曲家とかどうですか?
中原:いいなあ。そういうの結構向いてると思うんだけどなあ。
矢内原:いや、いいですよ。宣伝してください! 中原さんがミュージカル書きたいって。
中原:『ライオンキング』とか超えたいですよ! ねえ!
矢内原:超えたいですね、『ライオンキング』(笑)。
―ちなみに、今回、使われるのって何曲ほど?
矢内原:それが、1曲だけなんですよ。贅沢な使い方ですよね。衣装もワンコーディネートなんです。
中原:しかも1曲のうちの4分の1しか使ってない……。
矢内原:すいません本当(笑)。
中原:いえいえ、全然。あ、だったら、終わってからも流しっぱなにしちゃえばどうですか?
矢内原:あ、それ良いと思います! 流していいですか? じゃあそうしましょう。
- イベント情報
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- ミクニヤナイハラプロジェクト
『五人姉妹』 -
2009年6月25日(木)~6月28日(日)
会場:吉祥寺シアター
時間:
6月25日(木)19:30開演
6月26日(金)19:30開演
6月27日(土)14:00開演 19:00開演
6月28日(日)14:00開演
※受付開始は開演の1時間前、開場は30分前になります作・演出・振付:矢内原美邦
音楽:中原昌也
衣装:スズキタカユキ出演:
稲毛礼子
笠木泉
高山玲子
三坂知絵子
光瀬指絵
山本圭祐料金:前売3,200円 当日3,600円 学生2,700円
- ミクニヤナイハラプロジェクト
- プロフィール
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- 中原昌也
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88年頃よりmtrやサンプラーを用いて音楽制作を開始。90年、アメリカのインディペンデントレーベルから「暴力温泉芸者」名義でリリース。ソニック・ユース、ベック、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンらの来日公演でオープニング・アクトに指名され、95年のアメリカ・ツアーを皮切りに海外公演を重ねるなど、国外での評価も高い。97年からユニット名を「hair stylistics」に改め活動。音楽活動と並行して映画評論や小説家としての活動を行うなど、作家としてもますます注目を集めている。
- 矢内原美邦
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振付家/劇作家/ニブロール主宰 97年、各分野で活躍するアーティストを集めたパフォーミング・アーツカンパニー「ニブロール」を結成。代表兼振付家としての活動を始める。05 年、吉祥寺シアターのこけら落とし公演を契機に「ミクニヤナイハラプロジェクト」を始動、劇作・演出を手がける。第52回岸田國士戯曲賞最終候補作品となるなど、演劇/ダンスの両分野で高い評価を得ている。 舞台作品を平行してビデオアート作品の制作を始め、off nibroll 名義で映像作家の高橋啓祐とともに活動し、世界各地の美術展に招聘されている。
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