中村まりインタビュー

2009年6月度の「今月のイチオシ」は、シンガーソングライターの中村まりさんに決定した。他にも素晴らしい作品があった。だけれども、中村まりさんが発表した2ndアルバム『Beneath the Buttermilk Sky』は、別格としか言いようのない作品だったのだ。聴くたびに感動させられる作品に出会ったのは、本当に久しぶりである。衝撃を受け、興奮して、インタビューする頃にはファンになっちゃいました。

今回のインタビューは、彼女のこれまでを洗いざらい振り返って頂いたものである。小難しい音楽話しもなく、一人の女性が音楽を始めて、今に至るまでの物語。場面によって、普通の女の子だったり、孤高のシンガーソングライターだったりしますが、どれも本当の「中村まり」。そこに彼女の表現の原点を見た気がしました。

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学校の先生が褒めてくれたのが嬉しかった

―中村さんは、小学生の頃からギターをやっていたんですよね?

中村:そうなんです。姉がピアノをやっていたから、私も最初はピアノを始めたんですけどすぐに挫折にしちゃって(笑)。でも、小学校の頃って習い事をする人が多いじゃないですか。それで私も何かやりたいと思っていたら、電柱に貼ってあるギター教室の張り紙が目に入って、「あっ、ギターっていいな」って思ったんですよね。

―女の子がギターを習うって、ちょっと変わってますよね?(笑)

中村:よく分かってなかったんだと思います(笑)。ただ、ギターってちょっと変わってて面白いと思ったんでしょうね。でも、クラシックギターの世界も厳しくて(苦笑)。

一同:爆笑

―あっ、ギターも挫折したんですか?

中村:チャラチャラした気持ちではやれませんでしたね(笑)。教室では練習するけど、家で毎日弾くような情熱があったわけでもなく、中学生になる頃にはもう辞めちゃっていたんですよ。

中村まりインタビュー

―そうだったんですか。それじゃあ、今の活動に繋がる第一歩は?

中村:高校生の頃でしたね。アメリカにいたんですけど、学校の授業に「ギター」があって、「ギターだったらやったことあるし」っていう気軽な気持ちで授業を選択したんです。そしたら、多少は弾けたので先生が褒めてくれて、そういうのがすごく嬉しくて。ギターを弾いてれば認めてもらえるぞっていう喜びもあり、音楽の部活もやりはじめたんです。

―褒められるって、やっぱり嬉しいですもんね。

中村:そうですよね。何か特別な感じがしたんでしょうね。でも、やっぱり私はずぼらなんだと思うんですけど、ギターにのめり込むほど情熱的だったわけでもなくて(笑)。何となくやってた、という感じに近いと思うんですよね。ギターを触らなくても平気だったし。

その時のジレンマが、「バンドの音がデカくてアコギが聴こえない!」というもので(笑)。

―中村さんは今、カントリーやブルースといったアメリカのルーツ・ミュージックが源流にある音楽を作っていますよね。こうした音楽はやはり、アメリカにいる際に出会われたんですか?

中村:そうだったらよかったんですけど、違うんです(笑)。アメリカにいる時は「洋楽に出会った」というくらいで。ルーツ・ミュージックを聴き始めたのは大人になってからで、結構意図的に聴き始めたんです。

―そうだったんですか。アメリカにいる頃はどんな音楽を聴いていたんですか?

中村:向こうにいた頃って、学生でお金もないから1枚のCDを何度も何度も聴くわけですよ。その1つがインディゴ・ガールズ(1980年代後半から活動している女性デュオ)で、それが私の原点だと思います。あとはエリック・クラプトンの『アンプラグド』が爆発的に流行ってて、それもよく聴いてましたね。

―マニアックなものではなく、アメリカでも人気のあったものを聴いていたんですね。

中村:そうですね。教えてもらったり、ラジオで出会ったりして。インディゴ・ガールズは学校のギターの先生が教えてくれたんですけど、テストにも出るんですから! 粋な先生ですよね(笑)。

―そういった音楽を中村さんが「好き」と思うポイントって何だったんでしょうか?

中村:考えてみると、アコギが入っているのが大事だったみたいです。アコギを持って歌っている人が出て来たら、取りあえず注目していましたから。ちょうどリサ・ローブが出て来て注目していたり、ですね。

―そうした音楽スタイルが好きだったから、自分でもやってみようと。歌い始めたのはどんなきっかけだったんですか?

中村:日本の大学で音楽サークルに入って、新人顔見せライブっていうのがあって、何かやれと。

―何か嫌な感じですね(笑)。それはバンドだったんですか?

中村:自分と同じようなことをしている人を見つけて、二人でやりました。もちろんインディゴ・ガールズをやらせたんですけど(笑)。

―そこで歌ってみたんですね。

中村:そう、歌ってみたら、英語だったのも珍しかったらしく、ちょっと変なことをやっている奴がいるぞって感じでかわいがってもらえて。

中村まりインタビュー

―それはまた嬉しいですね。

中村:でも、ロックとかソウルとか、どうもアコースティックじゃないものをやっているサークルだということに後から気づきました。何か話し合わないな~って(笑)。でも、とにかく音楽の知識が浅かったので色々と教えてもらって聴いていたんです。そしたら、「ジョニ・ミッチェル(1960年代から活動する最も影響力のある女性シンガー・ソングライターの1人)を一緒にやりませんか?」という人が現れてですね。

―それは間違いなく良い出会いですね!

中村:それで一緒に組んだバンドが大きな転機でした。まさに私が理想とする編成のアコースティク・バンドで、私がアコギを持って歌い、アコギでソロを弾いてくれる人がいて、ベースがいて、パーカッションがいて。古い洋楽を沢山カバーしましたね。

―すごく楽しかったんでしょうね。

中村:もう本当に楽しかったですね。今にして思えば、若いのになんて渋いバンドやってたんだろうって思いますけど(笑)。「クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング」とか、難しいー!!って言いながらもカバーしたりして(笑)。ギターもその頃に意識的にやり始めるようになって、少しは上達しましたね。

―楽しいとどんどんやりたくなりますもんね。オリジナルの曲を作り始めたのもその頃ですか?

中村:そうですね。「オリジナルバンドをやりませんか?」と誘って下さった方がいて、「曲を書いてみたら?」って言われたんですよ。それまでは何故か、曲って自分で書いて良いものだなんて思っていなかったので、ハッとして。かなり適当に書いてみたら、意外と演奏する形には整っていて、ライブハウスでもオリジナル曲をやり始めたんですね。

―音楽性は今のものに近かったんでしょうか?

中村:近いと思いますね。でもカントリー・ブルースは全然やってなくて、その頃目指していたのはリサ・ローブだったんです。ロックバンドが後ろにいるっていうのを前提にしていたんです。

―今のスタイルとは若干違いますね。

中村:それというのもその時のジレンマが、「バンドの音がデカくてアコギが聴こえない!」というもので(笑)。アコギもライヴ中にはハウリングが理由で音量を下げられてしまうこともしばしばだし、せっかく自分の中で練ったアレンジも台無しになってしまったりして。バンドの中にアコギが居る意味がないというやるせなさを感じ始めて(笑)。次第にもうちょっとアコギを聴かせるような音楽をやりたいなと思うようになりました。それと同時に、自分でプロデュースしたい欲求が強すぎることにも気づきまして(笑)。

古い音源を今の人が今のサウンドでやっているのを聴いて、「私がやりたいのはこれだ!」と思ったんですね。

―自分のやりたい方向性を押し進めたかったんですね。

中村:そうなんでしょうね。バンドって複数人でやるから、自分の意見はバンドにとって何分の一でしかないじゃないですか。民主的に多数決で意見を決めるようなやり方だと音楽を作るのが難しくて(笑)。それでバンドを辞めて一人で音楽活動を始めたんです。

―1人で音楽活動をやるのって、すごく勇気のいる決断ですね。活動の仕方も全く変わってきますよね?

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中村:そうなんです。だからまず、「1人でできるギタースタイルってどういうのだろう?」と思って教則ビデオを漁り始めて。そしたらさっき「ジョニ・ミッチェルやりませんか?」と誘ってくれた人が、ステファン・グロスマン(ギタリスト兼カントリー・ブルースの研究家。カントリー・ブルースの再発見、紹介者として大きな功績をもつ)先生のビデオを買って練習してて、それを貸してくれたんですね。そしたら私のほうがはまっちゃって(笑)。

―カントリー・ブルースに開眼した瞬間ですね!

中村:そうそう。このステファン・グロスマンという人は、カントリー・ブルースの布教に勤しんでいて、「このCDを聴いたことがなかったら、今すぐビデオを止めて買いに行ってください!」とか言っちゃうような人で(笑)。

―それが今の中村さんのスタイルに大きな影響を及ぼしているんですね。

中村:そうですね。あとはその頃、ミシシッピ・ジョン・ハート(1892年 - 1966年。ブルースシンガーでギタリスト)のトリビュートアルバムというのが出まして。昔は私、古い音源って馴染めなかったんです、サービス精神が足りない気がして(笑)。でも、そのトリビュートで古い音源を今の人が今のサウンドでやっているのを聴いて、「私がやりたいのはこれだ!」と思ったんですね。だからステファン・グロスマンとミシシッピ・ジョン・ハートのトリビュートは、私にとって本当に大きな存在になりました。

へたくそでも全部を自分で作りあげて表現できることがすごく嬉しいし、安心したんですね。

―そうして音楽性が形作られていき、CDリリースに至るわけですね。

中村:始めての作品は、自分で手作りで作ったんです。それを出してから、やっと人前で演る意識が高まってきましたねぇ。

―どうして人前を意識出来るようになったんですか?

中村:音源を作ると、自分の考えている音楽が一つの形にまとまるじゃないですか。そこで初めて自分の音楽を客観的にみれたんです。それまでは、自分の演奏などで手一杯だったんですけど、客観的になれたことで余裕も出て来て、周りが見れるようになってきたんでしょうね。

―なるほど。音源を作るとアーティストが成長すると言いますが、音源を作ることで気づくことが沢山あるんですね。

中村:そうですね。特に私の場合、普段は1人で曲を弾語りますよね。でも音源として曲をまとめるときは色んな音を足せるから、より明確に自分が思い描いている音楽を表現できるんです。それがすごい楽しくて。自分でMTR(録音機材)を買って、録音することの楽しさを見いだしちゃった(笑)。以前に感じていたジレンマからすると、へたくそでも全部を自分で作りあげて表現できることがすごく嬉しいし、安心したんですね。

―自分で作り上げる、その強度はすごく強いですよね。みんなの意見を万遍なくケアしてる作品って、上手く出来ているかもしれないけど、衝撃を感じないことが多いですから。

中村:良い方向に理解して頂いて嬉しいですね(笑)。でも、人と一緒にやることで素晴らしい音楽を作り上げている方もいるから、そういうのは学ばなくちゃいけないなとも思っているんですよ。

「明るい歌詞を書こう」って決めていたんですけど、結局は暗い部分が出てしまう(笑)。

―中村さんの歌詞がとても好きなのですが、聴き手に伝えたい「何か」というのがあるのでしょうか?

中村:当初はですね、自分が思っている事を詩にするだけで満足していて、周りのことは考えていなかったですね。それは確かに今とは違うところで、ある意味ですごくストレートだったとは思います。暗い歌詞が多かったですけど(笑)。

ただ、当時も今も変わっていない部分というのはあって。自分が思ったことや、体験した感情、そういう自分のコアの部分が間違いなく表現できているかどうか、ということで。言葉につられて書いてしまうんじゃなくて、自分が信用できるのは自分の感情や体験だから、そのエキスをきちんと入れたいと思っています。それだけはこれからもずっと変わらないと思いますね。

―中村さんの音楽は英詞なので、ぼくの場合パッと聴いて意味を理解することはできないんですけど、それでも感動できるんですね。中村さんが本当のことしか歌わないから、感情がちゃんと伝わって来ているような気がして。たとえば中村さんの場合、明るい曲調でもどこかしらに影がありますよね。それはリアリティーを大切にしているからなんでしょうか?

中村:そうなんだと思います。「つらい目に遭った人ほど、幸せがどんなものなのか分かるんじゃないか」という考え方があって、今回のアルバムはその側面が出ていると思います。だから「明るい歌詞を書こう」って決めていたんですけど、結局は暗い部分が出てしまう(笑)。自分が悩んでいる部分を表に出したくなっちゃうんでしょうね、多分。でも、それが普通なのかなって思って。人の営みって、常に日なたではないんだろうし、でも、「雨だな」って思っているのも暗いし。

中村まりインタビュー

淡々と生きてる人の美しさ、何があっても揺らぎ無くマイペースに生きることの大切さを捉えたいんだと思います。

―それで今作のタイトルを『Beneath the Buttermilk Sky』(Buttermilk Sky=曇り空)と付けたんですね。

中村:「曇り」というのは決して暗い意味ではなくて、晴れと雨の間にいれば、雨にもなれるし晴れにもなれるし、という意味合いで付けたんです。でも、気持ちとしては晴れに向かっているんですよ。「曇り空」から出発して、そこからは私次第ということですね。

―なるほど。

中村:でもこのタイトル、ちょっと意味深過ぎちゃったかな(笑)。『キープ・オン・ザ・サニー・サイド』みたいなタイトルでもよかったんですけど、そうしちゃったら私が意図していた根暗さがでないかなと(笑)。

―(笑)。根暗さを追う理由は?

中村:良いことも悪いことも起こる毎日が淡々と続いていて、それに対して一喜一憂するのではなくて、淡々と生きてる人の美しさ、何があっても揺らぎ無くマイペースに生きることの大切さを捉えたいんだと思います。そういう感じでいくと思うんですよ、今後も(笑)。

―次回作が楽しみですね。今後はどのような活動を?

中村:7月12日に吉祥寺MANDA-LA2でレコ発ワンマンライブがあります。その後は、フジロックに出させて頂きます。

―フジロック、楽しみですね。

中村:淡々と演奏できるかどうか、ちょっと舞い上がっちゃいそうな気もしているんですけど(笑)。

―楽しみですか?

中村:何か昔と違って、人生の残り時間を考えるようになって…

―えっ、早くないですか!!?

一同:爆笑

中村:早いですよね(笑)。まあ、一生でこんな機会はないだろうなと思うので、楽しんでやりたいと思います。その後は、また淡々と活動を続けていきます(笑)。

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リリース情報
中村まり
『Beneath the Buttermilk Sky』

2009年6月10日発売
価格:2,500円(税込)
Moving On ANTX1017

1. A Brand New Day
2. Invisible Man Blues
3. Little House
4. From the Other Way Around
5. Black-Eyed Susan
6. If Only I Had Known
7. Bye-bye Street
8. How Sweet!
9. This Old Map
10. Caught in a Roundabout
11. Lonesome Valley Blues
12. Night Owls
13. Going Back to My Home

イベント情報
中村まりニューアルバム『Beneath the Buttermilk Sky』発売記念ライヴ

2009年7月12日(日)OPEN 18:00 / START 19:00
会場:吉祥寺MANDA-LA2(ワンマン)

出演:中村まり
ゲスト:安宅浩司(Guitar)、岸本一遥(Fiddle)、原さとし(Banjo)、松永孝義(Bass), 楠均(Drums)

料金:前売2,700円 当日3,000円(1ドリンク別)
前売り券店頭販売6月1日~
※立見になる可能性があります。ご了承ください。
メールでのお取り置き(整理番号なし・入場順は当日券と同様になります)はコチラまで

プロフィール
中村まり

1977年生まれ。14歳~17歳までの約四年間を米国オハイオ州にて過ごす。その後バンド活動を通して作詞作曲を始める。2002年、完全自主制作による初のオリジナル・アルバム『Traveler And Stranger』を発表。2005年2月9日Mule Recordsよりフルアルバム『Seeds To Grow』をリリース。同年7月31日には『FUJI ROCK FESTIVAL’05』 Avalon Fieldステージに出演、2006年9月9日には『ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル2006』に出演。現在都内を中心にライヴ活動を継続的に展開中。2009年6月に4年振り待望のニューアルバムをリリース。7月には『FUJI ROCK FESTIVAL’09』への出演も決定。



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