年の瀬恒例のパフォーマンスの響宴『HARAJUKU PERFORMANCE +(PLUS)』が12月19日よりいよいよ開幕! 今回のキーワードは「パフォーマンスのアーキテクチャ」。このキーワードにより構築される今年のラインナップにはいったいが何が込められているのか? 混迷と変革の2009年にあって、はたして『HARAJUKU PERFORMANCE +(PLUS)』はパフォーマンスをめぐるゼロ年代の総括を示してくれるのか? はたまたテン年代というネクストジェネレーションの向かうべき方向へと導いてくれるのか? プロデューサーの小沢康夫氏と、今年のキーパーソンともいえるともに80年代生まれの劇作家/演出家の柴幸男氏とOpen Reel Ensembleの和田永氏が、パフォーマンスをめぐる「いま」を軽やかに、そしてポジティブに語り合いました。
(テキスト:但馬智子 写真:小林宏彰)
二人は初対面だけど、すでにお互いの本質をよく見抜いているよね(小沢)
小沢:唐突ですが、お二人はいくつだっけ?
和田:このあいだ、22になりました。いま大学4年です。
柴:僕は27です。
小沢:まさに、CINRA世代のアーティストですね。
和田:僕は夜な夜なCINRAチェックしてます。
柴:僕は、編集部に知り合いの知り合いがいて、CDマガジンの時代から読んでます。
小沢:今日お二人は初対面ですが、お互いの作品を映像などで見てもらってきているのですけど、印象はいかがでした?
和田:僕は柴さんの『ハイパーリンくん』という作品を見て、もうイメージの嵐で圧倒されました。僕もこの物語にある宇宙の話なんかが好きなんですが、結局は誰にも理解できない謎があるんだというところにつながっていったり、そういうロマンのようなものがラップという手法と組み合わさって、すごく新鮮に感じました。
『ハイパーリンくん』(撮影/青木司)
さらに、僕らには共通点があると思ったんです。というのは、僕はもともとバンドをやっていて、いまの活動の原点にあるのは音楽なんですが、その表現手段のひとつとしてオープンリールという道具を使い始めた。この機械と出会ったときにアナログの機械が持つ機構の面白さに惹かれたんです。出てくる音と機械の操作や動作がシンクロしている様子ですね。音楽を演奏しながら、その機械が持つ面白さもビジュアルとして見せる。そういった、構造をオープンにした別の手法を音楽に取り入れながら演奏をするというのが、僕のパフォーマンスなんです。つまり、柴さんにはあくまで演劇や物語という土台がある。それに、ラップや多重録音のような手法を表現の枠組みや仕組みとして取り入れて演劇をつくっている。僕たちはどこか通じていると思ったんです。
柴:じつは僕もまったく同意見なんです。僕はメディアアートの作品が好きでよく見るんですけど、ただ機械や機構だけが作品として提示されたものには、それほど衝撃を受けることはなくて。でも、和田さんの作品をYouTubeで見たとき、この機械を使ってどんな音楽が生まれ、どんなパフォーマンスになるかを念頭に置いたようなアピールの仕方に、すごくグッときたんです。つまり、音楽という土台があって、オープンリールという「楽器」からつくりあげていく発想、そしてそれがパフォーマンスとして成り立っている。根本から枠を一回つくり直して、自分が遊ぶための道具を新たにつくっていくというところが、とにかく面白い。僕はそういう意識でものづくりをすることがあって、だから和田さんの発想にすごく共感しました。
和田:自分の「枠組み」をイチから考えるのは面白いですよね。僕のオープンリールは、手段であり道具であり、目的はオープンリールを使ってクールな「音楽」を奏でることです!
小沢:いきなりディープな作品解釈とメッセージだね。初対面だけど、二人はすでにお互いの本質をよく見抜いていることがわかりました。でも、この鼎談を読んで初めて二人のことを知る人もいると思うので、まずは基本的なところからお願いします(笑)。和田君のOpen Reel Ensembleの紹介をしてください。
和田:僕が使っているオープンリールとは、約40年前に使われていた旧式のオープンリール式のテープレコーダーのことで、音を録音して再生するために使われていた機械です。それをPCで制御できるようにして、僕はそれを録音機というより楽器として使いながら音楽を演奏し、パフォーマンスをしています。このレコーダーはリールの回転によって磁気テープに音を録音したり、再生したりするのですが、この回転を素手で直に操作したり、PCを介して動作を制御したりしているんです。いまの時代から見るととてもローテクな機械なんですが、リールの回転と音とがシンクロしているところが、僕には「かわいい」なと(笑)。さらに音に関連した僕ら演奏家自身の動きを見せたら「面白いかも」と。とにかくオープンリールならではの音色や奏法を生かして、これを最大限使い倒すというパフォーマンスです。Open Reel Ensembleというプロジェクトを立ち上げたのは僕で、現在リール奏者は自分を含めて4人。メンバーとして大学や高校時代の仲間を集めました。
小沢:では、柴君にも同じ質問を。自分がやっていることを自分で説明するのは難しいかもしれませんが…。
柴幸男
柴:僕は、かなりちゃんと演劇をやっているほうだと思うんです(笑)。ちょっとダンス的だったり即興性があったりもするんですけど、もともとは演劇らしい演劇から入っていて、それを自分でもやっているつもりです。そこに、演劇以外で使われている発想や構成や構造というもの、なかでも自分が面白いと思ったものを輸入して、自分が好きな演劇と混ぜてできないかなといつも思っているんです。
僕の作品は、先ほど和田さんが言ったように、たとえば、ラップのような芝居をやったり、CGのようにずっと歩き続ける人と人をつないで同一人物に見せかけるものをやったり、多重録音をつかったりします。例えば、PhotoshopやIllustratorにあるような「レイヤー」という感覚や構造を自分のなかでいちど消化して、演劇としてつくってみる。さらにそこから新しい物語を立ち上げていきたいというのが、ここ最近の僕の演劇です。
小沢:10月に三鷹(三鷹市芸術文化センター)で上演した『わが星』は現段階で柴君の最高傑作ですよね。
『わが星』(撮影/青木司)
柴:『わが星』は、僕の作品を上演するカンパニー「ままごと」の旗揚げ公演でしたが、宇宙の星の話で、上演時間80分のうち後半のほとんどがラップと芝居が溶け合っているような音楽的な作品です。□□□(クチロロ)の三浦康嗣さんにつくってもらった音楽や効果音など、僕がぜんぶ生でオペレーションしました。
小沢:いわゆる生演奏だったんですね。柴君がオペ席でノリノリで音をつけている、その愉しそうな雰囲気もまさにライブでした。「演劇にラップを導入して」と言葉で言うと陳腐な感じがするのですが、実際に見るとことはそう単純ではなく、演劇としての物語や時間軸がはっきりとあって、音楽的にもパフォーマンス的にも、見たことないものになっている。そういう完成度の高さがありましたね。
柴:ダンスが出てくる演劇や、音楽表現を取り入れている劇団もたくさんあって、僕の場合は普通に役者がいてセリフがあって、演出がついてて、という堅気の演劇をやっているつもりなんです。結果として演劇以外の人にも喜んで見てもらえてうれしいです。
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2/4ページ:作品づくりの原動力とは?
作品づくりの原動力とは、ある風景が自分のなかでスパークすること(和田)
小沢:和田君が、オープンリールという、いまやほとんど使われなくなった機材をあえて使うというのは、意識的なものなんですか?
和田永
和田:色々な偶然が重なり合う中で古い機材の可能性を見つけてしまった、というのが本当のところです。僕は子供の頃からカセットデッキが大好きで、自分の声を録音してはラジオドラマみたいなものをつくって遊んでいたりしていました。そのうちオープンリールという存在を知って、欲しい欲しいと言っていたら、たまたま知り合いのおじさんがくれたんです。ちょっと壊れていたんですけど、いじっているうちに、もうオープンリールの独特の音色と自分の感性とが共鳴してしまって。これをつかってなにかやりたいという思いをずっと抱いていました。その思いの蓄積のなかで大学に入って、工学的な技術を勉強してようやく実現してきたというか。
もうひとつ重要なきっかけがあって、以前ベトナムに旅行に行ったときに、ある異次元的な光景を見てひらめいちゃったんです。ベトナムの寺院で儀式を行っているお坊さんの前にある仏壇をよく見ると、仏像の後ろにLEDの装飾ようなものがあってピカピカ光っているんです。さらに、お坊さんの横ではエレキギターで伝統音楽のようなものを弾いている人がいて、そしてみんながそのピカピカ光るエレクトリックの仏壇に向かって手を合わせている。神聖な場所のはずなのに、ディスコかサイケバンドのライブみたいな感じなんです(笑)。東南アジアには伝統的な様式が数多く残っていると思うんですが、そういう中に何の変哲もなくエレクトロニクスが入っている。小説の世界に出てきそうな世界が、いきなりナマのものとして現れてきたわけです。これは「ヤバい」なと。僕が考えるテクノロジーがまるで違う文脈や感覚である世界では使われているんだということにショックを受けました。
Open Reel Ensemble
異なった文化圏では、例えば電気が魔術のように扱われたり、蛍光灯が神の光のようにとらえられたりもする。そうすると、僕らの世代から見ると奇妙なデザインをした古い巨大なラジオやオープンリールがものすごく異国的でファンタジックな機械に見えてきたんです。で、僕はある町で、人々がオープンリール楽器を持ち寄ってセッションしているという光景がパッと脳裏に浮かんだんです。そういう世界に旅行に行きたいな、でもきっとそういう世界はないから、自分でそこの住人になろうかな、とか。そういう空想が続く限り、そこで見たものをつくる、それが僕のテーマみたいになっている。
柴:僕もまったく和田さんと同じで、まずは、頭の中でスパークするんです。それは自分が見たい、体験したいっていうことなんですけど。
僕は演劇にある「物語」が好きなんです。手法ももちろんあるんですけど、結局最後に人を引きつけるのは物語だと思っています。僕はわりと作品そのものよりも、手法がどうだとかよく言われますが、僕自身はオールドスクールの演劇も大好きですし、新しくなければ価値はない、という思想はまったくないんです。でも、見たことも聞いたこともないような物語をつくりたいっていう単純な欲求はあって。これからは自分がやってきた手法や発想と物語を、もっと溶け合わせたものを作ってみたい。そういうものに僕自身もいちばん感動するし、もしかしたら、手法さえも気づかれないかもしれないし、よくある物語もすごく新しい感動になるかもしれない、ということを思っています。でも、そういうものを無理に探し始めると、自分自身の劣化コピーのようなものしかつくれなくなってしまうかも…。
『わが星』(撮影/青木司)
和田:そうそう。作品づくりの原動力とは、ある風景が自分のなかでスパークすること! 新しいことをやってやろうということではなくて、僕は何かが降りてきたときにものをつくるし、降りてこなかったら別に何もやらないと思う。根っこに自分のやりたいことがあり続けていて、それが愉しければ、何かをやっていると思うんですよ。
柴:僕も今後こういうことを続けていくかどうかはわかんないんですけれども、自分で見たいもの、スパークするものがあるかぎりはつくり続けていきたいと思う。なおかつ同じことばかりやっていてはつまんないので、パッと見は何も新しくないかもしれなくても、もっと違った目に見えないものが僕のなかで挑戦になっていたりする作品も作りたい。いまつくっている僕の作品はとにかく数あるやりたいことのひとつですね。
いまはもうリアルというのはみんなあまり追求していなくて、やはり演劇として何が本当に面白いかというのをみんな考えてる(柴)
柴:『HARAJUKU PERFORMANCE+(PLUS)』でやる『反復かつ連続』は2年前ぐらいからやっている作品で、時間や構造を自由にいじっていいんじゃないかという発想でつくった初めての作品です。役者も、最初からずっと同じでもう3年ぐらいやっているのですが、これからも長くやっていけたらいいな、と思っています。
女の人の一人芝居で家族の朝食風景をやるという、これもさほど新しくない感じですが、いちど時間をバラバラにして、一人で5人の登場人物を演じています。ナマで見ると本当に5人が見えているような気になってくる。その5人のレイヤーが重なっていく感じが、見ている人に想像しながら楽しんでもらえるし、最後には、だれもいなくなった舞台にも人がいるように見えたりする…そういう作品なんです。
『反復かつ連続』(撮影/青木司)
和田:僕が『反復かつ連続』を見て、いいなと思ったのはまさに最後のシーン。最後におばあちゃんが出てきますが、それまで音という要素が前面に出ていたのに、最後に音では表現されないレイヤーが登場する。日常的な風景の中に、目に見えないレイヤーが存在するということにハッとさせられました。会話をパーツに分けてレイヤーとして見る面白さだけで見ればそれまでですが、そこに日常世界を組み込んできたことに演劇性というかリアルなメッセージがあるということを僕は感じた。
小沢:「リアル」という言葉を、ここ数年演劇業界では重要なこととして捉えていたようだけど、「演劇は本当にリアルじゃなければいけないのか?」、という問いかけはしてもいいんじゃないかと考えています。「リアル」という言葉をどう定義づけるか、という問題はあるにせよ、ここでは現実をトレースし、そしてそれを表象代行していくということを「リアル」と言うならば、別にそのことだけが演劇が向かうべき方向ではないんじゃないかなという気もしているんですよ。
柴:「リアル」論争をやるとたいへんなことになっちゃうと思うんですが(笑)、ここ数年の流れのひとつには、やっぱり前の時代からの反動があったんだと思うんです。演劇のダイナミズムに依ったものが前の時代には多くて、僕がちょうど演劇をやり始めた数年前ぐらいからその反動が起こってきて、もっと演技が生身で感じられる感覚とか、ナマで見ている世界の面白さを演劇で伝えられないのかということをみんな模索していた。いまその成果がだんだん実ってきているだと思うんです。で、逆にいまは、日常では大声で叫ばないけど舞台で大声で叫ぶのって面白いよね、とか、飛び跳ねる人間の身体や能力みたいなものって可能性があるよね、とかみんな思ってるんじゃないか。でも、かといって別に大声でしゃべる演劇には戻らなくて、自分たちが持っている生身の感覚を無視しないで、一方で遠い絵空事とすることもなく、なにか接点があるようにつくる。それなら演劇としてできるなと。だから、いまはもうリアルというのはみんなあまり追求していなくて、やはり演劇として本当に何が面白いかというのをみんな考えてる。で、結果的にすごくリアルにはできるんだけど、あえてちょっと変な部分を残していたり、リアルっぽいけどリアルじゃない芝居が増えてきているんじゃないかと思います。
僕は携帯やパソコンなどテクノロジーが好きなんですが、パソコンがあることによって、演劇でできることが単純に増えるなと思うんです。『反復かつ連続』は、パソコンがあって、音楽を編集するソフトや録音するマイクも安く買えて、そういうのがあったからできた作品とも言えます。もちろんなかったらなかったで別のことを考えたかもしれませんが、身近なテクノロジーの発達によって、奇跡や魔法みたいなものを目の前で見せたいという欲求が満たせる気がするし、単純にメカが増えることでやれることがどんどん増えていく感じがする。
あと、僕たちの世代は、YouTubeなどのおかげで過去のものも現在のものも一緒くたに見ることができる。過去の作品もたったいま生まれた作品もぜんぶ同じで、いまここあるものとして並列になるし、過去のものも新しい感覚として見たり見せたりすることができる。つまり、和田さんのオープンリールなどがパソコンと合体することによって、もう一回復活するというか、新しい感覚として見せることもできる。テクノロジーのおかげでなんか面白くなってくるな、というのがありますね。僕の作品はとくにPCやメカがあってはじめて発想ができる作品なので、素直にこの年代に生まれてよかったなあと思います。
和田:そうですね。僕は、70年代のロックも大好きだし、近年のエレクトロニカも好きでよく聴いていますが、古い/新しいという感覚が溶解して、純粋にいいなあと思うものとして並列に存在している。
小沢:つまり、はじめからすべてが並列にあるものとして生きている世代ということですか?
和田: 並列もそうですが、もうひとつには継承だと思うんです。僕は過去に生まれたさまざまな、自分が「かっこいい」と思うものに影響を受けている。それは音楽だったり映画だったりするんですが。それと同時に、いまの世の中に新しい道具や概念がどんどん出てきたときに、その過去の「かっこいい」ものにそれらを取り入れていくと、突然新しい感覚みたいなものが誕生したりする。つまり、過去のいいものを継承しつつ、そこにそれまで関係なかったものがコラージュされ、ドッキングされていくということで、既存のものの寄せ集めから自分の表現をつくるひとつのブリコラージュとでも言えるものが生まれるんです。これとこれが結びつくなとか、関係を見つけて組み合わせていく楽しさ、そしてそこからものを生み出す感覚というかチャンスが、情報時代の僕らの世代にはあるんじゃないかなあと思います。
80年代ブームでも、ゼロ年代カルチャー総括でも、テンネン代でも、いまや滅びつつあるマスメディアや批評家の言葉なんかに二人は絡めとられないで欲しい(小沢)
小沢:柴君や和田君たちが生まれた80年代というのは、日本のなかで「パフォーマンス」という言葉が「ニューアカ」ブームと一緒に、知的でおしゃれなものとして受容されていたときです。例えば、ローリー・アンダーソンやナム・ジュン・パイク、ヨーゼフ・ボイスなどのパフォーマンス・アーティストが次々と来日し、一気に日本に紹介されました。そういうなかで82年にラフォーレミュージアムが開館し、ローリー・アンダーソンのライブ・パフォーマンスをいち早くやったり、カッティングエッジな音楽イベントをやったりして、最先端のパフォーマンスをはじめとするアートやファッションの流行の発信拠点を担っていた。いまでこそ公共の美術館や劇場がたくさんありますが、80年代はそういう施設がまだ少なく、ラフォーレミュージアムというのは新しいトレンドを紹介する場のひとつとなっていたわけです。つまり何を言いたいかというと、そういった歴史ある場所で2009年というこの時代に『HARAJUKU PERFORMANCE+(PLUS)』をやらせていただけるのは、その偉大なる歴史に繋がり継承しているという意味でとても光栄なことなんです。そして、過去の歴史をひもとけば、自分がやっていることは間違っていないんだなあと思ったりするんですよ。
さらに、劇場でもない、ライブハウスでもないこの場所をどういう空間に演出するのかは私個人のテーマでもあります。やはり劇場だと演劇やダンスです、ライブハウスだと音楽です、というフォーマットがありますが、ラフォーレミュージアムをそういうふうに最初からジャンル化された場所にせずに、でも、それがわかりづらかったり伝わりにくかったりしないように、新しいパフォーマンス/アートが出てくる場にしたい、ということはいつも考えているんです。
柴:僕の作品も劇場ではない場所でもやりたいと思っているんですけど、かといってそんなにフレキシブルというわけでもなくて。何度も言うように僕自身はわりとちゃんと演劇しているというところで、『HARAJUKU PERFORMANCE+(PLUS)』のラインナップのなかで僕の作品はどう見られるのか、とても愉しみではあります。
和田:僕はICCで展示やライブをしたりしたのですが、アートなのか音楽なのか? と言われたことがあります。でも自分では特定のカテゴライズをあまり意識していません。ジャンルやフォーマットなどはむしろ周りが勝手に決めることで、僕自身はあくまでも音で遊んでいるという感じです。
僕は柴さんの作品を見たときに、すごく映像的だなと思ったんです。ノーマン・マクラーレンやミシェル・ゴンドリーのようなある種の構造的な映像作品に見られる仕掛けのセンスに似た感覚というか。でもそれだけではない演劇的なストーリーもある。そこがパフォーマンス+(プラス)だな、と(笑)。ジャンル分けなんて気にしない僕たちがここに出るんだなと。
小沢:今回『HARAJUKU PERFORMANCE+(PLUS)』のキーワードやテーマを考えるときに、柴君の『反復かつ連続』や和田君のオープンリールに出会ったのは大きかったんです。この二つを柱にすれば何かできるんじゃないかとひらめいたんです。現代音楽でもコンテンポラリーダンスでも、振り付けやメロディが「反復すること」と、そこから「ずれていくということ」は、作品レベルだけではなく表現全般に関わる重要なテーマだと考えているんですよ。黒田育世さんの踊りや、はむつんサーブのアニメーションダンス、トーチカのような空中に浮かび上がるカラフルな光のアニメーションも、根底ではみな同じテーマのもとにあります。ロマンチカの今回の物語がフーガのように何度も繰り返しながら漸進し、その度に同じモチーフが少しずつ変化する、とい構造もまさに「差異」と「反復」なんですよ。テーマを「反復」といっても一般には伝わりにくいので、「アーキテクチャ(構造)」のような言葉にしたのですが、その根底に流れるテーマをつないだこのラインナップは、最終的にお客さんにどう見えるのかな。
たとえば『スタジオボイス』のようなカルチャー雑誌がなくなり、新しいものとか、見たことのないものを、「これはいいんだぞ」と教えてくれる媒体がどんどん消えている。新聞や雑誌とか大きなメディアがインターネットに取って代わられるという境目に僕らはいると思うんですね。そういう意味では、二人はゼロ年代に生きていたんだけれども、どうですか? テンネン代というやつが来年ぐらいから来るそうですが?(笑)どうなんでしょうか。私的には80年代ブームでも、ゼロ年代カルチャー総括でも、テンネン代でも、いまや滅びつつあるマスメディア(TV、新聞、雑誌など)が「差異」を生み出して付加価値にし、「反復」して売りさばくという資本主義に忠実なゲームに加担しているだけだなと思うんですよ。大きなメディアが衰退する世の中になると、カルチャーのパッケージすら成り立たないような感じになってくるし、そういった旧態依然としたメディアや批評家の言葉にお二人は絡めとられないで欲しいと思っています。
お二人には原動力もあるし、これとこれを選んで、さらにそれをドッキングさせたらお互いにスパークできるということもあり得ると思います。ここまで盛り上がっちゃったら、いずれ二人で何かやったらどう?
柴・和田:いやあ、ははは〜。もうちょっと待ってくださいよ〜(笑)。
小沢:なに、いきなりこのノリは?(笑)
柴:僕たちがもっと仲良くなったら、お互いがどこを大事にしているか分かってきて、やっぱりそれぞれに譲れないものが出てくることもあるかもしれませんよね。僕は僕で、演劇的に譲れないことがあるかも。だから、簡単に一緒にやりたいとはまだ言えないかもです。でも、今日聞いた話も本当に面白くて、今後いっしょにできたら、とは思います。
和田:自分自身、まずは直感で動きますし、あとは偶然の出会いだったりするんですよ。共鳴する何かと何かが化学反応を起こしていれば、自然にどんどん自分のなかに風景が生まれていく。おいおい、ぜひお互いが溶け合うような何かをやりましょう!
- イベント情報
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- 『HARAJUKU PERFORMANCE+2009』
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2009年12月19日(土)、20日(日)、22日(火)、23日(水)
会場:ラフォーレミュージアム原宿ロマンチカ・スペシャル公演
横町慶子 SOLO ACT VOL.01『かわうそ』
2009年12月19日(土)19:00
2009年12月20日(日)15:00 / 19:00
作・演出:林巻子
主演・振付:横町慶子
音楽監督:菊地成孔
声の出演:田口トモロヲ
料金:前売4,000円 当日4,500円
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- ロマンチカ・スペシャル公演
横町慶子 SOLO ACT VOL.01『かわうそ』 -
2009年12月19日(土)19:00
2009年12月20日(日)15:00 / 19:00
作・演出:林巻子
主演・振付:横町慶子
音楽監督:菊地成孔
声の出演:田口トモロヲ
料金:前売4,000円 当日4,500円
- ロマンチカ・スペシャル公演
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- 『パフォーマンスライブ』
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2009年12月22日(火)19:30
2009年12月23日(水)13:00 / 18:00
出演:
黒田育世
はむつんサーブ
生西康典
contact Gonzo
トーチカ
柴幸男
Open Reel Ensemble
山崎広太
料金:前売3,500円 当日4,000円主催:ラフォーレ原宿
企画制作:ラップネット、日本パフォーマンス/アート研究所
キュレーター:小沢康夫(日本パフォーマンス/アート研究所)
- プロフィール
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- 柴幸男<
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1982年生まれ。愛知県出身。劇作家・演出家・ままごと主宰。青年団演出部所属。日本大学芸術学部在学中に「ドドミノ」で第2回仙台劇のまち戯曲賞を受賞。日常の機微を丁寧にすくいとる戯曲と、ループやサンプリングなど演劇外の発想を持ち込んだ演出が特徴。全編歩き続ける芝居(「あゆみ」)、ラップによるミュージカル(現代口語ミュージカル「御前会議」)、一人芝居をループさせて大家族を演じる(『反復かつ連続』)など、新たな視点から普遍的な世界を描き出す。東京を拠点に、地方公演やワークショップ活動など精力的に行っている。
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- 和田永
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1987年生まれ。多摩美術大学情報デザイン学科在籍中。旧式のオープンリール式テープレコーダーを楽器として演奏するパフォーマンス・グループ 「Open Reel Ensemble」を主宰する一方、ミュージシャンとしても活動し、ギター、ピアノ、打楽器、電子楽器を演奏する。各種楽器を駆使して音楽/音響作品を多数制作。新作のパフォーマンス作品「Braun Tube Jazz Band」で第13回文化庁メディア芸術祭アート部門優秀賞受賞。
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- 小沢康夫
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プロデューサー、日本パフォーマンス/アート研究所代表。2003年、企画制作会社プリコグ設立。2008年に代表を退き、後進に譲る。同年、日本パフォーマンス/アート研究所を設立。コンテンポラリーダンス、現代美術、現代演劇、メディアアート、音楽など既存のジャンルにこだわることなく、独自の観点でプロデュースする。ラフォーレ原宿30周年企画「HARAJUKU PERFORMANCE + Special」、金沢21世紀美術館「二十一世紀塾」、美学校「超・日本・パフォーマンス論」、ヨコハマ国際映像祭2009オープニングパフォーマンス「停電EXPO」、「Postmainstream Performing Arts Festival 2010」など。
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