7月17日より全国で公開が始まったスタジオジブリの最新作『借りぐらしのアリエッティ』。イギリスのファンタジー小説『床下の小人たち』を原作に、人間と小人という2つの世界を描いた物語は、ケルト文化を日本流にアレンジした世界観が大きな魅力となっている。実は民俗学的にも大きな共通点を持っているケルトと日本。今回は『借りぐらしのアリエッティ』の世界を紐解く人物として、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)のひ孫であり、島根県立大学短期大学部の教授、小泉八雲記念館の顧問も務める小泉凡氏に、その専門を生かした独自の視点で日本とケルトを解説してもらった。
(インタビュー・テキスト:タナカヒロシ 撮影:柏井万作)
世の中は人間だけの世界で完結していないんだよって。
―『借りぐらしのアリエッティ』は、イギリスの小説『床下の小人たち』が原作になってますけど、小泉八雲作品との共通点はあるんでしょうか?
凡:小泉八雲は『床下の小人たち』みたいなファンタジーは書いてないんですけど、考え方は本質的に似通っていて、一言で言えば「反人間中心主義」だと思うんです。世の中は人間だけの世界で完結していないんだよって。ファンタジーっていうのは、だいたいそうなんですね。
©2010 GNDHDDTW
―例えばどんなものがあるんですか?
凡:『ハリー・ポッター』はファンタジーの代表作だと思うんですけど、ホグワーツ魔法学校では人間のことを「マグル」って呼んでいるんです。この造語の語源は、英語で「愚か者」をあらわす”mug”から来ているとも言われます。人間を外側から見ると愚かに見えるんだっていう解釈もできますよね。ジブリ作品でも、『平成狸合戦ぽんぽこ』では狸の世界から人間を見たり、『となりのトトロ』も、『千と千尋の神隠し』も、人間の世界だけじゃなくて、もうひとつの世界が出てきますよね。もちろん『借りぐらしのアリエッティ』も、人間とは違う小人の世界が床下にあって、それとどうやって共存共栄していくかということが描かれてますよね。
―なるほど。八雲のほうはいかがですか?
凡:八雲も『怪談』の著者として、日本の古いものを追いかけていたイメージがありますけど、実は日本の未来をしっかりと見ていたんですね。120年も前の発言なんですけど、「日本が将来生き残れるかどうかは、日本人がシンプルライフを続けて、自然との共生をしていけるかどうかにかかっている」とか、「日本は西洋文化を受け入れることで物質的に豊かになって、コストの高いバブルの時代を経験することになるけれども、そのときには中国に負けるだろう」っていうことを言ってるんですね。
小泉凡
―完全に当たってるじゃないですか!
凡:そうなんです。「異界は生きる目的を与えてくれると同時に、人間が自然を畏怖しなければいけないことを教えてくれる。だからゴーストの世界は必要なんだ」ということを八雲は言ってるんですが、アリエッティの世界もそうだと思うんですね。人間がすべてをコントロールしていいんだっていうのではなくて、異界を畏怖するというか、もうひとつの世界に気を遣うというか。それによって人間が謙虚さを失わないということを教えてくれるような気がするんです。
怪談にトイレが出てくることが多いのは、日本人にとって一番近い異界との接触点と信じられてきたからなんですね。
―『床下と小人たち』や『ハリー・ポッター』はイギリスのファンタジー小説と言われてますけど、イギリスのファンタジーとケルトはイコールというわけではないんですか?
凡:しっかりと「これはケルトだよ」と書いているわけではないので、そういう意味では違うと思うんです。ただ、総じてケルト的な要素は強いですよね。ケルトにはもともと「ドルイド」という信仰があって、これはアニミズムなんですね。
―アニミズムというのは?
凡:石や樹木に精霊が宿るという考え方です。アイルランドはケルト人の国の代表ですけど、キリスト教とは明らかに違う文化があるんです。例えばアイルランドには、石が環状に置かれたストーンサークルがたくさんあって、その下にはレプラコーンという小人妖精が住んでいると言われているんですね。毛むくじゃらの妖精だったりしますけど(笑)。妖精たちは食事を与えたりすると、ちゃんとお返しをしてくれる。部屋をきれいに掃除してくれたり、道に迷っていたら正しい道を教えてくれたり、そんなことが信じられています。『床下の小人たち』には、小人という妖精に近い存在が主役になってますし、そういうケルトの伝承的な要素がありますよね。
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―石や樹木に精霊が宿るという考え方は、日本的でもありますね。
凡:だからアイルランドから来た八雲は、日本文化を理解しやすかったんだと思います。それに、我々はなんとなくケルト音楽に共感したり、ケルト的な文学に共感しますよね。それは知らず知らずのうちに、いまの若い人たちにも受け継がれていると思うんです。あんなにパワースポットって騒いだり(笑)。『学校の怪談』だってそうですよね。トイレが出てくることが多いのは、日本人にとって一番近い異界との接触点と信じられてきたからなんですね。
―よくトイレの中から手が出てきてとか言いますよね。
凡:それは京都に「かいなで」という妖怪の伝承があるんですけど、「花子さん」もその変形した形だと言われています。最近の小学校では、「三時ババア」とか「四時ババア」とかっていうトイレの妖怪がいるとも言われていますし。『三枚のお札』という昔話にも、異界と結ぶ通路としてトイレが出てきたり。子供たちは、そういうことを知らず知らずのうちに伝承してきてるんじゃないかなと思うんです。
大陸の端に位置していたことで守られたもの
―日本とアイルランドは、世界的に見てもそういうお化け的な言い伝えが多い国なんですか?
凡:そうですね。なぜかと言うと、ユーラシア大陸の端と端の国である日本とアイルランドは、そういった伝承が残りやすかったんじゃないかという説があって。最近では、ケルトのルーツは中央アジアじゃないかと言われているんですけど、そこから西へ東へ伝わって、日本やアイルランドに残ったんじゃないかと。
―だんだん追いやられちゃった?
凡:そう考えられるかもしれないですね。中央のケルトは逆に消えちゃってますよね。スイスも、フランスも、ドイツも、弥生時代くらいまではケルト人が住んでいたけど、いまは痕跡しか残ってない。
―追いやられた歴史があるから、人間の世界を外から見つめる文化が育ってきたんですかね。
凡:それもあるでしょうね。それと、強い一神教になじまなかった。日本でも、キリスト教やイスラム教はあまり受け入れられないですよね。韓国ではキリスト教が多いのに。アイルランドの人は、ほとんどがキリスト教のカトリックですけど、同時に精霊信仰もありますから。端のほうに残って、それ以上行き場がなくなったからこそ、自然とうまく共生するようになったのかもしれないですね。異界も意識できる、人間世界だけで完結しない考え方が。
―そういう世界観はジブリ作品と共通してますよね。
凡:そうですね。さっきも言いましたけど、ジブリ作品の一番の魅力は、人間中心主義ではないところだと思うんですよね。21世紀という時代では、自然とも、動物とも、ある意味では異界とも共生していかなければいけないと思うんです。ジブリ作品は、そういうメッセージを非常に魅力的に伝えてくれてますよね。
ケルト音楽って、人を感動させようと思って作ったアートとしての音楽とは、ちょっと違うものがあるんじゃないかなと思うんです。
―これを読んだら、もっとアリエッティがおもしろくなるんじゃないかという八雲作品はありますか?
凡:『雪女』とか『狢』とか、『怪談』の短編のなかには、異界と人間世界のバランスを暗に表現したようなものがありますよね。『雪女』には異界と結んだタブーを犯しちゃいけないっていうことが含まれているし、『狢』には異界に通じる「坂」という空間と、闇という人間が管理できない時間について書かれています。それと『耳なし芳一』もいいですね。芳一は琵琶の名奏者で、異界とこの世に引き裂かれるような運命を持ってますけど、実はアイルランドにも『魔法のフィドル』という同じような民話があるんですよ。
―フィドルというのは、バイオリンのことですよね。
凡:そうです。ケルト音楽ではバイオリンのことをフィドルと言います。レイクオニールという人物が、フィドルがうまくなりたくて、妖精の力を借りる物語なんですね。妖精から力を授けられて、素晴らしい演奏を毎晩していたら、フランス王の前で演奏してくれと頼まれて、王の館で毎晩演奏するようになるんですけど、ある日突然ベッドの上で倒れて死んでしまって。そのときに魔法のフィドルが粉々になっていたという話なんです。
―確かに『耳なし芳一』そっくりですね。
凡:やはりこれも、やすやすと異界の力を頼るのはよくないっていうことが、暗に現されているんじゃないかと思うんですね。八雲が芳一の話をあれだけ気に入ったのは、もともと『魔法のフィドル』を知っていたからじゃないかと思うんです。自分も盲目に近い状態(※16歳で左目失明、晩年は右目もほとんど見えてなかった)でしたし、主人公の芳一と共感するようなものがあったんでしょうね。
―それと、アリエッティには全面的にケルト音楽が使われているので、音楽にも注目すると楽しめるかもしれないですね。
凡:そうですね。ケルト音楽って、伝承性が強いというか。曲を作ったセシル・コルベルさんは、フランスのケルト・ミュージシャンですけど、彼女が生まれたブルターニュ地方は、いまでもケルト文化が残る地域なんですよ。大地からのメッセージとか、異界からのメッセージを自然にケルト民族が受け止めてきた、それを彼女が表現したというか。ケルト音楽って、人を感動させようと思って作ったアートとしての音楽とは、ちょっと違うものがあるんじゃないかなと思うんです。だから癒しにもなるし、ホッとしたり、元気づけられたり。アリエッティのようなストーリーの作品には、自然に合ってるんじゃないかと思います。
セシル・コルベル
―今日は興味深いお話を本当にありがとうございました! ところで10月には、松江城で八雲さんの生誕160年を記念したイベントがあるそうですね。
凡:そうなんですよ。生誕160年、来日120年。「ラフカディオ・ハーンの開かれた精神」をテーマに、全国のアーティストに作品を送ってくださいとウェブ上で呼びかけていまして。いま、ギリシア、アイルランド、アメリカといった八雲と縁のある国を中心に、15〜16人のアーティストが作品を作りたいとおっしゃられていて。日本でも、水木しげるさんなどが出してくださる予定です。アートであれば国境を越えて、文学好きにも、映画が好きにも、子供にも見てもらえるので。それで、八雲が言いたかったオープン・マインド、共生の考え方、そういうものを知っていただきたいなという。
―松江行って、境港行って、一緒に観光もしたら楽しそうですね。出雲大社は10月は神在月(※通常は神無月だが、全国の神々が出雲に集まるため、出雲のみ神在月という)ですしね。
凡:はい。全国にある八雲愛好者や研究者の団体が宮城から熊本まであるんですけれども、それが一同に集う『八雲サミット』というイベントも松江で開催しますので、10月はぜひ松江を訪れていただければうれしいです。
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- 『借りぐらしのアリエッティ』
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大ヒット上映中 全国東宝系ロードショー
監督:米林宏昌
企画:宮崎駿
原作:メアリー・ノートン『床下の小人たち 』
主題歌:セシル・コルベル“Arrietty's Song”
声の出演:
志田未来
神木隆之介
大竹しのぶ
竹下景子
三浦友和
樹木希林
アニメーション制作:スタジオジブリ
配給:東宝
- リリース情報
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- セシル・コルベル
『借りぐらしのアリエッティ サウンドトラック』 -
2010年7月14日発売
価格:2,500円(税込)
TKCA-735371. The Neglected Garden(荒れた庭)
2. Our House Below-Movie Version(床下の我が家)
3. Our House Below-Instrumental Version(床下の我が家)
4. The Doll House-Instrumental Version(ドールハウス)
5. Sho’s Lament-instrumental Version1(翔の悲しみ)
6. Arrietty’s Song-instrumental Version(Arrietty’s Song)
7. The Neglected Garden-Instrumental Version(荒れた庭)
8. Sho’s Waltz(翔のワルツ)
9. Spiller-Instrumental Version(スピラー)
10. Rain-Instrumental Version(雨)
11. The Wild Waltz(ザ・ワイルド・ワルツ)
12. Sho’s Lament-Instrumental Version2(翔の悲しみ)
13. Au Uneasy Feeling(不安な気持ち)
14. With you(あなたと共に)
15. The House is in Silence(静寂の屋敷)
16. Sho’s Song-Instrumental Version(翔の歌)
17. Precious Memories(大切な思い出)
18. Goodbye My Friend-Instrumental Version(グッバイ・マイ・フレンド)
19. I Will Never Forget You(あなたを決して忘れない)
20. Arrietty’s Song(Arrietty’s Song)主題歌
21. Tears in My Eyes(僕の涙)ボーナストラック
22. Goodbye My Friend(グッバイ・マイ・フレンド)ボーナストラック
- セシル・コルベル
- プロフィール
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- 小泉凡
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1961年東京生まれ。『怪談』の著者である小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)のひ孫。成城大学大学院文学研究科日本常民文化専攻博士課程前期修了。専攻は民俗学。26歳で島根県松江市に移住。高校の教員、小泉八雲記念館学芸員を経て、現在は島根県立大学短期大学部の教授。同時に小泉八雲記念館顧問、山陰日本アイルランド協会副会長も務める。ラフカディオ・ハーンの民俗学的研究、柳田國男研究、ケルト口承文化研究、出雲地方の民俗に関する研究などを行っている。
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