ある日テレビを観ていたら、NHKの『トップランナー』にバレリーナが出演していて、その踊りの美しさに心の底から感動している自分がいた。いろいろな芸術表現をみてきたが、ここまで強烈に一つのことを突き詰めている芸術もそう多くはないだろう。幼少期から始めて、体の作りまで変わってきてしまうほどの修練を積まなければ決してトップクラスまでたどり着けない。そんな究極の芸術世界である。そんな芸術世界の魅力って何だろう? という思いから、『トップランナー』に出演されたご本人、SHOKOさんにお話を伺った。日本と世界との差は否めない状況の中、世界からも格別な評価を受けてきた熊川哲也や吉田都の次世代としてその活躍に期待が集まっているバレリーナの話には、どんな人間にも共通する悩みや気づきがあるはずだ。
(インタビュー:吉田悠樹彦 テキスト・撮影:柏井万作)
ファンタジーな世界観にのめり込んでいった少女
─SHOKOさんは幼い時からバレエを踊っていらっしゃいますが、当時からバレエに夢中だったのですか?
SHOKO:6歳のときに父と母の勧めで妹(中村陽子:バレリーナ)と一緒に始めたんですが、小学校にはいってからはもう夢中でした。熱があって学校を休んでもバレエ教室には行っちゃうような感じで(笑)。
─かなりのめり込んだんですね。どんな魅力があったんでしょう?
SHOKO:小さいときはわりと内気な性格だったんですが、バレエをしているときはそれとは間逆な自分がいて、内なものをオープンにできたんですよね。バレエのファンタジーな世界観に入り込んでいくのが居心地よくて。逆に自分がそういう性格を持っていたからこそ、ファンタジーの中に入っていけたんでしょうね。
─たしかにバレエって、確立された世界観がありますね。
SHOKO
SHOKO:そうですね。それにバレエの発表会でも、衣裳をつけ、お化粧をしてもらってティアラをつけて、それで「パン!」とスイッチが入るような感覚があって。緊張よりも気持ちよさを感じていましたね。踊っている鏡の中の自分を見るのも好きだったし…。きれいな自分を見るのが、女の子はみんな好きなんだと思うんです。先生からも「子どもの頃からピアスじゃなくてイアリングをつけてきなさい、おしゃれをしてきなさい」と言われていて、ますます鏡の中の自分に没頭するようになって(笑)。
─田中千賀子先生ですね? 素晴らしいダンサーを育てていらっしゃる方ですよね。
SHOKO:そうですね。最初は佐賀の近くの野村理子先生、そして父の転勤で田中千賀子先生に出会いました。同期に志賀育恵さん(東京シティ・バレエ団)、さらに吉田朱里さん(貞松・浜田バレエ団)がいたので、とても励みになりましたね。
欲深くなければいけない。そうじゃないと、誰も私のために頑張ってくれるわけではないし、誰も教えてくれないですから。
─SHOKOさんは主に海外で活躍されているバレリーナですが、そのきっかけは?
SHOKO:1996年、16歳のときにスイスで行われる『ローザンヌ国際バレエコンクール』(新たな才能の発掘を目的に毎年開催されているコンクール)に出て、それがきっかけで「シュツットガルト・ジョン・クランコ・バレエスクール」(ジョン・クランコ:1927-73。南アフリカ出身。ダンサー・振付家。イギリスで活躍の後、1961年よりシュツッツガルト・バレエ団の芸術監督になりその活躍で注目を浴びる)に入ることができたんです。海外に行って人間的にオープンになったし、言いたいことをきちんと言えるようになりました。そしてバレエには、精神力が必要だと気づかされましたね。
─言葉の壁は大きかったですか?
SHOKO:苦しい時期もありましたが、一緒に生活していくと通じ合うものはあるんです。それを出さないといけないし。言葉が通じないなら余計に、欲しいなら欲しいといわなきゃいけないじゃないですか? そういうアクションがそのまま踊りに繋がっているんだということに気がつけたのは大きかったです。
─たとえばそれはどういうことでしょうか?
SHOKO:バレエは劇中に言葉がない分、「花(の形)」とか「(方角の)あっち」とかを示す「ポーズ」があるじゃないですか。私はそれまで、「ポーズ」として大げさな形でとめてしまっていたんですが、それだと不自然で、見ている側にリアルには伝わらないんです。
─型にはまり過ぎてしまっている?
SHOKO:やっぱり気張っちゃうんですね。バレエだから「ポーズをきちんとしなきゃ」みたいに。でもたとえば、普通の生活の中で人を呼ぶ時はバレエ風に呼んだりはしない。普段はもっと自然な動作や気持ちで人を呼びますよね。そういう「自然さ」がバレエの「ポーズ」の動作にあれば、お客さんにもスッと伝わるし、ハッと吸い込まれるものになるんじゃないかと思うんです。海外に行って、バレエをそういう風に踊っていいんだと思えたことは大きかったですね。
─なるほど。バレエはある意味で伝統芸能的というか、「決まった型」を追求していく文化だと思っていましたが、それだけではない部分が沢山あるのですね。
SHOKO:限りなく次から次に課題があるし、それがあるから成長もするしいい作品もできる。そういったことに気づけるかどうかがとても重要だし、普段から気をつけて生活をしたり、人からの助言に耳を傾けたりしていないと課題も成長も見つけられないですよね。
─貪欲ですね。
SHOKO:海外に行って変わりましたね。欲深くなければいけないと思いました。そうじゃないと、誰も私のために頑張ってくれるわけではないし、誰も教えてくれないですから。自分が頑張って、自分で得るようにしないと。
いい調子で行っているときって必ず何か起きるんです。
─SHOKOさんは大きな試練も経験していますね。
SHOKO:バレエ学校を卒業して、1998年にようやく「シュツッツガルト・バレエ団」(ジョン・クランコが1961年に芸術監督に就任する。それまでオペラから独立をしたバレエ団はドイツになかったが、その活躍で瞬く間に世界のトップになる)へ入団できたのに、1年目に靭帯を切ってしまったんです。それはもう大きな怪我で、日本に戻って手術とリハビリをしていたので、最初の一年を駄目にしてしまって。結局その次の契約はもらえずに退団することになりました。それからまたオーディションを受けて、2000年にウィーンの「ウィーン国立歌劇場バレエ団」が決まって。
─大きな怪我だったと思いますが、バレエをやめようとは考えなかったのでしょうか?
SHOKO:あの怪我をしたときは、もう戻れないんじゃないかと思いました。私は結構頑張るタイプですけど、あのときは足が動かなかったので…、それは相当ツラかったですね。でも母が熱心に励ましてくれて、何度も歩いては腫れてを繰り返しながら、やっと歩けるようになったんです。踊れるようになるまで、1年半かかりました。
─大変な時期でしたね。
SHOKO:今ではいい機会だった、必要な期間でもあったと思っています。それまではトントン拍子で歩んできて、「もう何でも出来る」みたいに舞い上がっていた自分をリセットできたというか。いい調子で行っているときって必ず何か起きるんです、「ちょっと待って!」って言われているみたいに。後から考えてみれば、それは自分自身のことしか見えていない時期で、周りのことを気にかけられていないし、見えていないんですね。ここまで大きな経験ではないですけど、一番重要なときに舞台に出られなかったり、その後もこういうことが何度かありました。
─「自分自身のことしか見えていない」と、やはりうまくいかない?
SHOKO:自分がしっかりしていないといけないんでしょうね。怠けるとすぐ踊りに出ます。怠けた分その時間は過ぎ去るし、コンディションも落ちるし、頑張っている人との差は開いてしまう。ダンサーはそういうことで悩んでいる人が多いですね。だからいつもいろんな場面から得ようとする、受け入れようとする気持ちが大切。アイデアになるものはいろんな所にあって、それに自分から気づいていけるかが重要だと思います。それと身近な親であったり、いろんな人が支えてくれたからこそ、気づけたこともたくさんあります。
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4/5ページ:SHOKOが学んだ「バレリーナ」の話し
コールドがどれだけつらいか、その役割をしっかり理解することで、ソロの踊りも変わってくるんです。
─そしてその後、あのマラーホフが芸術劇場をつとめる「ベルリン国立バレエ団」に入団することになったわけですが、マラーホフとの出会いは?
SHOKO:シュツッツガルトに留学したときにお会いしたのが最初でした。実はそのときに私が(マラーホフに教わって)練習台として踊った役が、怪我でウィーン国立歌劇場バレエ団に移って初めて踊った大きな役(マラーホフが振付けた作品)と同じだったんです(笑)。本当に偶然だったんですけど、マラーホフがウィーンで『ラ・バヤデール』(マラーホフ版)という作品の振付けをやったときで。
─そうだったんですか。
SHOKO:それで2004年にマラーホフは「ベルリン国立バレエ団」の芸術監督になって。私はウィーンでいろんな作品を楽しく踊れていたから良かったんですけど、06年に「ベルリン国立バレエ団」へ行きたいと思ってマラーホフに相談したら、「あれ、僕03年に誘ったんだよ?」って(笑)。私は全然覚えていなくて、断ったらしいんです…。でも「もちろんだよ」って受け入れてくれて、ベルリンに行くことになりました。
─そして今やヨーロッパで最も勢いのあるバレエ団のプリンシパル(主役階級)として活躍しているわけですね。これまでで特に印象に残っている公演はありますか?
SHOKO:それぞれにいろんな思いがありますが、まず最初にウィーンで踊ったマラーホフ振付の『ラ・バヤデール』(マラーホフ版)です。最後にフェッテできめるとき、欲を出してたくさんまわったのですが、着地不成功で転んでしまったんですよ。それを当時の芸術監督のレナート・ツァネラが凄く怒ったんです。「君はもうプロとしてバレエ団に入っているのだから責任がある。自分個人の考えで動いては駄目だ」と。それでようやく、プロのバレエ団にいる意味を実感した、そういう作品でした。
─大きな成功よりも、失敗して学んだ作品を挙げるのが中村さんらしいですね。
SHOKO:そうかもしれませんね。ベルリンに行ってからだと、マラーホフが『“四季"冬』のソロを私に特別に振付けてくれたのですが、すごく嬉しくて一生懸命練習していたら、怪我をして踊れなくなってしまったんです。その作品では、別のシーンでコールド(主役を引き立てる群舞)もやっていたんですが、怪我から復帰したときにコールドのリハーサルに行かないで、自分のソロのリハーサルに行ってしまったんです…。そしたらそこでも、監督レナート・ツァネラに「コールドがあってこそのソリストなのに、何故ソロを踊りたい自己で動いてしまうのか?」と怒られて。その作品で、みんなで踊ることの重要性を学びましたね。それに、コールドがどれだけつらいか、その役割をしっかり理解することで、ソロの踊りも変わってくるんです。周りの人への気持ちがあってこその踊りだし、単純に「踊り」だけではない部分の大切さを学びましたね。
─なるほど。それでは逆に、これまで印象に残ったダンサーはいますか?
SHOKO:みんな本当にスペシャルな方ばかりなので1つ選ぶのは難しいですが、熊川哲也さんと吉田都さんは私の中で「夢の存在」だったので、やはり印象に残っていますね。お二人とも海外で踊っていらしたのですが、海外の人とはまた違う、熊川さんや吉田さん特有のパワーを持っているんですよね。
─SHOKOさんは今、熊川さん率いるKバレエでも踊っていらっしゃいますね。熊川さんとの共演はいかがですか?
SHOKO:熊川さんは「バレエが大好きなんだろうな」というのが踊りから伝わってきますね。踊っているときは、作品に集中してすべてのパワーをささげているのがよく分かります。そういう風に踊れるダンサーの方って、そんなに多くはないと思うんですね。本当にその作品を理解して、表現することにエネルギーを注いでいるダンサーとは、一緒に踊っていて全く違うパワーを感じます。こちらも心から全力でいこうと思えますし。熊川さんは、そういうことが出来るパートナーだと感じました。
─では海外で印象に残っている人は、やはりマラーホフでしょうか?
SHOKO:熊川さんとはまた違っていて、マラーホフは「妖精」みたいにふわふわしています(笑)。それはもう彼の性質というか、独特な「マラーホフ」というパワーというか。そういう特別なパワーをもっている人は本当にすごいと思います。上手なダンサーは多いですが、そういう特別なパワーがあるダンサーはひとにぎりだと思います。
バレエって、形とか様式美だけではないんですよね。
─日本でこれからやっていきたいことは何ですか?
SHOKO:14年間海外で学んできたことを、踊りを通じて出もいいし、何か言葉に出してもいいけれど、うまく伝えていきたいんです。アイデアを得たいと思っているダンサーは多いと思います。
─踊ることよりも、教育に近いことなのですね。
SHOKO:若いときはとにかく踊ることに夢中だったんですが、こういう年代になって「もっと伝えたい、もっと知ってもらいたい」という想いが強くなりましたね。
─20代のころと考え方が変わってきた?
SHOKO:30歳になってちょっと余裕が出てきたのかもしれません(笑)。20代のころはとにかく「いろんなものを吸収したい!」という気持ちで、がむしゃらにバレエを追求していて。だからそういう環境で知ったバレエの本当の魅力や可能性を少しでも日本のダンサー達に知ってもらえたらいいなと思っています。
─では最後に、ダンサーではなく一般の人に伝えたいのはどんなことですか?
SHOKO:バレエのイメージを、少しでも身近なものにしていきたいと思っています。バレエというと型通りというようなイメージになっている気がしているんです。もっと自然にバレエ芸術をダンサーそれぞれの表現を受け取ってもらいたいです。自然に生活していても、その自然さを踊りに表すことは簡単ではありません。だからこそ、これからもっと追求して、たくさんの方の身近な世界として幅広く伝えられればいいなと思っています。
─たしかにバレエって、様式美を追求しているイメージがありますね。
SHOKO:形とか様式美だけではないんですよね。たとえば『白鳥の湖』を型通りに踊ってしまうと「ああバレエだよね」ってものになってしまいますが、そこになにか自然な表現を加えて行くと、観客の方も一緒になってその世界に入り込んでくれる。そういうバレエを取り入れていきたいというか。観ていただくしかないんですけど…、それをちゃんと観せられれば感動もしていただけると思いますし、イメージも変わっていくと思うんです。まずはそうしたことを、しっかりやっていきたいと思います。
- イベント情報
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- オンワード樫山 Presents
『熊川哲也 K‐BALLET COMPANY Autumn Tour 2010』 -
※SHOKOの出演はありません
Aプログラム『コッペリア』
東京公演
2010年10月2日(土)18:00開場 18:30開演
2010年10月3日(日)13:30開場 14:00開演
2010年10月4日(月)18:00開場 18:30開演
会場:東京都 東京文化会館
料金:
2日・4日 S席18,000円 A席14,000円 B席10,000円 C席8,000円
3日 S席12,000円 A席10,000円 B席8,000円 C席6,000円2010年10月27日(水)18:00開場 18:30開演
2010年10月28日(木)13:30開場 14:00開演
会場:Bunkamuraオーチャードホール
料金:S席18,000円 A席14,000円 B席10,000円横浜公演
2010年10月23日(土)13:30開場 14:00開演
会場:神奈川県 神奈川県民ホール
料金:S席18,000円 A席14,000円 B席9,000円 C席7,000円その他の全国公演
2010年10月8日(金)
会場:愛知県 愛知県芸術劇場 大ホール2010年10月10日(日)、10月11日(月・祝)
会場:兵庫県 神戸国際会館こくさいホール2010年10月13日(水)
会場:佐賀県 鳥栖市民文化会館ホール2010年10月18日(月)
会場:北海道 北海道厚生年金会館Bプログラム『白鳥の湖』
東京公演
2010年10月30日(土)15:30開場 16:30開演
2010年10月31日(日)13:30開場 14:00開演
会場:Bunkamuraオーチャードホール
料金:S席18,000円 A席10,000円 B席8,000円 C席6,000円
- オンワード樫山 Presents
- プロフィール
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- SHOKO
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1980年、佐賀県生まれのバレリーナ。本名中村祥子。現在、ベルリン国立バレエ団のプリンシパルを務め、日本人バレエ・ダンサーとしては吉田都に続く実力派として国際的な評価も高い。96年、ローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を受賞し、96年よりジョン・クランコ・バレエ・スクール(シュツットガルト)に留学。98年、シュツットガルト・バレエ団に入団するが靱帯断裂の大怪我にみまわれ、日本へ帰国。同バレエ団の退団とリハビリ生活を余儀なくされる。2000年、ウィーン国立歌劇場バレエ団に入団。06年にはヴラジーミル・マラーホフが芸術監督を務めるベルリン国立バレエ団へソリストとして移籍し、07年9月より同バレエ団のプリンシパルへ昇格を果たした。また、熊川哲也が主宰するKバレエカンパニーではゲスト・プリンシパルとしてたびたび客演している。
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