誰でも一度は「名言集」というものを手にしたことがあるだろう。歴史上の偉人をはじめ、学者からスポーツ選手、もちろんミュージシャンまで、時に人生の指針となるかもしれない様々な「名言集」が世の中には溢れているが、その一方で、誰もが「自分だけの名言集」を胸に秘めているのではないだろうか? NujabesやINO hidefumiに続くジャジー・ヒップホップ/クラブ・ジャズの新鋭であり、パリコレをはじめとした様々なイベントで音楽ディレクションを手がけるなど、多岐に渡って活動をしているKenichiro Nishiharaは、中学校の担任や映画監督、大御所ミュージシャンたちから送られた、彼にとっての数々の名言のおかげで今があることを語ってくれた。そんな彼の最新作『Rugged Mystic Jazz for TALISKER』は、世界的に評価の高いシングルモルトウィスキーTALISKERにインスパイアされたコンセプト・アルバム。お好きなドリンクと音楽と共に、このインタビューからあなたにとっての名言を見つけて欲しい。
(インタビュー・テキスト:金子厚武 撮影:柏井万作)
「勉強やめて、トップになれるものを探しなさい」
―まずは音楽を始めたきっかけから教えてください。
Kenichiro Nishihara
Nishihara:中学校の1クラスが50人だったんですけど、1学期の1回目の試験の順位が48番で、担任の先生に「もっと勉強しろ」って怒られるかと思ったら、「君は勉強をやめなさい」って言われて(笑)。「勉強っていうのは黙っててもできる人がやるもので、君はいくらやってもトップにはなれない。勉強やめて、トップになれるものを探しなさい」って。それがちょうど音楽を聴き出した頃だったので、「音楽でもやってみるか」と思って御茶ノ水にギターを買いに行ったんです。そのときは子供ながらに、プロになろうと思ってましたね。「勉強をやめたんだから、音楽で頑張ろう」って。
―なかなか、すごい先生だったんですね。じゃあ、最初から今みたいなジャズっぽい音楽をやっていたわけではないんですか?
Nishihara:元々はロックで、バンドでエレキギターを弾いてたんですけど、高校生ぐらいのときにDJカルチャーとか、打ち込みで作る音楽に影響を受けて。そこから機材を揃え始めて、今の自分のスタイルができていったんだと思います。その中で、自分は音楽的な理論や知識が全然足りないことに気がついて、高校2、3年からジャズ・ピアノの先生に作曲法やジャズ理論を習ったりしました。
―でも、高校生の頃にはもうファッション・ショーには関わってたんですよね?
Nishihara:そうですね。きっかけになったのは高2のときで、藤原ヒロシさんがプロデュースするMILK BOYのファッション・ショーがあったんです。そのショーが、プロの選曲家を使うんじゃなくて、高校生とかよくわかんないやつにやらせてみようって話になって。それで、そのショーのモデルをたまたま友達がやっていたので、「一緒にやろうぜ」って。それから「ただで仕事するやつがいる」みたいな感じになって(笑)、ちょっとずつ仕事になっていった感じです。
「俺が一番やらなそうなことをやるべきと思った」
―そういった音楽活動の一方で、高校のときは脚本家的なこともされていたとか?
Nishihara:そうなんです(笑)。高2の時にハーモニー・コリンの『KIDS』って映画を見に行ったときに、「あなたの企画を映画にします」ってチラシが置いてあったんですね。それを見て何かできるんじゃないかと思ったんですけど、〆切がもう翌日だったので、とにかく急いで書いて送ったら、「ちょっと来てください」って連絡がきて。行ってみたら、実はそれが東映の脚本コンテストで、「日本のハーモニー・コリンを作りたい」みたいな企画だったんですね。それで、映画を作ることになったんです。
―すごいですね。いきなり急いで書いたものなのに。
Nishihara:それで当時は、東映の方から紹介していただいて、那須(博之)監督っていう『ビー・バップ・ハイスクール』を撮った監督と毎日のように一緒にいて。「歌舞伎町行こうぜ」って誘われて、高校生なのにキャバクラみたいなところに行って、監督が僕の携帯、もしかしたらポケベルだったかもしれないですけど、番号を撒くんですよ。そうすると次の日に学校でかかってきて、「次いつ来る?」って(笑)。
―高校生なのに(笑)。
Nishihara:でも結局は映画にはならなくて、そのプロジェクトは2年で解散になってしまって。そのときの経験は「ものづくり」という意味ではすごく強く残ってて、チームで作るかっこよさ、クリエイティビティっていうのは、その頃に影響されたのかもしれません。那須監督は5年ぐらい前に亡くなられてしまったんですけど、僕が人生で出会った最高にかっこいい男と言っても過言ではなくて、巻き込まれる感覚というか、何も言ってないのに同意させられてしまう感覚があって、そういうのが「ものづくり」には大切な気がしましたね。
―ちなみに、一番最初に書いて送ったのってどんな内容だったんですか?
Nishihara:あんまり言うのははばかられるんですけど、『マトリックス』にそっくりなやつを書いてて(笑)。『マトリックス』が公開されたとき、「これ僕の映画じゃん!」って思うくらい似てたんです。ちょうどその頃、渋谷はチーマーとかがいるいかつい時期で、渋谷のアブナさとか監督に連れて行かれた歌舞伎町のアブナさ、そういう東京の感じと、『ブレードランナー』みたいなSFが融合した感じでした。
―先見の明があったんですね。とはいえ、中学の頃から音楽の道を志していて、高校ではまだ仕事とは言えないまでもファッション・ショーとかに関わり始めて、でもその後は慶応の文学部に行かれてるんですよね? 音楽関係の専門学校に行くとかっていう選択肢もあったかとは思うのですが?
Nishihara:それはあったんですけど、ここにも那須監督が出てきて、監督は映画監督にして、東大の経済学部を出てるんですね。それで「なんで経済学部に行ったんですか?」って聞いたら、「俺が一番やらなそうなことをやるべきと思った」って。「何だそりゃ?」とも思ったんですけど、でもかっこいいなって(笑)。もっと音楽のことを勉強したいとは確かに思ったんですけど、この期間は自分がやらなそうなことをやってみるかと思って。
―やっぱり那須監督の影響は大きかったんですね。
Nishihara:その頃が一番大きかったと思います。今でも何か圧倒的なことにぶつかるときは、監督だったらどういう風に乗り越えるかってことを常に考えたりしますね。
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3/4ページ:「アルバム作った方がいいよ」
「アルバム作った方がいいよ」
―その後はファッション・ショーだけじゃなくて、CM音楽を手がけられたりもしていますが、やはりクライアントがいる場合と、自分の音楽を作るのとでは意識は大きく違いますよね?
Nishihara:そうですね。僕がファースト・アルバムを出したのは29か30ぐらいなんですけど、音楽ってわりと早くして成功できるジャンルだと思うんですね。10代でも、良ければデビューできますし。でも僕は30ぐらいまでアルバムを作れなくて、それはあまりに仕事をやり過ぎて、オーダーがないときに何を作っていいかわからなくなってしまったんです。あるときはニューウェイヴのクラブのイメージで、あるときはクラシックで天使のささやきのようなとか(笑)、明確なイメージの元で音を作っていたので、誰もオーダーをする人がいない時に、果たして自分は何が好きなのか、どういうものを作りたいのかがわからなくなっちゃって。
―そういう状態から抜け出せたのは、何かきっかけがあったんですか?
Nishihara:生きてきて、そんな明確な指標を得られるときってなかなかないじゃないですか? だから「よし、これがわかったからアルバムを出そう」っていうのはなくて、周りに協力してくれる人がいたりして、運良くアルバムが1枚出たときに、「あ、こうやって出すんだ」ってわかって、それで壁が越えられた気がします。若いときは、何か圧倒的なことが訪れてブレイクスルーすると思ってたんですけど、意外と淡々と(笑)。
―でもそういうものですよね。
Nishihara:そうですね。20代前半で将来のことを悩んでたときに、もし今の知識があったら、逆に不安で進めなかったと思うんですね。それほど仕事の量もなかったし、稼ぎもなかったですから。でも、1本仕事があるってことは、自分はプロとしてやっていけるんだっていうお気楽な若さがあったんだと思います。あと母がもともと音楽をやってて、細野晴臣さんとかユーミンさんとか、名だたるビッグ・ネームが周りにいたんですよ。でも母からすれば、能力のすごさはとりあえず置いておいて、「やめなかったからああなってるんじゃない?」ぐらいの気楽さがあった気がするんです。
―そういう空気の影響もあって、ここまでやってこれたと。
Nishihara:あ、そういえばどこにも言ってなかったんですけど、ファーストを出す半年前ぐらいに六本木で細野さんと偶然会ったんですよ。それまではご挨拶程度で、しっかりお話したことはなかったんですけど、そのときは何故か話し出しちゃって「今音楽の仕事をやってるんですけど、オーダーされる仕事しかできなくて、音楽が面白くなくなってきて…」みたいな相談をポロっとしたら、「アルバム作った方がいいよ」ってアドバイスをいただいたんです。それでアルバムをまとめ始めたっていうきっかけがありました。
―へぇ、それはまさに縁ですね。じゃあ、お金がなかったり、何を作ればいいかわからなくなったりしながらも、音楽をやめるというところまではいかずに、まずは続けようという感じだったわけですか?
Nishihara:そうですね。楽しいときって音楽聴くじゃないですか? 僕はつらいときも音楽聴いちゃうんですよね。常に感情と関係なく音楽を聴いてる自分を見つけたときに、「あ、結局やめらんないな」って。つらくて、一瞬やめちゃおうと思うことは何度もあるんですけど、そういう自分を見つけるにつけ、ここまで一緒にはまり込んで、一緒に人生を送って行けるものっていったら、音楽しかないなって。
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4/4ページ:「自分は物を作る人全員を尊敬する」
「自分は物を作る人全員を尊敬する」
―では新作の『Rugged Mystic Jazz for TALISKER』の話に行こうと思うんですけど、そもそもTALISKERにインスパイアされたコンセプチュアルな作品というアイデアはどこから生まれたのですか?
Nishihara:もともと個人的にTALISKERのファンで、実際に家で飲んでたんです。それでウィスキーからインスパイアされたCDっていうのができないかと思って、TALISKERに相談に行ったところ、「じゃあやってみましょう」と。いろいろ写真を提供してもらったり、オフィシャルでロゴを入れさせてもらったりして。
―TALISKERの魅力はどんなところですか?
Nishihara:イギリスの北西部にスカイ島っていう孤高の島があって、そこでひっそりとずっと作られてるのがTALISKERなんですね。秘境というほどではないんですけど、妖精の話が残ってたりとか、スカイ島はマクラウド家っていう一家の島なのでお城があるんですけど、他のお城がどんどん国営化されている中、スカイ島は今もマクラウド家のものとして残ってたりとか、そういう面白い話がいっぱいあって、インスピレーションに満ちてるんです。
―そういう要素を実際どうやって作品に反映させていったですか?
Nishihara:TALISKER側からいただいたキーワードとして「Rugged」って言葉があったんですね。「ゴツゴツした、ザラザラした」っていう岩肌とか水しぶきの荒々しいイメージで、これをどう表現するかがスタートだったんです。それですぐ、2曲目にいれたマッコイ・タイナー(アメリカのジャズ・ピアニスト)原曲の“Fly With The Wind”が思い浮かんで、その曲から作っていきました。あとスカイ島を想像したときに、アルバム1枚を通して「旅」を表現できるものにしたいと思って。スカイ島を旅するイメージに限定はしてなくて、聴いていただく方それぞれの旅として、想像しながら聴いていただければなと。
―『Rugged Mystic Jazz for TALISKER』というタイトルは、キーワードの「Rugged」と、スカイ島のイメージとしての「Mystic」ということですよね?
Nishihara:そうですね。あと「Jazz」っていう言葉が入ってるのは意図的なところで、実際聴いていただければわかると思うんですけど、あんまりジャズじゃないんですよね(笑)。ジャズっぽいんですけど、「ジャジー」ぐらい。母がジャズ・ピアノをやっていて、先生が山下洋輔(著名なジャズピアニスト)さんなんですけど、母が山下さんに「先生はどういう人を尊敬するんですか?」って聞いたら、「自分は物を作る人全員を尊敬する」って言ったらしいんですね。それは僕にはすごく示唆的で、ジャズってそういうことだと思ったんです。
―というと?
Nishihara:僕らが言うジャズってわりと難しい音楽というか、「果たしてこれはジャズなんだろうか?」なんて議論まであるんですけど、もっとジャズっていうイメージを広く捉えて、「なんとなくジャズ」っていう事があってもいいんじゃないかと思って。それでファーストは『Humming Jazz』、今回は『Rugged Mystic Jazz for TALISKER』って、ジャズっていうキーワードを意図的に使ってるところがあります。まずはこのアルバムを聴いてもらって、ジャズに対する入り口が開けたら、それは素晴らしいなって。TALISKERにしても、シングルモルトのウィスキーって、ビールとかと違ってなかなか買えないと思うんですけど、アルバムをきっかけに1本買ってみるだけでも、何か大きい世界の入り口になるかもしれないと思ってます。
―では最後に、Nishiharaさんが今後実現させたいことを教えていただけますか?
Nishihara:映画をやりたいです。サントラが作りたい。自分が仕事をやっていく中で一番興味があるのが、どれだけ自分がプロフェッショナルでいられるかということで、例えば、自分がいなくても選曲はできますよね? TSUTAYAでCDを借りてきてかけるぐらいのことは誰でもできるので、そこにあえて自分がいるということは、プロフェッショナルとは何ぞやということを試されてると思うんです。そこに仕事に対する一番の魅力を感じているので、映画に対しても、自分がそこにいられることが一番楽しみなことで、ぜひやってみたいですね。
―それは音楽だけでいいんですか? 脚本もひさびさにいかがですか?
Nishihara:もちろん音楽だけです(笑)。
- リリース情報
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- Kenichiro Nishihara
『Rugged Mystic Jazz For TALISKER』 -
2010年12月15日発売
価格:2,100円(税込)
Victor / VICL-636981. Introduction 57゜N 6゜W
2. Fly With The Wind
3. Expansions
4. Every Breath You Take
5. Interlude
6. Rugged Mystic Jazz
7. Thinking Of You
8. Skye Sensor Jazz(Version)
9. Waves Dub
- Kenichiro Nishihara
- プロフィール
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- Kenichiro Nishihara
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1996年よりファッションショーの選曲を始め、東京・パリコレクションなど 多岐にわたるショーやイベントで音楽ディレクションを担当するほか、webやCMなど幅広い分野の音楽で作曲・プロデュースなども手がける。自身が主宰する音楽レーベルUNPRIVATE ACOUSTICSから2008年にリリースされた 7inchシングル『Neblosa』、1stアルバム『Humming Jazz』は鮮やかなヒットを記録。2010年 1月には2ndアルバム『LIFE』を発表した。
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