あなたは初音ミクに代表されるボーカロイドに対してどんな印象を持っているだろうか? 正直に言えば、僕は今回FLEETこと佐藤純一に取材をするまでボーカロイドにはほとんど触れたことがなく、関心もあまりなかった。「音楽ファン」を自認する人の中にも、僕と同じような人は決して少なくないのではないかと思う。しかし、まずは佐藤が昨年Twitterでのやり取りをまとめた「初音ミク文化論:身体性なきボーカロイドの跳躍」に目を通してもらいたい。ここで語られている内容は実に興味深く、佐藤のブログから引用すると「全てがサブジャンル化し孤立してしまった音楽シーンを、ボカロという共通言語で包摂し、新たな文脈を生み出すことに成功した」のだという。
ここでさらに面白いのが、元々佐藤がバンドシーンの出身であるということだ。FLEET3年ぶりの新作『TRANSIT』も、ミックスの益子樹を筆頭に多くのゲストを迎え、生のバンド・サウンドと打ち込みが絶妙にブレンドされた作品に仕上がっている。そんな彼が何故ここまでボカロシーンに惹かれるのか? そして、何を目指すのか? それをぜひ、多くの人に知ってもらいたい。ちなみに、1月14日の深夜にアップされたFLEET初のボーカロイド楽曲“Cipher(サイファ)”はすでに再生回数4万を超え、多くの議論を巻き起こしている。
(インタビュー・テキスト:金子厚武 撮影:柏井万作)
その当時はまだ、「インターネット発」みたいに言われることに複雑な思いもあったんです。
―『TRANSIT』、実に3年ぶりの新作ですね。
佐藤:この3年間って、FLEETだけじゃなくて、世の中的にものすごく大きな変化が起こったと思うんですね。ポストモダンって言われて久しいですが、本当の意味で世の中がポストモダン化したのって、この2、3年だと思うんですよ。それが何でかって言うと、やっぱりインターネットが果たした役割はすごく大きくて。
―もちろんそうですね。
佐藤:それまでもインターネットはあったけど、回線が遅かった。それがブロードバンドが一般化して、YouTubeとかの動画サイトや、ソーシャル・メディアみたいなものが出てきた。その流れとFLEETの流れを重ね合わせると、FLEETの活動を始めたときっていうのはその黎明期で、インターネットを積極的に利用して世の中に出て行くことにそれなりに成功を収めることができたんですね。
佐藤純一
―ご自身のホームページで楽曲を公開したわけですもんね。
佐藤:今はニコ動とかYouTubeでオリジナル曲を聴かせるのは当たり前ですけど、FLEETが活動を始めた2005年ぐらいはまだそういうサービスもなくて。そういう中でFLEETは自分のホームページに曲をアップして、その曲が話題なったことがメジャーからのリリースにつながったんですけど、その当時はまだ、「インターネット発のバンド」みたいに言われることに複雑な思いもあったんです。
―ああ、わかるような気がします。
佐藤:「rockin'on」的なと言うか、既存のロックシーンの流れの中で評価されたいって気持ちが当時はあって、ネット発というある種特殊な立ち位置ではなく、他のバンドたちと同じ土俵で何かをやりたいと思ってたんです。そんな思いも抱えつつ07年に前のアルバムを出したんですけど、そこからの3年間でさっき言ったように世の中がガラッと変わっていく中で、そのネットによる変化のスピードとエネルギーを目の当たりにして、「いやもう、これからはこれしかないよな」って(笑)。自分はそこから出てきたんだし、FLEETどうこうじゃなくても、世界全体がそっちに向かっているのは自明で、そうなるべきだしそうならざるを得ない、と確信を深めたのがこの3年間でしたね。
変化に適応したニコ動とボカロシーンに対して、適応できていないバンドシーン。
―なるほど。その中で現在一番関心があるという、初音ミクをはじめとしたボーカロイドのシーンとも出会ったわけですね。
佐藤:最初はこれは面白い文化だなと少し離れたところから見ていたんですけど、実際にボカロシーンの中に入って、ボカロ関係のイベントに遊びに行ったりすると、すごい一体感があるんですよね。例えばバンドだと、みんなバラバラなライブハウスで、バラバラなジャンルでやってて、やってる方もお客さんも、違うジャンルのバンドだとほとんど出会わないじゃないですか?同じジャンルでもけっこう難しい。 でも初音ミクとかって、全く違うジャンルのものでも、ボカロってだけでみんなちゃんと聴くし、作ってる方もすごい仲間意識があるというか、つながりがあるんですね。ジャンルごとにバラバラに孤立していったものが、ボカロっていう共通言語でゆるくつながっていて、そういうモデルに可能性というか、希望を感じたんです。
―そこにはソーシャル・メディアの環境が整ってきたことも関係してくるわけですよね?
佐藤:環境が整ったというか、環境は否応なしに変化していて、そういう新しいメディア環境の中から登場して、適応していったのがニコ動を中心としたボカロシーンだと思うんですね。逆に適応し切れてないのが既存のバンドシーンとか、音楽業界なのかなっていう。そもそも(ボカロシーンは)基本的に二次創作でつながってるんですね。誰かがオリジナルの曲をアップして、それに対して絵を書いたりとか、実際に歌ってみたりとか、どんどん色んな人が二次創作を繰り返していって、それで広がっていくっていう。そうやって誰かが二次創作するたびに、曲にもう一回命が宿るし、その曲だけじゃなくてボーカロイド全体のデータベースに新たな物語が蓄積され共有されて行くんです。従来の感覚で言ったら、オリジナルの作品を別の誰かが改変するっていうのは、基本的にNGじゃないですか?
―そうですよね。
佐藤:でもボカロシーンっていうのはそれありき、むろんそうじゃない人も中にはいますが、基本的にはそれを積極的に肯定してて、それは時代の流れに合ってますよね。例えば、ネット界では今までGoogleが絶対的な存在だったところにFacebookとかTwitterといったソーシャルメディアが台頭してきていて、Googleの発想っていうのは、インターネットの中にある色んな情報を整理整頓して、検索したらすぐに出てくるようにしておくっていう、アーカイブ的な、「静」的な発想だと思うんですけど、今はTwitterとかで情報がどんどんどんどんすごい速さで流れて行ってますよね? その中で瞬間的に共感したものに反応して、それが連鎖していくみたいな、情報やコミュニケーションの流動性が過剰に高まって行く方向に世の中全体が向かって行ってて、ボカロシーンはその流れにまさしく合致しているなと。
相対化できていないから、「自分たちの方が上、こっちはくだらない」みたいになっちゃう。
―なるほど。でもそれに対して、「ボカロっていうのは結局音楽ではない、ゲームに過ぎない」という人もいますよね。そういう意見に対してはどうお考えですか?
佐藤:結局文脈を共有してないと戸惑って、「なんだこれ?」みたいになるっていうことだと思うんですね。結論から言えば、ボカロで曲作ってる人たちも、普通にバンドやってる人も、メジャーのアーティストに曲を書いてる作家も、音楽を作ってるという点においては同じで、その音楽的才能なりに違いはないですよね。だけど、その受容のされ方、文脈が全然違う。そういった文脈、つまりコンテクストの違いを認識しないまま、バンドシーンなりメジャーの音楽業界という島宇宙に身を置いている人が、「知らない文脈」に出会って、よくわかんないから否定してみたり、過剰に反応したりするっていうことだと思うんです。
―確かに。
佐藤:人は何かしらの文脈の中に生きてるわけじゃないですか? 昔はポストモダン的な用語で言う「大きな物語」みたいなものの中に皆が生きていたからそのことに気付く必要もなかったけど、今は無数の「小さな物語」が乱立してて、その中の1つに自分もいるということに、気づける人は少ないのかなって。そうやって相対化できていないから、「自分たちの方が上、こっちはくだらない」みたいになっちゃう。それぞれ違う文脈があるのに、自分たちの視点しか持っていなくて、良いものは何の説明もなくても良いんだっていう幻想を抱いてるんですね。何かを良いと感じられるのは、自分がその文脈を理解しているからだということに気付けていないっていう。
―つまり重要なのは、それぞれの文脈を持った個が、お互いを認めながら、緩やかな形でつながれるということですよね。ボカロシーンっていうのはそれを形成できてるんじゃないかと?
佐藤:形成…できそうな可能性に満ちている、みたいな(笑)。それがブログにも書いた「島宇宙化の再帰的選択」ということです。
今まで自分がいたような領域と、ボカロシーンみたいな領域は今のところ交流が少ない感じがするんで、その垣根をなくしていきたいなって。
―例えば今の音楽業界っていうのは不況だなんだと言われていて、確実に売れるものしか作れないので、冒険ができないという話をよく耳にします。ボカロシーンっていうのは、そういう現状を打破するひとつのヒントにもなるのでしょうか?
佐藤:「売れる音楽って何だろう?」って考えると、「売れる」っていうことは、たくさんの人が共感するから売れるわけですよね。たくさんの人が「共感する」っていうのは、似たような価値観をみんなが持っているということですよね。同じような価値観や感覚を時代の中で共有してて、そこに訴えかけるようなものが現れると、多くの人々はグッと来る。でも、そういう共通の価値観みたいなものがいよいよなくなっていったのがこの3年間で、何でかっていうと、まあネットだっていう。
―まさにそうですね。
佐藤:以前はなんだかんだでテレビを中心とした既存のマスメディアの影響力がすごく大きくて、みんな同じような番組を見て、同じような情報を一方的に受けてるから、共通の価値観って形成されやすかったわけですよね。音楽だけじゃなくても、全てのことにおいて。それがネットによって色んな立場からの意見がたくさん入ってきて、その中で自分の好みや感覚に合うところに近づいていくようになると、価値観はどんどん多様化していくし、細分化していく。そこでみんなをまとめられるだけの物語、価値観とか感覚を打ち出すのが根本的に難しくなっていくのは必然ですよね。
―その通りですね。
佐藤:相対的に、アニソンとかボカロが支持を得てるっていうのは、例えばアニメだったらアニメのストーリーがあるわけじゃないですか? その世界観の中にみんな包摂されてるわけですよね。その世界にさらに近づきたいから、CDを買ったり、イベントに行ったりする。さらに、みんな二次創作でイラスト書いたり、同人誌を作ったりして、物語は無限に拡散し共有されていくっていう。それに対して普通の音楽は、アーティストが発信する物語だけじゃないですか?もちろんみんなが共感するすごいアーティストはこれからも出てくると思うけど、出てきにくくはなってる。
―双方向性っていうとちょっと言葉が古いですけど、自分がそこに参加できるっていうのがやっぱり大きいですよね。
佐藤:参加できるということは、それが他人事ではなく、自分のこととして感情移入出来るということですよね。ボカロの話をするときに、メディア環境と合致してたから盛り上がったとか、二次創作が盛んだから面白いとか、自分で歌が歌えなくても1人で歌ものの楽曲を完成させられるようになったとか、そもそもなぜ人々は初音ミクっていう虚構のキャラクターに感情移入するんだろう? とか、色んな側面があって、どれかひとつだけで全てを語ることはできないんですけど、その中でも特に、存在しない虚構のキャラクターを中心にまわっているからこそ、ミクをインターフェースにしてそれぞれ自分の中の物語を投影し、感情移入出来るっていうのは大きいと思います。
―ではそのボカロシーンに対して、これまでは外側から見ていて、最近内側にも入り始めた佐藤さんとしては、今後どう関わっていくつもりですか?
佐藤:今まで自分がいたような領域と、ボカロシーンみたいな領域は今のところ交流が少ない感じがするので、その垣根をなくしていきたいなって。自分はちょうど中間ぐらいにいると思うんで、きっかけになるようなことをやっていきたいと思います。
―具体的なプランやアイディアはありますか?
佐藤:なんなんですかね…フジロックにミクも出るとか、そうなったら面白いですけど(笑)そういう話でもないんじゃないかと思って…。でもそうなるためには結局認識の問題っていうか、今は文脈を共有してないじゃないですか? お互い別の文脈があるんだっていうことを、当たり前のこととして認識できるようになれば、変わっていくんじゃないかなって。無理やり一緒に何かをやるとか、まとまろうとかじゃなくて、根本的な理解を促していくっていう。
―「初音ミク文化論」はまさにそういう役目を果たしてましたよね。
佐藤:こういうCINRAみたいな媒体でボカロとかニコ動の話をしてること自体がすごく重要なことだと思ってて、マーケティング的な話じゃなくて、もっと根本的な部分、この文化をどうやってサステナブルなものにしていくか、共有していくかっていう話をこういう場でできたことは、すごく僕も嬉しいし、意味があることなんじゃないかと思ってます。
結局自分が音楽を作って発信しないことには、他者同士を結びつけることはできない。
―では『TRANSIT』の話に戻りましょう。本作にはたくさんのゲストが参加されていますね。
佐藤:秋山(隆彦/fresh!)さんのドラムは超タイトで細かくフレーズが考え抜かれていて、FLEETみたいな打ち込み込みの音楽にもすごく合うんです。音色自体もすごくカッコ良いし。ギターのフタキ(ダイスケ/トルネード竜巻)さんはすごく繊細なタッチで、それでいて過激な音も出せちゃう希有なギタリストだと思います。益子さんの音はもうホント大好きで、こんな高密度でクリアで広がりがあってツヤツヤな音は、益子さんじゃないと出せないでしょうね。
―“Transit”や“path”のような小曲はどのような意図で収録したのですか?
佐藤:音楽とノイズの境界線のような音響的アプローチの楽曲をアルバムに入れたかったので、元々知り合いだったKONNNO+MOROTOMIとコラボレーションしようと思い立ちました。僕がフィールド・レコーディングで集めた音素材や、家で作ったシンセ音やMIDIデータを送って、それを彼らがエディットしたものです。これらの音は表参道周辺とか、僕の普段の生活圏内でフィールド・レコーディングしたもので、言わば「日常」の延長線上の音たちなんですね。音のテクスチャー、肌触りや、ノイズと音楽の境界線を楽しんでもらえたら良いなと。
―本作の完成をもって池田さんと仲井さんが脱退されたわけですが、その経緯を教えていただけますか?
佐藤:結局FLEETって僕が曲を作って歌ってて、僕1人いれば成立しちゃうっていうのが根本にあるとして、その中である感覚を共有してやってきたんですけど、だんだんそれもずれていくし、3人でやる意味を感じなくなっていって。それは僕だけじゃなくて、他の2人も多分感じてて。まあ、それぞれそんな若いわけじゃないんで(笑)、自分に残された時間で何ができるだろうって考えるじゃないですか? そうすると、より自分が本当にやりたいことに時間を使いたいってみんな思うようになっていくわけで、そういう雰囲気は常に漂ってました(笑)。
―FLEETって配信のこともそうだし、結果的に時代を先取ってる部分があると思うんですね。これまでのバンドのあり方にしても、それぞれの文脈を持った個がゆるく結びついていた、つまりは世の中が島宇宙化した後のボカロシーン的な関係性のあり方をいち早く体現してたのかなって。
佐藤:上手い解釈ですね(笑)。それだと今はゆるくつながっているボカロシーンも離散してしまうということになっちゃいますけど(苦笑)。まあこれはFLEETのメンバーだけの話じゃないんですけど、人は年をとると考えがある方向に固まってきちゃったりするじゃないですか? なんか最近同い年ぐらいの人たちとどんどん話が合わなくなってるのを日々感じていて、むしろ今20代前半くらいの人の方が気が合うんですよね。そのズレみたいなものが、結構埋めがたくなってたのかもしれません。
―なるほど。
佐藤:今、情報の流れとかコミュニケーションのあり方がすごいスピードで変化していっていて、産業革命以来の、情報革命、コミュニケーション革命のただ中にあると思うんですね。今までだったら10年分ぐらいの変化が2年で起きている。でもたぶん産業革命の時代の普通の人たちは、「やべえ、うちら半端ない時代にいるわ」ってそこまで思わなかったと思うんです(笑)。今もそれは変わらなくて、「今がすごい時代だ」って気づいてる人もいれば、20年前と変わらずテレビだけの人もいて、そういう感度は埋めがたい差があるというか。
―そうですね…。
佐藤:昔だと自分で興味を持って情報を調べたいと思っても調べる手段がなかったから、本読んだりテレビ見たりするぐらいで、その情報すらも、何かバイアスがかかった一方通行の情報だから、なかなか多面的な視点を得るまでに至らない。だから物事に興味がある人もない人もそんなに差が生まれなかったと思うんですね。でも今はネットがあるから行きたい人はどんどん突き進んでて、音楽にしても詳しくなろうと思えばなれる。でも興味がない人は20年前と変わってないわけですから、すごい情報格差が生まれている。その興味のない人々をどうやってこっち側に動員していけばいいんだろうなって思いますね。
―それは途中でも出たように、やはり認識っていうのが重要になるんでしょうか?
佐藤:基本的にはそうじゃないですかね。そこでボカロ的なあり方っていうのは結構鍵になってくるし、様々な領域間の境界線上の存在が重要になって来るんじゃないかなって。
―では最後に、そのボカロ的なあり方と、自分が音楽を作ることの関連性について話していただけますか?
佐藤:結局自分が音楽を作って発信しないことには、他者同士を結びつけることはできないんで、やっぱり作品が必要になってきますよね。音楽を作らないで、ものを書いたり、しゃべったりしてジャーナリストみたいな方向性もあるのかもしれないけど、ぼくには無理なんで(笑)。ぼくは幸いにして音楽を作ることができるんで、それは作っていきたいかな。自己目的で完結しているよりも、何か世の中全体のことを考えてその中で自分に出来ることをやって行く方が、普通にやる気出ませんか?自分自身が気持ち良く音楽活動を続けて行くためにも、こういう風に世の中がなっていった方がいい、そこには自分がこういう風に関わっていく必要がある、そのためには音楽を作り続けなくちゃいけないから作ろうみたいな、そっちの方が上がりますよね(笑)。
- リリース情報
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- FLEET
『TRANSIT』 -
2011年1月26日発売
価格:1,800円(税込)
ポニーキャニオン / PCML-10021. oozora base
2. -ward
3. Transit
4. skip like jet spurt
5. she is the sun
6. path
7. shooting star
- FLEET
- プロフィール
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- FLEET
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2004年春、デザイナーだった佐藤純一を中心に結成。MyspaceやYoutubeの普及以前にHP上で発表した楽曲が話題に。ポストロックやエレクトロニカといったキーワードを感じさせながら佐藤純一の独自のセンスと歌心あるメロディーで構築された音楽性が公表を博す。最新作「TRANSIT」完成をもってオリジナルメンバーの池田雄一、仲井朋子が脱退。FLEETは佐藤純一のソロユニットとして再始動する。
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