今年の10月にバンド結成以来初となるフル・アルバム『空中ループ』をリリースし、その直後に行われた『MINAMI WHEEL』では、メイン会場となるBIGCATでのライブを大成功させるなど、今まさに絶好調の空中ループ。しかし、以前までの彼らがどこのレーベルにも所属せず、完全自主で活動していたことをみなさんはご存じだろうか? 今ではインディレーベルが、メジャーのレコード会社以上の影響力を持つケースも少なくないが、完全自主となると話は別もの。結成当初はバンドの運営に関して素人同然だった空中ループが、音楽への情熱と人とのつながりだけを頼りにその名を全国区にまで広めたということは、「奇跡」と言っても決して大げさ過ぎることはないだろう。そんな彼らの活動を振り返ることは、音楽業界の関係者や若手のバンドにとってはもちろん、クリエティブな分野に携わる人なら誰にとっても、何らかのヒントとなるはずだ。
2回シリーズでお届けするこの企画、第1回は大阪HOOK UP RECORDS編。元タワーレコード梅田マルビル店のインディーズバイヤーであり、現在はHOOK UP RECORDSの店長として、文字通り若手をフックアップし続けている大阪インディーの兄貴分、吉見雅樹氏との対談をお届けする。空中ループにとってはまさに恩人とも言うべき存在であり、若手バンドに対する厳しい言葉の裏側から、音楽に対する確かな愛情が感じられる吉見氏がいなければ、今の空中ループがなかったことは間違いないだろう。現在空中ループが所属するレーベル「wonderground」の加藤孝朗氏も交えた対談は、積もりに積もった思い出話も合わさって、優に2時間を越えるものとなった。
音源もないまま、2か月後にCDリリース!?
―まずは両者の出会いからお聞きしたいのですが。
松井(Vo,Gt):2007年ですよね。関西では「これまず受けろ」って言われる『CYBER MUSIC AWARD』(現『eo Music Try』)っていうオーディションがあって、それにエントリーしたら通ったんです。それでその説明会に行ったときに、そこにいた人が「自分らでやってるんなら帰りにHOOK UP RECORDS寄ってみたら?」って教えてくれて。
吉見:それで、音源持ってきてくれたんやんな?
松井:僕が1番初めに作ったファースト・デモCD-R。それの委託販売のお願いに行って。
吉見:で、「まずはライブを見てからや」って話をして、しばらくしてからセカンドライン(大阪のライブハウス)で見たんやけど、そのときはまだドラムがおらんくて…。
松井:いや、いたんですけど、まださとう(空中ループのドラマー)はサポートメンバーだったんですよ。それでその日はさとうの都合が合わなかったんですけど、でもセカンドラインには出たかったんで、「3人でやります」って。
―そのライブを見た吉見さんの印象はいかがでしたか?
吉見:やっぱドラムがいないから、タイム感がすごい悪くて。あとそんとき打ち込みの音量がめちゃめちゃでかかった。外音のバランスとかもわかってなかったんやろうな。で、彼(松井)は声量もそんなになかったんで、口は動いてるけど歌が全然聴こえなくて、「あかんなあ」と。あとピンクの帽子を被っとって、「そのトレードマークはあかん」と(笑)。
当時の松井省悟
松井:いつも最後の曲の"その光"で帽子を落として、弦を全部切って、ギターを放って終わるっていう(笑)。
―うーん…あんまりバンドのイメージに合ってないですよね。
吉見:あれやんな? 当時の彼女にもらったとか言ってたけど、「それとこれとは別やろ」って言ったやん。2人でおるときは別に被ってええけど、ステージではおうてへんからって。でも「彼女が…」って言うから。
松井:なんかピュアっすね…覚えてないです(笑)。
―じゃあ、ライブの印象はあまり良くなくて、そのときは委託もできなかったと。
吉見:ドラム入れた編成のライブを見たいっていう話をしてたら、何故かもう年明けには「音源出す」とかって話になって…。
松井:10月にライブを見てもらって、1月に「音源をリリースしたい」って話をしに行ったんですよ。3月の中旬にVOXhallでワンマンが決まってて、そこに間に合うように流通を通してリリースしたいと。でも、その話をしに行ったのが1月12日で(笑)。
―その音源はもう出来ていたの?
松井:できてないです。「これから録ります」って。何曲入りかも決めてなかった(笑)。
―それじゃあ絶対に間に合わないよね。
和田直樹
和田(Gt):そうなんです。どんな進行で、どういう風に進めたらCDが出せるのかまったく知らないまま進めていたんですよね…。それで、結局ワンマンを延期したんですよ。ホームページ上で「すみませんでした」ってめっちゃお詫びの文章書いて、その日は自主企画にして。
松井:お正月に「3月にワンマン&CDリリース決定!」って告知してたのに、それから吉見さんのとこに相談に行って、それがあり得ないということを知って…。
吉見:「CD出す為には、これやらなあかん、これやらなあかん、必要性わかるよね? そう考えたら絶対無理やんな?」って全部教えて。まあ、こういう子らって多かったんですよ。ただ、その中で結果を残した子たちではあって、ほとんどの子らはせっかく教えたところで実際には動かないですけど、彼らはその通りやってきたんで。そっからはかなり動いたもんな?
松井:動きましたねえ、かなり。
積極的なアプローチが呼んだ「出会いの花見」
―じゃあワンマンを延期して、まずはレコーディング?
和田:そうです。僕の家のクローゼットでボーカルとかギターを録ったりして。
森(Ba):ドラムとベースはVOXhallのスタジオで夜中に録って。
和田:ミックスは僕がやって、「マスタリングどうしよう?」ってときに、MORG(レコーディング・スタジオ)の門垣さんを吉見さんから紹介してもらったんです。それで音源を持っていったら門垣さんびっくりして、「これ自分でミックスしたん?」って。「プロのエンジニアでも通用するぐらいだ」って言ってくれて。
吉見:で、電話がかかってきて、「吉見さん、この子らやった方がいいですよ」って言うから、「あー、そうすか」って。
一同:(笑)。
左からさとうかおり、松井省悟、森勇太
―吉見さんはそこで初めて心が動いたと。
吉見:「あ、そうなんや」と思って。俺は次の作品ぐらいからだと思ってて、まずは一連の流れを経験してもらって、そうすれば本人らも次はわかるから、次のやつでもうちょっと絡もうと思ってて。でも、「今から行った方がいいですよ」って話をされて。
松井:へー、裏話っすね、それ。
―で、流通会社は吉見さんに教えてもらった中からブリッジを選んだと。
松井:3月末に音源ができて、その翌々日ぐらいに東京でライブがあったんですよ。
吉見:だから「(ブリッジの人に)ライブに来てもらった方がええよ」って電話かけさせて。
松井:こっちは流通断られる可能性も考えながら電話したんですけど、僕らの名前は知っててくれたみたいで、「いいですよ」って言ってくれて。で、「いついつ会社にお伺いしたいんですけど」って言ったら、「あ、その日は会社の花見なんで…来ます?」って言われて(笑)、そんなん行ってええんかな? と思って吉見さんに聞いて…。
吉見:それは行った方がええって。
松井:で、行ったらブリッジの人がいっぱいいて、タワー新宿店の望月さんも来てて…。
和田:みんな酔っぱらってるんですけど、CDプレイヤーが置いてあって、その場でマスタリング仕立ての音源を聴いたら、「これ絶対売れるよ!」って感じになって(笑)。
松井:それで翌日、タワー新宿へ望月さんを訪ねて行ったら、そこでイベント担当の柴田さんとかいろんな人を紹介してもらって。そのいい感触を持って、吉見さんと改めて作戦会議をしたときに、普通に出してもそんなに注文取ってくれへんから、だったら店舗限定で、京都と新宿、あとハイラインレコーズに絞ろうって作戦を立てて。
吉見:やっぱり東京でいろいろ話をしてきたのが大きくて。ちゃんと動けば、よかった悪かったは別にして、結果は出るじゃないですか? そうなればこっちも、それに対して次のアドバイスもできるんですよね。
どこまでが音楽? どこまでが営業?
―そうやって『LOOP ON LIFE』が、2008年の5月に店舗限定でリリースされたと。
松井:新宿タワーがすごくて、平台2ヶ所に1ヶ月置いてくれて、200枚は出ましたね。そのタイミングでメンバーも正式に加入して。
吉見:知名度は新宿タワーのおかげで上がってきたんですけど、ライブがついてこなくてですね…。
―3月から延期したワンマンはどうなったの?
松井:6月にやりました。めっちゃ人も入って、興行的には大成功だったんですよ。それでそのビデオを吉見さんと一緒に見ようと思って持って行ったんですけど…。
吉見:その場にレコード会社の新人発掘の人もいて、一緒に見たんです。で、「話にならん!」と。「歌い方変えろ」って言ったもんな? すごいスタッカート気味に歌ってるから、歌のバリエーションが増やせへんのやったら、歌い方変えろって。
―本人たちはワンマンが成功して意気揚々とビデオを見るつもりだったのに、強烈なダメ出しを食らったわけだ。
松井:でも、僕らも客観的に見てそう思いました。そこでライブに対する意識にスイッチが入りましたね。ただ、音源のセールスは調子が良かったんで、急きょ『LOOP ON LIFE』を全国流通することになったんです。「あの新宿店で展開されてる作品って何なの?」ってブリッジにかなり問い合わせが来たみたいで。
―それはバンド主導で動いたの?
松井:東京はブリッジさんにやってもらって、関西は自分たちでお店を回りました。営業は基本的に僕がやってたんですけど、電話で「空中ループの~」って言ってもあんまり取り合ってもらえなくて。それで自分たちのレーベルが「トランスループ」っていう名前だったんですけど、「トランスループ・ミュージックの~」「トランスループ・レコードの~」って言ったら、ちゃんと担当の方に繋いでもらえるようになって(笑)。
吉見:はったり先行で行こうって決めてたんですよ。ライブの実力が追いついてないのはわかってたから、後で追い付かせればいい、先に知名度上げちゃいましょうって。だからもう、関西で自主でやれてる子っていうことでは名前も挙がってきてたよね? 外からも「空中ループは大人の力いらんのちゃう?」って言われてた。
松井:とにかく「これはやりたい」っていう軸はちゃんと持ってましたね。吉見さんに言われても譲れへんとこはあったし、きちっと取り入れた意見もあったし。例えば、営業行くとき面白いものを身につけたりとか…。
吉見:それは言うた。初対面の人に「?」って思ってもらうことって大切だからね。
―そういうことを楽しんでやれてた?
松井:そうですね。仲良くなると楽しいし、応援してくれたら嬉しいし。それに吉見さんのアドバイスで、CDの営業時期が過ぎたら行かなくなるんじゃなくて、小まめに通えって言われてて。
吉見:友達になって、飲めるとこまで行けって。
松井:だから僕、大阪に来るたびお店によって、自分の弾き語りとか、リハスタで録った音源を、「新曲できたんすよ」ってCD-Rで渡してました。
吉見:僕も昔はタワーにおったから、1回来て、2~3年来なくて、また来る子っていっぱいいたんですよ。僕はずっとインディーズの担当だったから、「あー、あんときの」って言えたんですけど、今はバイヤーもすぐ変わるから、2~3年経っちゃうとまたゼロからやらなあかんでしょ? だから、近くでライブをするんやったら、行くだけ行ってCD-R置いてくればいいのに、誰もしないんですよ。でも、彼らの場合はそれをルーティンの中に組み込めたわけ。他の子らはそれが音楽とは別だと思うから苦痛になっちゃう。
―曲を作って、ライブをして、リリースして…。
吉見:そこまでが音楽で、それ以上は「営業」だからアーティストのやることじゃない、って思うと苦痛だけど、考え方ひとつなんですよ。「ふらっと来たから寄ってこう」でええやん?
松井:やってみて「違うな」って思ったら僕も嫌だったろうし、でもそれがすごく楽しかったんですよね。
セカンド・アルバム期の知られざる苦悩
―『LOOP ON LIFE』の経験を踏まえて、次はセカンドの制作に動き出したんだよね?
吉見:ファーストのときは僕が提案したことに対して、「ここはクリア、ここはできてないからこうして」っていうやり方だったのが、1回それを経験してるから、まず「これやってきました」っていう流れに変わったよね。
松井:手書きの年間計画表をまず自分たちで作ったんです。それは森が担当で、几帳面に定規で(笑)。
―エクセルとかじゃないんだ(笑)。レコーディングは?
和田:『LOOP ON LIFE』のマスタリングで門垣さんに認めてもらえて、「MORGのコントロール・ルームを貸すから、最初からここで録ったら?」って言ってもらって、1回7~8曲ぐらいベーシックを録ったんです。でもパンチのある曲が全然なくて、結局録り直そうって…なんでやっけ?
松井:録り音が気に入ってなかったんちゃう?
和田:初めてMORGでやって、知らん機材で、知らんままやって持って帰って、「うーん」っていうのもありつつ、それで「録り直すんやったら新しい曲作るわ」って省悟が"光年ループ"を作ってきて…。
松井:お前に言われてん、「パンチある曲ないから作ってきて」って(笑)。
当時の空中ループ
―このときは歌もスタジオで録ったの?
和田:歌は相変わらず僕の家のクローゼットで(笑)。でも「家でボーカル録りたい」って言ったら、MORGの門垣さんが高いマイクを貸してくれて。
―じゃあ、バンドの運営に関しては吉見さんに、録音に関しては門垣さんにお世話になって、2009年の7月に『夜明け、光』が全国発売されたと。傍目で見てると順風満帆なようだけど、実際にはストレスもあったとか?
吉見:「もう無理っすわ、自分たちでは」って話してたよな?
松井:そうっすね。自分たちで何でもやる代償として、曲があんまり作れてなかったんですよ。
和田:活動を整理しきれへんくなってて。名前が広まって、いろんなライブに誘ってもらえるようになって、それに全部出てたんで。
吉見:集客も割れるし、新曲作られへんし、いっぱいいっぱいやったんやけど、外から見るとやれてるように見えるっていう。
―正直僕もセカンドのときは東京でもすごい露出してたイメージがあって、「どこかのレーベルにすごい力入れてもらってるのかな?」って思ってました。
吉見:全然。全部自分らの人脈だけやんな? 金も使ってないし。
松井:全く使ってないですね。
―実際には、いつ頃が1番しんどかった?
松井:セカンドを出したぐらいがしんどかったかもしれないです。僕の中ではセカンドでファーストより確実に知名度を広げたいっていうのがあって、年末のsleepy.abとの2マンをゴールにやってたんですけど…。
2マンイベントの写真
吉見:彼らがゴールを決めてたのは知ってたんですけど、外から見てて、何か話があって「そっちに行ってもいいんじゃない?」っていうときも、「もうこの道しか走られへん」っていう状態になってて、それぐらい余裕がなかった。それよりその道から外れることの不安の方が大きかったんでしょうね。
―そこが自分たちでやっていく限界だったのかもね。まだ経験値も少なかっただろうし、そこでレーベルがついてたら「こっちの方がいいよ」って提案もできただろうし。
吉見:言ってたもんな、「どっかないっすかね?」って。
松井:言ってましたね。セカンドでやったことを来年もやるのは無理やなって。
憎まれ役からの、愛あるダメ出し
―今日は初期の空中ループのことがよくわかりました。それにしても、吉見さんとの出会いはバンドにとって本当に大きかったんですね。
松井:めちゃめちゃでかいですよ(笑)。
―吉見さんのところにはこういうこれからのバンドマンがいっぱい来るわけですよね?
吉見:その中でも(空中は)結果を残したバンドやと思いますよ。俺的にはもう卒業してる子らなんで、レーベルも付いたし、もう俺んとこ来るよりタワーとか行った方がええと思うし。
―いろんなバンドが出入りする中で、早々に事務所がついたりメジャーに行くバンドもいると思うんですね。でも、ちゃんと自主で結果を残したバンドっていうのは少ないのかなって思うんですが。
吉見:そうですね。僕の中でも話をするときに彼らの名前をモデルケースとして出すことはありますね。ただね、今は加藤さん(空中ループの所属レーベルの代表)がめっちゃ動いてくれてるやんか? それとは別に、君たちも前みたいな動きをすれば、さらに倍になるわけやんか? 任せずに、自主レーベルぐらいの勢いでやったらええやんとは思うけど。
松井:ああ、夏ぐらいに1回そういう話になりました。
吉見:アーティストの見せ方も大事で、あんまり下に降りちゃうのもあれやけど、チラシ配りとかもピンポイントでやれば、下の子らがそれを見て「空中ループもやってるんや」って、それで育つわけ。そういう立場にならんと。見られる立場にあることを自覚して、効果的に使ったらええやんか。
―初のフル・アルバムを出して、『MINAMI WHEEL』のBIGCATが大成功して、「さあ、ここから!」っていうこのタイミングで、彼らの出発点であるここで話ができたことはすごく意味があったと思います。
吉見:今から会う人ってこういう物言いはせえへんやんか? だから、憎まれ役としてココにいとかなあかんかなとは思うけど。
松井:吉見さんみたいな人がいてくれるのはすごい心強いですし、勇気になります。初心を忘れずに、これからも頑張ります!
- リリース情報
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- 空中ループ
『ラストシーン with ストリングス EP』 -
2011年12月21日発売
価格:500円(税込)
WRCD-56 / wonderground1. ラストシーン
2.Ame-agari
3.Dancing in the rain
4.Saturday
5.baku -ETUDE-
- 空中ループ
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- 空中ループ
『Live across the universe vol.1 ~October 2011~』 -
2011年12月14日からamazon発売
価格:1,000円(税込)1.imago
2.言葉では
3.小さな光
4.ステレオ
5.その光
- 空中ループ
- プロフィール
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- 空中ループ
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2005年結成。メンバーは松井省悟(vo、g)、和田直樹(g)、森勇太(b)、さとうかおり(ds)の4人。2008年、ファースト・ミニ・アルバム『LOOP ON LIFE』でデビューし、その伸びやかで心地よいメロディ、ギター・ポップ・サウンドが注目を集める。2011年からは大谷友介、益子樹とタッグを組み、新プロジェクト「Walk across the universe」を始動させた。
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