高木正勝の音楽には、不思議な魅力が宿っている。そのメロディーには、まるで幼い子どもが初めて歌ったときのような純粋さがある。彼がピアノを弾いているところを目の当たりにすると、それがどういうところから生まれているのか、よくわかる。音楽を奏でているというよりも、ピアノと戯れているような演奏。何らかのパフォーマンスを見せるのではなく、自分自身が鳴らした音に「見たことのない場所」へ連れていってもらおうとするような、そういうタイプの音楽が鳴らされている。
彼がリリースした3年半ぶりのアルバム『おむすひ』には、2枚組全43曲が収録されている。中心となっているのは、彼がCMや映画、ドキュメンタリー番組などのために制作してきた楽曲群だ。約10年前に世界中を旅し現地の人たちと演奏した“Light Song”シリーズを除けば、その全てが2011年以降の作品となっている。
昨年には映画『おおかみこどもの雨と雪』の主題歌とサウンドトラックを手掛け、最近もONWARD「組曲」や、JR東日本「行くぜ、東北」など、数多くのCMやプロジェクトに楽曲を提供している彼。昨年にCINRAで行ったインタビューでは、震災以降に音楽観、表現への意識が大きく変わったことを語っていた。今回の取材では、その変化がどういうものだったのか、そして、音楽制作の秘訣から生き方や暮らし方のヒントになることまでを、語ってもらった。
相手を自分に引き寄せて、イタコみたいになると上手くいく。
―正直、これまでの高木正勝さんって、「孤高の音楽家」みたいなイメージもあったと思うんですよ。
高木:そんなんでしたっけ?(笑)
―京都の亀岡にこもって、独自の美学を追求している、みたいな。
高木:普通に生活してますよ。音楽を作るときに自分自身を出そうと思わなくなりましたね。自分の中にあるものをムリヤリ出そうとすると失敗するけど、相手を自分に引き寄せて、イタコみたいになれると上手くいくことに気が付いたんです。自分の身体なんだけど、相手になりきっているような感覚というか。まあ、きっと妄想なんですけれど、そういう感覚を一生かけて大事にしていきたいし、階段を登っていくように少しずつ培っていけてる実感はあります。どんどん気楽になってきてますね。
高木正勝
―どういったことが変化のきっかけになったんでしょう?
高木:一通りやってしまった感じがあるんです。たとえば『タイ・レイ・タイ・リオ』(2008年に行ったコンサート。歴史が根付く遥か以前から日本に受け継がれている感覚を、音楽を通して今に蘇らせることを目指した)の続きをやれと言われても、今やろうとすると、ちょっと嘘が入るというか。神話や民話を遡って、昔の人たちの気持ちや考え方に素晴らしいものがたくさんあるのはわかった。だけど、それをただ続けていっても、客観的に考えたら、今生きている自分の生活と折り合いがついてないなって思ったんです。そうやって煮詰まりかけているときに、Twitterを始めたんですよね。
―アルバムでは、Twitterで声を募集して作った“Ten Ten”のような曲も収録されていますね。
高木:音楽を作り始めるときは、大体Twitterを見るんですけど、そこにはほとんど知らない人ばかりが並んでいる。フォローしてくれた人がどういう人か知りたいから、フォローするようにしていて。本屋に行っても、テレビを見ていても、入ってこないような情報が入ってきて面白いんです。以前と比べて、音楽を一人で作ってる感じがなくなりましたね。
―人と関わるようになったわけですね。
高木:自分の仕事と関係しない人たちと関わるようになったのも、大きいかもしれないです。たとえば、地元の幼稚園を運営しているお母さんたちや子どもたち、京都の市内でお店をやってる人たちと触れ合うようになって。そしたら、出したい音も変わってきたんです。
―アルバムの他の曲にも反映されていますか?
高木:“Kaze Kogi”っていう、四国の仁淀川に想いを馳せて作った曲があるのですが、近所に住んでいて目が合うと挨拶するおっちゃんが、四国出身の人だと最近知ったんですね。ときどき家のピアノで演奏してるのですが、彼が住んでる土地の曲だと思いながら弾いてます。聴いてくれてるかわかりませんけど、彼が子どもの頃の記憶を思い出すようなものになればいいなって。最近は、会う人によく「励まされてます」って言われるようになったんですけど、とても嬉しくて。ずっとそういう気持ちで作ったり演奏してきたから。
今の僕とそれ以前の僕とは、もう断絶と言っていいぐらいの違いがあると思います。
―昨年のラフォーレミュージアム原宿でのライブを拝見しました。あれ、すごく印象的だったんです。実のところ、途中までは、どこに行くかわからない感じで……。
高木:ねえ。自分でもわからなかった(笑)。
―前半は「これは一体どうなるんだろう?」とヒヤヒヤしてたんですけど。
高木:家で直前まで練習してたときは、調子が良かったんです。それを見せたいのに、なかなか指が動かない。そうなったときに「こんなもの見せてどうするんだ」という気持ちになって。
―途中で客席の赤ちゃんが泣き出して、高木さんが「こんなん聴かせたら泣くよね」って仰っていて。
高木:そうそう(笑)。赤ちゃんがイヤがって、本気で泣き出した。最近のライブでは、音を出す前に緊張しないんですね。「どうもどうも〜」って感じで始めたくて。でもあのときは、昔のライブみたいに空気がピシっとしていて。それはそれで良かったんですけど、赤ちゃんが泣き出して、やっぱりもうやりたいことが変わっちゃったんだって改めて思いました。
―あそこをきっかけにムードが変わりましたよね。後半では、ダンサーの森山開次さんとの即興コラボもあって、すごく伸び伸びした演奏になっていました。
高木:最初の雰囲気のまま2時間は無理だなってことに会場にいたみんなが気付きましたよね。そこから空気を切り替えたら、みんなに笑顔が出るようになった。普段、家で作品を作っていて調子がいいときも、大体あの後半の感じなんです。森山さんにああいう風に踊ってもらう予定はなかったんですけど(笑)。
―あのライブも高木さんの表現の変化を反映していたんでしょうか?
高木:そうですね。実は『おおかみこどもの雨と雪』のサウンドトラックを去年の6月に作ってから、それまで10年間マネージメントをやってもらっていた人と離れて、一人でやり始めたんです。震災以降くらいから2年かけて、それ以前の活動とやりたいことが変わってきたから、それと折り合いをつけるために、一人になろうと思って。
―マネージメントやスタッフも含めて、環境が変わっていたんですね。
高木:でも、あのライブは、制作、照明やPAなどのスタッフも「旧高木組」みたいな感じが集結していて。2年振りくらいの顔合わせだったので楽しみにしていたのですが、「あれ? 何かが違う?」と戸惑ったんですね。たとえば照明の演出にしても「そこに戻りたくないんだけど、『高木正勝』っていったら雰囲気は確かにそっちだったな」みたいな感じで。照明をやってくれた高田君もライブが終わってから「ずいぶん変わったね。ライブの途中で気付いて合わせ直した」って言ってました。自分でも変わったと思いますよ。
―表現のあり方を変えようとしていた時期は、去年だったのでしょうか?
高木:もっと前からですね。今回のアルバムは、古い曲は別として、“Nijiko”という曲が最初にできた曲なんです。あの曲が震災以降の2011年の6月にできて、そのあたりから、僕の中で大きな変化があって。今の僕とそれ以前の僕とは、もう断絶と言ってもいいぐらいの違いがあると思います。
前より圧倒的に愛おしいと思えるものの数が増えた。そうなってから、音や曲の作り方も変わりましたね。
―前回インタビューしたとき、「子どもの頃に描いてた絵の続きになるような表現がしたい」って言ってましたよね。その話を聞いて、このアルバムを聴くと、すごく納得がいくんです。
高木:ふにゃふにゃでしょ?(笑) 前は、お城を築くような、物語を紡いでいくような部分があったんですね。でも最近は、1曲の中で、音を並べているだけという感覚が増えてきたんです。
―というと?
高木:以前は、受け入れられない、ダメなものがたくさんあったんです。どこかに飛び抜けていいものがあるんだと思っていて、それを探求していた。でも、そうじゃなくて、「全部がいい」という目線に立ったら、どれも捨てられなくなって。もちろんその中で取捨選択はするけれど、前より圧倒的にいいと思えるものの数が増えた。いいというか「愛おしい」っていう感じで。そうなってから、音や曲の作り方も変わりましたね。たとえば、川って淀んでるところも清いところも、どの部分をとっても川じゃないですか? そういう感覚に似ているかもしれないです。
作ったものはどれも作品と呼んでいいはずなのに、どうしてよそゆきのものだけが作品とされるんだろう?
―このアルバムって、リプライズが印象的ですよね。聴いていると「あれ? この旋律、前に聴いたことある?」という感覚が、何度も訪れる。
高木:曲自体も、同じ曲名のものが並んでたりしますし、1曲の中でも、繰り返しが何度もありますからね。子どもがずっと遊び続けているような感じに似ていて、クライマックスがありそうでない、飽きたら終わるという(笑)。
―高木さんは「こうあるべき」という風に作られた音楽ではなくて、より自然体な表現をしていると思うんです。そうできるポイントというのはどういうところにあるんでしょう?
高木:たとえば、「おもてなし」って言葉がありますけど、人が来るとなると、いつもと違う料理を出しますよね? 茶碗も、普段使ってるものではなくて、よそゆきのものを出したり。さらに、料理屋をするとなったら、家で作っているものとは全く違うものを出しますよね。でも、いつもの家庭の味を「おいしい、おいしい」って普段は食べていて。客としても、その人がいつも楽しんでいる家庭の味を食べたいっていう想いはあるでしょう?
―どうしても、よそゆきのものを見せることがおもてなしだと思ってしまう。
高木:作ったものはどれも作品と呼んでいいはずなのに、どうしてよそゆきのものだけが作品とされるんだろう? って思ったんです。食事でも人付き合いでも、気楽な部分に魅力があったりするのに、人前に出すとなると、隠されてしまうことが多い。それが、もったいないと思ったんですね。
―普段の生活の中に、すばらしい瞬間が混ざっている。
高木:そうなんです。面白い話があって、民藝運動の柳宗悦さんが昔、それぞれの家庭が手作りしているような民芸品を見たくて、東北に遊びに行ったことがあったらしいんです。でも、実際に現地の人の家に伺ってみたら、出してくれたのは100円均一で売ってるようなプラスチック製品。見たいのは手編みとかのほうだって言ったら「こんな恥ずかしいもの、見せられない」って言われたんですって。
―えー(笑)。それは面白いですね。
高木:頑張って人をもてなそうとするときって、案外そういうことが起きているんです。だから僕は「相手はこういうものを求めてるはずだ」ではなく、「普段通りの自分を楽しみにきてくれた」という目線でいようと思って。「こういうものを聴きたいんだろうな」じゃなくて、「これをやっていると、自分はすごいところにいけるから、それを聴いてくれれば、すごいところに連れていける」って思うんです。
―音楽でも、「こういうものが求められている」というところから生まれる発想のものは多いですよね。
高木:たとえば、アン・サリーさんって、歌詞をすごく大切に歌われるんです。ピッチがずれるよりも、歌詞が二の次になっているほうが気になるって。
―今は、ピッチにしてもリズムにしても、きっちり枠に合わせたものが主流になっていますもんね。
高木:さらに雰囲気や気持ちまで揃えるという感じですからね。同じ歌詞でも表現の仕方はもっと人それぞれでいいし、さらに言えば、その人の中でも刻々と変化していいと思うんです。たとえば、この前の紅白で“ヨイトマケの唄”を聴いて、「あれ? 音楽ってこっちやんな?」って思った人は多いと思うんです。音楽は、本当はすごく幅のあることができる。いろんな幅の表現が許されていると思います。
いろんな人の思いの1つ1つを「それでいいんだよ」って肯定していく。
―このアルバムにも収録されていますが、ここ2、3年の高木さんには、CMや映画やドキュメンタリー番組など「このプロジェクトに曲を書きませんか」というオファーが様々な方面から来ていると思うんですけれど、これはどういう風に捉えているんでしょう?
高木:基本的にどれも断らないようにしてるから、数が増えてます。前は人を挟んでいたけれど、今は自分のところに直接連絡があるから、断り方がわからない(笑)。
―スケジュールが大変ですよね。
高木:でも、曲を思いつくのは一瞬なんですよ。曲を作るというのは写真を撮るようなもので、その後にどれだけ思慮深くあろうが、努力しようが、あまり変わらない。思いついたときに、5分なら5分の曲をピアノで録ったら、それが正解なんです。時間があれば良くなるものでもない。90点は超えているなというものができたら、あとは他の人に手直ししてもらったりもしますし。そうやって、仕上げを任せられるようになったのも大きいです。もちろん自分で極限までやりますが。
―CMにしても、映画にしても、まずはイメージやテーマが与えられるわけですよね。そこへの即応性は、高木さんの制作スタイルの大きな特徴だと思うんですけれども。
高木:これはもう、武道みたいなものですね(笑)。そこに対峙したときに、(音や曲が)浮かぶか、浮かばないかなんです。だから、事前に「この資料に目を通しておいてください」って言われたら、大抵見ないでおく。作業ができるときになって初めて開いて、とりあえず弾いてみる。そこで「いけそう」と思ったら、どんどん気楽になって、10パターンでも20パターンでも、思いつく限り作っていく。だから、1つのCMに、少なくとも10個くらいの曲ができていて、そのうちの3つくらいを送ることが多いですね。
―なるほど。武道の中でも、特に合気道みたいな感じですね。相手の気の流れを読んで、自分の身体をそれに合わせるというか。
高木:そうかもしれない。だから、今は人とやっているのが楽しいですね。絵コンテや映像を見て、それを作った人たちが何を考えているかを想像する。自分の思ってることってそんなにないから、どっちかっていうと、相手側に入っていく。発注されていることをそのままやってるわけじゃなくて、実は作った人も気付いていない部分が、どこかのタイミングでぽろっと出てきちゃうことがあるんですね。
―というと?
高木:たとえば、絵コンテは笑顔を求めているのに、撮影した映像では、俳優さんがちゃんと笑ってないことがある。そこで「楽しい曲をお願いします!」みたいなリクエストの方に僕が合わせると、全てが嘘っぽくなるんです。もともとの発注には物悲しい要素なんてないけれど、こっちから見たら、そういう要素があったりする。そうしたら、それを活かすんです。いろんな人が関わって、いろんな人の想いが集まるわけじゃないですか? その1つ1つを、「それでいいんだよ」って肯定していくと、おのずと隠れた本当の部分が出てきて、しっくりくるというか。そこにあるものを何も否定しない。だから、集合写真のような音楽を作ってる感じです(笑)。
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最初の二、三手までは我慢! がコツです。
最初の二、三手までは我慢! がコツです。
―やっぱり、音楽に限らず、高木さんならではの反射神経の良さ、感覚の鋭さというのはあると思うんですけれども。
高木:いやいや、僕は鈍いですよ〜!(笑)
―でも、そういうところに一歩近付く方法、その秘訣を聞けた気がします。
高木:まあ、みんな気楽になったらいいなって、本当に思うんですよ。音楽でもそうだし、人の話を聴いたり、写真を撮ったりするのもそう。よく考えたら、上手くいくときのやり方ってそんなに多くなかったりしませんか?
―そうかもしれないです。
高木:曲なんて誰でも作れるなって、本当に思うんです。たとえば自分の声で「あ〜(歌いながら)」とある音程の声を発する。最初の音は、実は適当に決めます。すると、難しいことを考えなくても、素直に何か感じる。2つ目の音を決めるときに、1つ目のイメージを大切にしながら、すごく丁寧にやるんです。たとえば1つ目で草原のイメージが出てきたとしたら、次の音は、その草原にあってもおかしくない音を入れれば、大丈夫なんです。そこを無視して、慌てて次の音を決めるとダメなんですよ。
―なるほど。二手目が大事なんですね。
高木:たとえば草原に風が吹くようなイメージの音が見つかれば、2つの音程を行ったり来たりしてるだけで、気持ちいい。そうやって、3つ目の音も見つけていく。するとメロディーになるんです。言葉もそういうやり方で話すじゃないですか? 最初の1音は「えーっと」とか「うーん」みたいなもので。そこから浮かんでくるイメージで話を続けていく。みんな、喋ってるときには自由にやっているんですけど、改めて文章を書いたり、ものを作ろうとすると、最初の二、三手を慌てちゃう。そこをすごく丁寧にやったら、料理と同じで、楽しいし、美味しくなるんですよね。料理だって、最初に皮を剥いたり切ったりするのをぞんざいにやると、それだけで味が落ちるじゃないですか。
―でも、最初の一手が適当でいいというのはどういうことでしょう?
高木:最初の一手のことを考え過ぎると、なかなか始められなくなってしまうんです。まずは1音出してみて、そこに合わせてみる。色を感じるなとか、優しい感じがするなとか、何か思い出しそうだなとか、自分の感覚に集中して、その1音から出てきた世界の中で語れることを探すんです。そこで大飛躍をしようとするから、難しいことになっちゃう。だから、二、三手までは我慢! がコツです(笑)。まずは似てるものを増やしていって、そこでしばらく遊んでみる。ファッションでも、なんでもそうですよね。1つ気に入ったものがあったとして、それに2つ目、3つ目が似合っていたら、あとは何を加えてもアクセントになって、OKになる。
―なるほど。
高木:料理の話でも、順序って大事ですよね。最初に味をつけるのか、最後に味つけするのかで全然出来上がりが違う。単にレシピ通りに作るだけじゃなくて、レシピの順序を入れ替えてみたり、1つ1つ確かめながら作ってみたら、その順序の意味がわかるんですよね。だから、料理をちゃんと作るようになってから、ピアノを弾くときの順序もちゃんと考えるようになった。ピアノと戯れる前も「よろしくお願いします」と言うところから始めることにしています。「よし、今日はよろしくね」って、あえて言っちゃうんです。車に乗るときも、エンジンをかけてハンドルを握るときに「よろしくね」って言いますし(笑)。
―そういうのって、大事ですよね。目の前の状況を認めるというか、肯定するというか。
高木:たとえば、神社に行ってお祈りするときって、大抵みんな「○○になりますように」って願い事をしますよね? でもそれだと、今をマイナスの状態だと認める形になってしまうんです。叶ったときがプラスで、今はそれに比べてマイナスになってしまう。
―なるほど。
高木:本当は、「今、こういう感じです」っていう現状報告でいいんです。「○○します。見ててください」っていうので、いいと思う。そうすると、すごくスッとしますよ。
―それは僕も思います。なりたいイメージを、「○○します」という断定的な形で口に出したり書き出したりすると、叶うっていう話もありますよね。
高木:「今の自分はこういう感じで、これからこういう風にしたいと思っています。だから、身体がそっちに行くように仕向けました」というような感覚でいいんですよね。そうすることで、幸せはすごく簡単に手に入る。だから、いつも曲を作るときには、寝る前に「朝起きたら浮かんでる」って思いながら寝るようにしてます(笑)。実際、それで上手くいくものなんです。
- リリース情報
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- 高木正勝
『おむすひ』(2CD) -
2013年2月20日発売
価格:3,500円(税込)
felicity / PECF-1063/4 / cap-165[DISC1]
1. Light Song
2. Niyodo - piano
3. Kaze Kogi
4. Niyodo
5. Hasirimiz
6. Mikura
7. Odori
8. Garbha
9. Kaze Kogi - piano
10. Niyodo - piano(reprise)
11. Kaze Kogi - koti koti teiiyu
12. Odori - variation
13. Light Song
14. Nijiko
15. Nijiko - tiny piano
16. Nijiko - Origin
17. Light Song
18. Mahoroba
19. Ten Ten
20. Light Song
[DISC2]
1. Light Song
2. Tamame
3. Horo
4. NGIA
5. Colleen
6. ohoti
7. HEHE-MIHI
8. Sione
9. VEDA
10. Tamame(reprise)
11. Light Song
12. Sora
13. Yume
14. Furu-Fusa-Fusa
15. Yubi Piano
16. Light Song
17. 一起走
18. Light Song
19. Kigi
20. Ticora
21. Musuhi
22. Light Song
23. Light Song
※絵本作家さとうみかをによる32ページブックレット付き
- 高木正勝
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- 高木正勝
iPhone5ケース「おかあさん」 -
価格:3,675円(税込)
高木正勝の貴重な子供時代の作品がデザインされたiPhone5ケースが、ぞくぞく登場。
- 高木正勝
- プロフィール
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- 高木正勝
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1979年生まれ、京都府在住。音楽家/映像作家。普遍的で深遠な要素を持ちつつ、カラフルでPOPな映像と、自ら作曲する音楽を融合させた作品により注目を集めるアーティスト。2009年のNewsweek日本版で、「世界が尊敬する日本人100人」の1人に選ばれている。国内外のレーベルからCD/DVDをリリースするだけでなく、アニエスベーとのコラボレーションによる作品制作、東京都現代美術館でのビデオ・インスタレーションなど、アート、音楽、クラブ、ファッションといった表現の境界線を軽々と超える活動を展開している。
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