テクノポップからシャンソンまでを融合した唯一無二の音楽性で、細野晴臣をはじめとする多くの音楽家や芸術家たちを魅了し続けているコシミハルが、5年ぶりとなるニューアルバム『Madame Crooner』を発表した。1930年代から40年代のシャンソンやジャズのカバーを中心に、自身の既存曲も再構築して加えた本作は、過去の音楽家たちへの愛に満ちたアレンジと彼女の美しい歌声が相まって、当時のロマンチックな空気感をさらに増幅させたような至高の名曲集に仕上がっている。実に興味深い本作の制作過程について、これまでの長いキャリアについて、そしてその豊富な知識を前に、なかば無理やり訊いてしまった若い世代に対する助言まで、こちらの未熟な質問にも極めて穏やかな口調で答えてくれた貴重なインタビューは、新たな発見が満載だ。
消し忘れたラジオからシャンソンがよく流れていたんです。それがとても素敵で。
―改めてコシさんのキャリアを振り返らせていただきたいのですが、ご両親が音楽一家(父は読売日本交響楽団ファゴット奏者、母は声楽家)だったそうで、いつから音楽を始められたんですか?
コシ:3歳のときでしょうか。よくわからないままピアノの先生のところに連れて行かれて。でもとても厳しい先生でしたので、怖くて……(笑)。ほとんど練習しませんでした。
―嫌々習っていたということでしょうか?
コシ:小さい頃は、クラシックはどうも好きではなかったんです。両親がそういう職業だったので、ときどき父のオーケストラの演奏を聴きに連れて行ってもらったんですけど、楽しくなくて(笑)。目の前でオーケストラの音が鳴っても反応しないという……。
―贅沢な話ですね(笑)。
コシ:でも、人形劇に連れて行ってもらったことがあって、なんとなくそういうものは、楽しいなと思っていました。おぼろげになんですけど、舞台のキラキラした感じが好きだったんです。その頃テレビで観た舞台中継で心に残っているのは、ジジ・ジャンメールというバレエダンサーが歌いながら踊っていたこと。その人をテレビで観たときにはドキドキしましたね。きれいで。
―作曲も小さい頃からされていたんですか?
コシ:そうですね。ピアノはあんまり楽しくなかったんですけど、弾いているうちに、何か曲のようなものができるようになって。でも、それが作曲だってことは自分でわからなくて。弾いているとできるから、譜面に書いてみる……という遊びの延長みたいな感じでした。
―そのときは歌も歌っていたんですか?
コシ:歌も大好きだったので歌っていました。母が大学時代に声楽をやっていたので、家でよく歌を歌っていて。小さい頃は、学校から帰ってくると、よく母の歌の伴奏をしていました。母はソプラノのきれいな声で、自分はとてもこんな声は出ないと子どもながらに思っていました。
―コシさんご自身はお母様から歌を習ったんですか?
コシ:全然習いませんでした。母は特にこれがシューベルトやベートーヴェンの曲だとか、理屈っぽいことを何も言わずに歌っていたので、そのまま自然に覚えたというか。
―歌手を志されたきっかけはなんだったんですか?
コシ:なんだったんでしょうね(笑)。思い出せば、シャンソンが好きだったんですよね。父がよくラジオを聞いていたんですが、消し忘れたラジオからシャンソンがよく流れていたんです。それがとても素敵で。シャルル・トレネとか、ティノ・ロッシとか、そういう古い人たちの音楽がいっぱい流れていて。最初はシャンソンだということもわからないまま聴いていたのが、そのうちわかってきて、譜面を買いに行ったりして。当時は街のレコード屋さんにシャンソン集がいっぱいあったんです。それを買ってきては、弾いて歌って遊んでいました。
―そうやって、自然と歌を仕事にしたいと思うようになったんですね。
コシ:その後、越路吹雪さんがすごく好きになったんですね。母に連れられて、舞台を観に行ったときに、何か決定的なものがありました。舞台の演出も素敵でしたし、ミュージシャンもすごくいい方々が演奏していたので、こんなに満喫できる音楽の世界が日本にあるのかと、子どもながらすごく衝撃でした。それから日生劇場のリサイタルに通うようになって、一番前で観てました。大人に混ざって、よく劇場の前に並んでチケットを買ったりしてたんです。
細野さんとの出会いで、自分の作りたいものを作り続けることができるようになって。
―確か1978年にデビューされていると思うんですけど、そのときは何がきっかけだったのでしょうか?
コシ:テレビのオーディション番組だったんですけど、自分ではよくわからないまま出演したら、そのままデビューに繋がってしまったというか。ちょっとぼんやりしていたんですよね(笑)。ただ、音楽をやりたい気持ちはとても強かったので、スタートのきっかけをつかめればと思ったのですが、実際は自分で思っているものとは違う方向に行ってしまって。
―やりたいことと違ったということでしょうか?
コシ:音楽を作る環境ではありませんでした。3か月も経たないうちに、「あ、もうダメだ」という感じになってしまって、自分で断絶してしまったというか。この世界では音楽は作っていけないなという感じでした。
―そういうことがあったんですね。その後ちょっと間が空いて、細野晴臣さんとの出会いがあったと思うんですけど。
コシ:そうですね。プロダクションと離れ始めてから、しばらく家でデモテープを作っていたんですね。シンセサイザーやリズムボックスが出始めの頃で、当時買った機材がすごく楽しかったんです。ただただ曲を作っていたらたくさんできちゃったんだけど、どこにそれを持って行ったらいいか、自分でもとても臆病になっていて。しばらくして、遠藤賢司さんのレコーディングでキーボードを手伝うことになったんです。
―そのときのプロデューサーが細野さんだった。
コシ:はい。それで細野さんに挨拶をしに行ったときに、デモテープを持っていたので聴いてもらったら、おもしろいと言われて。おもしろいと言ってくれた人が初めてだったので、私も「いい人だなぁ」と思って(笑)。
―たくさん作った曲を、他の人には聴かせてなかったのでしょうか?
コシ:前の流れのレコード会社の人には聴いてもらっていたんですけど、当時はテクノポップというものが少数派で、ポップスにはなり得ないと言われていて。そう言われると、「あ、そういうものなのかな」と……(笑)。でも、自分は音楽を作りたかったので、それはそれということで作り続けていたんです。
―それがきっかけで、細野さんの¥ENレーベルからリリースすることになったんですね。
コシ:そうですね。細野さんからは、とにかくデモテープ通りにレコーディングしましょう、それがいいんですって言われて。それからは、音楽的環境の中で、自分の作りたいものを作り続けることができるようになりました。
30年代から40年代の音楽は、リズムとメロディーのバランスが絶妙。
―テクノポップから始まり、シャンソンやジャズなど、コシさんの音楽性の幅広さには驚かれる人も多いんじゃないかと思うのですが、意識的にやられているのでしょうか?
コシ:そういうわけではないですね。いろいろ音楽を聴いていて、ものすごく好きになったものをやっています。とにかく好きっていうことが音楽をやるときの原点です。
―今回は5年ぶりの作品になるわけですけど、どうしてこのタイミングに出されたのでしょうか?
コシ:前作の『覗き窓』を作ってから、しばらく母の具合が悪かったんですね。なるべく一緒にいたかったので、その間は音楽を作るのは控えていました。昨年亡くなったのですが、今回のアルバムはだいぶ母とのことを振り返りながら作っています。小さい頃に母の伴奏をした曲の中から“シューベルトの子守歌”を入れたりしています。
コシミハル『覗き窓』ジャケット
―今回は30年代から40年代のカバーを中心とした作品で、2001年にも『フルフル』という似たようなコンセプトの作品を出されていますけど、どうしてそういう方向に傾いていったのでしょう?
コシ:30年代や40年代のビッグバンドサウンドが大好きなので、『フルフル』では、ビッグバンドサウンドをシンセサイザーでシミュレーションして、当時のビッグバンドの録音の響きを、息も含めたものを再現しようとしたんです。その後も、ずっとそういうスタンダードなものをライブなどで演奏していて。この1、2年は、ピアニストのフェビアン・レザ・パネさんと二人でライブをしていたので、次は当時のビッグバンドサウンドのオーケストレーションを小編成に置き換えて、何か作ってみたいなと思ったんです。ドラム、ベース、ピアノ、あとはトランペット、クラリネット、チェレスタ、アコーディオンなど、自分で小さいオーケストラを作るようなことをしたいなと。
―シャンソンやジャズのスタンダードの魅力は、どういうふうに捉えられてますか?
コシ:シャンソンもジャズもすごく歴史が長いけど、私は30年代から40年代の間に録音された音楽のメロディーの美しさにとても惹かれます。リズムとメロディーが、どちらがどちらを支配するというわけでもなく、絶妙なバランスを保っているし、スウィングやワルツの心地よいリズムが素敵です。
クラシックのように歌いあげるのではなく、音楽に寄り添う歌い方に惹かれます。
―今作は映画のサントラを聴いているようでもありましたが、作るときに映像を思い描いていたりしたのでしょうか?
コシ:実際に映画で使われていた曲も入っています。『嘆きの天使』から2曲入っているんですけど、大好きな映画で、ずっとやりたいと思っていたんです。
―『嘆きの天使』や『白雪姫』の挿入歌もカバーされてますけど、それらも1930年代、40年代の映画ですよね。
コシ:『白雪姫』は1937年のテクニカラー映画(世界で初めて三色法によるカラー映画の実用に成功した企業による映画)。『嘆きの天使』はドイツのモノクロ映画で、キャバレーの踊り子を演じるマレーネ・ディートリヒの洋服の毛皮だとか、スパンコールだとか、モノクロの灯りのなかでキラキラする感じが、カラーにはない美しさですね。
―今回収録されたスタンダードな曲だと、ものすごくいろいろなアーティストがカバーされていますよね。そういう楽曲を料理する難しさはありましたか?
コシ:まずその楽曲が好きであることが一番大事なんですけど、たくさんの人にカバーされている曲については、どの曲にも自分のお気に入りのカバーがあって。それを心の中に持っているようなところはあるかもしれません。そして、その楽曲が生まれた原点というかスピリットに近づけたらなと思いながらやっています。だから、最初に歌った人の録音物は必ず聴くようにしています。最初にその曲が世の中に出たときのものを聴くという感じです。
―アルバムでは、そういったカバーの中にご自身の楽曲も混ぜられてますよね。
コシ:“希望の泉”という曲は、ビッグバンドを本当に毎日のように聴いていた頃に作ったものです。そのときの気持ちが、このアルバムと重なっていたので入れました。当時はフレンチホルンとかをシミュレーションして、ハーモニーをつけて曲を作っていたんですけど、それを生演奏に置き換えるとどうなるかな? っていうのをやってみたかったんです。
―そうなんですね。何も知らずに聴いていたら気づかないくらい、古い楽曲の中に、とても自然に入っていると思いました。それと僕、コシさんが和訳された“聞かせてよ、愛の言葉”がとても好きです。コシさんの歌声とピアノのメロディーが切なくて、グッときました。
コシ:そうですか! ありがとうございます。
コシミハル『Madame Crooner』ジャケット
―歌い手には世界観を演じるタイプと、さらけ出すタイプとあると思うんですけど、今回のコシさんの場合は、当時の世界の登場人物を演じるタイプだと感じていて。歌うときに意識されたことはありますか?
コシ:うーん、音程とか、音符の長さとか(笑)。フランス語の歌も、日本の言葉にはない響きがとても好きなので、その響きと、最初に曲ができあがったときの譜面に近い状態を意識しながら歌うようにしています。ボーカルが感情的になったり、生々しくならないようにしてますね。
―そのほうが心地よく聴ける作品になるということでしょうか?
コシ:そうですね。アルバムのタイトルにもつけたように、クルーナー(マイクを通して甘くささやくように歌う歌手のこと)はそういう歌い方をしています。クラシックのように歌いあげるのではなく、音楽に寄り添うように歌う形。まるで声が楽器の一部であるようでもあり、やっぱり人間の声なのであたたかみがあり、メロディーをより豊かに響かせる、そういうところに惹かれるんです。
―でも、最後の“シューベルトの子守歌”は、感情が入っていたんじゃないかなと思いました。お母様への思いが入った曲ということを解説で読んだので、その先入観もあったりはするんですけど……。
コシ:歌うとやっぱり独特の気持ちにはなるから、そうなのかもしれませんね。母がいないことが悲しいですし、この曲はシューベルトが早くに母親を亡くして、その母のことを想って作った曲だっていうことを後から知りました。
―アルバムの最後で微かな感情の昂ぶりを感じて、そこにまたグッときました。
コシ:あ、そうですか。ふふふ。
いろんな聴かれていない曲が、どんどん埋もれていくのは放っておけない。
―このアルバムを聴く中で、こういう昔のアーティストを知っていると、もっと楽しく聴けるんじゃないかというものがあれば、教えていただけると嬉しいです。
コシ:初期の頃のフランク・シナトラはいいですよ。ハリー・ジェイムスからトミー・ドーシー楽団の専属歌手だった頃。特にトミー・ドーシーの頃がとてもいいですね。トミー・ドーシーのトロンボーンの音と相まって、柔らかな声が音楽そのものです。パイド・パイパーズという素晴らしいコーラスグループも一緒にいたので、その時代は格別です。
―逆に最近の作品でコシさんが刺激を受けるものはありますか?
コシ:もうずっと聴いてないから、わからなくて。新しい音楽は全然知らないんです。
―いつから聴かなくなってしまったのでしょう?
コシ:もう80年代くらいから(笑)。
―これだけ素晴らしい曲がたくさんあるのに、新しい曲を聴く必要はないという考え方もありますしね。
コシ:いろんな聴かれていない曲が、どんどん埋もれていくのは放っておけないみたいな感じはあります。どうしてもまた見えるところに持ってきたいし、演奏したいと思うんです。クラシックなどでは、譜面しかなくてレコーディングされない曲や、演奏会でも滅多に演奏されない小品で素敵な曲がたくさんあるので、そういうのをやりたい気持ちがすごくありますね。時代を遡って聴いていくと際限がないというか……。
コシミハル
―いまの若い人にこういう音楽を聴いてほしいとか、こういう聴き方をしてほしいっていう想いはありますか?
コシ:いま見えるもの以外のものに目を向けてみるのがいいんじゃないでしょうか? 同時代にあるもの以外のもの。ポピュラーの歴史は長いでしょう? レコードができてから、すごくたくさんの録音物があるので、古いものの中にも、きっと好きなものがあると思います。
―ちなみにコシさんはどういうところから情報収集されているんですか? このお店に行ってレコードを掘ってる、とか。
コシ:情報収集っぽいことはあんまりしてないかな……。好きな映画に出会ったら、その音楽を作っている人の他の作品を聴いてみるとか? 『八月の鯨』という映画は、リリアン・ギッシュという昔のサイレント女優が、80代くらいになったのときの映画なんですけど、昔を思い出して、蓄音機をかけるシーンがあって。そのときに“ピカルディの薔薇”が流れてきて、すごく素敵だったんです。最初はイヴ・モンタンでこの曲を知ったのですけれど、「あ、もとはこれだったのか」っていう発見がありました。
―映画を観ることが自分の興味を掘り下げるきっかけになっているんですね。
コシ:何かを調べたくなったり、繋がっていける映画がやっぱり楽しいですね。それを追いかけていくうちに、自分が好きなものがわかってくるというか。
―このアルバムに入っている解説も、いいきっかけになりそうですよね。一つひとつの楽曲に、コシさんが何を考えてカバーされたのか書かれていて。それこそもとになった映画を観ることから始めてもいいでしょうし。
コシ:そういうきっかけになれれば、とても嬉しいです。どんなものでも知らないものを知ろうとすればいいのではないかと思うことがあります。最近はみんなすごく心配症で、人が知ってることに興味を持ちたがるでしょう。みんなそれぞれ、自分の好きなものを見つけるといいと思います。そうするとちょっと気持ちが落ち着くんじゃないかな? 次々に新しいものが出てくるけど、情報はどんどん消費されていっちゃうので。
- イベント情報
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- コシミハルコンサート
『Madame Crooner』 -
2013年7月3日(水)OPEN 18:30 / START 19:00
会場:東京都 下北沢 北沢タウンホール
出演:
コシミハル(Chant, Acc, Glo, Pf)
フェビアン・レザ・パネ(Pf)
浜口茂外也(Dr,Per)
渡辺等(Ba)
料金:前売6,000円(簡易書留送料別)
- コシミハルコンサート
- リリース情報
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- コシミハル
『Madame Crooner』(CD) -
2013年5月22日発売
価格:3,150円(税込)
VICL-640331. Polka dots and moonbeams
2. You do something to me
3. C'est si bon
4. Un jour mon prince viendra(Someday my prince will come)
5. Bonne nuit minouche
6. Ich bin von kopf bis fus auf liebe eingestellt(Falling in love again)
7. Kinder, heut'abend, da such ich mir was aus
8. Parlez-moi d'amour
9. Mona lisa
11. 希望の泉(Source d'espoir)
12. Les roses de Picardie
13.Wiegenlied(シューベルトの子守唄)
- コシミハル
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- コシミハル
『覗き窓』(CD) -
2013年5月22日発売
価格:2,730円(税込)
VICL-640341. Valse noire ヴァルス・ノワール
2. Rubus fruticosus 黒いちご
3. A la piscine ア・ラ・ピシーヌ
4. Un secret de mon frère 兄の秘密
5. Chidori
6. Royal éperon ロワイヤル・エプロン
7. Félicité フェリシテ
8. Marée haute 満潮
9. Jardin des oublis 忘却の庭
10. Petits pieds 小さな足
11. Frère et sur contrefaits 偽の兄妹
12. La paume cachée 密かな
- コシミハル
- プロフィール
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- コシミハル
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東京生まれ。3歳よりピアノを習い始め、8歳より作曲を始める。様々なミュージシャン(武満徹、細野晴臣)のための編曲、映画音楽、舞台音楽などを手がける。1989年「今宵マドンナ」で広告音楽競技大会作曲賞受賞。1997年から音楽とバレエ・ダンスをひとつに昇華したシアトリカルなステージ作品シリーズ「Musique-hall」の演出・振り付け・出演を行う。2008年オリジナルアルバム『覗き窓』、2013年『Madame Crooner』をリリース。
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