参加5団体すべての作・演出家が20代〜30代の若い女性たちという、小劇場演劇の精鋭を選りすぐった、芸劇eyes 番外編・第2弾『God save the Queen』が、9月12日(木)~16日(月)に東京芸術劇場で開催される。いずれも今、注目を集めつつある才媛たちの作品を一気に体感できるショーケースだ。今回は参加劇団の中から、市原佐都子(Q)、大池容子(うさぎストライプ)、鳥山フキ(ワワフラミンゴ)、西尾佳織(鳥公園)の四人と、編集者・湯山玲子を迎えての女性クリエイターばかりの座談会を開催した(※タカハ劇団の高羽彩は都合により残念ながら欠席)。今、あえて「女性」というキーワードで集められたショーケース。それぞれの思い、戸惑い、さらに女性という「性」や、そこから生まれる演劇作品について、それぞれに作風や思想も異なる彼女たちが語る、新世代の女性演劇作家の感覚とは?
「女性は自分の性を愛せない」という呪いがあると思うんです。やっぱり思春期に1回は自分の性と身体を憎んでる。社会からの視線もそうだし、おっぱいが大きくなったり、何たって生理がヤバいよね!(湯山)
湯山:私は1960年生まれで、みなさんのお母さんくらいの世代なんですね。どういう青春を過ごしたかというと、「女の時代」とか言われて女の子の感性が持ち上げられて、いろんな舞台で女性アーティストがぽんぽんと出てきた頃。フェミニズムという思想の中で上野千鶴子さん(社会学者)というスターも出て来た。20代はバブル時代にも引っかかっていて、女の人も経済力を持ったことで、フェミニズムの理論よりも金の力でとりあえずの平等が得られるということになって、思想が地下に潜ってしまった。男社会に依存するところは依存しておいて、女性は楽でおいしい得なものをとっていたほうがいい、という考え方が主流になったんですよね。しかしながら、いろいろあって、とうとう「3.11」ですよ! 加えて、少子高齢化と経済低成長における諸問題がリアルに女性を襲ってきているのが今だからね。
左から:湯山玲子、市原佐都子(Q)、鳥山フキ(ワワフラミンゴ)、西尾佳織(鳥公園)、大池容子(うさぎストライプ)
西尾:だいぶ飛びましたね(笑)。
湯山:とすると、今の女性は頼るものも何もない、ゴールもハッピーエンドも残されていない、というシビアな荒野に放り出された状態だと思うんですね。でも殺伐としているわけではなくて、そこで一人ひとりがいろんなことを考えて自分の生き方を模索している。その動きが演劇にどう出てくるか、というときに、さて今回『God save the Queen』(以下『GSQ』)というショーケースに、「女性作家」という観点で集められてしまいました。それについてどう思いますか?
大池:私は、自分の作品が「女性らしい」と言われるのがちょっと嫌で、今回もお誘いいただいた際に、「そうかー、うーん」と思っていて。何かしら女性らしさが滲み出てしまっているのかもしれないけど、俳優さんも性別を感じさせない人が好きだったり、自分としてはあんまり作品に女性性は無いんじゃないかと思ってます。
湯山:ミソジニー(女性嫌悪)っていう、「女性は自分の性を愛せない」という呪いがあると思うんですね。学生のレポートなんかを見てると、やっぱり思春期に1回は自分の性と身体を憎んでる。社会の制度もそうだし、おっぱいが大きくなったり、あと何たって生理がヤバいよね!(笑) そういうことが否応なしに外見にも出てきて、男から変な欲情をされたりして、恐ろしい世界に放り込まれちゃうじゃないですか。そのことに対しての異議申し立てっていうのは?
大池:うーん、どうでしょうね……。でも女性に限らず、好きな人の裸を見たくないっていうのはあって、青年団(劇団)の合宿で、すごい好きな先輩の女優さんとお風呂で一緒になったときがあったんですけど、夢が壊れるから見せないでっていう気持ちになったりしました。好きな俳優の裸は全部、キューピー人形みたいだったらいいなぁと思ってます。
きっとこういうふうに「女性作家5人です!」って打ち出すと、「今さら女かよ」って思う人もいるだろうなと想像していて。でもまあ、そう思うなら思ったとして、なんにせよ公演を見てくださ〜い(笑)、みたいな気分です。(西尾)
西尾:「女性嫌悪」も分かるんですけど、私は性的・生理的なものを物理とか物質のように、ごろんと扱いたいんですよね。人間はどうしたってトイレに行くなあとか、性欲はあるなあとか。まあ、みっともないんだけど「あるもんはある」という感じ。「性」をことさら言い立てるのも主義主張になってしまって「うるせー」と思うから、できるだけそのままで扱いたいんです。
湯山:なるほど。
西尾:だから今回の『GSQ』の「女性」という切り取り方は、ちょっと失礼な言い方かもしれないけど、古いと思っちゃうところもあって、今「女性」って打ち出すことで世の中にどう受け取られるんだろう? という危惧はあります。
―作品作りの中で「女性」を意識している部分は?
西尾:すごくあります。少し前までは「自分の思うことを思うように書くんだい!」と思ってたんですけど、最近は自分というものがまず周りの世界から不可避的に影響を受けてこうなってる。つまり女であることを意識して暮らさざるを得ないし、その作品がまた世の中に関与するんだな、と考えるようになってきていて。例えばちょうど今ガヤトリ・C・スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』を読んでるんですけど、インドでは旦那さんが先に死ぬと、奥さんが哀悼の意を示すために焼身自殺するという伝統があって、それをイギリス人が「人道的でないからやめろ」と言うと、インド人は「俺たちの文化なんだからそっちこそ暴力じゃないか」と言う。でもそれって権力者同士である男どもが話し合ってるだけで、当人である女性のサバルタン(被権力者)の声がないんですよね。今の例は「男 / 女」でしたけど、性別に限らずそういう「今この世界に埋め込まれて表に出られないもの」があって、それをどうやったら作品として救えるだろうか、とは考えています。
―確かに「女性」という切り取り方は古いのかもしれませんが、今だからこそ逆に、女の人が集まることに意義がある気もするんですよね。
西尾:私も「女性」という切り取り方を「嫌だ」とまでは思ってなくて。ただ、きっとこういうふうに「女性作家5人です!」って打ち出すと、「今さら女かよ」って思う人もいるだろうなと想像していて。でもまあ、そう思うなら思ったとして、なんにせよ公演を見てくださ〜い(笑)、みたいな気分です。
自分のことを女性として誇れると思っていないし、あえて「女性です」と主張したくもないですけど、それでも男性じゃなくて、女性に生まれて良かったなと思いますね。(市原)
鳥山:私は今36歳で、もうちょっと若い頃だったら、「女性の裸は見たくない」っていう大池さんと同じような反発もあったかもしれません。でも今はそういう気持ちもなくなって、そのことに満足をおぼていて……。
湯山:えっ? それはどういうことだ。
鳥山:成長したというか、今はもう女性というカテゴリーから「自分は規格外」って思ってるから、女性として集められても別にいいや、みたいな。生意気ですよね(笑)。
湯山:社会や制度と自分の問題って、どうしてもどこかで繋ってしまうと思うのですが、なぜ鳥山さんは無関係でいられると思いますか?
鳥山:無関係でいるというより、シリアスになること自体が、自分はしっくりこないのかもしれません。そもそもワワフラミンゴはライトめな作風と言われていて、実際は重いことも考えているんですけど、シリアスな表現ってどうしてもバイアスがかかってる気がしてしまって……。それよりも私、ギャグマンガとかが好きなんですよ。吉田戦車さんとか……。
―たしかにワワフラミンゴは、ユルくてシュールな作風のイメージだけど、ただ「ユルい」だけではなくて、その奥に毒やシリアスなものも含んでいる感じがしますね。
湯山:なるほど……、人間の無意識領域を表現している感じ? 私もシュールなのは大好きで、吉田戦車のマンガで火星人の話す言葉が「ホウ」ばかりという作品があって、あまりにも感動して自分の会社の名前にしてしまったくらい(笑)。「Q」の市原さんはどうですか?
市原:私、目がキラキラで足が細くてっていう、少女マンガに出てくる女の子が好きなんです。電車に乗ってても、バレエとか習ってそうな女の子を見ると「素晴らしいものを見たなあー」って思うし、そういう女の子に対する憧れはありますね。私もバレエ習ってたんですけど、小さい頃は今よりももっと自分に自信がなかったんですよ。で、綺麗なお姉さんが踊ってるとすごい「いいなあー」て思ってて、「頑張ってね」って肩とか触られると「はあ……」てなって(笑)。
湯山:あっ、初めて『花とゆめ』系の人が出てきたな(笑)。
市原:でも中学生になって、「あ、私って実はそんなにイケてなくもないかも?」って意識が出てきた頃があったんです。それで自分もキラキラしてる存在に思われてるときがあるんだなー、ってことに驚いて。だから、ちょっと調子に乗ってたときもあったし。ピアス開けたりとか。
湯山:ピアスくらいいいんじゃない?(笑)
市原:田舎だったんで(笑)。でもそれって結局、危険なことだと気付いたんです。このエピソードは作品にちょっと出したこともあるんですけど(Q『最新の私は最強の私』)、友だちがおじさんに自分の靴下を売ったり、ごはん食べに行ってお金もらって高校を退学になったりして、私の周りにいた友だちがみんな学校からいなくなってしまった時期があって……。私もちょっとやってみようかなと思ってたけど、ぎりぎりやらなくてですね(笑)。
湯山:紙一重だ。
市原:そうなんです。調子に乗ったまま自分もそういうことしてたら、大変な人生になってたかもなって。だからちゃんとしないとって。……えっとこれ、何の話でしたっけ?
湯山:いや、女が直面する最初の罠はそこだと思うんですね。ブスでも地獄だし、美しくても甘い罠に酔ってしまった後に何が待ってるかというと……。「どうして神様は私達に若さと美しさを最初に与え、そして奪うのでしょう」という岡崎京子『ヘルタースケルター』の名言がありますけど、それに翻弄される。市原さんはまさに、それの「上のほう」の体験をされてますよね。
市原:えっ。そんなことないです。なんか、おこがましくてすみません……。
―「男の人があんまり好きじゃない」って記者会見でも言ってましたよね。
市原:電車でヘンタイにあって、すごい「負けた」って感じたときがありました。でも本当には負けてないというか、そういう男の人のことをバカだな、って思う。自分のことを女性として誇れると思ってないし、あえて「女性です」と主張したくもないですけど、それでも男性じゃなくて、女性に生まれて良かったなと思いますね。
私は人と話すのが苦手なんですけど、大学の演技の授業では、嘘だから話せたり、嘘だから人の目を見たりできた。それで「演劇、結構いいかもしれない」と。(大池)
湯山:さっき、市原さんの浮き足立ってたピアス時代の話があったけど、ほとんどの女性は、その欲望の時代を延命していく生き方を選ぶと思うんですよ。でも、みなさん女性としてとてもチャーミングで可愛らしい方なのに、それを選ばなかったのはなぜなんでしょう? ルサンチマンとか制度の避難場所として演劇という表現を選ぶんじゃなくて、他の世界でもやれそうな人たちが今演劇に集まっているというのはいいなあと思うんですよね。なぜ演劇を選んだんですか?
大池:私の場合、父親が大阪で漫才の台本を書く仕事をしていて。だから家に放送台本が積み上がっていて、小学校で学芸会をやるときに「あ、台本というものを私は知ってるぞ」と思って。
湯山:じゃあ家業というか。パン屋の娘、みたいな自然な感じで?
大池:最初はずっとマンガ家になりたくて。でも高校で入った書道部が、舞台の上で踊りながら字を書くようなところで。そこで演出みたいなことをしていたら、演出が向いているんじゃないかと言われて、それを真に受けて日大芸術学部に入りました。
―先生に薦められたあと、演劇が好きになったのはどうしてですか?
大池:私は人と話すのが苦手だというコンプレックスがあったんですけど、大学の演技の授業では、嘘だから話せたり、嘘だから人の目を見たりできた。それで「演劇、結構いいかもしれない」と思いました。その後、青年団に入るんですけど、主宰の平田オリザさんの本は、難しいことが分かりやすく書いてある。自分は喋るのが苦手なので、この能力を身に付けたいなと思って。
湯山:「お芝居」という、作りごとの中では自由になれる、っていうのも演劇の魅力だよね。
ものを作ったり表現するのが自意識過剰な感じがして、昔からどうしても苦手だったんです。でも、27歳くらいのとき「もうそろそろ始めないと」と思って、演劇を始めました。(鳥山)
西尾:私も演劇を「選んだ」っていう感じはなくて、なんとなく始めたんですけど、やめてないのは何でだろうとは思いますね。でも私、真面目ですごく優等生な子供で、まあ誰とでもそこそこ上手くやれるんですけど、普通の暮らしだと、そこそこの愛想の良さ以上に踏み込まないで行っちゃうんですよね。それが演劇だと、とことん踏み込んで関われるし、それは同時に嘘でもあるという、その両方あるのが必要だったのかな。
鳥山:私は、ものを作ったり表現するのが自意識過剰な感じがして、昔からどうしても苦手だったんです。でも、27歳くらいのとき「もうそろそろ始めないと」と思って、演劇を始めました。自分でも「なんで演劇やってるの?」って思わなくもないけど、他の分野でやれる気もしないし、やる気もしなかったという感じです。
湯山:「表現する」って恥ずかしいことでもありますよね。それが嫌だから、多くの人は愛好家でいようとするんだけど、鳥山さんは27歳のときに、その恥ずかしさというルビコン川を越える何かがあったんですね。市原さんはなんで演劇を選んだんですか?
市原:推薦で入った高校に演劇の授業があって、そこで俳優がバイトで先生やっていたり、普通の先生と違う感じでいいなあっていうのが最初です。でも「演じる」ことが恥ずかしいというのはありました。その後、桜美林大学に入って、卒業研究で初めて作品を作ったんですが、それが意外と面白くて周りの反応も良くて。でも波はありますね。絶対に私には無理だけど、今の自分と全然違う丸ノ内OLみたいな生活をやってみたいと思うときもあります。あと、小説も書きたいです。
西尾:あと演劇が面白いのは、どれだけ稽古で演出しても、最終的には編集ができないところ。ライブだから、俳優がそのとき、その場でやっちゃったものが作品になっちゃう。それって、完璧な作品を作りたいという視点から考えるとネガティブな要素だけど、そういう性質があるからこそ私は演劇が好きです。信頼というか「委ねる」ということだなと。まあそんなにポジティブなことばかりじゃなくて、俳優に対して「なぁーんで、そうなっちゃうんだよっ!」ということもあるんですけど(笑)。
湯山:演劇は、みんなと一緒にやるから生まれる予測誤差がありますよね。普段の生活では経験を積めば大体予測ができるようになるけど、演劇の現場は何たって生の舞台だし、化学反応が起こったり、予測できないことがいっぱい落ちてる気がする。アニメとかCGだと予測誤差が入る余地がないけど。
西尾:継続的に一緒にやるうちに、お互いの性質、テンポみたいなものがおのずと把握されていくというか、そういう言葉にならない蓄積が積み重なって化学反応が生まれたりすると思うんですね。今はいろんなことが個人主義で切り分けられていて、個々人の能力に拠った単発の短期決戦にならざるを得ないことが多いと思うんですけど、演劇の現場ではアナログが残っている。
湯山:レアですよね。昔、飴屋法水さんの舞台(東京グランギニョルの時代)に通い詰めていたことが、もう忘れられない。たとえ映像が残っていたとしても、当時のそこにいた感覚っていうのは……。死ぬ前に走馬灯のように、記憶が蘇るというじゃないですか。次にその舞台が見られるのは、そのときだよって(笑)。小説にはないよねそれは。小説なんか全部忘れちゃう。
―そんなことはないでしょう(笑)。リップサービスありがとうございます。でも演劇と小説の違いって面白いですよね。
湯山:思想も自分の中に入るけれど、演劇はさらに視覚と聴覚、そして環境の記憶までをも連れてくるからね。
鳥山:小説と違って、演劇の台本はセリフだけを書いてればいい、っていうのはいいですね。最後に外に出るところだけ書きたい。あとは自由にできるので、そこに俳優さんたちの力が加わったら、さらに良くなる可能性が生まれる。
湯山:以前は圧倒的に自分が支配したい、コントロール型の作品やアーティストが主流だったけど、今は予測誤差というか、実際やってみて、そこで生まれる化学反応を出すっていう、天に任せる感じが出てきてるんじゃないですかね。
市原:でもコントロールできないの、ムカつくんですよね。本番中「お前なんで稽古と違うことやるんだよ!」っていうときは、殺意さえ覚えます(笑)。小説書きたい、って思っちゃう。本当は俳優に助けられているんですけどね。
表現することを続けている人を尊敬します。自分ができるかな、って心配はあるんですけど。(市原)
湯山:演劇ってリーダーシップが必要じゃないですか。コントロールを全くしないわけにはいかない。一種の政治だよね。そこんところが女性は苦手、という空気が世間にはまだまだ存在する。みなさんはどういう力学で、俳優たちに言うことをきかせているんですか?
市原:それは……(赤裸々すぎて割愛)。
一同:爆笑
―悪魔ですね(笑)。
湯山:素晴らしいね。
市原:なるべく大らかでいるようにしています(笑)。
鳥山:そんなのやったことない(笑)。私はテンパっちゃうタイプなので、なるべくそれをみんなに自然に伝えます。別に不機嫌で黙ってるわけじゃなくて、テンパってるからこうなんだ、と。
湯山:手助けしてくれる人をメンバーの中に求めたりします?
鳥山:みんないい子なんで、ほぼ全員そうなっています(笑)。
西尾:以前は何か問題があったときに、「全部自分がなんとかしなきゃ。みんなごめん、俳優は悪くない」って思ってたんですが、最近は作・演出と俳優の仕事を分けて考えられるようになってきていて。付き合いの長い俳優さんがいろいろ分かってくれてるのもあって、一人で握りしめてたものをやっとちょっとずつ手放せるようになってきたかな、という感じ。でも市原さんが言ってたみたいに、「全然稽古と違うじゃん!」ってときに殺意を抱くのは分かる(笑)。コントロールしないのはなんでもオッケーという意味ではないから。登ろうとしてる山の特徴はこうで、日々山の状況は違うんだけど、どんなに遭難しても山頂に辿り着けるためのトレーニングはしたよね、っていうのが稽古なのに「なんで下山した!」みたいな。
湯山:そうだよね、下山するやついるんだよね!(笑) あなたたちの世代は下山率高いでしょ? 大変だよ。下山保険かけたいよね。
西尾:それを自由だと勘違いしてるときとか、ほんと嫌だと思って。
大池:うちは徹底的に優しくします。実際、腹が立ったこともまぁそんなに無いです。でも、基本的には有無を言わさずやってもらってるというか。鳥山さんみたいに、無意識でいい子を選んでるのかもしれない。逆に「こんな大変なことさせられて、みんなよく怒らないなぁ」って思ったりもします。
湯山:10年後や20年後の自分や劇団のイメージってありますか?
市原:表現することを続けてる人を尊敬します。自分ができるかな、って心配はあるんですけど。あと、子供も産んでみたいです。表現することを続けて、今より自分が納得できるものを作れるようになれたらいいな。それでお金がもらえるようになってたらいいなと思います。……そりゃそうですよね(笑)。
鳥山:まったく同じですね。でも私は年齢が少し上なので、そんなこと言ってる場合じゃないんですけど(笑)。自分を使った実験みたいな感じですね。お金もないし、このままどうなるのかという。希望としては、表現分野の末端で少しでもお金がもらえれば、と思います。
西尾:私もきっと何かしらやっていくと思うんですけど、現実的な条件も大事なことだと思います。折れないためにも。もし商業的なお話をいただいたら考えると思いますけど、そっちに行きたいというのはなくて、今ここまでやって来ている線の上でもっと進んでいきたい。劇団に関わる全員が生活できるという可能性が、なかなか思い浮かばないんですけどね……。あとは、作品を作り続けることと同時に、どうやったら演劇にお返しできるか。それは次世代を育てたいっていうことだけじゃなくて、ワークショップとか大学とか、もっと演劇のことを考えられるような場が必要だなと。どうしたら演劇に閉じこもらずに、パブリックであれるんだろう、それがお金になったらいいよなぁ、と考えています。
湯山:日本も蓄えがないし、大学も縮小傾向にあるし、ネオリベラリズムで、自分のことは自分でやれって風潮になっちゃったでしょ。厳しいよね。みんなでバーやったりしたら? 全共闘っぽくなっちゃうけど(笑)。劇団員がピザ屋で大儲け、とかさ。
―週替わりの劇団カフェとかでもいいですね。
大池:そういえば、常々うちの団体の人たちは、カフェを作ろうみたいな話をしていて。私はあんまり関与してないんですけど、なんか「お金のこととか、ちゃんとしたことは考えずに、好きなように演劇作れ」と、みんなは言ってくれてます。
湯山:いいじゃない(笑)。グッズ作ったりとか。そういうの、演劇の人たちってすぐ作れるだろうし。あと、コミュニケーション指導とか、世の中に演劇が還元できるノウハウって、いっぱいある気がしますよ。
- イベント情報
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- 芸劇eyes番外編・第2弾
『God save the Queen』 -
2013年9月12日(木)〜9月16日(月・祝)全7公演
会場:東京都 池袋 東京芸術劇場シアターイースト
上演作品(作・演出):
うさぎストライプ(大池容子)『メトロ』
タカハ劇団(高羽彩)『クイズ君、最後の2日間』
鳥公園(西尾佳織)『蒸発』
ワワフラミンゴ(鳥山フキ)『どこ立ってる』
Q(市原佐都子)『しーすーQ』
料金:前売2,500円 当日2,800円 高校生割引1,000円
※高校生割引は東京芸術劇場ボックスオフィスにて前売りのみ取扱い(枚数限定、要学生証)
- 芸劇eyes番外編・第2弾
- プロフィール
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- 大池容子(おおいけ ようこ)
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1986年大阪府生まれ。日本大学芸術学部演劇学科卒業。2010年にうさぎストライプを結成。青年団の若手注目株。ポップでキュートであどけない世界観が、脳内麻薬的に観る人の心をとらえていく。どこかに行きたい、でもどこにも行けないような若者感覚が、せつなく、リズミカルに、そしてフレッシュにはじける。
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- 西尾佳織(にしお かおり)
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幼稚園から小学5年まで5年半をマレーシアで過ごす。中学から演劇を始め、実作の傍ら、東京大学では内野儀教授の指導の下で寺山修司を、東京藝術大学大学院では市村佐知雄准教授の指導の下で太田省吾を研究。2007年に鳥公園を旗揚げ。以降、全作品の脚本・演出、たまに出演をしている。「自分の想定の範囲をどんどん超えてくるもの」を呼び込む舞台には、肉片、スライム、潰れた卵、流木など、質感を持った物質が投げ出されるほか、詩、小説、唄なども引用される。築百年の古民家などで上演されることもあり、長い時間感覚を意識した独特のテンポで、世の中の「正しさ」からこぼれ落ちた、だけどチャーミングな存在をまなざす。
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- 鳥山フキ(とりやま ふき)
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劇団・ワワフラミンゴを2004年に旗揚げし、以来、カフェやギャラリーなどでの小規模な公演を、年に1回ほどのゆるやかなペースで行っている。作風は一見、女の子たちの戯れごとにも見えるが、かなりシュールに話が展開し、いつの間にか不思議な空気で客席を呑み込んでしまう。エビ、カニ、ホッチキス、双子等がなぜか気になっているよう。今回『God save the Queen』の参加作品『どこ立ってる』は「黄色いプラスチックの下敷き」(鳥山)のイメージとのこと。
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- 市原佐都子(いちはら さとこ)
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1988年大阪府生まれ福岡県育ち。桜美林大学総合文化学群演劇専修卒業。在学中は桜美林パフォーミングアーツプログラム(通称OPAP)で鐘下辰男、高瀬久男、伊藤千枝、坂口芳貞、などの作品に出演。2010年卒業研究として初の作・演出作品『虫虫Q』を発表。2011年Qを創設し劇作演出を担う。まだキャリアは浅いが、一気に注目を集め、同年『虫虫Q』をもとにした戯曲『虫』で第11回AAF戯曲賞を受賞。動物や食べ物がよくエピソードに登場し、ニンゲンの世の中の「形」に飼い慣らされきれない、そこからはみ出している存在を描く。軽やかに跳躍する独特の言語センスとグルーヴ感はもはや革命的。
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- 湯山玲子(ゆやま れいこ)
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著述家、ディレクター。文化全般を独特の筆致で横断するテキストにファンが多い。20代のアネキャンから、ギンザ、50代のハーズまで、全世代の女性誌にコラムを連載、寄稿している。著作に『女ひとり寿司』(幻冬舎文庫)、『クラブカルチャー!』(毎日新聞出版局)、『女装する女』(新潮新書)、『四十路越え!』(ワニブックス)、『ビッチの触り方』(ワニブックス)、上野千鶴子との対談『快楽上等! 3.11以降を生きる』(幻冬舎)、『ベルばら手帖』(マガジンハウス)等。月1回のペースで、爆音でクラシックを聴く、『爆クラ』イベントを開催中。 (有)ホウ71取締役。日本大学藝術学部文藝学科非常勤講師。
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