伝統はアヴァンギャルドから始まった 沢井一恵インタビュー

1979年、夫の沢井忠夫とともに「沢井箏曲院」を設立し、坂本龍一やジョン・ケージ、ジョン・ゾーン、一柳慧、そして高橋悠治と、様々な作曲家や音楽家と積極的にコラボレーションを行い、日本の伝統楽器としての「箏」と、西洋音楽や現代音楽、ジャズ、即興音楽との接点を探求してきた箏曲家、沢井一恵。彼女が出演する東京発・伝統WA感動『音の息吹き』が、今年10月5日(土)に東京文化会館で開催される。森山開次や平山素子らコンテンポラリーダンサーと和楽器のスリリングな競演は、これまでまったく邦楽(能楽、浄瑠璃などを含む日本の伝統音楽)に触れる機会がなかった人々に、その魅力を伝える有意義なものだ。自ら進んで「邦楽界の異端児」となり、日本の伝統楽器である箏を用いたアヴァンギャルドな演奏にも果敢に挑んできた沢井。その目指すところはどこにあるのだろうか。彼女の考える「伝統」とは? 沢井箏曲院の稽古場を訪ね、話を訊いた。

和楽器が伝統なのではなく、その内側にある美学や哲学を伝えていくことが伝統。

―私たち西洋音楽にどっぷりつかった世代にとっては、邦楽を耳にする機会というのがなかなかなくて、何となく取っつきにくいというイメージを持っている人もたくさんいると思うんです。そもそも、西洋音楽と邦楽は、どのような違いがあるものなのでしょうか。

沢井:西洋音楽と邦楽とでは、価値観がまるで違うんです。西洋音楽は、音を並べて積み重ねていく構築的な仕組みになっているのですが、邦楽は音を含めた「空間」がすごく大事というか、音自体がものを言う音楽。例えばお箏は、決して大きな音がするわけじゃないけど、1音をパッと出したときの存在感が全てなんです。思うに、邦楽器って音が鳴りにくいようにできているんじゃないでしょうか? 尺八にしてもそうだし、打楽器も、「パーン!」ってロングトーンで鳴り響くようには作られていない。その代わり、すごく凝縮された短い音を出すんです。

―意図してそういう作りになっているのでしょうか?

沢井:最初はね、そういった楽器を改良してこなかったのは、演奏家たちの怠慢だったのかなって思っていたんです(笑)。でも、続けるうちにそうじゃないことがわかった。私たち日本人のDNAというか、培ってきた文化や美学がそこに継承されているんじゃないかなって思うようになりました。

―空間、つまり「間」を大事にするということですね。そういった日本人の美学は、いつ頃から確立されたのでしょうか。

沢井:お能や狂言、水墨画など日本を代表する様々な文化は、そのほとんどが室町時代に発展しました。例えば京都の庭園もそうですけど、要らないものを排除して、必要なものを配置していく。書道も同じで、真っ白な大きな紙に墨でグワッと、まるでそこに宇宙を表すかのように書く。それをするには、エネルギーが必要です。邦楽器の音が出にくい構造になっているのも、その楽器を鳴らすためにものすごいエネルギーを注入させるためなんじゃないかと思うんです。そんな日本人の美学そのものが「伝統」なんじゃないかって。決して和楽器が伝統なのではなく、その内側にある美学や哲学を伝えていくことが伝統なんです。

沢井一恵
沢井一恵

―そうした日本の伝統に触れたことのない若い人や外国人が、ある日突然それに目覚めるということがあるそうですね。「邦楽はつまらない」っていう従来の先入観を特に持たない世代が、衝撃を受けることが増えてきたと実感することが多くなったとか。

沢井:そうなんです。今までの西洋音楽にはなかった魅力を、「分かる」というよりは「感じる」ようになってきたというか……。以前、ロシア人の音楽家ソフィア・グバイドゥーリナが、この稽古場に遊びに来てくれたことがあったんです。彼女が現代音楽の巨匠だなんて、私は全く知らなかったんですけど(笑)。それで、私や弟子たちの演奏を聴かせたら、「なんて素晴らしい楽器なの!  こんなの知らなかったわ!」と興奮しながら、自分でも爪弾きだした。「この楽器には(普通の弾き方以外にも)もっと素晴らしい可能性がいくらでもあるわ。だから、今まであなたたちが弾いたこともないような譜面を私、絶対に書くから」って言って、そのまま帰っていったんです。そんなに偉い人なんて知らなかったものだから、「あら、そうですか。そんなに気に入ったなら是非書いて下さいよ」なんて気軽に頼んでしまって(笑)。そしたら本当に楽譜が来たんですよね。

―それはどんな曲だったのですか?

沢井:どうやって弾くか、ちょっとやってみましょうか? (といって、ガラスのコップを使ってペダルスティールのように箏を演奏する)……さて、これは伝統と言えるでしょうか?(笑)

沢井一恵

―すごいですね。スティールギターはありますが、箏では初めて見ました。

沢井:私はね、お箏が世界にも通用する楽器であってほしいとずっと思っているんです。もちろん、日本の大事な伝統音楽を演奏するための大事な和楽器ではあるんですけど、「世界の中でもいい楽器でありたい」って。それを探るのが私のやってきたことなんじゃないかって思うんです。もちろん、スタンダードな演奏も日常的にやっていますし、人に教えるときは古典から始めます。でも「古典」だけで、お箏の持っている素晴らしさを全部伝え切れるのかな? と疑問にも思う。だから、外国の演奏家と出会ったときには、単に伝統音楽を聴かせるだけじゃなくて、「せっかく音楽家同士なんだから、一緒に何かできませんか?」って提案してみることにしているんです。

平安時代、室町時代から続いている文化も、それが生まれた当時は「前衛」だったはずなんです。

―とりわけ箏は、弦が13本しかないし、両手の指を使っても同時に10音しか出せないことで限界を感じることもあるのでしょうか?

沢井:現代音楽家の近藤譲さんとお話ししたときには、「音の成り立ちがそもそも違うから、邦楽の伝統音楽と西洋楽器をミックスするのは非常に難しい。だから僕はやってこなかった」と言われました。確かに、ティンパニーの「パアーン」という音と、大鼓の「トン!」という音では、もともと質が違うものです。ただ、お箏の場合は、柱(じ)を動かすことで音程を変えることができるので、西洋楽器にチューニングを合わせやすいんです。だから、西洋音楽とお箏を混ぜた曲は、たくさん出ています。

―ソフィア・グバイドゥーリナ以外で、西洋音楽と和楽器とのコラボが上手くいった例は何かありますか? 

沢井:西洋音楽と和楽器の「成り立ちの違い」までを突き詰め、積極的に活かした楽曲といえば、やはり武満徹さんの“ノヴェンバー・ステップス”になるのでしょうね。あの曲は、先ほど申し上げた「空間」を切り取る邦楽のあり方と、音を積み重ねる西洋音楽のあり方を、どうやったら混ぜられるかについてすごく考えてらっしゃいます。日本の美学がガッと活きる部分と、それを溶かして違うカテゴリーとして提示している部分。その融合の仕方が、日本人はもちろん、世界中のクラシックファンにも受け入れられたんでしょうね。

沢井一恵

―お話を聞いていると、伝統の力を失わせず引き継ぐためにも、新しいことを試みていくことが大事なのかなと思いました。

沢井:例えば、お能もそうだし雅楽もそうですが、平安時代、室町時代から続いている文化も、それが生まれた当時は「前衛」だったはずなんです。その「前衛」の中でも優れたものが、繋がり引き継がれていくことによって、後に「伝統」になった。もちろん、昔からあるものを壊さないように守っていくことも大切ですが、「伝統」は今の私たちの日常生活とはかけ離れていますよね。こうやってお洋服着てハンバーガー食べて生きているわけですから(笑)。そんな私たちが、平安時代や室町時代にあったものを、全く壊さず現代に繋いでいくことなんてできないのじゃないかしら。

―だから伝統も常に更新されていくべきだと。

沢井:江戸時代当時は受け入れられなかった八橋検校(近世箏曲の祖とされる江戸時代前期の音楽家)の書いた曲が、突出して良くて、それがちゃんと今に繋がってきているんです。昔のものを守るだけでは、いずれ博物館に資料として収められるしかないですよね。今を生きる私たちのバックグラウンドから出てくる音楽が、果たして未来にとって良いものになるかどうかは分かりませんが、やる必要はあると思うのです。そうやって新しいことを試みるなかで自分自身が開眼し、改めて古いものの本質が何なのかを考え、理解することができるんです。

沢井一恵

―高橋悠治さんとの出会いは、箏のルーツを再認識するキッカケになったそうですね。沢井さんは、箏のルーツを辿ってアフリカに行くのが夢だとか。

沢井:そうなんです。アフリカのブルンジ共和国に、すごいお箏があるって聞いたんです。私はその音をテープで聴いただけなんですけど、いつかアフリカへ見に行きたいなとずっと思っていて。あと、私は個人的に、最初にお箏を弾いたのは北京原人に違いないって思っているんです(笑)。枯れ木に蔓が絡まっていて、触ってみたら音がした。それがお箏の始まりじゃないかって。

―さきほどのお話だと、同じ箏でも国によって演奏のされ方も変わりそうですね。

沢井:そうですね。先日は韓国の音楽家が4人来日して一緒に演奏しました。韓国音楽にはずいぶん前からハマっているんです。日本は1音にエネルギーを凝縮させますが、韓国はうねるような音を出す。朝鮮文化には「恨(ハン)」という思考がありますが、それがこもったようなエネルギーを感じます。もしかして私はずっと昔に朝鮮からやってきたのかなと思うぐらい虜になりました。ちなみに、ソフィア・グバイドゥーリナはタタール出身なんですけど、私の演奏を聴いて、「あなたのリズムはダッタン人(タタール人)だ」って言うんです。だから私、本当は日本人じゃないのかもしれない……。

やりたいことをやるためには、「みんなで仲良く」みたいなのはやっていられないと思って、飛び出してしまった。

―ソフィア・グバイドゥリーナ以外にも、一柳慧、坂本龍一、ジョン・ケージ、そしてジョン・ゾーンと、本当に多種多様な音楽家たちと積極的にコラボレーションをされてきたわけですが、特に印象に残っている音楽家はいらっしゃいますか?

沢井:ジョン・ゾーンはいい意味でクレイジーでしたねえ、音楽の構成自体はクレバーだったけど、あの人自身はクレイジーだった。面白かったですね。ニューヨークでも、カナダでも一緒にやりました。

―いろいろなジャンルの音楽家たちとコラボレーションするのは、どういう想いがあるのでしょう?

沢井:箏を広めたいという気持ちがあるのと同時に、自分が何か刺激を求めているからなんでしょうね。何か答えが欲しくていろんなことをやっている。「欲求を持たなければ何事も始まらない」というのが持論なんです。今はいろんなものが便利になっているじゃないですか? だからこそ、箏のようにシンプルな楽器が新鮮なのかもしれないですね。素朴なものほど、弾いた人の人格を反映する。だからみんな、お箏を弾いたらいいのに!(笑)

沢井一恵

―先ほどのようにコップを用いて演奏したり、ジョン・ケージからは“3つのダンス”という作品の譜面をもらい、「プリペアド箏」を演奏したり。そうした前衛的な活動が邦楽界から批判を浴びることはなかったのですか?

沢井:批判があったから邦楽界を出たんです(笑)。やりたいことをやるためには、「みんなで仲良く」みたいなのはやっていられないと思って、飛び出してしまった。昔はね、批判があるところで闘おうと思ったこともあったけど、「そんな時間はないな」って。それよりも、まっさらなところへ行ってイチからやりたいと思ったんですよね。その方が理解者も増えるんじゃないかなって。最初はコンプレックスもありましたよ。西洋のものすごい音が出る楽器と互角に張り合おうとしているわけですから。でもそういうところで演奏してみて、どんな反応が返ってくるかが見たかった。その反応によって、お箏の魅力を私も再発見することはありますし、自信にも繋がるんです。

―10月には、東京文化発信プロジェクトの一環として行なわれている「東京発・伝統WA感動」の中のプログラム、『音の息吹き』に沢井さんもご出演なさると聞きました。

沢井:お箏の人は、他にもうち(沢井箏曲院)出身の優秀な演奏家が2人参加しているんですけど、若い人たちと混じって演奏しなければならないから大変なんですよ……(笑)。伶楽舎(芝祐靖が音楽監督を務める雅楽グループ)とは、20年くらい前に、日本の伝統を太古まで遡り、そこからもう一度考え直すというテーマのイベントを国立劇場でやったんです。そこでは世界各国の各種楽器を復元したのですが、お箏も、二千何百年前の中国の王さまの墓から出てきたような一番古い箏を復元したんです。すごく刺激を受けたイベントでした。

―今回も、平山素子をはじめとしたコンテンポラリーダンスとの競演も楽しみですし、そうした公演は、これまで全く邦楽に触れたことのない、若い世代にその魅力を伝える大きなキッカケになると思います。沢井さん個人でも「箏遊行」という活動をされているそうですね。

沢井一恵

沢井:そうなんです。お箏が人の耳に触れる機会をとにかく増やしたい。そう思って一番最初に自分で始めたのが、お箏を抱えてどこへでも行って、どういう場所でも弾く「箏遊行」でした。もちろん路上で弾いたこともあります。一番おかしかったのは、ニューヨークのワシントン・スクエア公園で演奏したとき。あそこはいろんなミュージシャンが集まってやっているんですけど、お箏の口前袋(箏の側面の飾り)を外して置いておいたら、おひねりがたくさん入ったんですよ。他のミュージシャンたちがみんなビックリして、「すぐしまわないと盗られるよ!」って教えてくれるくらい(笑)。邦楽界だけでやっていると、そういう状況は作れないんですよね。若い人たちや外国人が聴いて、「え、面白い!」って思うためには本当に頑張らないと。そのためには自分が常に認められていないと思っています。

―常に「道なき道」を開拓して進んでいく沢井さんのパワーは、一体どこからくるのでしょうか。

沢井:欲が深いんだなあって思いますね。人にもそう言われたことがありますし。あるレベルまで到達すると、またその先が見えてくるんです。「ここまで来れた、やった!」と思った瞬間から、遥か彼方へ続く道が見えてくる。その繰り返しなんですよね。「現状に安住したくない」というよりは、「逃げてる」のかなあって思うこともあります。「もっと面白いことを、この楽器でやりたい」と思ったときに、私は箏曲界から逃げたのかな、と。「私の居場所は、私の楽器の居場所は、一体どこにあるのかしら」、そう思って未だに彷徨い続けているんですよね。

―夫の沢井忠夫さんから「邦楽界のじゃりン子チエ」と呼ばれたことがあるそうですが、常に若さと好奇心を失わずにいられる秘訣を最後に教えていただけますか?

沢井:自分自身を疑い続けること。そうすることで、自分の存在理由を見つけたいって思うんじゃないかしら。誰しもみんな、「これがあるから私は生きてきたんだ」、「これがあるから良かったんだ」って思いたいわけじゃない? でも、なかなかそうは思えない。それでも諦めずに、「あっちに行ってみれば思えるかな?」「こういうことをしてみれば思えるかな?」「これもいいけど、もっとあるに違いない」って、常に考え続けていることが大事なんじゃないかなって思いますね。

東京文化発信プロジェクトとは
東京文化発信プロジェクトは、「世界的な文化創造都市・東京」の実現に向けて、東京都と東京都歴史文化財団が芸術文化団体やアートNPO等と協力して実施しているプロジェクトです。都内各地での文化創造拠点の形成や子供・青少年への創造体験の機会の提供により、多くの人々が新たな文化の創造に主体的に関わる環境を整えるとともに、国際フェスティバルの開催等を通じて、新たな東京文化を創造し、世界に向けて発信していきます。
東京文化発信プロジェクト

イベント情報
東京発・伝統WA感動『音の息吹き』

2013年10月5日(土)18:30開演
会場:東京都 東京文化会館 大ホール

[第一部]
雅楽・管絃『舞風神』
出演:伶楽舎

能楽・素囃子『獅子』
出演:藤田六郎兵衛、曽和正博、大倉慶乃助、観世元伯

尺八『泰山』
出演:川瀬順輔社中

[第二部]
(未定)
出演:藤舎名生、森山開次

『幽寂の舞』
出演:三橋貴風、帯名久仁子、野澤徹也、西陽子、丸田美紀、中井智弥、沢井一恵、平山素子、加賀谷香

料金:一般4,000円 学生2,000円

プロフィール
沢井一恵(さわい かずえ)

宮城道雄に師事。東京芸術大学卒業。沢井忠夫と共に沢井箏曲院設立。古曲、邦楽の意義を探す為、洋楽との差異、接点に活動視野を拡げる。ジョン・ケージとの出会い、ロシア人作曲家、ソフィア・グバイドゥーリナとの共同作業、即興演奏を経て、箏コンチェルトへと発展、 2010年佐渡裕指揮による、坂本龍一作曲「箏コンチェルト」を世界初演。世界中の音楽シーンで、箏音楽の真価を問い続けている。



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