バンドに関わらず、表現活動をして生きていくには、当たり前のようだが根気がいる。制作や生活のために積み上げる日々のほとんどは地道なものだし、なかなか芽が出ずに、同世代で出世していく周囲の人間と自分のギャップに苦しむことも少なくない。そんな日常の鬱憤がライブで爆発し、まさに祭のようなハレとケのカタルシスを感じさせるバンドが、インストゥルメンタルロックバンド、johann(ヨハン)だ。度重なるメンバーチェンジを乗り越え、ツインドラムの編成になってから初めてリリースしたアルバム『Haiku Days』は、そのエネルギーが凝縮された一枚に仕上がっている。バンドの立ち上げメンバーである佐藤竜市は、紆余曲折を経て納得のいくメンバーに出会えた今、ようやく自分の思い描く音楽を形にすることができる喜びを手に入れたばかり。これまでの葛藤と道のりについて、佐藤に訊いた。
四畳半という狭い空間からいろんなところへ出て行きたい。
―まず気になったのがjohann(ヨハン)というバンド名なんですけど、これは何か由来があるんですか?
佐藤:四畳半っていう意味なんです。名前の響きから「宗教っぽい」って最初は言われますけどね(笑)。バンドのロゴも「四半」という漢字をデザインしているんですよ。
―言われてみるとそう見えてきますね(笑)。実際に四畳半に住んでいたとか?
佐藤:それもありますし、「四畳半という狭い空間からいろんなところへ出て行きたい」っていう思いもあったんですよね。ただ、すぐにうまくはいかなくて、ベースの高橋(勝浩)くんとバンドを結成したはいいけど、メンバーチェンジを繰り返していました。今はツインドラムですけど、最初はドラムもサポートで、しばらく3ピースで活動していましたね。
―その頃から「インストバンド」という形態は考えていたんですか?
佐藤:いや、全然考えていなかったです。最初はボーカルを入れたくてメンバー募集をしていたんですけど、こういう楽曲にボーカル用のメロディーを入れるのが難しくてうまくいかなくて。それで、歌の代わりにギターをフィーチャーした楽曲にしようと思ったんです。
―とすると、徐々にコンセプトも変化してきているのでしょうか?
佐藤:やりたいことのイメージは同じなんですけど、当時は自分の演奏技術や音楽的感性が全然追いついていない状態で。それだと当然他のメンバーにも伝わらないから、思っていたのとは違う曲がいっぱいできちゃっていました。09年にもう1人ギター(松田)を加えた4人編成でセルフタイトルのデモCD-Rをレコーディングするんですけど、その頃にようやく形になってきたと思えましたね。
僕は「この曲はこういう曲だよ」っていうのを共有することで、ライブをみんなで楽しめるんじゃないかなって思うんですよね。
―2010年に松田さんが脱退し、元harvest four seasonの嵩井翔平さんが加入して1stアルバム『畳の唄』が出るわけですが、バンド名の由来といい、「自宅録音」をベースにしていたりするのでしょうか?
佐藤:いや、それは全くないです。johannのテーマを「和」に統一したかったんですよね。
―「和」のイメージを大切にしているのはなぜですか?
佐藤:子どもの頃からお祭りが好きだったんですよ。僕が育った地元の茨城では、中学校のときに強制的に御神輿を担がされるんですね(笑)。それがすごく楽しみだったし、お祭り会場が近所だったから、夏になると家にいても祭り囃子が聞こえてくるような環境でした。
―言われてみればjohannのリズムってちょっと「お囃子」っぽいですよね。
佐藤:そうですね、それは結構意識しています。あと、サウンドだけじゃなくて、言葉にも「和」を積極的に取り入れていますね。
―バンド名もそうですし曲名やアルバムタイトルもそうですよね。
佐藤:日本語の文章が好きなんですよね。例えば“輝く街”っていう曲があるんですけど、これは本屋さんで『ひかりのまち』っていうタイトルの本を見つけて。「ああ、すごくいい言葉だなあ」と思って、ずっと曲名に使いたかったんです。そうやって、言葉から曲ができることは多いですね。「このタイトルの曲を作りたい」って思うんです。
―歌ものだったら、「歌詞」というフォーマットを使って言葉を伝えることができるわけですが、そこでインストバンドであることのジレンマを感じることはありますか?
佐藤:インストバンドの人たちに多いのは「イメージを聴き手に委ねる」というやり方だと思うんですけど、僕は「この曲はこういう曲だよ」というのを、押し付けるわけじゃないけど、共有したいなとは思っているんです。だからアルバムのインナースリーブにも1曲ずつ解説を入れてるし、共有することで、ライブをみんなで楽しめるんじゃないかなって思うんですよね。
―お祭りみたいな音楽なのに「わびさび」という言葉を使ったり、インストなのに言葉にこだわったり、そういうギャップを敢えて生み出して、聴き手の想像力を広げようとしているのかなと思いました。
佐藤:まさにそうですね。例えば“oyasuminasai”(おやすみなさい)っていう曲があるんですけど、めちゃめちゃうるさい曲なんですよ(笑)。「寝れないよ!」って突っ込まれたくてこういう曲名にしたんですけど、案の定そう言ってくれる人がいっぱいいて嬉しいです。
―“haiku days tanka poetry”みたいに、日本語と英語がチャンポンになっている感覚もユニークです。
佐藤:「知能指数低めだな」ってよく言われます(笑)。それもイメージのギャップを意識して付けましたね。あとは、今回のアルバムはいわゆるハイファイな音にしたくなくて、あえてライブハウスで録ったりして、きれいにまとめ過ぎず、ダーティーにライブ感を意識して作りました。
僕はただ弾きたくて弾いてただけなんですけど、酔っぱらいのオッサンにリクエストされたり(笑)、お婆ちゃんが隣に座ってずっと聴いてくれてたり。
―佐藤さん自身は、どういうきっかけで音楽に目覚めたのですか?
佐藤:自分でギターを弾きたいって思ったのは、13歳のときに横浜銀蝿を聴いてからですね。正月の特番に彼らが出てて、「すげーかっこいい!」って思って。それまで音楽には全然興味がなかったんですけど、そのままCDを買いに行きました(笑)。
―横浜銀蝿のファッションやアティチュードにも影響を受けましたか?
佐藤:ルックスとか立ち振る舞いよりもまず音楽でしたね。スリーコードのロックンロールがとにかくかっこ良くて。僕は今29歳だから横浜銀蝿は全然リアルタイムじゃなくて、そのときに見た映像も当時のものではなく「現在の銀蝿」だったので。
―佐藤さんはアコギでソロ活動もしていますが、そこではスラッピングやタッピングなどを駆使したパフォーマンスを披露していますよね。
佐藤:johannからドラムが抜けてた時期、ライブに誘われても出られない状態が続いたんですよ。演奏できないことがすごくストレスで、仕事が終わってから夜中にアコギを持って外へ行って、朝まで弾いたりしていたんですよね。駅とか公園とかで(笑)。あの頃は本当に頭がおかしかったですね、いつもイライラしちゃってたし……。
―そうやって路上で演奏していたことが、アコギのスキルアップにも繋がったわけですね。
佐藤:僕はただ弾きたくて弾いてただけなんですけど、お金をもらったこともありましたね。あとは酔っぱらいのオッサンにリクエストされたり(笑)、昼間に公園で弾いてたらお婆ちゃんが隣に座ってずっと聴いてくれてたり。「昔はよく音楽を聴きに行ってたけど、今は足が悪くなって行けなくなってしまったの。それで公園に来たら君がたまたま弾いててくれて良かったわ」って言われたんですよね。僕はお婆ちゃん子だったので嬉しくて、彼女に聴かせたくてその公園に通ったり。
―へえ! 鬱屈していた時期のことだったんでしょうけど、今となっては貴重な経験ですね。
佐藤:そうですね。結果的に、その時期にアコギを特訓できたので。あとはやっぱり、アンディ・マッキーとかマイケル・ヘッジスを聴いて「ああ、こういう弾き方もあるんだ」と思ったのも大きかったです。
―いわゆるポストロックやマスロックと言われているバンドからの影響はどうですか?
佐藤:うーん、toeはわりと好きなんですけど、それ以降に出てきたバンドは自分がやりたい方向性とはちょっと違っていて、もうちょっと、賑やかに発散するような音楽をやりたいというか。Battlesは好きで、ライブを観に行ったりもしましたけど。
―Battlesのリズムって、ちょっとお囃子みたいなところもあって、その辺りはjohannも通じるものがあるのかなと思いました。曲はいつもどのように作っているんですか?
佐藤:モチーフを作っておいて、それをスタジオでメンバーに聴かせてゼロからアレンジを組み立てていくというやり方です。曲の構成やリズムの感じといった全体像は頭の中で大体できあがっていることが多いですね。もちろん、誰かが弾いたフレーズに触発されて、全く違うアレンジに取り替えることもあります。
音楽が価値のあるものであり続けることが、音楽の作り手と聴き手のいい関係を作ると思う。
―バンドを続けていくことに悩んだ時期もあったと思うのですが、何か転機となった出会いはありましたか?
佐藤:バイオリニストの中西俊博さんとセッションしたことですかね。友人の紹介で中西さんのコンサートを手伝ったことがあるんですけど、そのときに中西さんが僕にすごく興味を持ってくれて。「ギタリストなんでしょ? どんな音楽やってるの?」って。それで聴いてもらったら、「すごいね、天才だ。でも日本じゃ売れないね」って言われました(笑)。それで自宅のスタジオにお呼ばれしてセッションをしたんです。
―どんなところに影響を受けたのでしょう?
佐藤:そのときの体験も大きかったんですけど、コンサートのリハーサルを2、3時間やってることを知ったんですよね。僕らはまだライブハウスで15分くらいしかリハの時間を持っていないんですよね。でも、お客さんがお金を払って観に来てくれているわけだから、もう少し余裕を持って準備したいなと改めて思って。だから、なるべく早くワンマンをやれるようになって、そういう準備時間をしっかりとれるようなやり方をしていきたいですし、今でも自分の企画イベントではバンド数を少なめにしてリハの時間を長くとったりしているんです。
―バンド活動にクラウドファンディングを導入したのも、そういった現状の活動に対する問題意識から?
佐藤:それはありますね。クラウドファンディングは去年の暮れに知ったんですけど、調べてみたらサービスもいろいろあるし、海外では一般的になりつつありますよね。これは、音楽の本来あるべき姿なんじゃないかなって思ったんです。
―いわゆる「パトロン」が、自分の見込んだ才能に投資するっていうことですもんね。
佐藤:そうですね。実際に僕たちが使った「CAMPFIRE」でもパトロンという言葉を使っていますし。例えばライブをやってても一向に収益が上がらなかったり、それで思うように活動ができなかったりっていう悪循環にハマっているバンドってたくさんいると思うんですよ。それってすごくしんどいことで、どれだけバンドを真剣にやってても、具体的な結果を出してないと「遊んでる」っていうふうにしか思われないことも多くて。
―そういう見られ方をされてしまうと、作り手としてもいいものを生み出そうとしたときに、プレッシャーに感じてしまいますよね。
佐藤:自分ももともと生活のために居酒屋で働いていたんですけど、ずっとそれを言われ続けて、何も言い返せなくて、本当に悔しかったんですよね。でも、実際に「CAMPFIRE」でリスナーの方に資金の援助を呼びかけたら、思っていた以上に集まったことが本当に嬉しくて、力になったんです。だから、クラウドファンディングというシステムで少しでも音楽を作る人と聴く人の関係性が深まっていけばいいなと思っています。もっとバンドやっている人にその存在を知ってもらえたらいいなと思いますね。
―お話を聞いていると、佐藤さんはとても熱いハートを内に秘めているし、常にファンを楽しませよう、驚かせようということを考えている人なんだなと思いました。今後の展望はいかがでしょう?
佐藤:今は、とある新しいメディア媒体によるリリースに興味があって。友達と好きな音楽を交換できるイヤホンプラグ型ガジェットなんですけど、まるでCDの交換をするみたいな感じで音楽を貸し借りできるんですね。すでに海外のあるバンドが、これを使ってアルバムをリリースすることを発表しているみたいです。
―音楽自体のクオリティーだけではなく、楽しみ方自体の提案もしていきたいということでしょうか。
佐藤:そうですね。闇雲に新しいことをしたいわけじゃなくて、単にファイルのやりとりでは感じられない、アナログならではのワクワク感がちょっとでも戻ってきたらいいなって思っているんですよね。音楽が価値のあるものであり続けることが、音楽の作り手と聴き手のいい関係を作ると思うんです。「昔は良かった」って懐かしむのではなく、そのための方法を常に模索していきたいですね。
- リリース情報
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- johann
『Haiku Days』(CD) -
2013年12月18日発売
価格:1,680円(税込)
TTPM-0011. japanese wabi sabi tatami pride
2. koyuki
3. haiku days tanka poetry
4. 葉月のクジラ
5. 輝く街
6. oyasuminasai
- johann
- プロフィール
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- johann(よはん)
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2008年結成のツインドラムインストロックバンド。「TOKYO JAPANESE “WABI SABI”TATAMI PRIDE」という謳い文句を掲げ世界に通じるサウンドを掻き鳴らし続けている。まるで野獣の咆哮のような爆音で郷愁感漂うギターと、ツインドラムとベースから生み出される強靭なグルーヴでオーディエンスをjohannの世界の虜にさせている。まさに今ライブを体感するべきの男性5人組。
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