全3回続いた『第8回shiseido art egg』の入選者インタビュー。最後に登場する古橋まどかは、なんとアーティスト活動歴1年、今回が人生初の個展になるという、まさに新進気鋭のアーティストだ。イギリスで建築と美術を学び、マルセル・デュシャンと民藝運動に影響を受けたという彼女は、身の回りにある品々を使って、インスタレーションやさまざまなプロジェクトを行う作家として、頭角を現しつつある。本邦初となるインタビューを通して、古橋の目指すもの、アーティストになった経緯を聞いた。
そういうヘンテコな現代アートの面白さを、たとえば私の祖母にでもわかるように伝えていきたいと思っているんです。
―古橋さんは今年の『shiseido art egg』入賞者3人の中で、最後の個展を飾るわけですが、じつはアーティスト活動を始めてまだ1年だとか。
古橋:はい。個展もまったく初めてなんです(笑)。
―そうなんですか!? だとすると、古橋さんがどんなアーティストで、どんな作品を作ってきたのか、を知っている人は、まだほとんどいない状況なわけですよね。まずは最初に作品やテーマについて、お伺いしてもよろしいでしょうか?
古橋:テーマというと「現代美術」そのものになります。大学まではデザインや建築を勉強してきたのですが、その前からずっと美術に興味があって、その方面に進みたかったんです。それでいろんな方に後押ししていただいてロンドンにあるロイヤル・カレッジ・オブ・アート(以下RCA)に入って、そこでまず考えたのが「美術とはなにか?」ということです。そのなかでも特に気になったのが「現代」というカテゴリー。近代美術とは違って現代美術には明確な定義がないところが面白いなって。
『shiseido art egg 古橋まどか展』展示風景 撮影:高見知香
―古橋さんは、どういった手法でそのテーマを追求していこうと考えたのでしょうか?
古橋:まずはリサーチすることから。現代美術の始まりはいつだったのかということが気になって、美術史の勉強を始めて辿りついたのが1917年、マルセル・デュシャンが名を偽って公募展に小便器を提出した年でした。その作品は当時は展示に至らず、1つの試みとして終わったようですが、再評価され始めた1950年代あたりから、なんでもかんでもあらゆる物が美術作品と見なされるような風になってきて。
―そうですね。
古橋:なかには美術館に所蔵されるような作品が、ゴミと間違えられて捨てられてしまったりもする。それは惜しまれるべきなのでしょうけれど、一般には「え、あれが芸術なの?」って思われても仕方ない。なんともヘンテコというか……すごく滑稽なものが現代アートだと思っています。でも、そういうヘンテコな現代アートの面白さを、たとえば私の祖母にでもわかるように伝えていきたいとも思っているんです。
―事前にいただいた資料を見ると、「ファウンド・オブジェ」と呼ばれる、どこかで見つけた、拾ってきたような物を組み合わせて作品にしていますね。それもデュシャンが提唱した「レディメイド(既製品をほぼそのまま美術作品にする手法)」の思想に沿っているんですね。
古橋:そうですね。今回『shiseido art egg』で展示する作品は、祖母の家に残されていた物を素材にしていますが、取るに足らない日用品とか、忘れ去られて家の片隅にコソっとあるような品物を美術として見せたいというところが出発点です。「自分が愛用していた金魚鉢」なんて、どう間違っても美術館には所蔵されませんよね。でも、それがどこかで間違いが起きて持ち込まれてしまった、みたいな状況が面白いと思うんです。
『shiseido art egg 古橋まどか展』展示風景 撮影:高見知香
―なるほど。その過程において家族や場所の記憶というのは、大きな要素でしょうか?
古橋:大きいですね。ただ、物自体から場所の記憶を感じとることは難しいので、作品に写真を使うのです。物が収集された場所も含めて、1つのアイデンティティーとして示せればと。
自分の「普通」が通常の「普通」でないことに気がついて、開き直るきっかけになったのかもしれません。
―ちょっと駆け足に作品やコンセプトについて伺ってしまいましたが、そもそもアーティスト活動を始めたイギリスでは、最初に建築を勉強されていたんですよね。美術や建築には小さい頃から興味があったんですか?
古橋:そうですね。祖母が美術好きだったので、一緒に陶芸をしたり、小さい頃からもの作りに親しんできました。その祖母は幼稚園を経営する教育者でしたから、自分の世界を大切にするように育てられたのも、祖母の方針だったのかもしれません。
『shiseido art egg 古橋まどか展』展示風景 撮影:高見知香
―本格的に美術や建築の道に進もうと思い始めたのは?
古橋:やっぱり小さい頃からだったように思います。サンフランシスコで美術の勉強をしていた姉がいたのですが、両親は娘が二人とも美術に進むのは……と思っていたみたいで。だから建築を選んだわけではないんですけど、なんとなく歓迎されないような空気も感じつつ(笑)。
―それで、ロンドンの建築大学「Architectural Association School of Architecture(以下、AAスクール)」に入学されるわけですね。でも、いきなり海外へ行こうというのもずいぶん勇気のいる決断ですよね。
古橋:アメリカにホームステイしたこともありましたし、姉も含めて、周りの人たちにも海外へ行く人がいて、自分にとっては身近な選択でした。高校もアメリカ系の単位制高校だったので、フレキシブルにカリキュラムを組んで、興味のあることだけを集中的に勉強できる環境だったんです。高校を卒業してからの数年間は空白の期間というか、あらためて自分がなにをすべきかをずっと考えていたのですが、あるとき「イギリスに面白い建築の学校があるよ」ということを高校時代の先生から聞いて、渡英を決めました。
―AAスクールって、『東京オリンピック』の新国立競技場コンペで話題のザハ・ハディドや、建築設計事務所「コープ・ヒンメルブラウ」のメンバーであるヴォルフ・プリックスが卒業生なんですよね。ハディドは「実現しない建築」で有名ですし、コープ・ヒンメルブラウは風船みたいな構造体が建築であると主張するような人です。建築と言えるギリギリのところを攻める人たち。
古橋:そういった実験的なところも気に入っていて。いかに図面を引いて建築物を建てるかという技術面より、理論面に力を入れていたりとか。極端な話、空中に建物が浮いていてもOK、みたいな感じなんですよ(笑)。
―イギリスでの新生活はどうでしたか? AAスクールもかなり特殊な環境ですよね。
古橋:世界中から学生が集まっているので、本当にインターナショナルな環境でした。イギリスにあるとはいえ、学校はまた別の国のようでした。
『shiseido art egg 古橋まどか展』展示風景 撮影:高見知香
―でも、その多国籍性や自由さが肌に合った?
古橋:自分の「普通」が、通常の「普通」でないことに気がついて、開き直るきっかけになったのかもしれません。AAスクールはとにかく自由なところで、出席が義務付けられている講義もほとんどなく、自分自身で研究テーマを決めて、スタジオを自由に使ってリサーチや制作をするという方針。研究対象はその時々で異なりましたが、プライベートスペースに対するところのパブリックスペースとか、独立した建築というよりは、コンテクストから定義されるような建築に興味がありました。考えてみると、ディスプレイやギャラリーなど、美術をとりまく空間的な枠組みが、美術を制作するにあたって要になったのは、このあたりに由来するのだと思います。
リサーチって自分の考えを理論化して明瞭に表現するためのものだと思うんですが、それと距離を置くことからアーティストとしての人生が始まったように思います。
―ポートフォリオを拝見したところ、『1:5000』が最初の作品ですね。イギリスの街並を撮影した古写真に、ペインティングをほどこしたものですが、これはどういった意図の作品だったのでしょう。
古橋:これはAAスクールに入って最初に取り組んだプロジェクトで作ったものです。あたえられたビニール製のカラスの模型……その当時、先生が日本の100円均一の店で手に入れたという、おそらく鳥を威嚇するための物だと思うんですが、そのサイズを大きくしたらどうなるのか? という内容で。
―元のかたちのまま巨大化させるということですか?
古橋:そうなんです。つまりスケールの勉強ですね。グループごとに倍率は違っていて、私は5,000倍のグループでした。5,000倍の大きさになると、小さなカラスの模型が、巨大なモンスターみたいになるんですね。で、たまたま見つけたのがウェンブリー地区の古いポストカードを集めた本で。その街並に5,000倍の大きさのカラスが現れたらどんなことが起こるだろう? ということをリサーチしながら試した作品です。
―なるほど。だから風景の中に鳥の足跡を描き入れているんですね。5,000倍になったカラスが歩いたらこんな跡が残るだろうと(笑)。この作品をアーティストとしてのポートフォリオに入れているのは、ご自身の制作のマイルストーンになるものとお考えなんでしょうか?
古橋:空間との関係性もそうですし、既存の物を使ったプロジェクトだったことも、今につながっていると思います。あと、このプログラムの担当教官が「アーキグラム」(イギリスの前衛建築グループ)の元メンバーだったんですが、いろいろな学生がプレゼンテーションした後に「あれ(古橋さんのプロジェクト)が忘れられない」とボソっと言ってくれて。それもすごく励みになりました。
―古橋さんのウェブサイトでは、これまでの作品、プロジェクトをいくつか見ることができますが、やはりリサーチを大切にされているんですね。
古橋:そうですね。AAスクールを卒業して、RCAで本格的に美術の勉強を始めて……最初にお話したようにアーティストとして活動し始めて、まだ1年なんですが、それまでに没頭してきたリサーチが今の自分を形成していると思います。ただ今は、ユーモアだとかある種の直感も大事にしています。リサーチって自分の考えを理論化して明瞭に表現するためのものだと思うんですが、それと距離を置くことからアーティストとしての人生が始まったように思います。
『shiseido art egg 古橋まどか展』展示風景 撮影:高見知香
―RCA時代はキュレーター的な活動もされていたそうですね。美術におけるナンセンスをテーマにした論文も書かれています。全体のお話を伺っていると、自分の感じる世界を大切にしていた幼少期、自分でカリキュラムを組み立てて研究テーマを決めることのできた高校時代、AAスクールでの活動が1つの自然な流れになっているように感じました。そして今はアーティストに辿り着いたわけですが、それまでの自分、あるいはこれからの自分の肩書きをあえて決めるとしたらなんでしょう。アーティスト、批評家、キュレーター、あるいは研究者?
古橋:今も自分の職業を書かないといけないときに、美術家と書くかどうか迷うんです。昔は「学生」って書いてごまかしていたんですけど、今は自営業と書いたり(笑)。『shiseido art egg』への応募項目で、作品形式を「ミクストメディア」にしたんですけど、それも自分の作品がなんなのか、ひとくくりに言えないからだと思います。これまで常に自分の世界で生きてきたせいか、いまだに「これ」っていう型にはまりきれない部分がありますね。
ユーモア、ジョーク、ハッタリ。デュシャンのそういう軽やかな身の処し方、精神みたいなものを受け継いでいきたい気持ちは絶対にありますね。
―先ほどお話されていた「型にはまりきれない部分」というのは、ある種の生きづらさみたいなものでしょうか?
古橋:日本にも、イギリスにも、いまだに溶け込めない感じはします。それでいて、住む家にこだわったり、身の回りにある日用品を気にしたりします。あと、部屋の模様替えも大好きなんです。「make yourself at home」というのは、英語で「くつろいでください」という意味ですが、詳しく言えば「自分の家のようにしてください」ということですから、自分の居場所を作るというのも、ある種の表現方法なのかもしれません。ちょっとまだ分析しきれていないんですが(笑)。
『shiseido art egg 古橋まどか展』展示風景 撮影:高見知香
―なんとなく分かります。これは推測ですけど、たとえば模様替えを繰り返し試すことは、部屋と自分との関係性を探る作業でもあるんじゃないでしょうか。別にアートとか関係なく、自分の部屋がなんとなくしっくりこないからベッドの位置を替えてみよう、壁紙を替えてみよう、って普通にやることですよね。多かれ少なかれ、誰もがそうやって空間との関係性を見つけているような気がします。
古橋:そうですね。あと10代の頃に民藝運動(柳宗悦が提唱した日用品の中にある「用の美」を見出す芸術・デザイン運動)の研究に没頭していた時期があって。やっぱりハイアートじゃなくて下手物というか、日常的に使う品物に美を見つけることに影響を受けていると思います。なんでもかんでもアートにしてしまう現代美術とも通じますよね。
―古橋さんは「現代美術」に対して、疑いの目を持って作品を制作しているようにも感じていたのですが、美術自体を疑っているとか、既存の美術史に対する抵抗が目的というわけではないんですね。
古橋:その辺のスタンスは難しいです。美術は好きって言ったら大好きなんですけど(笑)、はっきり好きとも言えないし、嫌いとも言えない……。英国で教育を受けると、万事に対して批判的な視点を持つことが歓迎されますが、自分自身、常に批判的な姿勢を取り続けることが好きなわけではないんです。そこはやっぱり日本人だから馴染めないところがあるのかもしれません。研究や批評といった学術的な環境にいると、いろいろ難しいことを考えてしまいがちですが、「それって、楽しい?」と、少しユーモアを入れたくなるときもあるんです(笑)。それも、ある意味で自分なりのいたずらというか、批判的なアプローチなのかもしれません。
『shiseido art egg 古橋まどか展』展示風景 撮影:高見知香
―自分は外国人である……言ってしまえば、自分は外側の人間である、っていうことを意識したことはありますか?
古橋:プライベートな話ですけど、ロンドンの家は私が住み始める以前にも、方々から移住してきた人々が住んでいたようで。ブラジルのタバコの空き箱があったかと思えば、ロシアのマトリョーシカ人形があったり、残された物を見ると、とても国際的でした。それが、イギリス社会の外側にあるものの残滓のように感じられて。外国人としても日本人としても、どっちつかずの意見しか持てない私を肯定してくれたというか、それでよしと、思い始めさせてくれたというか。
―ちなみにアーティストや建築家でこの人が好きだ、というのはありますか?
古橋:アーティストだとやっぱりマルセル・デュシャンにすごく影響を受けていますね。デュシャンはパフォーマー的な要素もあって。作品だけではなく、彼の自伝的な要素もすごく面白いと思います。後はメキシコの作家でガブリエル・オロツコも、日常的な偶然とかユーモラスな部分があって大好きです。
『shiseido art egg 古橋まどか展』展示風景 撮影:高見知香
―デュシャンは、現代美術の始祖と言われますが、一方でチェスの名人であったり詩人のようでもあったりして、一概に美術の人とは言えない要素がありますよね。その意味では、古橋さんが感じる居心地の曖昧さをデュシャンの作品からも感じます。
古橋:そうですね。デュシャンが活動していた頃は、現在の美術シーンの状況とはまったく違っていて、今の評価のされ方のようには彼も作品を作っていなかったと思います。ですから美術のコンテクストとはまた別に、個人的にもっと知りたいっていう欲求を刺激されます。謎の多い人物ですし。
―発言を見ていると、本人も自分がなにかにカテゴライズされるのを避けているようなところがありますよね。ある意味、詐欺師っぽくもある(笑)。
古橋:間違いなくそうですね(笑)。
―今の美術界でもカテゴライズされることを嫌がるアーティストって沢山いますが、現代美術の始祖と言われるデュシャンからしてそうだった、というのは希望を感じます。美術の歴史に照らし合わせて自分と自分の作品をいかに価値付けていくかというのがアート界のパワーゲームなんだ、という考え方がますます強くなっていますが、そうではないものがちゃんと最初からあったんだという事実。日本にも「ネオダダイズム・オルガナイザーズ」とか「ゼロ次元」とか、美術史の流れに反旗を翻すような運動が一杯ありますが、それこそが世界を多様に、豊かにしている。
古橋:そうですね。一方でデュシャンには既存の体制に対する反抗とか破壊っていう要素が少ないとも思うんですよ。やっぱりユーモア、ジョーク、ハッタリ(笑)。そういう軽やかな身の処し方に、すごく共感します。その精神を受け継いでいきたいという気持ちは絶対にありますね。
- イベント情報
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- 『第8回 shiseido art egg 古橋まどか展』
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2014年3月7日(金)~3月30日(日)
会場:東京都 銀座 資生堂ギャラリー
時間:火~土曜11:00~19:00、日曜・祝日11:00~18:00
休館日:月曜(祝日が月曜にあたる場合も休館)
料金:無料
- プロフィール
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- 古橋まどか(ふるはし まどか)
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1983年長野生まれ。2013年ロイヤル・カレッジ・オブ・アート美術修士課程修了。主な展覧会に、『5 Under 30』(Daniel Blau、ロンドン)『Show RCA 2013』(Royal College of Art、ロンドン)、『RCA Secret』(Dyson Building, RCA、ロンドン)、『All I Want is Out of Here』(October Gallery、ロンドン)等。現在、名古屋在住。
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