コンピューターやインターネットといったテクノロジーは、社会をどのように変容させるのか? そんなテーマを自らに課しながら、激動する情報社会に身を置き、取材執筆活動を精力的にこなすフリージャーナリスト・佐々木俊尚。最新刊『レイヤー化する世界』においても、テクノロジーによって変容する世界システムを、超国籍企業が作る「場」、そこに生まれる「レイヤー」という構造によって描き、話題を呼んだ。
そんな彼が、「渋滞学」という独自の学問を追究する、東京大学先端科学技術研究センター教授・西成活裕とコラボレーションするという話を聞きつけ、「情報社会」と「渋滞」についての単独インタビューをさせていただけることになった。
追い越しや急な加減速を繰り返し、自分だけ早く先に進むという「利己の精神」では、周囲を渋滞させてしまい、結果自分にも跳ね返ってくるということを、数学上でも実験でも立証してみせた「渋滞学」の研究。そこでは、自分だけでなく全体を思いやる「利他の精神」が、キーワードとなっている。そんな「渋滞学」は、佐々木が論じているITやメディアへの思索にどんな影響をもたらしたのか。その刺激的な内容を伺った。
ソーシャルメディアで他人を口汚く罵ったり、陰謀論のような過激な投稿ばかりする人は「情報の渋滞」を起こしてしまいます。
―今日は情報社会について、多くの著書を執筆されている佐々木俊尚さんに、「情報」と「渋滞」というテーマからお話をお伺いしたいと思っています。
佐々木:どうぞ、よろしくお願いします。
―「渋滞」といえば、東京大学先端科学技術研究センターで「渋滞学」を研究されている西成活裕教授と、4月にイベントでの対談が予定されています。「渋滞学」は、道路で他の車との車間距離を保ったり、無駄な車線変更を減らすことで、渋滞を防ぐだけでなく、目的地に早く着くことができるという研究成果を数学でも実験でも立証し、注目されている学問です。佐々木さんはこの研究に触れ、どのように感じましたか?
佐々木:とても興味深かったです。利己的に振る舞って自分だけ得をしようとするのではなく、利他的に「思いやり」を意識して行動することにより、回り巡って自分が得をするということですよね。さらに面白かったのは、「渋滞学」は車の渋滞だけでなく、流れの滞りを研究する学問で、商品在庫や血液の循環までを対象にしているということ。ならば、私が専門にする情報社会にも当てはめることができるのではと思いました。つまり、「情報の渋滞」を解決するにも「思いやり」が大切であると。
―「情報の渋滞」とは、どのような状態ですか?
佐々木:インターネットの登場により、毎日膨大な情報が洪水のように押し寄せる状態になっています。昔なら新聞やテレビなどのマスメディアを一通りチェックすれば、世の中の状況が把握できたのに、今ではネットを通して大量の情報が流れ込み、とてもすべてチェックしきれません。また、ネットの性質上、自分に都合の良い情報ばかり閲覧することができてしまうので、偏った世界の見方がどんどん助長されてしまう。これらは「情報の渋滞」だと言えると思います。
―なるほど。
佐々木:それを解決するために、まず考えられるのが、「キュレーション」という手法です。特定の人物が情報を選り分け、発信することで交通整理をするアプローチですね。最近ではアルゴリズムでデータを解析することによって、自動的にキュレーションを行うサービスも流行しています。しかし、こういったシステム的な手法も非常に大切なのですが、一人ひとりの心掛けによって防げるということも忘れてはいけません。
―そこで「思いやり」という発想が出てくるんですね。
佐々木:そうです。たとえばソーシャルメディアで他人を口汚く罵ったり、陰謀論のような過激な投稿ばかりする人がいたとします。そういう人は、興味本位で集まってくるユーザーとは繋がれるかもしれませんが、情報リテラシーの高いユーザーは離れていってしまいます。すると質の良い情報が集まってこなくなり、自分が発信する情報の質も悪いまま。そして、情報リテラシーの高いユーザーからさらに敬遠され……と、「情報の渋滞」を加速するネガティブスパイラルに陥ってしまうんです。
―逆に「思いやり」を持った人には、質の高いユーザーが集まってくると。
佐々木:その通り。最近ではFacebookが普及したことにより、ネット上の評価が現実世界での信頼担保にも繋がる社会になってきました。たとえばアメリカでは、自分のアパートに旅行者を宿泊させる「Airbnb」というサービスが話題になっています。知らない人を泊まらせるなんて危険だと思うかもしれませんが、Facebookを見れば、その人の過去の言動が分かるし、どんな人と友達なのかも事前にチェックできる。「Airbnb」を使わなくても、人と会う前にFacebookをチェックすることはありますよね?
―よくあります。
佐々木:その人が、怪しい人とばかり友達だったりしたらどう感じますか?
―ちょっと身構えてしまうかもしれません。
佐々木:そうですよね。つまり、「思いやり」を持つことで得するのは、ネット上だけではないということです。リアルの世界にまで、その振る舞いの影響は及んできています。
ネットによって人間関係が可視化されることにより、「正直者がバカをみない」世の中になってきている。善人であるインセンティブが高まってきているんです。
―ネット上での振る舞いによって、現実の人間関係にも影響が及んでしまうということですね。流れに停滞をきたす「渋滞状態」がリアルの世界でも発生してしまう……と。
佐々木:はい。ネットによって人間関係が可視化されることにより、「正直者がバカをみない」世の中になってきていると言えます。昔の映画を観ていると、善良で正直な人がずる賢い人間に騙されるみたいなイメージがステレオタイプに描かれていることが多い。なぜ、そんなイメージがあったのか。それは、当時の社会にとって、「善良であることのインセンティブが低い」と、皆が無意識に感じていたからだと思うんです。しかし、今のような透明性の高い社会では、むしろ善良であることのほうが得をするケースが増えてきています。
―まさに、「渋滞学」の考え方と同じですね。
佐々木:最近では山崎製パンの配送トラックが、大雪で高速道路に閉じ込められたドライバーたちにパンを配ったというエピソードが話題になりました。昔なら埋もれてしまっていたかもしれなかったこうした美談も、現代ならネット上で拡散して多くの人に伝わります。山崎製パンのドライバーは、損得を考えて行動したわけではないにも関わらず。
―どんどん、「思いやり」を持つことのインセンティブが高まっていきていると。
佐々木:かつて人間関係は所与のものでした。就職先などで人間関係が固定され、与えられた環境の中で生きることが普通だった。そんな社会を上手く渡っていくためには、自分の裏表を使い分けて、駆け引きをしていくしかありません。表向きは仲良くしていても、陰で悪口を言われたり、手柄を横取りされたりなんてことは、会社員なら一度や二度は経験していると思います。そんな環境の中では、善良であっても何も得はしませんよね。
―そうですね。
佐々木:しかし、雇用の流動性が高まった昨今では、人間関係は自分で選ぶものに変わってきています。すると、裏表がある人は自然と排除されてしまうわけです。「あの人は嫌な人だから距離をおこう」と。となると、善良であることのインセンティブが、ますます高まってくる。さらに、インターネット上でのコミュニケーションは後から検証することが可能なので、裏表があるとすぐにバレてしまいます。発言や考えが変わるのは悪いことではないとは思いますが、あまりに不誠実な言動は批判の対象になるでしょう。
インターネット上で世論形成をする際の問題点は、誤った「直接民主制」のような状況を加速してしまいかねないということです。
―この変化は個人だけではなく、社会にも大きな変化を与えそうですね。
佐々木:まさにそうですね。最近では、そもそも「インターネットは何か?」という枠組み自体が変わってきているように感じています。2005年くらいの状況を振り返ってみると、ブログを皆が書くようになったり、2ちゃんねるが盛り上がってきたりという現象はあったものの、まだまだネットとリアルは別のものであるという認識が主流でした。ネットの世界は完全に独立していて、リアルの社会とは関係ない、と。
―あくまで「バーチャルな空間」での出来事という認識でしたよね。
佐々木:しかし、東日本大震災の後、TwitterやFacebookなどが多くの人に使われるようになったという劇的な変化が起きた結果、リアルとネットの世界がシームレスに繋がるという状況が進みました。もはやネットは「おたく」だけのものではなく、普通の人たちが当たり前に使うツールになってきています。たとえば、「ネット右翼」の台頭を、「あれは所詮、ネットの中だけの現象だ」と切り捨てる人もいますが、排外的なデモを繰り返すグループが生まれるなど、すでに現実社会にも影響を及ぼし始めています。
―ネット選挙が解禁され、さらに影響は高まってきているように思います。
佐々木:これまではネットでいくら話題になっても、マスメディアが取り上げなければ大きな問題にならなかった。しかし、これからはネットでの言論や現象が直でリアルの生活に影響を及ぼすという状況が生まれるかもしれない。ですから、ネット上の公共圏をどう設定するかという議論は、リアルの世界での課題にもなってくるわけなんですね。
―もはや「バーチャルな空間」だけの問題ではなくなってきたと。
佐々木:これにはポジティブな面とネガティブな面が両方あって、ポジティブな面としては、若年層の意見を引き込む形でネット世論が形成され、現実社会を動かす可能性があることです。新聞やテレビといった既存のマスメディアは、もはや高齢者の世論しか形成する力がないという状況になってきていますので、ネットにはそれを補完する機能が期待できる。一方、ネットにはフィルタリング装置がないという問題があります。
―というと?
佐々木:マスメディアには情報を収集して、それを編集して発信するという機能だけではなく、アジェンダ設定、つまり今何が問題なのかということを、世論として形成するという重要な役割がありました。たとえば、『朝日新聞』が1面トップで掲載すれば、その記事に書かれていることは社会問題なんだという認識が共有されていた。しかし、ネットにはその能力がありません。どんどん議論が拡散していくだけで、一切集約されないんです。
―確かに、話題が広がるスピードだけでなく、忘れられるスピードも速いように感じます。
佐々木:さらにもう1つ問題なのは、誤った「直接民主制」のような状況を加速しかねないということです。というのも、政治の課題を議論する際に、ただ皆の意見を集めれば正しい政策になるのかというと、私はならないと思うんですね。たとえば「韓国のことが嫌い」と言う人が大半だったとしても、現実的な政治で韓国と国交を断絶するということにはならない。また、誰もができれば税金は払いたくないものですが、「税金を払わなくてもいい法律を作ろう」ということには、絶対になりませんよね。そのギャップを埋めるために、政治家や官僚がいるんです。しかし、ネット上で直接民主制的な状況が起きてしまうと、「声が大きいから、それが正しい」みたいな結論になってしまう懸念があるわけです。
極端なことばかり言っている人のインセンティブを高めないために、無視を決め込むことが大切。
―先ほどの懸念のお話だと、感情的でわかりやすい意見が目立ちすぎて、多様な意見や考え方がかき消されるような状況も起こりうるかもしれません。そういう意味では、ネット社会全体レベルでの「情報の渋滞」と言えるかもしれません。
佐々木:はい。Twitterでは、極端な意見の方がリツイートされる数が多く、注目を集めますよね。しかし、ウェブメディアのPV(ページビュー)の問題と同じで、「数字が上がった=良い情報」だとは限らないことを忘れてはいけない。その「数」の質を問わなければいけません。そうでないなら、極端な記事ばかり書いてPVを稼げばいいということになってしまう。
―それを防ぐためには、より良い議論を巻き起こす投稿をすることのインセンティブを高める必要があると。
佐々木:そうです。しかし、かなり有名な人でもビックリするくらい汚い言葉で人を攻撃したり、極論を言ったりする人は多いですよね。それでも興味本位のユーザーは集まってくるので勘違いして同じような行動を繰り返し、さらに過激化してしまうこともある。ですから、こういう言動を抑制しようとするとき、「『思いやり』を持つことで回り巡って自分が得をする」という「渋滞学」の考え方は、とても説得力があると思うんです。
―「思いやり」を持つこと以外に、我々が心掛けるべきことはありますか?
佐々木:極端なことばかり言う人のインセンティブを高めないことです。つまり、何か炎上しているトピックがあったとしても、興味本位で拡散したりせずに無視を決め込む。というのも、そういった多様性を認めない人は絶対にいなくならないと思うんです。だから、そういう人のインセンティブを最低限に押さえるしかない。仮に有名人が不味いことを言って、炎上したとする。でも、それって今までテレビの前で文句を言っていた人の声がネットで可視化されただけですよね。それをわざわざ「炎上している」と報告する必要はないと思うんです。定食屋でテレビ見ながらタレントの悪口言っている集団がいたとしても、そのことをわざわざニュースにしたりしないじゃないですか。
―そうですね(笑)。
佐々木:さらに、むやみにそういう情報を拡散することが、自分の評価を下げることにも繋がってくると思います。あとは、情報を集約してアジェンダを設定し、建設的な議論を促していけるようなウェブメディアが登場するかどうかですね。これは、僕自身もまだ明確な答えは持っていませんが、次にくる革命は「メディアの革命」なのではないかと思っています。
―これからは、日本のインターネットでも実名主義の傾向が高まるのでしょうか?
佐々木:実名でなくてもいいと思います。ハンドルネームでもいい。でも、アイデンティファイされているユーザーだと認知されなかったら、いくら良いことを言ってもその人自身の評価は上がりませんから、匿名の意味は薄れていくと思います。もちろん、何時になっても「王様の耳はロバの耳!」と穴に向かって叫びたい人のニーズはなくなりません。しかし、全体的にはネット上の評価が現実社会の信用担保に繋がることによって実名性の価値が上がり、匿名であるインセンティブはどんどん低くなっていくと思っています。
―「思いやり」によって、ネット空間がより良いものになるといいですね。
佐々木:そのためには、誰にでも効果を発揮する完璧な政策がないのと同じように、私たちは常に善と悪の間にある中途半端な位置にぶら下がっているという事実を自覚することが大切です。自分を善の位置に据えて、悪を批判しようとする人がいますが、もし本当にそうならば、善と悪の間には何も存在しないことになってしまう。しかし、実際には善と悪の間には複数のレイヤーが重なっていて、「善だ、悪だ」と言ってもせいぜいグレーの濃淡が違うだけの話にすぎない。自分が善だと思っていても、悪とまったく切り離されているわけではなく、同じ直線上に立っていて、その位置が微妙に違うだけ。そう考えることが多様性の容認にも繋がります。そもそも日常ってそういうものですよね。極端な場所に立っている人なんてどこにもいなくて、全員がグレーである。そう自覚することから始めなければいけないと思っています。
- 書籍情報
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- 『簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。』
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2014年2月27日(木)発売
著者:佐々木俊尚
価格:1,365円(税込)
発行:マガジンハウス
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- 『レイヤー化する社会』
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2013年6月5日(水)発売
著者:佐々木俊尚
価格:820円(税込)
発行:NHK出版新書
- プロフィール
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- 佐々木俊尚(ささき としなお)
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作家・ジャーナリスト。1961年兵庫県生まれ。毎日新聞社で事件記者を務めた後、『月刊アスキー』編集部デスクを経て、2003年にフリージャーナリストへ転身。IT・メディア分野を中心に取材執筆、公演活動を展開。著書に『キュレーションの時代』(ちくま新書)、『当事者の時代』(光文社新書)、『レイヤー化する社会』(NHK出版新書)など多数。近著は『家めしこそ、最高のごちそうである。』(マガジンハウス)。総務省情報通信白書編集委員。
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