「ダクソフォン」という非常に珍しい楽器がある。さまざまな幾何学デザインの木片を小型のマイクボックスに取りつけ弓で擦ることによって、まるで人の声色のように自在な音色を奏でるものだ。惜しくも2011年に亡くなったドイツの音楽家ハンス・ライヒェルが開発したこのダクソフォン。ハンスが制作したダクソフォンは世界でたった数台と言われており、日本では即興音楽の第一人者でありハンスの朋友・内橋和久が、唯一その「名器」を引き継いでいる。
そして今年5月、横浜市民ギャラリーあざみ野にて『ハンス・ライヒェル×内橋和久 Listen to the Daxophone』と銘打った企画展が開催されることになった。ハンスが自作したダクソフォンやギター、さらには内橋の演奏による17チャンネルスピーカーを使ったサウンドインスタレーションなどが展示されるという。
これまで即興音楽家とポピュラーミュージシャンとのコラボレーションの重要性を説き、自ら積極的にそれに取り組んできた内橋。彼にとってダクソフォンとはどんな楽器なのか。また、ハンスとは一体どんな音楽家だったのか。自身の即興音楽についての思いも含め、語ってもらった。
ハンスはミュージシャンでありながら、デザイナーでもあり、さらには楽器も全て自分で作ってしまうインヴェンター(発明家)でもあったんです。
―今回、ダクソフォンの開発者であるハンス・ライヒェルさんと、内橋さんによるコラボレーションともいえるような企画展が開催されることになった、そもそもの経緯を教えて頂けますか?
内橋:ハンスは2011年11月に62歳で亡くなったんですが、彼が残してきた作品を展示する回顧展は、すでにドイツやルーマニアで行われていたんです。というのも、彼はミュージシャンでありながら、デザイナーでもあり、さらに楽器も全て自分で作ってしまうインヴェンター(発明家)でもあり、いろんなことをした人だったんですよ。
―楽器は、全て自作だったんですか?
内橋:そう。チェロもギターも全て自作。演奏家からすれば、楽器から全部自分で作って演奏するというのはある意味、理想的なんですね。理想の音を追究できるし、他にその音は存在しないわけだから。で、彼が亡くなった翌年にドイツで回顧展をやろうという話になって、Sparkasseという大きい銀行の展示スペースで展覧会を開催しました。ハンスは生前もそこで展覧会をしたことがあったんです。その回顧展に、横浜市民ギャラリーあざみ野の担当者も来てくれて、「日本でもこういった展示が出来ないか?」っていう話はその頃からしていたんですよね。
―ということは、内橋さんはハンスさんの回顧展に「スーパーバイザー」的な形で関わっているのですか?
内橋:そうですね。一応、彼が残した楽器に関しては全て任されている形になっているので、何かあるときは責任持って関わっています。今回は「ハンスと僕のコラボレーションで展示したい」というお話だったので、喜んで引き受けました。
―今回の日本での展示はどのようなものになりそうですか?
内橋:ハンスの部屋と僕の部屋で大きくわかれていて、ハンスの部屋では彼のさまざまな分野での功績や、ダクソフォンのプロダクトデザインを展示する予定です。僕の部屋では、ダクソフォンだけを使って多重録音した音源を17チャンネルのサラウンドスピーカーを使って鳴らそうと思っています。
―17チャンネルもですか!? 巨大なサウンドインスタレーション作品のようなものなんでしょうか?
内橋:ええ。2005年に山口情報芸術センター[YCAM]で、UAや藤本隆行、古堅真彦、真鍋大度らと一緒にインスタレーティブコンサートというのをやったことがあって、そのときに23チャンネルによるサラウンドスピーカーのシステムをYCAMのスタッフと一緒に開発したことがあったんですよ。せっかくなので、今回もそのシステムを使ってみよう、と。曲のタイトルは、“ダクソフォンの森”がいいかなと思っています。まるでダクソフォンの音の中に迷い込んだような音楽にしたいというのが由来の1つ。それと、ハンスは木や森が大好きで、ダクソフォンも含めてさまざまな木製楽器を作っていたということもあります。
―そのUAさんとは、6月8日に同会場にてスペシャルライブを行なうそうですね。
内橋:はい。「ダクソフォンを愛するミュージシャンの共演」ということで、UAと細野晴臣さんに出演してもらう予定です。内容はこれから話し合うのですが、当日は2人にもダクソフォンを演奏してもらおうかなと思っているんですよ(笑)。
ダクソフォンはすごく面白い音が出るのに、それに演奏者が気付いていないってこともいっぱいある。
―ハンスさんと内橋さんは20年来の付き合いだったそうですが、そもそもどのように知り合ったのでしょうか。
内橋:彼が1991年に来日したとき、僕は神戸に住んでいたんですけど、地元のジャズクラブで一緒に演奏したのがキッカケですね。そのとき初めてダクソフォンの音を聴きました。「変な音が出る不思議な楽器だな」というのが第一印象で(笑)。それで、翌年ドイツで彼がツアーをすることになったのですが、そのときに一緒にツアーをしようと僕を誘ってくれた。彼の自宅に1か月ほど滞在させてもらったんですけど、毎日一緒に飯食って酒飲んで(笑)、時間があればダクソフォンを弾いて遊んでました。
―ダクソフォンって、演奏の難易度としてはどうなんですか?
内橋:難しいですよ。特に僕は弓を使って演奏した経験が全くなかったから、まずそこから練習しなくてはいけなくて苦労しました。構造としては、コンタクトマイクが内蔵された木製の「サウンドボックス」に、「タング」というさまざまなデザインの木片を取りつけて、その木片を弦のように弓でこすりながら音を発生させる。音程は、ギターネックから発想したと思われる黒板消しのような形の「ダックス」を左手に持って、それで木片に触れながらコントロールするんですよ。ちなみに、弓はコントラバス用のものを使っています。
―本当にさまざまなデザインの「タング」がありますけど、これを付け替えることによって音色を変えているわけですね。
内橋:そういうことです。木片の材質で音色が変わり、形状によって演奏法が変わるので、表現も変わる。そのタングがどんな音がするのかは、実際に試してみないと分からないし、弾く人によって使い方もまちまちなんです。だから、ずっと弾いているうちに思いも寄らなかったような音色を見つけることもあるわけですよ。
いろんなデザインがあるダクソフォンのタング ©Hans Reichel
―ちなみにハンスさんはデザイナーでもあったそうですが、良いデザインと良い音色には関連性があったりもするのでしょうか。
内橋:そうでもないのが面白いところで(笑)。ただハンスは、音色のことだけを考えて「タング」のデザインを決めていたわけではないようです。まずデザインありきで作ってみて、それがどんな音がするかは、やってみないとわからないし、演奏する人次第ということ。形状はすごく面白くても、音的には大したことないっていう「タング」も存在するし(笑)、しばらく使い込んでみないと、その「タング」のポテンシャルが分からないこともあるんですよ。すごく面白い音が出るのに、それに演奏者が気付いていないってこともいっぱいある。
―デザイン優先で作っている場合は、ハンスさん本人もどんな音が出るのか分からないわけですね(笑)。
内橋:そうそう。そういうときの発想は、音楽家というよりもデザイナー的ですよね。でも、楽器っていうのは人間が演奏するものだから、その人の音にしかならないわけじゃないですか。それでいいし、そうじゃないと面白くない。ダクソフォンだったら理想の音色を追究するために「タング」の材質とデザインを自分で自由に創作していくこともできるし、その「タング」を使い分けることによって、まったく別の楽器にもなり得るということなんですね。
今、世の中にハンドメイドの楽器が溢れていますが、楽器としては、ここまで完成度の高いモノはない。
―音色もとてもユニークですよね。音の変化が幅広く自由自在で、まるで人の歌声に近いというか。
内橋:僕はダクソフォンのことを「しゃべる楽器」だと思っています。ギターやピアノみたいにフレットや鍵盤で音が区切られていないし。ギターがロジカルな楽器だとしたら、その対極にあるのがダクソフォンで、その両極を行き来しながら演奏するのがプレーヤーとして本当に楽しい。ギターの演奏には基本的なフォーマットがあって、だからこそ僕はそれを逸脱しながらプレイしたいって思うわけだけど、ダクソフォンの場合はまだ歴史が浅いからそのフォーマット自体を開拓していくことからやらなければいけません。そのぶん演奏も自由だから、そこでどうやって自分の音を出していくかが重要になってくるんです。音階を作ってフレーズも弾けるし、パーカッションのようにリズムを作ることも出来る。ダイナミックレンジも広いから、聞いたことのないような音も出せますしね。今、世の中にハンドメイドの楽器って溢れていますけど、楽器としては、ここまで完成度の高いモノはなかなかないと思いますよ。完成度が高いっていうのは、可能性と応用性があるということです。
―もともと楽器は人の声を模したものだと言われますけど、そういう意味でもダクソフォンは楽器の完成形に近いのかもしれないですね。口ずさむようにメロディーを奏でたかと思えば、ブツブツ呟いてみたり、あるいは跳ねるようにリズムを取ったり……。
内橋:おそらくそうだと思います。ただ、バイオリンやピアノのように誰でもうまくは扱えない。音階をコントロールするのも大変だし、「タング」の種類によっては出ない音もある(笑)。そういう意味では非常にプリミティブな楽器でもあるんです。でも、ハンスはすごくキレイにピッチを合わせていましたね。彼はダクソフォンのことをよくわかっていた。とにかくこの楽器には、まだまだ未知の部分がたくさんあるんですよ。
ハンスが有名なフォントデザイナーだったということも後から知った。いったい彼が何を目指していたのか、僕も最後まで分からなかった(笑)。
―お話を伺っているうちに、ハンスさんという人にもどんどん興味が湧いてきました(笑)。ドイツではフォントデザイナーとしても著名な方で、ピナ・バウシュの墓石にも彼のフォントが刻まれているとお聞きしましたが、どんな人だったんでしょうか。
内橋:もうかれこれ20年くらいの付き合いでしたが、一言で言うと「職人」でした。彼とは音楽家同士として知り合ったし、ずっと音楽家だと思ってきましたけど、後からフォントデザイナーとしても有名ということを知ってびっくりしました。ドイツでたくさん賞を貰ったりしているんですよ。彼がデザインしたフォントをそこら中で見かける。そんな話とか絶対にしない人だったから、いったい彼が何を目指していたのか、僕も最後まで分からなかった(笑)。人柄はとても優しく穏やかです。けどすごく人見知りだから、人によって印象が全然違うんじゃないかな。彼のことを「優しい」って言う人もいれば、「気難しい」って言う人もいましたね。
―チェロやギターを自分で作ってしまったり、ダクソフォンのようなオリジナル楽器を開発したりっていうハンスさんのクリエイティビティーはどこから来ているんでしょうか。たとえば既成概念を打ち壊したいという反骨精神みたいなものだったとか?
内橋:うーん、結構頑固な人でしたが、反骨精神みたいなものを彼から感じたことは、一度もなかったです。「これをこうやったら面白いかな?」みたいな、純粋な好奇心だったように思います。いろいろ変なモノを作っては、僕に見せてくれましたからね。弦が1本しかないギターとか、暇さえあれば何か作っては見せてくれた(笑)。「人に喜ばれたい」っていう気持ちがすごくある人なんだと思います。
ハンスと一緒にいると、自分が持っている幾ばくかの野心が、すごく汚く感じるんです。
―人見知りのハンスさんも、内橋さんには心を許していたんですね。
内橋:そう、何だかとても不思議なんですけどね。……たぶん彼は、損得勘定で近付いてくる人に対して敏感だったし、そういう人は避けていたように思います。自身がまったく損得勘定をしない人だったから。たとえば人と話していて、ビジネス的な展開になるとすぐに「いや、俺はそういう話は興味ないから」って、それ以降その人とは疎遠になったり。野心っていうものが全くない。人は誰しも少なからず野心はあるじゃない? 僕だって少しはありますよ(笑)。でもハンスと一緒にいると、自分が持っているその幾ばくかの野心ってものが、すごく汚く感じるんですよね。
―(笑)。ヨーロッパでは、ライブ活動は頻繁にされていたのですか?
内橋:いや、ほとんどやらなかった。ここ10年くらいは年に1~2回くらいだったと思います。彼は自分で仕事を取るってことを一切しなかったし。たまにオファーが来ると「どうしようかな」って、いつも言ってました。たとえば「今度ツアーでイタリアに行くけど、その頃空いてる?」ってメールが来るんですけど、「空いてない」って答えると、「じゃあ(ツアー)やめよう」ってなっちゃう(笑)。几帳面なんですけど、同時に怠け者でもあるんですよね。何て言うんだろう……1つのことをやるのに物凄く時間をかけるんですよ。僕なんか真逆で、せっかちだからポンポン先へ行こうとするんですけど。僕が1時間くらいでやっていることを、彼は2日くらいかけている感じ(笑)。もちろん、そのぶんじっくり深く考えながらやっているんですけどね。時間の流れがゆったりしているんですね。
ハンスはダクソフォンを商品にして売ることもなく、作り方をインターネットで全て公開しているんです。
―ハンスさんが楽器を自作し、唯一無二の音色を求めていたことと、彼が即興演奏家として活動していたことは、どこかで繋がっていたのでしょうか。
内橋:それはどうでしょう。もちろん、即興演奏家は「自分の音を出す」というのが基本なので、それを追究していくうえで自分だけの楽器を作るという発想になるのは理にかなっているんですけど。でもなんか「即興」っていうと、一般には難解でアブストラクト、みたいな。だからあんまり言いたくないんですよね、「即興」って。いいじゃないですか、音楽は音楽で。
―「即興音楽」は、その場で「作曲」している音楽ともいえますね。
内橋:そうそう。ハンスも「即興とはインスタントコンポジションだ」と言っていました。彼も僕と同じでロックも好きだしプログレも好きだし、いろんな音楽を聴いてきた人だから、「音楽は音楽でいいじゃん」という考え方なんですよね。「即興」っていうのは、決して音楽の形ではなくて「音楽への向き合い方」でしょう? 即興で作られた音楽を自分の中でカテゴライズ出来ないから「即興音楽はつまらない」となってしまうんですかねぇ。もちろんその演奏が単につまらないってことも多いと思いますけど。だから僕は、自分の音楽を「即興音楽」のコーナーには入れられたくないんです。
―では「音楽」を通じて、内橋さんが伝えていきたいものは何でしょうか。
内橋:音楽ってやっぱり「体験」するものだと思うから、音楽が自分の体の中に入ってきて、それがどういうふうに響いて、どういうふうに化学反応を起こすのか、っていうことだと思う。もちろん、それは音楽に限った話じゃなくて、芸術全般が目指すところはそこなんじゃないかな、と。たとえば作品を観たり聴いたりしたときに、何が自分自身に訴えかけてくるのか。それって人によって違ったりするものだろうし。でも、世の中の大半の作品は狙って同じところにしか訴えかけてこない。受け手側の反応も画一的ですよね。そういう作為的な作品は自由度がないし、すぐに飽きちゃう。人それぞれ響き方は違っていて当然で、それが面白いところなのに、同じ反応しか導き出せない作品っていうのはつまらないと思うんです。
―今後はご自身の活動と並行して、ハンスさんが残したものを内橋さんが引き継いでいこうと思っていらっしゃいます?
内橋:「引き継ぐ」って言われてしまうと重いんですけどね(笑)。でも、このダクソフォンという楽器は残していきたいですね。僕は演奏家としてこれからもダクソフォンを弾き続けるだろうし、「こういう楽器があるんだよ」っていうことは伝えていきたい。ちなみにハンスはダクソフォンを誰にも売らなかったし、商品にもしなかったんですけど、作り方はインターネットで全て公開しているんです。僕が出来ることがあれば、いくらでもやっていきたいって思っています。
- イベント情報
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- 『あざみ野コンテンポラリー vol.5 ハンス・ライヒェル×内橋和久 Listen to the Daxophone』
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2014年5月31日(土)~6月15日(日)
会場:神奈川県 横浜市民ギャラリーあざみ野 展示室1
時間:10:00~18:00
料金:無料内橋和久ソロライブ
『Listen to the Daxophone #1』
2014年5月31日(土)17:00~17:30
会場:神奈川県 アートフォーラムあざみ野 1階エントランスロビー
出演:内橋和久
料金:無料(申込不要)スペシャルライブ
『Listen to the Daxophone #2』
2014年6月8日(日)OPEN 14:30 / START 15:00
会場:神奈川県 アートフォーラムあざみ野 1階レクチャールーム
出演:
内橋和久
スペシャルゲスト:
細野晴臣
UA
料金:4,000円
※チケット購入方法などの詳細はオフィシャルサイトにて要確認ワークショップ
『ダクソフォンを弾いてみよう』
2014年6月14日(土)14:00~16:00
会場:神奈川県 横浜市民ギャラリーあざみ野 3階アトリエ
講師:内橋和久
対象:小学5年生以上
定員:15名(要申込、応募多数の場合抽選)
料金:1,500円
- プロフィール
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- 内橋和久(うちはし かずひさ)
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ロック、ジャズ、現代音楽、ポップミュージック、あらゆる音楽シーンを無尽に横断、即興演奏とコンポジションの融合を図るギタリスト、作・編曲家、プロデューサー、日本唯一のダクソフォン演奏家。舞台芸術では1980年代から維新派の音楽監督を務めるほか、アンサンブル・ゾネ、東野祥子、鈴木ユキオ、宮本亜門、河原雅彦、Lukas Hemlebらとの共同作業で知られる。自身のバンド「アルタードステイツ」は今年で結成24年になる。また、共演歴も世界各国の即興演奏家はもとより、高橋悠治、UA、細野晴臣、くるり等、現代音楽家からポップミュージシャンまで幅広く、ヨーロッパと日本のみならず、アジア諸国での演奏活動など、活動は多岐にわたる。ベルリン在住。
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