人生は、いつだってこれから。98歳で出版した処女詩集『くじけないで』、第二詩集『百歳』(飛鳥新社刊)が累計200万部を超えるベストセラーとなった詩人・柴田トヨ。日々の暮らしや季節の移り変わり、自らの老いをみつめるユーモラスな視線や懐かしい時代への追憶など、紡ぎだされる一つひとつの言葉には、明治から平成までを駆け抜けてきた彼女の人生が色濃く滲み、今では海外7か国で翻訳・出版されて世界中の人々の心に届いている。2013年1月、101歳の長寿を全うした彼女の激動の半生を映画化したのは、30代の俊英監督、深川栄洋。世代を問わず共感できる、人生の滋味にあふれるこの物語を、丁寧に、そして見事に描いた監督の魅力に迫った。
どんなに芝居経験のない人でも、自分という人間を演じているわけで、その演じられる幅が2つ、3つぐらい増やせたら、とても良い役者になる。
―八千草薫さん、武田鉄矢さん、檀れいさん、芦田愛菜さんといった、各世代の名優が出演されている本作ですが、特に武田鉄矢さん演じるトヨさんの息子・柴田健一さんが随分とひどいダメ息子で、実在の人物をこんなにダメダメに描いて大丈夫なんですか? と思いながら観ていたのですが(笑)。
深川:健一さんご本人から話を聞いた際に、「自分を良く描かないでほしい」と仰っていたんです。それで、武田さんという俳優が思い浮かびました。彼は金八先生のイメージから人格者のイメージが強くありますけど、初期の金八先生はむしろダメな先生で、社会的にはみ出し者だからこそ、独特の論理で生徒を愛するという眼差しを持っていたと思うんです。それに『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)なんて、ずっと桃井かおりとケンカしているちっちゃい男を演じていたんですから。人間の小ささを演じてもらったら、本当に味わい深い俳優さんだなと思って、オファーさせていただきました。
『くじけないで』より ©2013「くじけないで」製作委員会
―キャスティングということで言うと、芦田愛菜さんは深川監督の『半分の月がのぼる空』が映画デビューで、当時まだ誰も知らなかった彼女を初めて映画に起用されたんですよね。役者の魅力を見つけ出すというのは、深川作品の特徴の1つなんじゃないかと思います。
深川:どんなに芝居経験のない人でも、自分という人間を演じているわけで、その演じられる幅が2つ、3つぐらい増やせたら、とても良い役者になると思っています。僕はどんな役者を見ても、まず長所と短所を同時に探してしまうことが一種の職業病みたいになっていて、挨拶しただけでも、歩いているだけでも、その役者のとらわれているものや、こだわっているものを探そうとしてしまうんです。
―先入観にとらわれず、いろんな役者さんをいつも観察されているんですね。
深川:そんな目で見ちゃうもんだから、仲良くなれないんですけどね(笑)。「役者です」って言われなかったら全然そんなこと気にならないのですが、監督って妙な職業だなと思います。
キャストに演出するのはもちろんなんですが、僕はスタッフにも演出するタイプなんですね。
―この映画は何度も時代が切り替わる構成になっていますが、それぞれの時代作りを丁寧にされているので、観客がすんなりタイムトリップできるようになっていますよね。武田さんがお金の無心に来るシーンで着ている変な柄のセーターとか、確かに平成元年の頃ってあんな柄を着ている人が多かったなと思わずにはいられませんでした(笑)。
深川:(笑)。バブルの頃って、貧乏人だった日本人がお金を持ち過ぎちゃって、ワケの分かんないことになっちゃってる状態で。あの時代のファッションだけは今でも唯一無二ですよね。僕の実家も職人さんが多かったので、今考えたら「なんだあの服!」っていう服をみんな着ていたし、紫がかったツータックパンツとかが最先端だったという変な時代。だから健一さんが着ていたセーターも、あの時代にしか生まれないセーターだと思います(笑)。
『くじけないで』より ©2013「くじけないで」製作委員会
―大正時代のバスや明治時代の家など、情緒ある風景を形作る美術が素晴らしかったのですが、監督のイメージを映像として作り上げていく現場は、どのような感じだったのですか?
深川:キャストに演出するのはもちろんなんですが、僕はスタッフにも演出するタイプなんですね。と言うのは、「こういうことをやりたい」と話して具体的なイメージが共有できてくると、僕が思い描いていた以上の場所や、最適な小物を彼らが見つけ出してくれるようになるんです。 バスのシーンを撮影したのは足尾銅山の近くなんですけど、まだ2人だけ住んでいて、取り壊せない地域があったんです。そこに2人のためだけに残されている舗装されていない砂利道がある、と聞いたのでさっそくロケハンして。僕らはそこを昭和29年にしたり、昭和35年にしたりして、いくつもの時代やシーンを撮影しました。
僕らの映画作りの中で合い言葉があったとしたら「ありえないことはない」ということなんですよね。
―ロケーションにもかなりこだわりがあるのですね。
深川:僕らの映画作りの中で合い言葉があったとしたら、「ナシはナシ」なんですよね。つまり、「ありえないことはない」ということなんですけど、例えば映画の中に出てくるトヨさんが若い頃に両親と暮らしていた家は、もともと味噌工場の作業場だったんです。 15人も乗ると底が抜けちゃうような作りだったので、人数を減らして最小限で撮影したんですけど、一見廃屋の味噌工場を、手を加えることで舞台にしていくのはとても楽しい作業で。実家が内装業をやっていたので、建具の使い方から建物構造の活かし方、窓ガラスの使い方、ドアをどう使ったらどう見えるかとか、暮らしぶりに見え隠れする人となりや生き様をイメージしながら、ワンシーンごとに作っていきましたね。
『くじけないで』より ©2013「くじけないで」製作委員会
―窓のサッシ1つから、その時代の暮らしぶりが感じられるようなシーンを深川監督が作れるのは、内装業という経験から活かされている部分もあるんですね。
深川:古いものを壊して新しいものを作ることが、内装業としての仕事なんですけど、僕はそれが嫌だったんですよね。「古いままのほうが面白いのに」とずっと思っていて。今回、僕らのこの仕事は新しいものじゃなくて、古いものを活かして作る仕事なので、昔、悔しかった想いが活かされていますね。
―人やモノに対する観察者としての要素は、映画監督になる前からあったんですか?
深川:今考えてみたら、一番観察してたのは家族なんですよね。僕は末っ子で長男なんですけど、歳が離れていたので姉ちゃんにはよくいじめられて、姉から女の人は理不尽なんだと教わりました(笑)。同時に、母親がどこまでも優しいので、「女の人って何でこんなに深い愛情があるんだろう?」ってことも不思議に思っていました。
『くじけないで』より ©2013「くじけないで」製作委員会
―父親はどうでしたか?
深川:父親は仕事が巧い人ではないので、失敗するところをよく見ていたんですね。騙されている瞬間も見ていて、人は騙すときにはこういう顔をするんだとか、騙された人ってこういう風に立ち直るんだとか、そういう姿も父親は僕に見せてくれていました。
―自営業ということは、仕事をしている父親の姿も見ていたということですもんね。
深川:僕は小さい頃から父親の職場、見積もりや営業の現場に連れて行かれてましたし、「お前、先に行ってろ」とか言われて、不動産屋さんに一人で行かされたりもしました。先方も子どもが一人で来られても困るだろうに(笑)、僕を現場の温め要員として使ってたんですよね。そういう役割が社会の中にあるんだなっていうのも、このとき感じたことですし、すごく学ばせてもらえましたね。
『くじけないで』より ©2013「くじけないで」製作委員会
―同世代の友達よりも、年上の方々と時間を多く過ごした幼少期だったのですね。大人を見つめるという視点は、その頃から培われてきたことなんですね。
深川:内装職人さんだけじゃなく、板金屋さんとか大工さんとか、水道屋さんにガス屋さんとか、そういう人たちが次々に段取り良く入る現場で、順番が狂うとそれぞれが仕事ができないので、子どもの頃から、工程管理を業務としてさせられていました(笑)。
―では、今の監督業的に繋がる人操術やスケジュール管理、現場を仕切るという技術を、英才教育のようにかなり早い段階からできるようになっていたということですか!
深川:そうなんです(笑)。その仕事をしていたことが、今監督業をしているから役立ってますけどね。
トヨさんが村一番の貧乏で、お父さんが身上を潰してしまったという話を聞いたときに、ああ、うちの家族とすごく似ていると思いました。
―『くじけないで』で描かれている柴田家は、実は深川家でもあるとおうかがいしたのですが、どういう部分にその要素が取り込まれているのでしょうか?
深川:トヨさんの人生をベースに、詩からインスピレーションを受けて物語を作り上げていったのですが、物語を組み立てたディテールは、深川家のエピソードなんです。トヨさんの詩集を読んだときに、母や父のことを強く感じたので、うちの家族とすごく似ているんじゃないかなと思って。父が子どもの頃、板橋に住んでいたのですが、板橋区で一番貧乏だったという自負があったんですって。六畳一間に7人家族で住んでいて、夜、寒いなと思って目が覚めると、星が見えるという。
『くじけないで』より ©2013「くじけないで」製作委員会
―それは窓じゃなくて……?
深川:天井の隙間から(笑)。それで、トヨさんも村一番の貧乏で、 お父さんが身上を潰してしまったという話を聞いたときに、ああ、これはうちの祖父の話だなって思いました。うちの家系も皆どうにも商売が巧くなかったので、前の世代が築いたものを次の世代が潰してしまってはまた新しく築く、ということを繰り返しているので。芦田愛菜ちゃんが夜中に目を覚まして、お母さんと話をするあのファーストカットは、屋根から見える星空を撮ったんですけど、これは僕の父が見た景色です。僕は父親の人生を持ち寄って、トヨさんを描いたんです。
―ご自身の家族のエピソードを投影する中で、原作と折り合いがつかなくなってしまった箇所などはありませんでしたか?
深川:もちろん、健一さんご自身はもちろん、トヨさんをずっと追いかけていたNHKのディレクターさんにも 確認してもらいながら制作を進めていきました。ただ、トヨさんも自分のお母さんのことをすごく尊敬していたのですが、うちの母も同様に自分の母のことを尊敬していて、自分が迷ったときには、母ならどうしていたかと照らし合わせて物事に向き合っていたんですね。だから、周りのスタッフからは「ここいらないんじゃない?」と言われていたシーンに、「養老院に訪ねる度に、涙があふれて」という場面があるのですが、深川家としても、母を尊敬していた姿を描くためにどうしてもこのシーンは入れたかったのです。
人を愛するということの根幹に、母子との関係があると思うんです。それはどんな恋愛映画もかなわない。
―個人的なエピソードだからこそ、普遍的な母親の温かさと、無条件に慕う子どもの関係がこんなにも優しく描かれていたんですね。
深川:人を愛するということの根幹に、母子との関係があると思うんです。それはどんな恋愛映画もかなわない、誰もが経験したことがあり、最大公約数的に共感を得る愛情だと。だから観客の方々の人生と照らし合わせながらシーンを観てもらうことができるんです。それは面白いし、映画的だなと思っています。
―特にこの柴田家は、嫁や婿に入った人間が、親(姑)を大切にしていて、優しい家族ですよね。監督ご自身のご家庭が実際に良いご家族だったんだろうなって勝手に感じたりしました。
深川:サラリーマン家庭と比べると、まともじゃない騒がしい家で育ちましたけど(笑)、両親から愛されていたなっていうのは、自分でも強く感じていて。映画監督として何を武器にして映画を作っていくかってことを考えたときに、すっごく普通だけど、両親に愛されて育ったという幸福感を大事にして映画と向き合っていこうと20代のときに思ったんですよ。
『くじけないで』より ©2013「くじけないで」製作委員会
―それは面白いですね。
深川:自主映画出身なので、周りには尖った人たちが多くて、尖れない自分にがっかりもしてたんですけど、あるとき開き直って、尖っていることはかっこいいし羨ましいけど、丸い自分を打ち出しながら映画と向き合っていこうかなって腹に決めた瞬間があったんですね。僕が一番大事にしているもの作りの根幹は、両親に愛されてきたこと。それをまた逆手にとって、もし愛されていなかったらどうだっただろう? という感覚から、物語を探って『白夜行』という作品を撮りました。
―それは他の監督が武器にしていないものですね。破天荒で、自信の武勇伝を映画に反映させる感じの監督はよくいらっしゃるとは思うんですが。深川監督はバランス感覚の優れている監督だと感じるのは、普通の感覚を強みにしているというバックボーンがあるからなんですね。
深川:僕の身近な人間で吉田恵輔 (代表作に『純喫茶磯辺』『銀の匙 Silver Spoon』など)という監督がいて、学生時代同じクラスだったんですが、彼はすごく破天荒だったんですよ。いつもイライラしてて、理由を聞いても「なんだか分かんないけどイライラしてるんだ」って言うんです。彼はかっこいいし、面白いと思うんですけど、自分はそういう風にはなれないし。そんな対照的な二人が、今は同じ監督業という立場にいるっていうのも不思議なものですね。どっちの道も間違いじゃないんだなって思います。
嘘を暴くより、嘘に乗ってしまったほうが楽しそうだと思った瞬間から意識が変えられるんですよね。
―自分らしさを出すことに躍起になったり、作中に自分の分身を登場させるような、若い監督特有の焦燥感みたいなものが、深川監督の作品からはあまり感じられないですよね。むしろ『60歳のラブレター』のように、監督にとっては未知の世代である団塊世代をテーマにしてもヒット作を作られていますし。まずオファーを引き受けることにもすごく勇気がいると思うのですが、監督は当事者でないからこそ、最適な距離感で対象を観察できているという感じがしています。
深川:そうですね、例えばそれがプロデューサーのあからさまな嘘でも、その嘘が面白ければ、夢中になってそれを好きになろうとしちゃうんです。嘘を暴くより、嘘に乗ってしまったほうが楽しそうだと思った瞬間から意識が変えられるんですよね。柄本明さんが僕のことを「変態」って言うんですよ。なんで変態呼ばわりするんだろう? って考えるんですけど、「赤いものになれ」と言われたら、本当は赤くなくてもどんどん赤くなった気分で映画を作る、つまり「擬態」できるという意味での変態なのかなって今は思っているんです。
『くじけないで』より ©2013「くじけないで」製作委員会
―確かにこれまでの作品を拝見していると、全然違う分野にいきなり挑戦されていますよね。狼に育てられた少女を描いたシリアスな『狼少女』の後にホラー映画『真木栗ノ穴』、さらにそこから女性4人が人生を謳歌する姿を描く『ガール』ですとか。
深川:どんなことにもあまり危険意識は持たずに、バカなふりして飛び込んじゃいますね。賢ぶらずに、分かったふりをせずに、物事と向き合っていったら何かそこから生まれるものがあると思うので。それがトヨさんの人生観とも似ているなと。じっとそこを動かずに観続けることで溢れ出てくる言葉や感情を、映画にしてみたいなとは思っています。
自分で身につけた技術は、みんな人から教わってきたものです。だから自分のオリジナルなものはないってずっと思っていて。
―作中でも「かたっぽがバカになればそれですむ 戦争は良くない」という台詞があったと思うんですが、監督ご自身がとても謙虚でいらして、でもすごく秘めた情熱を持っていらっしゃる。そのバランスがとても絶妙だからこそ、次から次に色んなジャンルの作品オファーが舞い込んでくるんだろうなって思います。
深川:それは褒め過ぎです(笑)。たぶん、それ以外の世の中との接し方を知らないんだろうなと思います。
―『くじけないで』を観て、謙虚さが大事だと感じたという感想を持たれた方がたくさんいらしたようで、作品が伝わるって言うのはこういうことなんだなと思ったんです。
深川:そうですね。僕もトヨさんの詩を読んで、生きていること自体が素晴らしいと思えるといいなって思いながら映画を撮りました。だから謙虚さっていうのは、そういう部分がフィルムに焼き付いたんだろうと今は感じます。
『くじけないで』より ©2013「くじけないで」製作委員会
―あとは何と言っても、今回、八千草薫さんは50歳から100歳までの、半世紀分の役を演じ分けられていて、勝手口の段差に苦心する膝の持ち上げ具合から、ひょいとカボチャを片手で持ち上げる若々しさまで、大女優の力を最大限に見せてくれたと思うんです。
深川:そうですね。はじめは僕たちも、どこまで八千草さんに体力的なものを求めていいのかっていうのが分からなくて。八千草さんは僕が生まれる前から大女優で、旦那様も谷口千吉監督(戦後の東宝で主に娯楽映画を手がけた、黒澤明の盟友)ですし、ちょっと僕にはコントロールできないだろうと思っていたんです。でも初めてお会いしたときから本当にチャーミングな方で、僕の演出に新鮮味を感じてくださって「監督の言っていることは難しいけど面白い。やってみようと思います」と言ってくださったんです。
―それは嬉しいですね。
深川:求めたら開かれる部分がこんなにもあるんだなって思いましたね。大物の女優さんや俳優さんを起用することを「難しいのでは?」とどこかで敬遠しがちですが、それは映画界の損失だなって思いますね。これからも先輩たちと、けんかしてでも一緒に作品を作って、たくさん学ばせてもらっていくべきだなということを八千草さんに教えていただきました。
『くじけないで』より ©2013「くじけないで」製作委員会
―監督がこうやって幅広いテーマにチャレンジできる大きな理由というのは、作る過程でご一緒された、スタッフやキャストの方々との出会いによるものも大きいんでしょうね。
深川:それだけだと思いますね(笑)。自分で生み出したものは、何もないんです。自分で身につけた技術は、みんな人から教わってきたものです。だから自分のオリジナルなものはないってずっと思っていて。と言うのも、自分の田んぼに水を引いたらいけないって、父から言われたことがあるんです。技術者が、教わった技術で自分の利益を作ろうとしてはダメだと。お金を使い続けて宵越しの銭を持たないっていうのが職人の世界だから、自分で停めてしまってはいけないし、惜しんじゃいけない。後輩たちにもそれを共有していかなきゃいけないと言われていました。そういう気概や教示みたいなものは、父から学んだものです。
―作品完成後、監督は皇后陛下と一緒にご覧になられていましたね。お父様は自分の息子が監督した作品を皇后陛下に観ていただくということを、どう仰られていましたか?
深川:皇后陛下のお席の5つぐらい後ろに、僕の両親が実は座っていまして、もう拝んでいましたね(笑)。僕の両親は、栄洋に粗相があっちゃいけないとそればっかり心配していたみたいで。
―さぞ感慨深かったでしょうね。
深川:でも僕は、いつも必ず両親を現場に連れて行くんですよね。昔、自分が父親に連れて行かれていたのとは逆に、今は両親を自分の撮影現場に連れて行って、「現場に家族を持ち込む」っていう運動を一人でしてるんです(笑)。初めての現場で、スタッフの方々にうちの両親が「うちの倅が我がままばかりで申し訳ございません」って言っているそうなんで、僕の両親から見たら、健一さんと同じように、僕も危なっかしい子どもなんでしょうね。
- リリース情報
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- 『くじけないで』(DVD)
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2014年5月2日(金)発売
価格:4,104円(税込)監督:深川栄洋
出演:
八千草薫
武田鉄矢
伊藤蘭
檀れい
芦田愛菜
発売元:松竹
- プロフィール
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- 深川栄洋(ふかがわ よしひろ)
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1976年9月9日生まれ。学生の時に作った「全力ボンバイエ!」が第2回水戸短編映像祭水戸市長賞などを受賞。その後「ジャイアントナキムシ」と「自転車とハイヒール」がPFFアワードに2年連続で入選。会話劇を主体とした独特の作風が映画評論家だけでなく、映画ファンからも高い評価を受ける。役者に寄り添うスタイルの演出で、今までの出演者達からも絶大な信頼を得ている。今もっともオファーの多い監督の一人。主な監督作品:「狼少女」、「真木栗ノ穴」、「同級生」、「体育館ベイビー」、「60歳のラブレター」、「半分の月がのぼる空」、「白夜行」、「洋菓子店コアンドル」、「神様のカルテ」、「ガール」、「くじけないで」など。
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