あなたは松永孝義というベーシストをご存知だろうか? 「日本初のダブバンド」として知られ、フィッシュマンズなど後続のバンドに多大なる影響を与えたMUTE BEATのベーシストにして、国立音大時代はクラシックを学び、タンゴのベーシストとしても活躍、様々なアーティストとの共演を果たし、リスペクトを受ける、日本を代表するミュージシャンズミュージシャンである。2012年に惜しくも逝去されたが、その三回忌に合わせ、松永の唯一のソロアルバム『The Main Man』のスペシャルバンドによる未発表ライブ音源『QUARTER NOTE』が発売されると共に、7月には西麻布の「新世界」にて、豪華メンバーによる発売記念ライブが行われることも決定している。
そこで今回はMUTE BEAT時代からの盟友である屋敷豪太と増井朗人を迎え、松永の魅力についてじっくりと語ってもらった。ミュートではリズム隊を組み、バンド脱退後は活動の拠点をロンドンに移して世界で活躍、帰国後も松永とは度々共演していたGOTAと、『The Main Man』に参加し、ライブバンドのメンバーも務め、同じく松永との共演機会が多かった増井。ミュート時代の貴重な証言も飛び出す中、二人が口を揃えて松永の魅力として語ったのは、その芯の強さ、ぶれることのない姿勢だった。このインタビューを入口に、ぜひ松永の音に触れてみてほしいと思う。
初めて一緒に合わせたときのインパクトがすごすぎて、ベースの可能性のもうひとつ違うドアを見た感じだった。(屋敷)
―まずはお二人にとって、松永さんがどんな存在だったのか? という部分を話していただけますでしょうか?
屋敷:僕の印象としては、斬鉄剣を持った石川五ェ衛門ですよね。切れ味が鋭い「侍ベーシスト」的なイメージ。言葉数は少ない人だったから、ちょっと怖いっていうか、何か言ったらバサッて切られそう(笑)。実際昔は剣道もやってたみたいだし、ステージ上では常に真剣勝負だったイメージですね。
―竹刀をベースに持ち替えたと。増井さんはいかがですか?
増井:僕はもう、「音楽の師」って感じですね。目を開かせていただいたことがたくさんありました。
―増井さんが1963年生まれで、松永さんは58年生まれ(屋敷は62年生まれ)。確かにちょっとお兄さんだったんですよね。
増井:そうですね。僕がミュートに入ったときはまだ19歳だったし、松永さんはホントに師匠って感じで、パッと見は確かに怖いんですけど、でも実は全然そうじゃない。普段は無口っていうだけで、肝心なときは肝心な一言が出てくる人でした。
―今日はお二人が揃っていらっしゃるので、やはりミュート時代のことは詳しくお伺いしたいのですが、まずは初代のベーシストだった松元さんが抜けられて、松永さんが加入したときの印象を教えてください。
屋敷:初めて一緒に合わせたときのインパクトがすごすぎて、ベースの可能性のもうひとつ違うドアを見た感じだった。グルーヴ感溢れるというか、ベースの音とかラインだけじゃなくて、音楽全部がバウンドしてるっていうのかな。だから、一緒に演奏していると自分が上手く聴こえたっていうかね(笑)。
増井:そんな風に思ってたの?(笑)
屋敷:相性がいいって意味ね(笑)。それって大事じゃないですか? 「何かしっくりこないな」っていうよりも、合わせた瞬間に「俺上手いかもしれない」って思えるっていう、松永くんがそれだけ素晴らしい技量を持ってたってことだと思うんですけど。
―増井さんはいかがでしたか?
増井:いやもう、衝撃ですよね(笑)。ただ、僕は当時そんなに多くのベーシストと一緒にプレイする機会があったわけではなかったので、最初は「松永さんみたいな人がベーシストなんだ」って思ったの。でも、ミュートがなくなって、他のいろんな人とやってるうちに、「あんなベーシストは他にいないんだ」ってわかったんです。
松永さんに教えてもらったのは、音楽だけじゃなくて、何をやるにしても、「確固たる信念を持て」っていうことですね。(増井)
―松永さんが特別だったのは、具体的にはどんな部分だったのでしょう?
増井:揺るぎないんですよね。松永さんが「こういうアプローチもできるけど、どうする?」って言うのをあんまり聞いたことがなくて、ちょっと考えて、「うん、やろう」って弾き始めたら、もう揺るがないんですよ。そこからはもう迷わない。
屋敷:ああ、そうだったね(笑)。
増井:ミュートは基本的に簡単なコード進行のループなわけだけど、「これだ」って決めたらそこから揺るがなくて、そういう人にはそれ以降会ったことがない。普通はちょっとやってみて、「うーん、ここちょっと変えてみようかな」ってなるんですよ。でも僕は最初から松永さんの揺るぎない演奏に出会っちゃったから、「どうして決められないのかな?」って思っちゃう(笑)。
屋敷:確かに、同じようなイメージですね。初めてやる曲を合わせるときに、1曲4~5分だとしたら、「俺はこれかな?」って感じでお互い探り合うんですけど、その4~5分が終わるときにはもう「これだね」っていうのが出来てて、次からは揺るがないんですよね。
1986年、レゲエミュージック界のレジェンド「オーガスタス・パブロ」と、MUTE BEATがレコーディングした時の貴重なショット
―松永さんは、どうして揺るがなかったんでしょう?
屋敷:「音楽を知ってる」っていうことじゃないでしょうか。初めて松永くんの家に行ったとき、ホントにいろんな音楽を知ってる人なんだなっていうのがわかったし、だからこそ、「この曲だったらこのグルーヴだね」っていうイメージが早かったのかもしれない。それに加えて、松永くん自体に信念があるというか、背骨がしっかりしてるから、「これもあれもできないことはないけど、俺はこれだな」っていう感じでしたね。
増井:ずっと一緒にやってて教えてもらったのは、そういうところですね。音楽だけじゃなくて、何をやるにしても、「確固たる信念を持て」っていう。「自分にとっての背骨になるようなものを持て」っていうことを、教えてもらった気がします。
1回だけ松永さんがすごくしゃべったことがあったんですよ。ミュートからこだまさんが抜けて、それでもバンドを続けようってみんなで集まったときに。(増井)
―松永さんの人間的な魅力に関しては、どんな風に感じられていましたか?
屋敷:最初に言ったように、まず武士道的な感じがあって、新聞とかを見てても、相撲とか将棋とか、その辺の記事を読んでるんですよ。だから、古風と言えば古風なんだけど、でも音楽的にはPファンクとか大好きで、一貫して言えるのは、将棋にしろ相撲にしろ武士にしろファンクにしろ、全部腰が据わってるものですよね。何か軽いものを松永くんがやってるのって、見たことない。きゃりーぱみゅぱみゅ好きだったとは思えないもんね(笑)。
―(笑)。実際に将棋とか強かったんですか?
屋敷:僕はやらなかったからわからないんだけど……ただよくポーカーをやってたんですよ。リハ終わりにみんな残って、お金もないときだから、1,000円で買える一升瓶のワインを注ぎながら、よく朝までやってました。そのときも腰が据わってたっていうか、他の人がすごい技で勝ったりすると、「お前は武士道に反する!」みたいなね(笑)。あれでかなりバンドが形成された感じがするなあ(笑)。
増井:やってたなあ……途中で近所の定食屋さんに行って、また戻って来てやってたよね(笑)。
屋敷:そこでいろんな音楽かけて、「やっぱこれいいよなあ」とか言いながらね。
―増井さんから見た人間的な魅力はいかがですか?
増井:人間的には何と言うか、捉えどころがないかもしれないですね。ただ何かが常に一貫していて、それは音楽をやっててももちろんそうだし、人としてもそうだったと思います。
―その常に一貫した姿勢であったり、腰が据わってるっていうのは、どこから来るものだったとお考えですか?
屋敷:僕が思うには、剣道をやってた時期があって、その後に腫瘍ができて、片足を取らなければいけなくなったときに、彼自身いろんなことを悟らされたというか、五体満足では決してわからないことを、そうなって初めて感じたんだと思います。そこである意味「自分はこう」って悟った部分があって、それは僕らには計り知れない部分ですけど、だからなのか、松永くんと一緒にいると、すごく安心するんですよね。
―もちろん単純に比較できるものではありませんが、増井さんは2000年ごろに療養されていた時期があって、自分にとっての音楽というものを改めて考える期間になったと思うんですね。そのときに何か考え方の変化などありましたか?
増井:そうですね……確かにあれもこれもをしようとは思わなくなったかなと思います。もちろんただ年をくっただけのことかも知れなくて、約2年ぐらいまったくトロンボーンを吹けない時期があって、そこで僕の若者期が終わり、ジジイ期に突入したのかなっていう風にも思うんですけど(笑)。でも本当にそれからは、あれもこれもとは思わなくなったんですよね。人から何かを頼まれれば喜んでやるんですけど、そこに自分がはまらないと思ったら、「ごめんね」って。それを無理にやることはなくなりました。
―それっていうのも、松永さんの一貫した姿勢から学んだことのひとつなのかもしれないですよね。
増井:そういうことを自分から話す人じゃなかったけど、間違いなく教えてもらったと思ってます。でもそうだ、1回だけ松永さんがすごくしゃべったことがあったんですよ。ミュートからこだまさん(和文 / MUTE BEATの中心人物)が抜けて、GOTAの後に入ったドラムの今井(秀行)も辞めてっていう中で、それでもバンドを続けようってみんなで集まったときに、松永さんが「ミュートをやっててどう思ってたか」とかを、ものすごくしゃべったんです。ホントにそのときだけですね。結局その後ライブは1回だけしかできなかったんですけど。
―あくまで想像ですけど、それだけ松永さんはMUTE BEATに思い入れがあって、できることなら続けたかったのかもしれないですね。
増井:っていうのもあったんですかね……そのときはホントにびっくりするぐらい、いろんなことをしゃべってくれたんです。それはすごく印象に残ってますね。
海外で上手い人たちにもたくさん会ったけど、松永くんはやっぱりワンアンドオンリーなベーシストだった。それこそこのインタビューを読んだ人で、もし松永くんに似てる人を知ってたら、教えてほしいぐらい(笑)。(屋敷)
―GOTAさんはミュートを抜けて以降、活動の拠点をロンドンに移されたわけですが、世界のいろんなミュージシャンを相手にする中で、改めて松永さんの魅力が見えたという部分もありましたか?
屋敷:やっぱり、ワンアンドオンリーなベーシストなんですよね。クラシックをやってたりして、アコベを弾いて、それからエレキベースでレゲエやファンクをやるっていうアプローチをする人、少ないと思うんです。もちろん、向こうのベーシストで上手い人たちにもたくさん会ったけど、スタイルが全然違う。それこそこのインタビューを読んだ人で、もし松永くんに似てる人を知ってたら、教えてほしいぐらい(笑)。今のところ「松永くんみたい」って思ったベーシストはいないですね。
増井:あんなベーシストいないですよね。レゲエのベースを指立てて弾くっていう。ネックに近いところで寝かせて弾くのが普通ですからね。
―増井さんは、松永さん唯一のソロアルバム『The Main Man』(2004年)にも参加されていて、ライブのメンバーでもあったわけですが、どんなことが印象に残っていますか?
増井:松永さんが笑ってるのをたくさん見たって感じかな。もちろん、ミュートをやってるときも笑ってましたけど、自分に余裕がなかったから、それをゆっくり見てるって感じでもなくて。でも、お互い年を取ってから誘っていただいて、レコーディングのときは「それ! それだよ!」って言いながら笑ってる松永さんを見れて、それは嬉しかったですね。おそらく松永さんが1年以上かけて、「曲は何をやる、どの楽器は誰に頼む」っていうのをイメージしてスタートしてたから、「こうしてくれ」みたいに細かいことはあんまり言われなくて。松永さんの中には「きっとこんな風になるだろう」ってイメージがあって、その通りの音が出てくると、「それそれ!」みたいな、そういう感覚だったんだと思います。
―松永さんご自身は「一流シェフの3分クッキング」っておっしゃっていて、それはそういうことだったんですね。GOTAさんは松永さんのソロに対してはどんな印象をお持ちですか?
屋敷:「こういうのやりたかったんだろうなあ」っていう(笑)。初めて家に遊びに行ったときのような印象というか、あれを聴くと松永くん自体がわかる。『The Main Man』ですからね。いいタイトルだなあと思って。
―きっとライブでも楽しんで演奏されていたんでしょうね。
増井:ライブのときは座って弾くんですけど、松永さんの前にマイクがあって、MCになるとそのマイクを持ってきて、「ただいまの曲は~」みたいな感じでMCが始まるっていう、それが最大の見せ場でしたね(笑)。
―普段は無口な松永さんの貴重なMC(笑)。
増井:だって、ねえ? 松永さんがMCやるなんてさあ。
屋敷:ないよねえ(笑)。
増井:他では考えられなかったことだから、もう感動的ですよ。「松永さん、しゃべったよ!」みたいな、そこが山場だったと思います(笑)。
やっぱりバンドを抜けるのって、いろんな意味でハートブレイクで、「松永くん、俺のこと嫌いになっちゃったかもなあ」とか思うわけですよ。でも、またいつか一緒にやりたいとは当然思ってたし、まだまだこれからやりたかったですけどね、ホントはね。(屋敷)
―GOTAさんは2011年にMATSUNAGOTA RHYTHM SECTION名義で松永さんとのデュオアルバムを発表されていますが、あれはどういった経緯で作られたのですか?
屋敷:あれは井出靖(音楽プロデューサー、アーティスト)が「2人だけのアルバムを聴いてみたい」って言ってくれて、「やってほしいって言うなら、やってもいいよ」みたいな感じで(笑)。もちろん、やったらすげえ楽しいだろうなってことはわかってたから、松永くんと半分ずつアイデアを出し合って作ったんですけど、「この世界味わったことないけど、いいかも」みたいな感じでしたね(笑)。
―それ以前にも共演の機会ってあったんですか?
屋敷:僕がロンドンから帰ってきて、WOWOWで『meets music』という番組をやってたんですよ。その中で、ゲストアーティストに僕のアレンジで曲をやってもらうコーナーがあって、そのベースをお願いしたらやってくれて。やっぱり安心感ありましたね。
―そこはミュート時代から変わらなかったわけですね。GOTAさんとしては、ミュートを抜けて以降、「またいつか一緒にやりたい」っていう想いがあったのでしょうか?
屋敷:そうですね。僕はロンドンで勉強がしたくなって、「ちょっと行ってくる」って言って結局20年いちゃったんですけど(笑)、やっぱりバンドを抜けるのって、いろんな意味でハートブレイクというか、付き合ってた女性と別れるみたいな感じなんですよね。
―特に、リズム隊っていうのはそういう感じが強いでしょうしね。
屋敷:そう、だから「松永くん、俺のこと嫌いになっちゃったかもなあ」とか思うわけですよ。でも、またいつか一緒にやりたいとは当然思ってたし、まだまだこれからやりたかったですけどね、ホントはね。
「上手くなるしかないんだよ。練習するしかない。できることはそれだけだから」って。直接何か言ってもらったのは、後にも先にもそのときだけです。(増井)
―増井さんは他に松永さんとの印象的なエピソードなどありますでしょうか?
増井:うーん、僕はやっぱりこのアルバム(『The Main Man』)が一番大きいですかね。「ホーン部分のアレンジは全部お前に任せる」って言ってもらえたのはホントに嬉しくて。歌がない曲はホーンがメロディーを担うので、そこを信頼して任せてもらえたっていうのはね。
―言ってみれば、顔を任せてもらったようなものですもんね。
増井:そうなんですよね。それはすごくありがたかったし、とっても嬉しかったです。
―ミュート時代からいろいろ教わったことに対して、やっと恩返しができたような感じかもしれませんね。
増井:でも、本人は「そんなこと教えてねえ」って……。
屋敷:そう言うタイプだよね(笑)。
増井:なので、勝手に教わったと思ってます(笑)。
―では最後に、その松永さんからそれぞれ教わったことを、改めて話していただけますか?
屋敷:「山は動かない」的なことですよね、やっぱり。僕は器用貧乏なところがあって、もしかしたらそれだけで終わっちゃってたかもしれない。でも、ミュートの中での人間関係ってすごく大きくて、その中で一番どっしりしてるのが松永くんだったから、その姿を見て教わったことっていうのは、すごく大きかったと思いますね。
―増井さんはいかがですか?
増井:実は一度だけ、言葉で教えてもらったことがあるんです。僕がすごい悩んでて、音楽続けようかどうしようかって考えてたときに、ふと松永さんに電話したんですよ。そうしたら、「お前が悩んでるのは何となく知ってるよ」と。「でもね、上手くなるしかないんだよ。練習するしかない。できることはそれだけだから」って。直接何か言ってもらったのは、後にも先にもそのときだけで、表面的には「上手くなりゃあいいんだ」みたいに聞こえるけど、「上手くなるっていうのはどういうことか考えてみな」って言われた気がしたんです。「結局ミュージシャンはそれしかやることないんだ」っていう、松永さんもずっとそう思ってきたんだろうなって思って。
―それこそが、松永さんの一貫した姿勢の根本にある考えだったのかもしれませんね。
増井:でもね、『The Main Man』を作って、しばらくしてライブのリハをやったときに、「頼むから、あんまり上手くなんないでくれ」って言われたんですよ。「この落差はなに?」って思ったんですけど(笑)、要するに、あの作品に関しては、ただ上手いだけのものになっちゃうのはつまらないから、最初の感覚でポンってやって、「それ!」っていう、それを大事にしてくれって言いたかったんだと思うんですよ。
―なるほど。そこもやっぱり一切ぶれがないですね。
増井:なので、あのとき言われた言葉が死ぬまで頭の中にあるんだろうなって思います。「余計なことは考えなくていいんだ」って、そのときできないことはできないし、でもやりたかったらできるようになればいい。それを松永さんから教わった気がしますね。
- イベント情報
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- 松永孝義 三回忌ライブ
松永孝義 The Main Man Special Band『QUARTER NOTE』CD発売記念ライブ -
2014年7月11日(金)OPEN 19:00 / START 20:00
会場:東京都 西麻布 新世界
出演:松永孝義 The Main Man Special Band(桜井芳樹[Gt]、増井朗人[Trb]、矢口博康[Sax,Cl]、福島ピート幹夫[Sax]、エマーソン北村[Key,Cho]、井ノ浦英雄[Dr,Per]、ANNSAN[Per]、松永希[宮武希][Vo,Cho]、ayako_HaLo[Cho])
ゲスト:
松竹谷清(Vo,Gt)
ピアニカ前田(Pianica)
Lagoon/山内雄喜(Slack-key.Gt)
田村玄一(Steel.Gt)
料金:前売3,500円(ドリンク別)
- 松永孝義 三回忌ライブ
- リリース情報
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- 松永孝義
『QUARTER NOTE~The Main Man Special Band Live 2005-2011』 -
2014年6月18日(水)発売
価格:2,700円(税込)
Precious Precious Records / PPRS-02271. Momma Mo Akoma Ntutu(Yao Boye. Nathaniel Akwesi Abeka)
2. Jazzy(Willie Colon)
3. Caminando Despasio(大原裕)
4. Two-Step(松竹谷清)
5. Pua Lililehua(Mary Kawena Pukui. Kahauanu Lake)
6. Malaika
7. Dali Ngiyakuthanda Bati Ha-Ha-Ha(George Sibanda)
8. よろしく(大原裕)
9. Walk Slowly(大原裕)
10. メンバー紹介
11. Africa(Rico Rodriguez)
12. Hip Hug Her(Cropper. Dunn. Jackson. Jones)
13. Two-Step(Astro Hall 2004)
14. La Cumparsita(Gerardo Matos Rodríguez)
15. Momma Mo Akoma Ntutu(Shinsekai 2011)
- 松永孝義
- プロフィール
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- 屋敷豪太(やしき ごうた)
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1962年京都生まれ。MUTE BEAT、MELON等での活動を経て、88年に渡英。89年Soul ll Soulの1st.アルバムに参加することからグランド・ビートを生み出し、世界的な注目を集める。91年Simply Redの正式メンバーとしてアルバム「Stars」のレコーディングと2年間にわたるワールドツアーに参加。現在、活動拠点を日本に移し、プロデュースやリミックス、サウンドトラック制作、またドラマーとしての活動など多岐にわたり精力的に行うかたわら、ソロプロジェクトのCDもリリース。またミュージシャン同士の繋がりも広く、様々なユニット活動を通して常に新しい音楽を追求している。
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- 増井朗人(ますい あきひと)
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MUTE BEAT・THE THRILL・KEMURI・THE MANのメンバーとして、またLA-PPISCHの不動のサポートメンバーとして活動。只今、和太鼓奏者とのユニットで時代・ジャンル・地域性などの垣根を取り払った音を模索中。
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- 松永孝義(まつなが たかよし)
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1958年生まれ。国立音楽大学時代はクラッシックを専攻。1980年代、東京ダウンビート黎明期、伝説的なDUBバンド“MUTE BEAT”で、それまでの日本では無かったドープなグルーヴを創造した名ベーシストであり、後にフィッシュマンズやリトルテンポといったフォロワー、チルドレンを生んだ。又時を同じくして“小松真知子とタンゴクリスタル”に参加。タンゴのベーシストとしても生涯活動し続けた。
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