<いつかは想像を超える日が待っているのだろう>。今からちょうど10年前の2004年に発表されたアルバム『アンテナ』のラストナンバー“HOW TO GO”で、岸田繁はこんな風に歌っていた。昨年2020年の東京オリンピックの開催が決定し、『AKIRA』のストーリーとぴったり合致したことは未だ記憶に新しいが、今の僕たちは実際に想像を超えた日々を、SF映画の中を生きていると言ってもいいのかもしれない。あらゆる時代や文化の音楽要素を内包し、パラレルワールド的な世界観を持ったくるりの新作『THE PIER』は、まさにそんな現代のサウンドトラックと言うべき、2014年屈指の傑作である。
ウォシャウスキー姉弟とトム・ティクヴァが年代ごとに監督を分け合った映画『クラウド アトラス』(2012年)からインスピレーションを受けたという“2034”から始まり、ラストの“There is(always light)”にたどり着くまでの全14曲は、まさに時空を超えた音楽の冒険旅行。『THE PIER』とは「桟橋」の意味であり、僕らはここからどこにでも行けるし、いつだってここに帰って来れる。そして、その長い旅路の中で、様々な差異を体験し、許容すると同時に、自らのアイデンティティーを見つめ直し、更新していくこともできるはず。そう、いつだって大事なことは、音楽が教えてくれる。くるりと同じ時代に生きる喜びを、改めて感じずにはいられない。
たまたま今までそんなに使ってない楽器を使ってみたり、「じゃあ、歌詞はその国の食べ物の話にしようか」とかやってたら、結果的にすごく多国籍になったんです。(佐藤)
―アルバム、本当に素晴らしい作品だと思います。資料には「さまざまな時代、さまざまな文化の音楽を無尽蔵に取り込んだ、最新型の多国籍サウンド」とありますが、これはくるりがこれまでもずっとやってきたことだと言っていいと思うんですね。ただ、2014年に改めてこの部分を強調することは、すごく意味があることのようにも思います。実際、ご自身たちとしてはこの部分に関してどの程度意識的だったのでしょうか?
岸田:……トップギアから来たなあ(笑)。
―すみません、時間も限られているということなので(笑)。
岸田:金子さんおっしゃったように、僕らもともとそうで……まあ、今は普段から海外ツアーしたりしてるわけじゃないんですけど、自分らのテリトリーじゃないところで活動したり、そういうところの人と交流を持って、一緒に音を鳴らしたりすることが、00年近辺からすごく増えたんですよね。やっぱり、知らないものに対する憧れみたいなもんもありますし、知らない言語やテクスチャーを使ってみたりっていうことをやらざるを得ない場面ってあるんですよね。
―それって例えばどんな場面でしょう?
岸田:例えば、もし僕がドイツ語をペラペラ話せたとして、でも日本ではドイツ語使わないから「じゃあ、封印」っていうことを、音楽でやるのはちょっともったいないっていうか。それを使うからこそできる音楽っていうかね、そこでしか取れない魚を使った料理とかあるじゃないですか? 結局越境的なものとか、違う文化のもんって、理解し合うことはできないですけど、違うからこそ生まれるものっていうのは、否定されるべきじゃないと思ってて。「融合させる」って感じでもなく、たまたま散らかった台所に昆布だしとコリアンダーとハバネロとニシンが置いてあって、「さあ、何を作ろう?」って作ってできたものが、「うわ、おもろこれ!」みたいな、そういうことばっかりやったのが今回のアルバムです(笑)。
―それってちょっと堅い言葉で言うと、「多様性を認める」っていうことなのかなと思います。現在実施中の全県ツアー『DISCOVERY Q』も、「地域の多様性を再確認する」っていうテーマが背景にあるように思いますし。
佐藤:やっぱり、もともとそういうバンドではあるんですよね。だからそれを敢えてコンセプトにしたわけでもなくて、みんなでプリプロして、パッとバンドで合わせてできたのが、「何かこれイスラエルで売れそうやな?」とか、そんな曲が多かったんですよ。
―意識的に作り上げた世界ではなかった、と。
佐藤:たまたま今までそんなに使ってない楽器を使ってみたり、「じゃあ、歌詞はその国の食べ物の話にしようか」とかやってたら、結果的にすごく多国籍になったんです。それで「桟橋」(『THE PIER』)っていう、ここからどこにでも行けて、ここに戻ってくるみたいな、そういうもんになったんですよね。
岸田:パラレルっぽいっていうかね、いろんな場所が出てきたり、いろんな時代感なり、いろんなジャンルの感じはありますよね。時系列とか場所とかそういうのを、意図的に出したかったわけではないんですけど、くるり自体去年メジャーデビュー15周年ってことでいろいろやってる中で、未整理なものがグチャってなるのが面白いやんっていうのの連続だったんです。だから今回、蓋を開けたらこんなんなってましたっていうね。ただ、AとBをタジン鍋みたいなのにグチャっと放り込むんですけど、煮込むのは「絶対5分」みたいに集中して(笑)。そこにはホント集中しましたし、そうすると、蓋を開けたときに「ほらやっぱり」みたいになるんですよね。
佐藤:くどくなりすぎてやり直したりもしたけどな(笑)。
「聴き手が自由にやってくれたらええわ」っていうユルいもんでもなくて、聴き手の妄想力とか、いろんなことを考えたり、感じたりする、その間口だけはすごく広く作ってるつもりなんです。(岸田)
―では、話のギアをもう一段階上げさせてもらうと(笑)、いろんな地域や年代、ジャンルの音楽が含まれているというのは、今の社会状況や音楽を取り巻く状況とも関係があるように思ったんです。震災以降の地域社会の見直しと、その一方での東京オリンピックに向けた都市部の再開発、あとは今の若い人が洋楽とかルーツ的な音楽を聴かなくなってると言われてることとか、いろんな状況を反映しているようにも思えて。
岸田:あんまり深く考えてないっていうとそれも違うんですけど、日々の生活で考えてることはもっとパーソナルなことっていうか、「この腹の痛さは異常だから、胃腸科に行かなければいけないんじゃないか?」とか、そういうことなんですよね(笑)。まあ、震災のこととか、イスラエルがパレスチナに報復して子供殺したとか、ああいうニュースとかもね、日々の生活とは直接関係ないようで、似てるものがあるというか、ガワが違えば違うほど、地域とか時代が違えば違うほど似てるっていうか……俺がひねくれて考えてるだけかもしれんけど(笑)。
―一見違うようで、でも本質は同じっていうことは、あらゆる場面でありますよね。そしてその逆もしかりで、一見同じようで、本質が違うこともある。
岸田:海外のセレブ俳優とかが薬でダメになって「あらあら」みたいなことになってんのと、日本の芸能人が捕まったどうこうって、似てるようでたぶんそれは違うと思うんですよ……まあ、前提としてどうでもいいことですけど(笑)。でも、近所の子供同士がけんかしてるのと、パレスチナ人がイスラエルに爆弾放り込んで一般人が死んだから、イスラエル軍がボコボコに報復したっていうのと、結果としては全然違うけど、構造は似てるわけですよ。
―はい、わかります。
岸田:ただ僕らの音楽に関しては、「何かを言おうとしてる風」のことをやってるだけで、何かを考えるのは聴いた人の勝手だから、僕はノーメッセージやと思ってて。これを聴いた人が何らかのメッセージを受け取ったとしたら、それはその人の妄想で、それでいいんですよ。結局自分たちは音を並べて、それに言葉風のものを乗せてるだけで、それだけに集中したっていうかね。こっちからの主張が介入してる風で、一切気持ちは込めてない……って言ったら手を抜いたみたいですけど(笑)、そうすることが一番社会的だと思ったんです。僕が最近の子に「洋楽聴け」って言うのも、単純に僕が洋楽のレコード聴きたくて、そのためにはレコードが売れてくれないと困るから言ってるだけで(笑)。メッセージでも何でもない、戯言やから、そんなことと作品とは全然関係なくて。
―あくまで音楽を作ることに集中していて、人によってはそこに社会性を見出すかもしれないし、もっとパーソナルな接点を見出すかもしれない。
岸田:そうそう、だから聴き手の自由に委ねてるんやけど、「聴き手が自由にやってくれたらええわ」っていうユルいもんでもなくて、聴き手の妄想力とか、いろんなことを考えたり、感じたりする、その間口だけはすごく広く作ってるつもりなんです。都内で言うと、祐天寺駅よりも、中目黒駅の方がすごいわけですよ。だって、二方向に行けますからね。渋谷駅になるともっと何方向にも行けて、それが羽田空港やともっとすごいわけじゃないですか? そういう、「どこにでも行ける感の演出」なんかなって思うんですけどね。
―それにしても、音楽的には本当にいろんな要素が混在していますよね。その中でも軸となる方向性みたいなものはあったのでしょうか?
佐藤:今回「これみたいな」とか「こんなジャンル」とか、そういう風な縛りで作ってる曲はまったくないですね。
岸田:わりとバンドのセッションから作ってる曲が多くて、2曲目の“日本海”って曲とか、セッションでパッと作ったときは、1990年代のグランジブーム真っ盛りの頃の、オルタナ亜流のメタルみたいな、SOUNDGARDENとかHELMETとか、そういう音をたまたま出した人がいて……僕なんですけど(笑)、何となく全体がそういう演奏をしたところから、作っていくうちに違う方向に行ったりして。やっぱり、そのときにメンバーが聴いてるもんだったり、蓄積してるものがアイデアとしては出てくるんですけど、「70年代風のサウンドにしよう」とか「戦前のブルースみたいに」とか、そういうのはなかったですね。
ファンファン:(二人の)「引き出しが多い」って言ったらそのままなんですけど、何かを引っ張り出してくるセンスとか能力がものすごいなっていうのは、今回改めて思って。例えば、“Liberty&Gravity”で言うと、「ポゥ!」? っていうコーラスが入ってるんですけど、今聴いても面白くて、そこになると絶対笑っちゃうんです。パッと思いついたことを、「ここや!」ってところに投げるっていうか、一見「ちょっと変ちゃう?」って思うことも、それが変じゃなくなって、説得力のある音になっていくっていう。そういう能力をすごい持ってるバンドだなっていうのは、改めて思いました。
佐藤:前に「変ちゃう?」系って言ってたで(笑)。
もしかしたら、曲の中に自分の心の叫びとかが入ってるのかもしれないけど、入れようと思ってやると、入りきらないんですよ。音楽って、大したことないんです。(岸田)
―何か重要な参照点があったわけではなかったんですね。
岸田:アルバム作ってるときにみんなで聴いて「オモロイな」って言ってたのは、EDMやったり、あとは中東の変なハウスやったりしたんで、参照点としてオーソドックスなものはあんまりなかったかもしれないですね。例えば、“しゃぼんがぼんぼん”っていう速くて短い曲は、「これはメタルだから」って2バスにして、速いギターソロ入れて作ったんですけど、よくよく聴いたらEDMっぽくて。でもそれは、EDMが好きだからそうなったわけじゃなくて、むしろちょっとバカにしてるところがあるんですよ、たぶん(笑)。なのにそういう要素を取り入れることって、すごい……素敵なことやなって(笑)。
―ユーモアの重要性ってことでしょうか?
岸田:野々村議員とかね、やっぱりすごい引きがあるんですよ(笑)。例えば、ナンプラーとか飲めないじゃないですか? 飲めないけど、ちょっとふりかけると、美味しくなったりする。やっぱり人間はそういうゲスいもんが好きっちゅうか、僕らがそうなだけかもしれんけど、ゲスいもんをゲスに表現するんじゃなくて、自分らの表現の中で消化すると、パンチが生まれるんですよね。あえて1980年代っぽいことをやるような、「イケてる風文化」ってあるじゃないですか? それをもっとハイレベルでやるっていうか。
佐藤:初めてAviciiを聴いたときとか、「何やっとんねん、おまえ」って思ったんですよ(笑)。でも、それを認めてしまう馬鹿馬鹿しさっていうかね。例えば、ウィーンだとシュニッツェルっていう食べもんが有名で、カツレツなんですけど、週7とかで食ってるとさすがに飽きてくるんですよ。それでどうしても我慢できずに、バルサミコ酢もらってバーッてかけて食べたら、めっちゃ美味しかったんです。でも、それってウィーンの人たちからしたら、「何やっとんねん、おまえ」なんですよね。そういうものが詰まってるかもしれない。
―誤解から生まれるものの面白さって、実は音楽の重要な要素だと思うんですよね。
岸田:そうそう、個人的に昔のブラジルのロックバンドとかすごい好きで、Os Mutantesとか(エルメート・)パスコアール、MANO NEGRAとかの何がいいかって、完全に勘違いしてることで。THE BEATLESみたいなのやりたいんやろうけど、「どう考えても違うよ、あんた」みたいな(笑)。やってる方も、最初は本気でTHE BEATLESみたいのやりたいと思ってて、でも根本的に何かが間違ってるって本人が気づいた後に、それでもやってる感じがすごい魅力的なんですよ。勘違いした時点で、そのジャンルを作ってるってことですから。
―そういう要素が『THE PIER』にはたくさん詰まっていると言えそうですね。
岸田:実際演奏してるときとか、ソングライティングをしてるときは、真面目にありたいと思ってるんですね。そこで雑念とか、不道徳なものとか、ちょっとでも不純物が入ると、ダメになるんです。その代わり、集中してないときっていうのは、いかに反対側の目で見るかっていうことを考えてるんですよ。(目の前のお茶を見て)「これ伊右衛門」じゃなくて、「お茶の横に時計が置いてある」とか、そういう見方をするようにしてる(笑)。
―(笑)。
岸田:そうやって、音楽を作るときの集中とは真逆のことをやっておかないと、保てないんですよね。もしかしたら、曲の中に自分の心の叫びとかが入ってるのかもしれないけど、入れようと思ってやると、入りきらないんですよ。音楽って、大したことないんです。個人の想いとかと比べると、全然大したことないですから。
―その考え方っていうのは、最近強くなったものなのでしょうか?
岸田:やっぱり若いときはね、もうちょっと音楽的なもんとか、自分の憧れとするものにまみれながら、時代と同化して、「自分もその一員」みたいなユナイト感があったけど(笑)、もうそんなんできる体じゃないっていうか、全部馬鹿馬鹿しいって思っちゃうんですよね。ただ、それが敵意とかネガティブな感情になっちゃうとホントによくないんで、あらかじめ何も期待してない状態を作るというか、「お茶の横に時計が置いてあるだけで面白い」っていう状態を常に作っておくことがラクだし、大事だったりするんです(笑)。
楽器の音っていうのは、言葉を持ってないわけじゃないですか? でも、楽器それぞれも言葉を持ってるような感じの音になってるんじゃないかって思います。(ファンファン)
―いろんな要素が混ざった音楽性にしても、途中でおっしゃってたパラレルワールド的な世界観にしても、現代のひとつのキーワードになってる「編集力」っていう視点で語ることもできるように思うのですが、そこに対する意識はありましたか?
岸田:Twitterとか、140字でしょ? それに写真を載せるとか、Instagramのリンク引っ張るとか、ああいうのって小さい編集能力じゃないですか? あんなもん真面目にやってることほど、バカなことはないと思うんですよ。それは別にけなしてるわけじゃなくて、それをやってる自分も含めて馬鹿馬鹿しいわけで。でね、おじさんロックバンドとして、過去の反省もないまぜにしながら話すことなんですけど、ロックバンドはみんな真面目すぎると思うんですよ。
―Twitterみたいな、ある意味馬鹿馬鹿しいことも、真面目に捉えすぎてるということでしょうか?
岸田:例えば、すごく哲学的な考えを持ってたり、ハッとするような美しいものを誰よりも知ってる人が、雑誌を作りますと。でも、その中では仕事としてチャラい広告系の特集もやらないといけないってなったら、全部のページを同じやり方で作ることは無理じゃないですか? 「これは自分が本当に伝えたいことで、何かを更新するかもしれない」っていうことも、その人がやることの10項目のうちの1つだと思うんですよ。全部それだと、「そんなんおまえの話なんか知るか」って言われたら、終いやし。
―本当に伝えたいことの一方で、チャラい広告系の特集を作ることも、その人のやることの1つだと。
岸田:だって、最近のイケてる若手女優にマークジェイコブスの服着せて、クラシカルな傘持たせて、洋館で写真撮るってときに、「今世界はこうゆう状況だから、それを表現したい」って言っても、そうはならないじゃないですか? そこはチャラさを楽しめばいいわけで、そういうような意味では、今回のはすごい編集的な内容のアルバムというか、割り切ってるんですよね。本物っぽい音を出してるとこでも、ガンガンプリセット音を使ってるし、演奏の魅力を見せなあかんところで、コピペも全然してるし。
佐藤:言葉とか文章とかの一番編集されたものって、俳句とかやと思うんですけど、繁くんの書く歌詞って、昔からそういうことをずっとやってると思うんですね。「限定されない」というか、「説明されたくない」とか、「音楽で怨念を飛ばしてほしくない」とか、そういうのはすごいあって、その中に自分が入ってしまうだけっていうのは嫌なんですよね。「この腐敗した世界」とか言われても、「いやいや、俺そんな腐敗してへんし」って思うし(笑)、国語のテストとかで「ここで和夫くんはどんな気持ちだったでしょう?」とか、「そんなもん知らんわ!」って思いたい。それは聴き手が勝手に妄想してくれたらいい、そういう音楽を聴く方が好きで。
―途中の話でも出たように、やっぱり「どこにでも行ける感」が大事だと。
佐藤:洋楽とかにしても、あんまり歌詞の意味を調べたいとは思わないんですよね。THE BEATLESぐらいなら何となく何言ってるか知ってるけど、でも言葉としては聴いてなくて、ただのメロディーとしてだったり、韻がどうかとか、そういう風にしか聴いてなかったりするんで。
ファンファン:歌には歌詞があって、「こういうことを言ってるんだな」ってわかるけど、他の楽器の音っていうのは、言葉を持ってないわけじゃないですか? でも、楽器それぞれも言葉を持ってるような感じの音になってるんじゃないかって思います。
―確かに、最初に社会性が云々とか散々言っておきながら言うのもなんですけど(笑)、結局は音楽そのものがすべてを語ってるんだと思います。例えば、今回初回盤に楽譜とハイレゾ音源のダウンロードコードがつくそうですが、それもアンサンブルが面白い作品だから楽譜をつけることに意味があるし、立体的な音作りがなされているからハイレゾの意味がある。「現代における音楽の届け方は?」とか、ガワを語ることにも意味があるとは思うけど、まずは音楽そのものを見つめれば、自ずと最適な方法も導き出されるというか。
岸田:そうだと思います。まあ、届け方は超過渡期ですからね、CDや配信や、片方ではレコードの7インチがちょっと売れてたり、レコードやなくてライブの時代やとか、全部言うてることはあってるし、全部間違ってるとも思うんで、作ってるものとはあんま関係ないっていうか、自分たちが作った曲っていうのは、誰かに聴かせた時点で自分たちのものじゃなくなるんですよ。「すいません、これは確かに私がしたウンコです」とはなるんやけど(笑)。
―最後の最後で、その例えですか!(笑)
岸田:ただ曲としてこれからをどう歩んでもらうかを考えると、やっぱり最初に産むときが一番大事で、予防注射ちゃんと打っとかんととかね、その曲ができるだけいい状況で、これからを歩んで行けるようにっていうのは、すごく考えてやってるつもりなんですよね。
- リリース情報
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- くるり
『THE PIER』初回限定盤(CD) -
2014年9月17日(水)発売
価格:5,400円(税込)
VIZL-7191. 2034
2. 日本海
3. 浜辺にて
4. ロックンロール・ハネムーントルツメ
5. Liberty&Gravity
6. しゃぼんがぼんぼん
7. loveless<album edit>
8. Remember me
9. 遥かなるリスボン
10. Brose&Butter
11. Amamoyo
12. 最後のメリークリスマス<album edit>
13. メェメェ
14. There is(always light)
※全曲楽譜集付き7インチサイズジャケット仕様、“Liberty&Gravity”ハイレゾ音源ダウンロードコード封入
- くるり
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- くるり
『THE PIER』通常盤(CD) -
2014年9月17日(水)発売
価格:3,132円(税込)
VICL-641671. 2034
2. 日本海
3. 浜辺にて
4. ロックンロール・ハネムーン→トル
5. Liberty&Gravity
6. しゃぼんがぼんぼん
7. loveless<album edit>
8. Remember me
9. 遥かなるリスボン
10. Brose&Butter
11. Amamoyo
12. 最後のメリークリスマス<album edit>
13. メェメェ
14. There is(always light)
- くるり
- プロフィール
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- くるり
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1996年9月頃、立命館大学(京都市北区)の音楽サークル「ロック・コミューン」にて結成。古今東西さまざまな音楽に影響されながら、旅を続けるロックバンド。岸田繁(Vo, Gt)、佐藤征史(Ba, Vo)、ファンファン(Tp, Vo)の3名で活動中。
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