2006年に公開されたアニメ映画『時をかける少女』は、映画監督・細田守にとって大切な映画だ。13本のフィルムにより、初週わずか6館の小規模公開で始まった同作は、口コミなどの効果で上映館は延べ100館以上に拡大。40週間という、映画としては異例のロングラン上映を達成した。その後に続く『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』の成功からすれば、当然の結果と今なら言えるかもしれないが、細田監督にとって『時をかける少女』は紛れもない転換点の映画だったのだ。
そんな同作に登場するキーアイテムに、何百年も前の歴史的な戦と飢饉の時代に描かれたとされる絵『白梅ニ椿菊図』がある。主人公の少女と運命の少年を引き合わせるきっかけとなるその絵は、上野にある東京国立博物館に収蔵された作品という設定で、劇中にも同館をモデルにした風景が登場している。
さて、その東京国立博物館で、10月10日と11日の2夜にわたり『時をかける少女』の野外上映が開催される。初日には、同作のプロデュースを担当した渡邊隆史、齋藤優一郎らが出演するトークショーも行われる。同イベントを記念して、今回渡邊にインタビューする機会を得た。プロデューサーの役割、『時をかける少女』制作時のエピソード、同作において博物館が舞台になった本当の理由など、今だからこそ聞きたい話が盛りだくさんのインタビューをお届けする。
[メイン画像]『時をかける少女』メイン画像 ©「時をかける少女」製作委員会2006
※本記事は『時をかける少女』のネタバレを含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。
僕にとって今回の野外上映は、『時をかける少女』の劇中に登場する絵画『白梅ニ椿菊図』を描いた、平田敏夫さんの追悼でもあるんです。
―10月に『時をかける少女』(以下『時かけ』)の野外上映が東京国立博物館で開催されます。どのような経緯で今回の上映は実現したのでしょうか。
渡邊:『時かけ』を観てくれた皆さんは「なるほどね!」と頷いてもらえると思いますが、主人公の真琴のおばさんが修復師として勤務するのが東京国立博物館という設定なんです。そういう結びつきもあって、今回の上映を博物館の方からご提案いただいて、私たちにとってもようやく里帰りをするような気持ちです。ですが、取材にお答えする前にお話したいことがあります。じつは8月25日にアニメーション監督の平田敏夫さんが亡くなられたんです。
『時をかける少女』作中画像(博物館執務室) ©「時をかける少女」製作委員会2006
―虫プロダクションやマッドハウスで多くのアニメーションを作られた方ですね。
渡邊:そうです。『時かけ』でも平田さんは非常に重要な仕事をされていて、劇中に登場する『白梅ニ椿菊図』という何百年も前の歴史的な戦と飢饉の時代に描かれたとされる設定の絵を描いていただいたんです。『時かけ』は、主人公の真琴が未来からやって来た千昭という少年と恋におちる物語です。その千昭が危険を冒してまで未来から現代に来る理由が、そのたった1枚の絵だったわけで、これを誰に描いてもらうかは作品の大きな核でした。まず、もちろん技術的に上手い人。それからアニメーションの特質を理解して、演出意図を把握してくれる人に描いてもらいたい。そこで名前が上がったのが平田さんでした。金沢美術工芸大学出身の細田監督にとっては、武蔵野美術大学の西洋画科出身の平田さんとは美術の話で相通じる部分があったんだと思います。
―実際、劇中に登場する『白梅ニ椿菊図』はとてもリアルに描かれています。洋画出身の平田さんですから、日本の絵を描くのはご苦労されたのではないでしょうか?
渡邊:細かいことは細田監督本人でないとわからないですが、あの絵は一見水彩画のように見えるけれど、たしか日本画の顔料を使って描いているはず。平田さんと細田監督が、本当にはつらつと絵の話をしていた光景は今でもよく覚えていますね……。
―そうすると、渡邊さんにとって今回の上映は平田さんへの追悼という一面もあるわけですね。
渡邊:はい。インタビューの場をお借りしてしまって恐縮ですが、心よりお悔やみ申し上げます。
徳間時代の上司がスタジオジブリの鈴木敏夫さんで、『風の谷のナウシカ』で宮崎駿さんとタッグを組むようになったのを直に見て「いつかは俺も!」と憧れていました。
―渡邊さんが初めてアニメーションのプロデュースを手掛けられたのも『時かけ』だと伺いました。さまざまな意味で思い出深い作品だと思うのですが、同作に関わるきっかけはなんだったんでしょうか?
渡邊:私はプロデューサーになる以前から、ずっとアニメ周辺の仕事をしていたんです。学生の頃は徳間書店のアニメ雑誌『アニメージュ』のライターをしていて、卒業した後は徳間ジャパンというレコード会社で『となりのトトロ』や『風の谷のナウシカ』の関連CDのディレクターをやって。その後、再び『アニメージュ』に戻って編集長として働いて、現在の角川書店に移ったのは40代の頃で、今度は『ニュータイプ』というアニメ雑誌の編集長をやっていました。
―ずっとアニメ漬けの生活。
渡邊:そうですね(笑)。でも、若い頃からライターや編集者としてアニメーション制作の現場を外から見ていて、やっぱり現場に直接関わりたいという気持ちがずっとあったんです。徳間時代の上司がスタジオジブリの鈴木敏夫さん(『アニメージュ』の編集長からスタジオジブリへ移籍、プロデューサーとなった)で、『風の谷のナウシカ』で宮崎駿さんとタッグを組むようになったのを直に見て「いつかは俺も!」と憧れていました。そんなときに若い頃から交流のあったマッドハウス(りんたろう、川尻善昭や今敏監督作品で知られる制作会社)社長の丸山正雄さん(当時)から、「細田監督で『時かけ』を劇場アニメ化する企画があるんだけど、乗らない?」っていう話をいただいて。以前から「いつかは映像をやりたいです」と私が言っていたのを丸山さんが覚えていてくださったようなんですが、細田監督で『時かけ』をやると聞いたら、それはもうやるしかないぞ、と。
細田監督は『どれみと魔女をやめた魔女』で、人生の選択の話と、時間を超えた人間の悲哀を描いている。『時かけ』をやるのは、自然に受け止められることでした。
―細田監督と『時かけ』という組み合わせにグッと来た理由というのは?
渡邊:1998年から『GaZO』という雑誌の編集長をしたんですよ。演劇、特撮、アニメの境界をなくそうというコンセプトで同誌を作ったんですが、当時のアニメ界はさまざまな意味で過渡期でした。『エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督が『ラブ&ポップ』(援助交際を背景に少女たちの青春を描いた村上龍原作の同名小説の実写映画)を撮るなど、実写や演劇への関心を発言する人が多くいたんです。それからセル画からデジタルへの移行期でもあって、アニメーション制作のスタイルが大きく移り変わろうとしていた。細田監督はそんなタイミングで注目を浴び始めていた演出家で、1997年の『ゲゲゲの鬼太郎』の画面構成や色彩感覚がとてもデジタル的である、っていうようなコラムを『GaZO』で書いたんです。
『時をかける少女』作中画像
©「時をかける少女」製作委員会2006
―2000年の劇場版『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』や、03年に美術家の村上隆とタッグを組んだルイ・ヴィトンのプロモーション映像『SUPERFLAT MONOGRAM』は、表現性も内容もデジタル的でした。
渡邊:色数制限が事実上なくなって実現できたグラフィカルな絵作りもそうだし、1枚の背景データを使い回してさまざまな時間やシチュエーションを表現する手法だとか。デジタルの可能性を扱いだした演出家がついに出てきたなと思いましたね。
―そういったデジタルを活かした演出技法に対して、少年少女の恋を描く『時かけ』は柔らかなアナログの手触りのある作品です。当時、それがとても意外だった記憶があります。
渡邊:もう1つ大きな理由が、2002年の『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』(魔女を目指す女の子たちを描いたアニメの第4シリーズ)です。『どれみと魔女をやめた魔女』というエピソードを細田監督は演出したのですが、これは同シリーズのなかでもきわめて異質の作品です。主人公のどれみが、未来さんというガラス工芸家と出会う物語なんですが、じつは彼女は魔女で、たぶん何百年も生きている。不老不死の自分はずっと若いままだけど、ガラス工芸を教えてくれた人や、かつて弟子だった青年も今や老人になってしまっている。魔女として生きることが、普通とは違う時間を生きることなのだと、どれみは未来さんから学ぶんです。
―さみしい物語ですね。
渡邊:最後、未来さんがイタリアに引っ越すことになって、「どれみも一緒に行く?」って誘われるんですよ。それでどれみは一生懸命考えて、自分も魔女として生きることを決意するんだけど、もう未来さんは旅立った後だったという結末で。つまり細田監督は、人生の選択の話をここでやっている。そしてもう1つ、時間を超えた人間の悲哀を描いている。だから細田監督が『時かけ』で時間や別れをテーマにするのは、僕にとって自然に受け止められることだったんです。それに未来さんの声優は原田知世さん(1983年版『時をかける少女』で主役を演じている)でしたから。
『時をかける少女』作中画像(博物館展示室) ©「時をかける少女」製作委員会2006
―細田監督自身の作家性だけでなく、個人的な思い入れでも『時かけ』は合致していたんですね。
渡邊:と、僕は思います。そのうえで『時かけ』は過去に実写で7本も映像化されていましたから、2006年にアニメーションとして映画化する意味についてもかなり議論しました。半年近く、細田監督、脚本家の奥寺佐渡子さん、一緒にプロデュースを担当したスタジオ地図の齋藤優一郎さん(当時はマッドハウス所属)と一緒に話し合って完成型に近づけていったんです。
『時かけ』って、どうしたって最後は切なくなるでしょう。運命の人との別れがやって来て、青春の時間が過ぎ去ってしまう。だから、それまでの過程はとにかくハチャメチャに面白くやろうと。
―検討や議論を重ねて『時かけ』は完成したわけですが、2006年版の『時かけ』がそれまでの映像化と大きく違う点はなんだったのでしょうか?
渡邊:主人公の真琴がアホな子ってことですよね(笑)。原作は昭和40年代の少女が主人公で、タイムリープ(時空移動)の能力を手に入れたことで戸惑い、躊躇する、巻き込まれ型の主人公です。でも、今の女の子がそんな能力を得たらどう思うか、ってなったら「ラッキー!」って思うんじゃないか。状況に巻き込まれるんじゃなくて、かき回しちゃう。そういう発想から真琴っていうキャラクター像が出来上がってきた。細田監督もバイタリティーのある子が大好きだから。
『時をかける少女』メイン画像 ©「時をかける少女」製作委員会2006
―現代っ子ですよね。ずるい部分もたくさんあって、でも元気っていう。
渡邊:『時かけ』って、どうしたって最後は切なくなるでしょう。運命の人との別れがやって来て、青春の時間が過ぎ去ってしまう。だから、それまでの過程はとにかくハチャメチャに面白くやろうとなったんです。
―個人的に『時かけ』で一番感動したのが、クライマックスのシーンです。タイムリープの力が失われた真琴が、千昭の待つグラウンドまで街中を走り続けるシーンがありますよね。それまで能力を使って「リープ」し続けていた主人公が初めて自分の脚で「ラン」する。それは細田監督が訴えたいテーマなのかなと思ったのですが。
渡邊:時を駆ける力がなくなったときに、本当に自分の脚で駆けよう、っていうのは監督と話し合って決めました。あのシーンはりょーちもさん(柔らかで躍動感のあるアクションを得意とするアニメーター。代表作に『鉄腕バーディー DECODE』など)という非常に力のあるアニメーターさんに描いてもらっているんですが、一番最後に出来上がったカットなんです。あのシーンがかたちになって、やっと『時かけ』は完成できるって細田監督は思ったようですね。だから『時かけ』を象徴する大切なシーンなんです。
アニメの制作には、時には1,000人以上が関わりますし、それぞれに家族がいるでしょう。その人たち一人ひとりの生活がかかっているわけですから、絶対に成功させないといけない。
―渡邊さんは、アニメーション映画のプロデューサーをどういう仕事だと考えてらっしゃいますか?
渡邊:鈴木敏夫さんが『風の谷のナウシカ』のプロデューサーをやるにあたって、高畑勲さんに「プロデューサーの仕事ってなんなんですか?」って聞いたら、「どんなときでも監督の味方をすることです」と言われたそうなんです。私もそう思っています。作品の可能性や魅力を信じて、とことん監督に寄り添ってサポートする。例えば制作費が足りなくなったら、どうやって増やせばいいか考える。でも、むやみに増やしてしまっても作品が潰れてしまうでしょう。そういったときに、適正な予算で作るためにはどうすべきかを監督と話し合うとか。
―制作費が増えて作品が潰れるというのは、出資者が増えることで作品への介入が増える危険があるからですか?
渡邊:いや、簡単に言うとハードルが上がってしまうんですよ。お金をかければ良いものができると考えてしまいがちだけれど、制作費が上がれば目標とする興行収入も上がっていきますよね。例えば20万人動員できれば黒字になるはずだった作品が、100万人動員しないといけないとなったら、客層を大幅に広げないといけなくなる。当初はマニアックな映画ファン向けでOKだったはずの作品が、家族連れでもカップルでも楽しむことのできる射程を持たなければいけなくなってしまう。アニメーションの制作には100人以上、時には1,000人以上が関わりますし、それぞれに家族がいるでしょう。その人たち一人ひとりの生活がかかっているわけですから、絶対に成功させないといけないんです。
―それはとても難しいことですよね。監督の側に寄り添いながらも、同時に興行としてのバランスをとらなければいけない。作品性と興行性を天秤にかけるというか。
渡邊:あなた(監督)のためにならないからこれ以上予算は増やさない、って決断も時にはしなければならない。
―厳しい決断ですね。
渡邊:でも、やはり両方とも大切にしないとダメなんです。映画を興行的に成功させるということはパブリックな領域に属する事柄だけど、作品を作るというのは、ものすごくパーソナルな作業ですから。『時かけ』を作ったときも、当時の細田監督のきわめてパーソナルな気分が反映している。企画スタート時に全員で話し合ったのは「そもそも人を好きになるってどういうことだろう?」でした。当時、監督は独身だったけれど、脚本の奥寺さんは結婚を間近に控えていて、それぞれに恋愛や結婚に対する立ち位置が異なっていた。異なる価値観や人生観を持った人たち同士が真剣に意見をぶつけ合うことで『時かけ』はできているんです。その後の『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』も、結婚して家族が増えたことや、肉親が亡くなったことが反映していますから、やはりパーソナルな想いが起点なんですよ。
『時かけ』を作っていた際に、時を超えるものが本当にあるとしたらそれは絵画芸術ではないかと考えていたんです。真琴がもう一度千昭と出会うことが可能だとするなら、それは永久に残るものを未来に残すことかもしれない。
―アニメーションというと、現実には起こりえないものを描けることが利点だと思うのですが、同時に現実の体験とも密接なんですね。
渡邊:「映画は時代を映す鏡」と言いますが、その時代に生きている人間が作るものである限り、それぞれが生きている証拠を常に反映していかざるを得ないと思うんです。逆に作品を観る側も、現在を反映して物事を解釈していきますよね。宇宙を舞台にしたロボットものだとしても、じつは現実とは無縁ではいられないんですよ。
―その現実との接点がある作品だったからこそ、『時かけ』も多くの人に愛されているのだと思います。東京国立博物館で行われる野外上映は、劇中で登場した博物館を会場にしているという意味でも、興行性よりも作品性に紐づいた企画ではないでしょうか。
渡邊:そうですね。だから思い入れはとても強いですよ。『時かけ』を企画していた際に、時を超えるものが本当にあるとしたらそれは絵画芸術ではないかと考えていたんです。タイムマシーンはそうそう作れないけれど、絵画は時代を超えて存在しうる。主人公の真琴がもう一度千昭と出会うことが可能だとするならば、それは永久に残るものを未来に残すことかもしれない。ひょっとすると真琴はおばさんの後を追って、修復師になったかもしれない。そういう意味でも、「時の結節点」として博物館はどうしても必要だったんです。
―つまり東京国立博物館が、時の結節点なんですね。
渡邊:『時かけ』で真琴が味わった時を超える感覚を、現実にみなさんに味わってほしいとずっと思っていましたから、今回ついにそれが実現するわけです。あなたの目の前にある室町時代の絵は、本当に何百年も前に描かれたもので、それが今あなたの目の前にあるんだよ、っていう不思議さを含めて実感してほしい。そして、『時かけ』という映画も100年、200年先の未来でも観られるかもしれない。そう願っている。上映会では、そういう時間を超える感覚を一緒に味わいたいなと思っています。
東京国立博物館 - 催し物 イベント 博物館で野外シネマ
東京国立博物館 - 催し物 イベント アジアフェス in トーハク
東京国立博物館 - 催し物 イベント『時をかける少女』制作秘話スペシャルトークショー
- イベント情報
-
- 『博物館で野外シネマ』
-
2014年10月10日(金)、10月11日(土)
会場:東京都 東京国立博物館 本館前
時間:19:00~
上映作品:劇場版アニメーション『時をかける少女』
料金:無料(当日の入館料が必要)
※雨天時は平成館大講堂で開催(先着380名)『時をかける少女』制作秘話スペシャルトークショー
2014年10月10日(金)18:30~19:00
会場:東京都 東京国立博物館 本館前
出演:
渡邊隆史(角川書店プロデューサー)
齋藤優一郎(スタジオ地図プロデューサー)
松嶋雅人(東京国立博物館特別展室長)
料金:無料(当日の入館料が必要)
※雨天時は平成館大講堂で開催(先着380名)
- プロフィール
-
- 渡邊隆史(わたなべ たかし)
-
栃木県宇都宮市出身。徳間ジャパンでアニメ音楽ディレクターを経て、徳間書店『アニメージュ』5代目編集長、『Gazo』編集長、角川書店『ニュータイプ』編集長、『特撮ニュータイプ』編集長を経て、映像プロデューサ-。細田守監督作品『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』を手掛けた。
- フィードバック 4
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-