高木正勝は、今、里山の小さな村に暮らしている。
生まれ育った京都の亀岡市からさらに田舎の山奥へと引っ越したのが、2013年の夏のこと。見渡す限りの自然に囲まれた環境の中で、古民家を少しずつ改築したり、自ら畑を開墾して野菜を作ったりしながら、日々の暮らしを営んできた。地元の人たちともすっかり顔馴染みになったという。まるで、自身が音楽を手がけた映画『おおかみこどもの雨と雪』の主人公・花と同じような生活だ。そんな毎日を送りながら、トヨタやJR東海、JALなど多数のCM音楽、数々の映画やドラマのサウンドトラックを手がけてきた。
2年ぶりにリリースする2枚組のアルバム『かがやき』には、そんな彼の今の暮らしがそのまま刻み込まれている。DISC1は彼が暮らす山奥の村の様子を映すドキュメンタリーのような1枚。地元のおじいさんやおばあさんと一緒に歌ったり、鳥のさえずりの中でピアノを弾いていたり、蝉が鳴いていたりする。そして、DISC2には、スタジオジブリを追ったドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』とNHKのドラマ『恐竜せんせい』に書き下ろしたオリジナルサウンドトラックの楽曲が収録されている。
なぜ高木正勝は山奥の暮らしを選び、そこでの自然や人々の息づかいを記録しようと思ったのか? 「ものの見方が全く変わってきた」と語る彼に、今、見えるものを訊いた。
「気楽な感じ」ってなかなかCDにならないですよね。僕はそっちがいいなって思うんだけど。
―今は京都と兵庫の県境くらいにお住まいなんですよね。
高木:兵庫県ですね。村を出たら京都になります。
―Facebookで写真を拝見したんですが、すごいところですね。東京の暮らしとは違う時間が流れているような感じがしました。
高木:慣れちゃいましたけどね(笑)。ただ、引っ越した最初の日は「こんな山の中に住んでいいのだろうか?」って本当に怖かったです。今はむしろ、もっと奥地できわどい生活をしている人がたくさんいることを知ったんですけれど。
―引っ越してから、暮らしはどう変わりました?
高木:以前住んでいた亀岡は、田舎とは言っても新興住宅地で。その暮らしで嫌だった部分はほとんど消えていきましたね。たとえば、周りに同じような家があることや、隣の人と挨拶を交わさないこと、たくさん人がいるのに1人でポツンといるような感じがすること……。あと、車でスーパーに行って、店内のBGMを聴きながら同じような野菜を買い物をするたびに「毎日何をしてるんだろう?」と空しさを覚えることもありました。今は毎日のご飯を作るのに、村の人にいただいたり、農家の人たちがやっている市場に買いに行ったり、自分で野菜を育てたり。村には家が20軒くらいしかないのですが、ほとんど全員の名前や仕事を知ってるから、会うと必ず声をかけたりもします。
―なぜこんな話から訊いたかというと、今回のアルバムは、高木さんの暮らしのドキュメンタリーのような感じがしたんです。地元の方たちの歌や会話が入っていて、生活と音楽が強固に結びついているような感覚があった。なので、どうやって音楽を作ったかを訊くより、どんな暮らしをしているかを話していただくほうがより核心に迫れるんじゃないかと思ったんです。
高木:確かに、村に暮らし始めたことで、自分が昔から好きだった感じに近づいてきているなと思います。たとえば、村では集会のときや農作業の休憩時間に歌ったりする人がいるんです。そうすると他の誰かが「よっ! よっ!」って合いの手を入れ始めて盛り上がるのですが、歌詞がうろ覚えで「なんやったっけ?」と止まりそうになる。そうすると、周りの誰かが続きを少し歌い出して、「あっ、そうそう」と続きが歌えたりする。渾然一体、ぐちゃぐちゃなんです。主役がはじめから終わりまでずっと歌うことってめったにない。でもそういう気楽な感じってなかなかCDには残らないですよね。
―ポップミュージックからは削ぎ落とされてしまう部分ですよね。
高木:海外だとわりと売っているんですけどね。チベットの道端で録音された曲があって、はじめはお父さんが主役で歌ってるんですけれど、そのうちに「おい、お前も歌ってみるか?」と自分の子どもに話しかけるんです。そしたら子どもが張り切って歌い出してその曲の主役になっていくという。会話も空気も全部入っていて、映像を見ているような感じなんですね。そういう曲だと何回聴いても飽きないし、僕はそっちがいいなって思うんだけど。
自分の感覚に忠実なものを作ると、見たままの現実というよりも、目には見えない、その場所に残っている記憶や想いまで含まれてしまう。
―初めから村の人たちに参加してもらおうと考えていたんですか?
高木:いや、最初は全然違うアルバムを考えていたんですよ。CMやサントラの音楽をたくさんやらせてもらっていて、アルバム3枚分くらいの曲がたまっていたので、それをまとめたものを作ろうと思っていました。でも、いざ形にしてみたら、今届けたいものや残したいものとは全く違うものができてしまって、どうにも納得がいかなくて。
―なぜ違和感を持ってしまったんですか?
高木:何かテイストが似ていたんですよね。響きや雰囲気で言うと、前作の『おむすひ』に近い感じかな。引っ越しして新しい感覚になっているのに、それが音になってないなと。それで急遽、2枚組のうち1枚目だけでも自由にやろうと思って、急ピッチでイチから作り直していきました。
―それで、より今の暮らしの実情に近い1枚目を作った。
高木:と言ってもね、1枚目がそのまんま村の景色かと言われるとちょっと違います。目の前に広がっている景色を表しているのは意外に2枚目のほうだったりします。1枚目は、自分の内面の風景が重なっているんですよね。
―と言うと?
高木:自分の感覚に忠実なものを作ると、見たままの現実というよりも、目には見えない、その場所に残っている記憶や想いまで含まれてしまう。たとえば、隣に住んでいる97歳のおばあちゃんに「ここらへんの昔どうやった?」と聞くと、今とは全く違う景色が広がっていて、山の姿も違いますし、人の数も生きものの数も違う。牛と一緒に生活していたり。家の裏山に行くと昔の田んぼの跡があるんです。話を聞いてなかったら、現状のありのまま、ただの空き地にしか見えないんですが、昔話を聞いた後にその場に立つと、おのずと牛の鳴き声が聴こえてきたり田んぼで皆が笑っている景色が被さって来るんですね。
―過去の気配が情報として自分に入ってくる。
高木:そう。人に話を聞けば聞くほど見えるものが豊かになるし、そうやって培った感覚が1枚目の音源に入っています。だから風景そのものとは違うけれど、自分の中では今の暮らしのまんまなんです。
音の響きにあてはまる言葉が自分の中にまだないなあ、というときは、歌詞をつけない。知らないことをやってしまうと、説明的になりすぎます。
―日本語で歌詞を書いたり、日本語の歌を歌うこともこれまではあまりやられていなかったですよね。
高木:日本語の歌は『おおかみこどもの雨と雪』のときに細田守監督が書いてくださったのが初めてで。あれからずっと自分でも書いてみようと思ってました。日本語の歌詞を書いたのは、今回のアルバムに入れた“彼の地にて”が最初です。
―実際に日本語で歌詞を書いてみて、どうでした?
高木:これも引っ越しと同じで最初はすごく新鮮でした。1つ書いてみると、後は慣れたのか、歌詞を書くということが普通になりました。たとえば“ももいろのほほ”って曲は、妻の誕生日に何か曲が欲しいと言われて、数時間で曲も歌詞もできたんです。外でぼーっと休憩しながら「ももいろのほほ~……あ、作れそう!」みたいな感じで。喋るのとそんなに変わらない感覚で音と言葉が同時に出てきました。アルバムを通して、本当は全曲きちんと日本語で書きたかったんですけれどね。例えば、1、2曲目も日本語の歌詞を付けようと足掻いてみたんですけれど、無理でした……(笑)。
―歌詞がつかない曲もある?
高木:音の響きにあてはまる言葉が自分の中にまだないなあ、という感じですね。知らないことをやってしまうと、説明的になりすぎます。
―“かみしゃま”には歌詞がついていて、今回のアルバムでも中心的な曲になっていますよね。ご自身の中で、この曲はどういう意味を持ちますか?
高木:曲自体はCMで作ったもので、これは歌詞が出てくるなと思ってたんですけれど、鉛筆と紙を前にしたら一気に言葉が出てきました。村の生活と言葉が結びついたというか、ここからどんどん書ける予感がしたので、どんどん歌詞を書こうと思っていたけれど、それ以降は書こうとしても出てこなくて。でも、“ももいろのほほ”と“かみしゃま”に今歌いたいことは全部入っているから、それ以上言うと嘘になると思って止めたんです。
―“かみしゃま”の歌詞のモチーフは?
高木:他の人からすると、なんでもないことですよ。村のね、入り口にお地蔵さんがあるんですけれど、おばあちゃんが、お地蔵さんの前を通る度に必ず「あっ」って言うんです。ある日、車で診療所まで送っていったんですけれど、お地蔵さんの前に来たら「あっ、今日は若いもんに乗せてもらって病院に行ってきます。あっ」って喋りかける。たぶん子どもの頃からずっと喋りかけているんだと思うんですけど、そういう人たちの生活感というか見ている世界を残せたらいいなと思って。というのも、泣きそうに寂しいことなんですけれど、特にご高齢のおじいちゃんおばあちゃんというのは来年会えないかもしれないんです。
―それはそうですよね。
高木:前に住んでいた住宅地だと誰がいなくなったのか分からなかったというか、気にしていなかったんです。村だと、見事にふっと気配がなくなるのが分かるので。ぽっつりそこが無に還るというか、本当に静かになります。1人いなくなるだけで村の雰囲気が変わってしまう。今いいなと思っている村の状態も毎年消えていくしかないんだなと。そう考えたら、会話1つ、挨拶1つをとってもすごく貴重に愛おしく思えてきて。
―歌だけでなく、地元との人と話している風景も入っているのは、どんな理由があるんですか?
高木:例えば、4曲目の“たにのはまべ”で喋っているのは、はまちゃんというおばちゃんで、越してから一番お世話になっていて、是非歌って欲しいなと思っていたんです。頼みにいったら「カセットくれたら歌うよ」と言ってくれたので、まあカセットというのはCDのことだったんですけれど、僕が歌ったデモをCDに焼いて、妻にも手伝ってもらって一緒に練習して。それで歌ってもらったのが5曲目の“しらいき”。最初はこの歌の部分だけを入れようと思っていたんですが、それだとどこまで伝わるか分からないなって思ったんです。もし会話がないまま急におばあちゃんの歌声が入ってきたら、聴く人が「上手い、下手」で判断してしまうかもしれない。そうじゃなくて、おばあちゃんが歌ってくれた楽しさや愛おしさを伝えたいし、感じ取って欲しいなと。
「こういう景色のときに作った曲」という空気感みたいなものを記録したかったんですよね。
―このアルバムには、そういう村の様子がたくさん入っていますよね。
高木:他にも、“せみよび”って曲は、夏が来そうなときに家のテラスでエスラジというインドのバイオリンみたいな楽器を弾いていて、気持ちがいいから録っておこうと思っていたら、途中から目の前の木に止まった蝉が鳴き出した。その鳴き声が、だんだん演奏と合ってくるんですよ(笑)。蝉に合わせて弾くなんてやったことないわ……と思ったんですけど、向こうもこっちに合わせて歌い方を変えたりして (笑)、だんだん気持ち良くなってきて。
―それでいくと、“やまふろ”はお風呂に入っていたときの記録?
高木:そうそう。昼間にお風呂に入って、なんとも極楽、解放されて気持ちいいときってありますよね? それでバシャバシャやっていたときの録音です。ただそれだけ(笑)。“ゆきんこ”は、去年の冬に雪がすごく積もって、そこを歩いていたときに踏む音が面白いから録りました。「こういう景色のときに作った曲」という空気感みたいなものを記録したかったんですよね。
―春夏秋冬の記録がところどころに入っていたので、1枚目を聴き終わったときに、1年が経った感じがしました。
高木:(笑)。でも、それは偶然でした。本当は春の感動が一番大きかったんですよ。それはもう味わったことのない春だったんです。
―それが“おおはる”?
高木:そうです。村に越したのは夏だったんですが、「春がすごいから」って言われていたんですよ。冬が本当に長くて寒くて。春が近づいてきて、桜の枝がだんだん赤くなってくると、みんなが「もうそろそろ咲くわ」って言うようになって。そこから一気に咲いたときの幸福感はすごかったですよ。今までになかった色が一気に現れて、虫や鳥も騒がしくなって、0がいきなり1億くらいに増えたようだった。だから、ピアノの演奏もぐちゃぐちゃだったでしょ?(笑) その物量を表そうとすると、両手で弾いても追いつかなくて肘も使って弾きました。あの春の生命感は味わってもらわないと何を話してるか分からないかもしれないのですが……(笑)。
畑をやり始めて、心の余裕が出てきたところがあると思います。「来年仕事がなくなったら困る」という恐怖心が随分なくなったんです。
―そうですね。風景自体は写真で見せられるけれど、それがどう見えるかという感覚自体は、写真や映像を通しても味わえない。話は変わりますけれど、高木さんはそういう田舎暮らしの環境でも、変わらず仕事をされているわけですよね。こういう仕事のやり方が可能になったのは、最近になってネットの環境が整ったからなのかもしれないと思ったんですが、そのあたりはどうでしょう?
高木:うーん、僕は以前からそうでしたよ。前に住んでいたところも京都まで30分くらいの郊外だったので、家の中で仕事をするという意味では、前から変わりはありません。確かに通信のスピードは速くなって、音楽ファイルもすぐに送れるようにはなりましたけど、郵便もありましたし。15年くらい前なんかは、曲ができたら郵送でニューヨークとかドイツに送っていましたが、それが今ネットでできるからといって、何かが大きく変わったとは思いません。数日かかっていたのが、数分になっただけで、数日くらい待てますから。東京との距離にしても、数時間あれば辿り着けるので。「どうして京都にいながら仕事できるんですか?」って言われ続けてきたけど、逆に「なんでできないと思っているんだろう?」って思ってました。
―やろうと思えばできることがたくさんある……でも、なぜ多くの人にはなかなかできないのでしょうか?
高木:たとえば、1つの仕事で満足を得ようとすると、いろいろ無理が出てくると思うんです。僕の場合で言うと、CDだけで食べていこうとすると、音の作り方ももっと分かりやすくしないといけなくなるのかもしれません。でも他にもできることがあると思えれば、とことん自分の満足することをやって、どうしても足りない部分は他の仕事もやろう、っていう考えになってくるんです。ちょっと話は変わるんですけど、今、自然農法に興味があって。肥料をやらないから農薬をまく必要がないのはいいのですが、その代わりにそんなに大きく育たないし、量も少ないんです。でも味は最高に美味しい。これを増やすにはどうしたらいいかな? と考えたのですが、もう単純に新たに開墾して、種をたくさん蒔けば収穫が増える。身も蓋もない、ただそれだけのことなんですけど、これはいろんなことにも言えるなと思いました。
―いろんな仕事をやっているのが大事だと。
高木:他の人のことは何ともわかりませんが……。例えば、畑をやり始めて、心に余裕が出てきたんですね。以前だと「来年仕事がなくなったら困る」という恐怖心って、やっぱり少しあったんですけれど、随分なくなったんです。仕事がなくなったらなくなったで畑をやる時間ができるなっていう風に考えるようになりました。畑や山のことや暮らしの中でちゃんと自分のやりたいことがたくさんあるので。なんにしても、自分が色々経験して、溢れ出てしまう部分が音楽や映像になっていくわけですから、元になっている自分をもっと豊かにしていかないと、大した作品は生まれない。
自分の人生で究極的に何がしたいかといったら、感覚を広げたいだけなんですよ。解像度を上げたいというか、今まで見えてなかったところまでちゃんと味わいたい。
―それで、田舎に暮らしながら、仕事もするという両立ができているんですね。
高木:前は気がつかなかったんですけど、東京は日本の中でもとても特殊な環境だと思いました。大阪や京都もそうですけれど、都市というのは日本の一部でしかない。残りの90%くらいはよく似た新興住宅地で、それが年々広がっている印象があります。ショッピングモールが建って商店街が消えていくみたいな話があったじゃないですか。地方の話かと思っていたら、都市は都市で同じことが起こってるなと。東京も来る度に都会らしさが減ってきて景色が郊外の街と似てきている。田舎は田舎で、村から出て少し行くと「◯◯が丘」みたいな住宅地が出てきて、新しい家が増えてくる。このままそうやって新しい住宅が増えていくことを考えると、田舎だけでなく都市も貴重なものになっていくんだろうなって感じてます。全部がニュータウンになってしまうと残念だなと。
―ひょっとしたら、世界中が、郊外化、ショッピングモール化しているのかもしれないですね。
高木:そうそう、この前メキシコに行ったときも同じ感じでした。僕が引っ越した一番の理由が、70、80歳以上の人たちから実際に何かを引き継げる最後のチャンスだなって思ったんです。自分のこれからの20年、30年をそういう風に使いたい。作家の石牟礼道子さんなど、上の世代の人たちの作品や、国内外問わず自然に近いところで昔ながらの生活している人たちが奏でる音楽に魅了されてきましたが、そういう作品に触れて魂が震えるほど感動している部分って、自分で生み出してみたくてもできないんですね。それっぽい真似をすることはできますけれど、同じ強さの表現はできない。やっぱり元になっている体験がないから出てこないんです。山に柴刈りにいったり、火を熾したり、畑をしたり、祭りをしたり。自分の身体で体験して初めて「こういうことだったのか」と分かるものだらけなんです。
―環境が変わったことで見えてきたものがたくさんあるってことですよね。そういう意味では、高木さんの暮らしから学べることもあると思います。
高木:あるかなあ(笑)。ないと思いますよ? まだまだ1年ですし、何にもしてないです。とくに震災以降、たくさんの人がそれまでの人生とは違う方向に動いてますが、僕もその1人です。それに、日本人全員が一斉に田舎に越したら、潰れるものもあって、それはそれで怖いというか。一気に「田舎に住むのが正解だ」みたいになって、みんなが同じ行動をとったら、それはそれで残したいと思った文化や環境まで潰れてしまう気がします。さっき言ってた新興住宅地が広がるだけになりそう。
―そこは確かに難しいですね。
高木:ドキュメンタリー番組で、村の人たちが「人口が少なくなったからね」と言うと悲壮な感じに見えるけど、それが救いになっている場合もあると思います。少人数だからこそ保てている純度の高い何かもちゃんとあると感じてます。それぞれの人生で、どの環境に自分を置くのかというのは、めざすものによって変わってくると思いますが、「みんな、これを1回でいいから体験したらいろんなものの感じ方が変わるのにな」と思うところはあります。人生のうちのひと季節でいいから、畑をしてみたり、昔ながらの生活をしてみたり、体験できたらいろんなことが変わると思います。
―いろんなものの感じ方が変わる、と言うのは?
高木:僕、自分の人生で究極的に何がしたいかといったら、感覚を広げたいだけなんじゃないかと思えてきたんです。解像度を上げたいというか、今まで見えてなかったところまでちゃんと味わいたい。本当だったら100まであるところを30くらいしか味わってなかったらもったいないですよね。ピアノを弾いていても、毎日少しずつ発見があって、今まで何で気付いてなかったんだろうっていう単純な事実に驚かされるんです。「ここまでだと思ってたのに、こんなに味わえるんだ!」って。そういうときが生きていて一番楽しいし、それしか求めてない気がします。本を読んだり、誰かと話したり、何かを経験したりするのも、「まだこんなにあったんや」って感じたいから。なんとはなしの不満や不安、欠乏を感じているのって、それが感じられないときだと思うんです。
―まるで耳栓を通して音楽を聴いているみたいな?
高木:そうそう。身体も感覚も本当はどこまででも動くのに、動かし方を知らないから動けてないみたいな。そういう意味では、自分で作ったら、野菜1つをとっても本当にいろいろ分かりますよ。家や近所で作ったものばかりを食べていると、菜食中心になっていくのですが、そうやってしばらく暮らしていると、たまに仕事で電車に乗ったときに、以前は感じなかった匂いがちょっとずつ感じられるようになっていくんです。都会に近づくに連れてグラデーションで匂いが変わる。やっぱり人工的な単一な匂いが増えていく。味にしても、野菜にしても土の味が分かると同時に、もちろん添加物の味も感じ取るようになります。気にしてなかったものまで感じ取れると、それによって暮らしやすくも、暮らしにくくもなりますが、僕は感じ取れたほうが豊かだと思ってます。
―どちらにせよ、感覚を鋭敏にすることの意義、見えてくるものの価値はある。受け取ったものをどうするかは、その人次第。
高木:たとえば、世の中には虫と話せたり、魚の声が聞こえる人だっているんですよ。暮らしの中で味わっているものが違えば、感性の磨かれ方も違うから、そういう世界があるってこともすっと理解できます。
―その感覚は写真だけ見ても伝わらないですね。
高木:だから実際にそういう風に暮らしてみるしかないですね。世界の感じ方が全然変わると思います。僕が今いる兵庫県では、20年前の阪神・淡路大震災で被災した人たちと出会うんですね。あの時点で価値観が変わって、そして20年経った今、その人たちが何をしているかが見られるんです。東北の震災から3年が経ちましたけれど、その先の未来を知りたければ兵庫県に来るのもいいのかもしれない。面白い人がたくさんいますよ。
- リリース情報
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- プロフィール
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- 高木正勝 (たかぎ まさかつ)
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1979年生まれ、京都出身。2013年より兵庫県在住。山深い谷間にて。長く親しんでいるピアノを用いた音楽、世界を旅しながら撮影した「動く絵画」のような映像、両方を手掛ける作家。美術館での展覧会や世界各地でのコンサートなど、分野に限定されない多様な活動を展開している。『おおかみこどもの雨と雪』やスタジオジブリを描いた『夢と狂気の王国』の映画音楽をはじめ、コラボレーションも多数。
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