東京に対する、緩やかでシリアスな危機感 羊屋白玉インタビュー

ガーリーでカラフルな舞台、しかし観る者の心を柔らかにえぐる、抒情性と批評性をあわせ持つ稀有な劇団「指輪ホテル」の芸術監督・羊屋白玉が、新しいプロジェクトを始動した。『東京スープとブランケット紀行』と名付けられたこの企画は、「東京一箱」「江古田スープ」「青ヶ島ブランケット」「対談紀行」という4つの小さなプロジェクトからなり、東京文化発信プロジェクトの「東京アートポイント計画」の一環として展開を始めたところだ。

日本を代表する演劇界の異才、羊屋の目に現在の東京はどう映っているのか? そして彼女の手にかかると、東京はどんな一面を見せてくれるのだろうか? 先日同プロジェクト内「対談紀行」の第1弾イベントとして、青ヶ島へのリサーチの記録を発表した羊屋に、今東京について思うことと、今後のプロジェクトの展望について聞いた。

「若いアーティストの心に火をつけるようなことをやってください」と言われたんです(笑)。

―今回のプロジェクト『東京スープとブランケット紀行』の全貌について、先日の3331 Art Chiyodaでのトークや資料を拝見して、何となくわかったような気がしたのですが、読者に向けてあらためて説明していただいてもいいですか。

羊屋:はい、じつは私もまだ全貌を把握はできていないのですが(笑)。ざっくり言うと『東京スープとブランケット紀行』は4つの小さなプロジェクトで成り立っていて、「東京一箱」は、東京で家を買う人を追ったドキュメント。「江古田スープ」は、私が暮らしている江古田の再開発をテーマにしたプロジェクト。「青ヶ島ブランケット」は、東京の秘境と呼ばれる人口約180人の島を訪れるサイトリサーチ。「対談紀行」はこれらのプロジェクトをめぐる人々と対話していく企画になります。

「対談紀行~転がしたり、迷ったり、眺めたり、そして、東京と話したい。~2014秋篇」2014年10月8日 @3331 Arts Chiyoda
「対談紀行~転がしたり、迷ったり、眺めたり、そして、東京と話したい。~2014秋篇」2014年10月8日 @3331 Arts Chiyoda

―羊屋さんといえば国内外で評価の高い劇団・指輪ホテルの活動など、一貫してパフォーマンスの形で勝負されてきた方なので、今回のプロジェクトは、まず表現形態が演劇じゃないということに驚きました。どういう経緯でこういったチャレンジをすることになったんですか。

羊屋:去年の夏に「東京アートポイント計画」ディレクターの森司さんに呼ばれて、「若いアーティストの心に火をつけるようなことをやってください」と言われたんです(笑)。しかも、演劇を作っちゃダメだってはっきり言われたんですよ。「演劇だったらあなた3か月で作るでしょ? でもこのプロジェクトは複数年だから、これまでやってきた以外のことをしてください」って……。以前、私が障がい者の人たちと作った作品を知っていて、気になっていてくれたそうなんです。

―それはいつの作品?

羊屋:2005年頃ですね。社会に対して、何かしらの障がいを感じている人、と言えば自分もそうなんですけど、そういう人10人くらいに集まってもらって、演劇を作りました。目が見えないとか、歩けないとか、フィジカルな部分の障がいは社会保障を獲得していますが、そうではない障がいというのもあり得るのではないかと思い、いろんなところにフライヤーを配って、自分は障がいを持ってると感じている、だけどそれを魅力だと思っている人に呼び掛けたんです。

羊屋白玉
羊屋白玉

―どういう人たちが集まったんですか?

羊屋:車椅子の人もいれば、一見普通の人だけど、じつはアルコール中毒とか、摂食障がいの人、男の人に見えるけど女の人だったり、あとはレズビアンの人とかが集まりました。しょっぱなから車椅子に乗っている脳性麻痺の人と、セクシャルマイノリティーだけど五体満足な人たちとの間で、「誰が障がい者なんだ?」って衝突が起きて(苦笑)。あまりにもそれぞれのバックグラウンドが違うんですよね。それでまずは、みんなで自分たちの家を廻ったり、ふだん関係者以外は絶対入れないアルコール中毒患者のセラピーをのぞかせてもらったり、そうやってお互いを知ることから始めたんです。

―すごく密なコミュニケーションから始めたんですね。最終的にどんな演劇になったんですか?

羊屋:タイトルが今回とちょっと似ていて『東京境界線紀行』っていうんですけど、高田馬場から渋谷まで貸切の都バスで行った、ツアー型のパフォーマンスでした。ベッド型の車椅子の人がバスに乗れない、乗せろ、ってところから始まる(笑)。高田馬場から渋谷まで、東南アジアから政治的理由で、逃亡してきた人々がやっているレストランとか、HIVの研究所とか、個人が運営している従軍慰安婦の資料館などを案内し、最後に渋谷の劇場にたどり着いて、そこでも公演をしました。

効率良く情報を手に入れることは難しいけれど、人と話すこと、人との繋がりがこのプロジェクト全体のやり方であり、私自身の原点でもあります。

―『東京境界線紀行』のように、参加者たちと向き合って対話するところから作品制作が始まるという手法は、今回のプロジェクトの1つ「対談紀行」にも通じているのでしょうか。

羊屋:「東京アートポイント計画」の他の企画内容を見ていると、頻繁に対談やトークイベントをしていて、「私もぜひやってみたい!」と思ったので、まずは対談したい人をリストアップしたんです。「対談紀行」は自分が興味のある人、気になっている人と話していくプロジェクトにしちゃおうと。でも、それ以外のプロジェクトもすべて人ありきです。「青ヶ島ブランケット」の青ヶ島は文献も少ないし、インターネットで検索しても、そんなに情報が出てきませんから、まずは新宿で青ヶ島出身の人がやっているというお店を見つけて、そこから情報を得ました。「江古田スープ」も、近所の八百屋のおじさんと話すようになって、江古田に興味が湧いてきたり。効率良く情報を手に入れることは難しいけれど、人と話すこと、人との繋がりがこのプロジェクト全体のやり方であり、私自身の原点でもあります。

青ヶ島のカルデラ
青ヶ島のカルデラ

―ちなみに「東京一箱」の家を買うドキュメント……って何ですか?

羊屋:それも出会いなんです(笑)。第2の人生のために、東京に家を買おうとしている人がいて、そこに私も加わって応援しながら、ドキュメントする企画です。このプロジェクトの話をいただいたときに、いろんな人に相談したんですけど、その中に「私、家を買おうと思っていて……」って、自分の話を始めちゃった人がいて(笑)。大学生になる娘さんと二人暮らしの舞台美術家さんなんですけど、住まいだけじゃなく、稽古場もほしいし、アトリエもほしい。アート系のオフィスなんかも入れる場所にして、人が集まるハブ的な場にして管理人になりたいって言うんです。東京で家を買って……というかビルになっちゃうと思うんですけど、そういう場所を作るってことをドキュメントしたい。そして私たちもそのハブの一員になっていきたいと思っています。

―4つの小さなプロジェクトは、どういう関係性で、どれから思いついたんですか?

羊屋:順番は特になくて、一気に思いつきました。「江古田スープ」は、プロジェクト全体に取り組むにあたって、活動の拠点を決めたら? と言われて。今、自分が住んでいる街なので躊躇もあったんですけど、今後再開発されて、街の風景が変わるかもしれないと商店街の八百屋さんから聞いて、これはやったほうがいいと思いました。4つもプロジェクトがあって多すぎるって言われるんですけど(笑)、1つの問題が別のプロジェクトと繋がったり、助けられたりすることもあるだろうし、相乗効果で面白くなっていくんじゃないかと思っています。今はとりあえず3年間と言われてますけど、それぞれの今後がどう変化していくのか、すごく楽しみです。

青ヶ島の神子の浦にて
青ヶ島の神子の浦にて

―全体のプロジェクト名にもある「スープ」と「ブランケット」は、何か重要な意味を含んでいるのでしょうか?

羊屋:個人的なことですが、22年間飼っていた猫が数年前に亡くなったんです。猫が倒れてからの5日間、友だちがひっきりなしに来てくれました。その猫を可愛がってくれた友だちはすごく多く、22歳ですから人間なら100歳を超えていて、尊敬する人さえいた。そうやってみんなが集まってくれたとき、これから死んでいく猫に対して、私たちはどうしたらいいのか? 自分が死んだときはどうしてほしいのか? を話し合いました。そんな機会をくれた猫にとても感謝しているんですけど、そのとき猫を病院に連れていくのに、毛布にくるんで行ったし、友だちはスープを持って駆け付けてくれた。毛布とスープを持って、いろんなところにズカズカ入り込んでいく感じは、このプロジェクトを通して江古田に入っていく、青ヶ島に行く、家を見つけるために不動産屋に行く、ということと繋がっているんです。

―毛布やスープが、衣食住や緊急事態に携えるものを象徴しているみたいにも見えます。あと、「青ヶ島ブランケット」は、伊豆諸島・青ヶ島でのプロジェクトですが、どうやって生まれたんですか?

羊屋:まずここも1つの東京だと思ったのと、青ヶ島には人の出入りが少ないからこそ守られてきた神事があるんですよ。歌いながら巫女さんが神懸かっていく神事なんですけど、何年か前に草月ホールでそれが上演されたと友だちから聞いて、それ以来ずっと気になっていました。ビデオで見たことはあるんですけど、それもあって一度青ヶ島には行ってみたいと思っていたんです。

―その神事は結局見られたんですか?

羊屋:こないだリサーチで行ったときには見られませんでした。本当は青ヶ島の人に会ったとき、すぐに聞いてみたかったんですけど、何となく渋るような気配を感じて、まだ早いかなと思いました。島の人は話したがらないかも、と事前に聞いていて、タイミングも難しかった。ズカズカと踏み込んでは行くんだけど、ストレンジャーとしての礼儀はわきまえているつもりなんです。でも本当はたどり着きたいところです。

レヴィ=ストロースや宮本常一みたいな偉大な学者にはなれなかったけど、人類学的な課題に演劇を通して触れていきたいぞ、という野望があるんです。

―現地でリサーチして作品を作る。そういったフィールドワーク的な取り組みは、『瀬戸内国際芸術祭2013』の直島で上演した作品『あんなに愛しあったのに』でも挑戦されていましたよね。

羊屋:そうです。宮本常一さんという、生涯をかけて日本中をフィールドワークした民俗学者がいたんですけど、彼の故郷の周防大島(山口県)まで行って、宮本常一研究会のおじさんにいろんな文献を教えてもらって、そこから想像を膨らませて作った作品です。直島ではスタッフみんなで空き家に住んで、漁業協同組合、役場、海上保安庁とやり取りをしながら準備しました。直島の海に沈む夕陽を背景に上演したのですが、漁師さんから「島の自慢の夕陽を演劇の中に取り込んでくれて嬉しい」と言っていただいたのが、嬉しかったです。島の宝物を見つけることができたような気がして。

三宝港(青ヶ島)
三宝港(青ヶ島)

―そういった制作方法に興味を持たれたきっかけは何だったんですか。

羊屋:私、生まれ変わったら民族学者になりたいな、と思ってて。でもどうして現世であきらめたかというと、あのクロード・レヴィ=ストロース(フランスの社会人類学者、民族学者)でさえも後悔していると、本で読んだからです。当時の未開の地を彼が調査し、発表したことで、いろんな外部の人間が介入し、もとの文化が壊されてしまったわけです。そして、今回のプロジェクトもフィールドワーク型ですが、調査から発表における問題や影響を、現代にどう引き継いでいくのかという課題もあるし、とにかく調査のその先の先の先を考えていきたいんです。

―今年春に開催された『いちはらアート×ミックス』では、『あんなに愛しあったのに~中房総小湊鐵道篇』を上演されていました。こちらは現地を走るローカル鉄道の車内を舞台にした公演でした。拝見しましたが、実際に電車に揺られているうちに、以前読んだ小説で小湊鉄道が登場するのを急に思い出して、その小説の印象まで変わったんですよ。

羊屋:ありがとうございます。だから、レヴィ=ストロースや宮本常一みたいな偉大な学者にはなれなかったけど、人類学的な課題を、演劇を通して触れていきたいぞ、という野望があるんです。

あらためて私は東京のことを考えなきゃいけないんだなと思い始めました。今の東京は、遺跡化のスピードが速すぎて、どれもこれも死んでくような感じがしています。

―羊屋さんは『東京スープとブランケット紀行』というプロジェクトを通して、世の中のわからないことを一つひとつ解き明かしていきたいのかな、と思いました。その根本には、今の東京に対する疑いのようなものがあるのでしょうか。

羊屋:宮本常一さんが「僕は歴史の減速装置になりたい」って言っていたんですけど、私もそれを本当に身上としています。たとえば東京の演劇シーンでは、1年間公演をやらないと、すっかり忘れられてしまいますからね。海外に1年行って帰ってきただけで、「今何してるの?」って聞かれてしまう(笑)。小劇場ブームなんかでちょっと経済が廻ると、マーケティングに乗って作家はどんどん作品を書かされて、どんどん疲弊していく。そういう人たちをいっぱい見ました。この劇場でやったら次はもう少し大きな劇場、次はもっと大きな劇場。最終的に本多劇場やパルコ劇場で公演できたら、すごろくの「上がり」みたいなことになっている。そんなシステムに飲み込まれるのが嫌で、私はそういった劇場では一切やってないんですけど。

羊屋白玉

―ウェブサイトには、ディレクター羊屋さんの言葉として、私にとっての東京は「とっても長いこと、未来都市だった」「今は、遺跡の街を歩いているように思う」「追いつかないほどの加速記号でいっぱいだ」と書かれています。そういった東京に対する問題意識はずっと感じられていたんですか?

羊屋:このプロジェクトが始まって、あらためて私は東京のことを考えなきゃいけないんだなと思い始めました。今は遺跡化のスピードが速すぎて、どれもこれも死んでいくような感じがしています。たとえば1990年代頃は、六本木や西麻布、下北沢のクラブとかで演劇を上演してたんですけど、当時のクラブでは、踊っているお客さんもいれば、バンドが演奏したり、アートが展示されたりする中で、指輪ホテルもパフォーマンスをやっていて、異種格闘技みたいな面白さがあった。でもあるときからクラブがどこも同じような内装、雰囲気になってきて、調べてみたら本当に同じ内装・建築会社が入ってた。お客さんの感じも画一化されてきて、コンビニみたいに同質なものばかり。

―以前、ドラァグクイーンのヴィヴィアン佐藤さんに取材させてもらったときも、同じようなことをおっしゃられていました。1990年代にクラブが変わって、多様性がなくなったと。

羊屋:わかります。それでクラブに興味がなくなって、劇場や劇場じゃないところや、海外でも上演するようになったんですけど、そうすると、なおさら東京や日本のことを考えるようになってきた。でも、それを作品で描いてしまうと海外ではエキゾチックなものとして捉えられてしまうし、もっと普遍的なものを指輪ホテルでは作っていたので、これまでアウトプットすることはありませんでした。だから今回、東京アートポイント計画のお話が来たときに、自分で封印していたものを解いてみる気になったんだと思います。そういえば東京のことを作品にしてこなかったなと。

ネイティブアメリカンに、「ポトラッチ」っていう風習があるんです。部族間で贈与と返礼を繰り返す。これって一見無駄なんですが、結局、誰も死なないの。「死人を出さない経済戦争」だなって。

―今日お話を伺って、最終的な「プロジェクト=作品」としての出力形態がますます楽しみになりました。

羊屋:どうしたらいいと思いますか?(笑) みんなに相談すると、あれはどう? これはどう? って演劇っぽいことばかり言われるんですよ。結論を決めないで、かたちのないところから始めたばかりですけど、こういった機会でなければやれないことなので本当に嬉しいです。大変だけど。

―「江古田スープ」ってネーミングが美味しそうなんで、いっそ最終的に商品化するとか?

羊屋:小さな経済はやってみたいと思っています。何か商品を取引することを実際にやってみなければ、経済ってモノの本質をわかることができないと思う。私はフリーで仕事しているし、貨幣経済は苦手だし……(笑)、でも経済自体は必要なものだと思うんです。ジョルジュ・バタイユ(20世紀初頭のフランスの思想家)は、「宗教改革を境に、蕩尽(浪費)中心の経済から、生産中心の経済へ変化した」というようなことを書いていて。蕩尽経済の例としては、ネイティブアメリカンの「ポトラッチ」という風習があります。自分の村のほうが相手より上だと誇示するために、お互いに贈り物をし合い、その贈り物をこれ見よがしに破壊したりもする。たとえば、隣の村の前に牛4頭くらい置いてくる。受け取った村はお返しに牛5頭を置きにくる(笑)。これを繰り返していって、どちらかの酋長さんが、「こんなに渡したら村が破綻してしまう」って降参したら終わるんです。だから誰も死なないの。吸収されたり合併されたりはするけど。これって「死人を出さない経済戦争」だなって思いません? いいですよね。

羊屋白玉

―なるほど(笑)、プロジェクトを通して、新しい経済のかたちが見えてくるかもしれないですね。今後のご予定は?

羊屋:対談イベントの第2弾をやりたいと思っています。プロジェクトのメンバーで毎月集まって街歩きをしているのですが、この間、江古田市場をテーマに演劇を上演していた日大芸術学部出身の「演劇活性化団体uni」の方々に出会いまして、一緒に町歩きをしました。この街はアート活動をしている人が結構いて、江古田ユニバースという「まちづくり団体」も有名。歩いているとそういう人たちと出会ったりして、Twitterでフォローし合いながら、緩やかに繋がっています。江古田って、街から出なくても生活できる快適な場所なんですよ。家電量販店とかはないけど、町の電気屋があって商店がある。ラビリンスだし浮島みたい。そういう意味では青ヶ島と一緒ですね。

―どちらもコンパクトな場所だけに、いろんな問題がくっきりと浮かびあがりやすいような気がします。

羊屋:再開発が進んでいる江古田の市場も、これから少しずつお店が立ち退いていくと聞いています。じゃあ、あそこは何に生まれ変わるのかな、今の状態では何が十分じゃなかったのかな、と思う。その問題の根本にあるのは何なのかを知りたかったから、青ヶ島に行ったのもありました。青ヶ島には東京というより、むしろ日本の問題が凝縮されている。局部的な問題じゃない。すべてが切り離せない。青ヶ島も東京も江古田も日本も、どれもこれもがパラレルワールドだなと思います。

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東京スープとブランケット紀行
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